びんの悪魔 / 2023

yamatsuka

文字の大きさ
上 下
45 / 62
第二十六章

第三話

しおりを挟む
「ごめん。ちょっと言い過ぎたかも、もう忘れて。でもね、こんなこと、今更なんだけど、私は自分が見た記憶もあなたが見た記憶も偽物だとは思ってない。それはね、びんが見せたからってわけじゃなくて、あの傷と、痛みは偽物なんかじゃないって思ったからなの。あれは、同情されるべき記憶だと思う。でもね、だからって彼らを許す気になったわけでもない。あの人達が私にしたことは消えないからね。それにね、さっきは言ってなかったけど三國の奴、私と百川以外にも手をだしていたの。それが誰なのかまでは、ちょっと私にはわからなかったけど、その記憶が見えた。まあでも、こんなことになるなら、見なくてもよかったのかもね。私の考えていることは間違っていなかったわけだし。何か変わった、と言えば、もし機会があれば、私たちが見たものが本当だったのか、聞こうっていう気になったことかな。ううん、それは嘘かも。あいつらが本気で答えてくれるとは思えない……し」

 智香は鬼平をちらと見た。鬼平は相変わらず手元を見つめて、口を開く様子を見せなかった。智香は少し喋り疲れて、肩を落とした。智香は時計を見て、立ち上がった。

「もう行かないとね。長々喋っちゃってごめんね。福田先生に無理言って時間作ってもらったし。あ、鬼平くんの荷物は、そっちにあるから」

 智香は足もとにあった鞄を手に持った。鬼平は指を差された方を見て、自分の鞄があるのを確認した。振り返った時、もう智香は鞄を肩に掛け、帰る準備ができていた。

「じゃあ、私帰るね。鬼平くん、もう大丈夫そうだし。……それに私、あなたに迷惑かけちゃって、これ以上合わせる顔ないよ」

 智香は寂しそうに笑い、鬼平から視線を外した。

 ――行ってしまう。言わないと。でもどうやって伝えればいい? それにもし言えば、智香が自分を責めるかもしれない。こんなこと、嘘だと思うかもしれない。それでも智香なら、鬼平の言葉を信じてくれる気がしていた。鬼平の心はざわつき、真っ二つに引き裂かれていた。

「……じゃあ、また」

 智香が言って、カーテンに手をかけた。

「あ! あの……」

 声が出てしまった。何かを考えて、それが出るかどうか吟味する前に。


「何? どうしたの?」

 半身をカーテンの向こう側に置いたまま、智香が振り返る。その顔を見て、鬼平は覚悟を決める。

「ほ、本当は見た、んだ。じ、自分の記憶。二人の記憶の後に、見えてきた」

 智香は、すぐに、どういう記憶? と聞こうと思ったが、できなかった。彼女は、鬼平の追い詰められたような表情に気付いて、今は聞くことに専念した方がいいとわかって、黙った。

 鬼平はもう言葉にすることを躊躇しなかった。だが、それはいつもよりもずっと、言葉にし辛かった。さっき見たはずの記憶だったが、もう彼の奥底に向かって、消えたがっていた。鬼平は震えながら、ゆっくりとそれを言葉にし始めた。

「昔……ぼ、僕のお父さん。が、あ、あの、」

 始め、智香は、無表情で鬼平の話を聞いていた。何があっても動揺せずに、最後まで黙って聞くつもりだった。だが、その後鬼平が言った言葉で、すぐにそこに語られようとしている内容の異常性に気付いて、その意識は消えてしまった。

「僕がシャワーを……あ、浴びてる時……そ、そこに、は、入ってきた、そ、それで、……ぼ、僕に……」

 それを聞いた時、智香は彼の身に何が起きたのか理解し、目を見開き、苦虫を噛み潰したような顔になった。

 鬼平は、それを見て、さらにこれから語るイメージを思い、この先を言えば自分が傷つくことがわかった。だが、もう止められなかった。それはもう鬼平の唇の裏まで来ていた。鬼平は唾を飲みこみ、それを言った。

「ぼ、僕の身体を……お、押さえつけて……て、手が下に伸びてきて……」

 鬼平は先を言おうとした。だが、その後をどう頑張って言おうとしても、それは言葉にならなかった。代わりに、ただ喉がせわしなく動き、舌がくるくる回って動き、身体がもどかしそうに震えるだけだった。

 智香には、もう過去の鬼平に何が起きたのかわかっていた。彼女はその瞬間、はらわたが煮えくり返るような気がした。

「ぼ、僕は、怖くて、びっくりして……お父さんが、僕のこと……」

「……もういい」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】婚約破棄の代償は

恋愛 / 完結 24h.ポイント:894pt お気に入り:384

ざまぁされちゃったヒロインの走馬灯

恋愛 / 完結 24h.ポイント:333pt お気に入り:54

彼女を悪役だと宣うのなら、彼女に何をされたか言ってみろ!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7,909pt お気に入り:107

わたしたち、いまさら恋ができますか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:839pt お気に入り:378

天使の歌声を追って俺はVtuberになることを決意する!

SF / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:16

街角のパン屋さん

SF / 完結 24h.ポイント:404pt お気に入り:2

思い付き短編集

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:121

趣味を極めて自由に生きろ! ただし、神々は愛し子に異世界改革をお望みです

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:27,515pt お気に入り:11,873

本当はあなたを愛してました

m
恋愛 / 完結 24h.ポイント:653pt お気に入り:218

処理中です...