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第二十六章
第二話
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「ごめん。私ね? あなたが倒れて、その理由をずっと考えていたの。それで、