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第二十六章
第三話
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「ごめん。ちょっと言い過ぎたかも、もう忘れて。でもね、こんなこと、今更なんだけど、私は自分が見た記憶もあなたが見た記憶も偽物だとは思ってない。それはね、びんが見せたからってわけじゃなくて、あの傷と、痛みは偽物なんかじゃないって思ったからなの。あれは、同情されるべき記憶だと思う。でもね、だからって彼らを許す気になったわけでもない。あの人達が私にしたことは消えないからね。それにね、さっきは言ってなかったけど三國の奴、私と百川以外にも手をだしていたの。それが誰なのかまでは、ちょっと私にはわからなかったけど、その記憶が見えた。まあでも、こんなことになるなら、見なくてもよかったのかもね。私の考えていることは間違っていなかったわけだし。何か変わった、と言えば、もし機会があれば、私たちが見たものが本当だったのか、聞こうっていう気になったことかな。ううん、それは嘘かも。あいつらが本気で答えてくれるとは思えない……し」
智香は鬼平をちらと見た。鬼平は相変わらず手元を見つめて、口を開く様子を見せなかった。智香は少し喋り疲れて、肩を落とした。智香は時計を見て、立ち上がった。
「もう行かないとね。長々喋っちゃってごめんね。福田先生に無理言って時間作ってもらったし。あ、鬼平くんの荷物は、そっちにあるから」
智香は足もとにあった鞄を手に持った。鬼平は指を差された方を見て、自分の鞄があるのを確認した。振り返った時、もう智香は鞄を肩に掛け、帰る準備ができていた。
「じゃあ、私帰るね。鬼平くん、もう大丈夫そうだし。……それに私、あなたに迷惑かけちゃって、これ以上合わせる顔ないよ」
智香は寂しそうに笑い、鬼平から視線を外した。
――行ってしまう。言わないと。でもどうやって伝えればいい? それにもし言えば、智香が自分を責めるかもしれない。こんなこと、嘘だと思うかもしれない。それでも智香なら、鬼平の言葉を信じてくれる気がしていた。鬼平の心はざわつき、真っ二つに引き裂かれていた。
「……じゃあ、また」
智香が言って、カーテンに手をかけた。
「あ! あの……」
声が出てしまった。何かを考えて、それが出るかどうか吟味する前に。
「何? どうしたの?」
半身をカーテンの向こう側に置いたまま、智香が振り返る。その顔を見て、鬼平は覚悟を決める。
「ほ、本当は見た、んだ。じ、自分の記憶。二人の記憶の後に、見えてきた」
智香は、すぐに、どういう記憶? と聞こうと思ったが、できなかった。彼女は、鬼平の追い詰められたような表情に気付いて、今は聞くことに専念した方がいいとわかって、黙った。
鬼平はもう言葉にすることを躊躇しなかった。だが、それはいつもよりもずっと、言葉にし辛かった。さっき見たはずの記憶だったが、もう彼の奥底に向かって、消えたがっていた。鬼平は震えながら、ゆっくりとそれを言葉にし始めた。
「昔……ぼ、僕のお父さん。が、あ、あの、」
始め、智香は、無表情で鬼平の話を聞いていた。何があっても動揺せずに、最後まで黙って聞くつもりだった。だが、その後鬼平が言った言葉で、すぐにそこに語られようとしている内容の異常性に気付いて、その意識は消えてしまった。
「僕がシャワーを……あ、浴びてる時……そ、そこに、は、入ってきた、そ、それで、……ぼ、僕に……」
それを聞いた時、智香は彼の身に何が起きたのか理解し、目を見開き、苦虫を噛み潰したような顔になった。
鬼平は、それを見て、さらにこれから語るイメージを思い、この先を言えば自分が傷つくことがわかった。だが、もう止められなかった。それはもう鬼平の唇の裏まで来ていた。鬼平は唾を飲みこみ、それを言った。
「ぼ、僕の身体を……お、押さえつけて……て、手が下に伸びてきて……」
鬼平は先を言おうとした。だが、その後をどう頑張って言おうとしても、それは言葉にならなかった。代わりに、ただ喉がせわしなく動き、舌がくるくる回って動き、身体がもどかしそうに震えるだけだった。
智香には、もう過去の鬼平に何が起きたのかわかっていた。彼女はその瞬間、はらわたが煮えくり返るような気がした。
「ぼ、僕は、怖くて、びっくりして……お父さんが、僕のこと……」
「……もういい」
智香は鬼平をちらと見た。鬼平は相変わらず手元を見つめて、口を開く様子を見せなかった。智香は少し喋り疲れて、肩を落とした。智香は時計を見て、立ち上がった。
「もう行かないとね。長々喋っちゃってごめんね。福田先生に無理言って時間作ってもらったし。あ、鬼平くんの荷物は、そっちにあるから」
智香は足もとにあった鞄を手に持った。鬼平は指を差された方を見て、自分の鞄があるのを確認した。振り返った時、もう智香は鞄を肩に掛け、帰る準備ができていた。
「じゃあ、私帰るね。鬼平くん、もう大丈夫そうだし。……それに私、あなたに迷惑かけちゃって、これ以上合わせる顔ないよ」
智香は寂しそうに笑い、鬼平から視線を外した。
――行ってしまう。言わないと。でもどうやって伝えればいい? それにもし言えば、智香が自分を責めるかもしれない。こんなこと、嘘だと思うかもしれない。それでも智香なら、鬼平の言葉を信じてくれる気がしていた。鬼平の心はざわつき、真っ二つに引き裂かれていた。
「……じゃあ、また」
智香が言って、カーテンに手をかけた。
「あ! あの……」
声が出てしまった。何かを考えて、それが出るかどうか吟味する前に。
「何? どうしたの?」
半身をカーテンの向こう側に置いたまま、智香が振り返る。その顔を見て、鬼平は覚悟を決める。
「ほ、本当は見た、んだ。じ、自分の記憶。二人の記憶の後に、見えてきた」
智香は、すぐに、どういう記憶? と聞こうと思ったが、できなかった。彼女は、鬼平の追い詰められたような表情に気付いて、今は聞くことに専念した方がいいとわかって、黙った。
鬼平はもう言葉にすることを躊躇しなかった。だが、それはいつもよりもずっと、言葉にし辛かった。さっき見たはずの記憶だったが、もう彼の奥底に向かって、消えたがっていた。鬼平は震えながら、ゆっくりとそれを言葉にし始めた。
「昔……ぼ、僕のお父さん。が、あ、あの、」
始め、智香は、無表情で鬼平の話を聞いていた。何があっても動揺せずに、最後まで黙って聞くつもりだった。だが、その後鬼平が言った言葉で、すぐにそこに語られようとしている内容の異常性に気付いて、その意識は消えてしまった。
「僕がシャワーを……あ、浴びてる時……そ、そこに、は、入ってきた、そ、それで、……ぼ、僕に……」
それを聞いた時、智香は彼の身に何が起きたのか理解し、目を見開き、苦虫を噛み潰したような顔になった。
鬼平は、それを見て、さらにこれから語るイメージを思い、この先を言えば自分が傷つくことがわかった。だが、もう止められなかった。それはもう鬼平の唇の裏まで来ていた。鬼平は唾を飲みこみ、それを言った。
「ぼ、僕の身体を……お、押さえつけて……て、手が下に伸びてきて……」
鬼平は先を言おうとした。だが、その後をどう頑張って言おうとしても、それは言葉にならなかった。代わりに、ただ喉がせわしなく動き、舌がくるくる回って動き、身体がもどかしそうに震えるだけだった。
智香には、もう過去の鬼平に何が起きたのかわかっていた。彼女はその瞬間、はらわたが煮えくり返るような気がした。
「ぼ、僕は、怖くて、びっくりして……お父さんが、僕のこと……」
「……もういい」
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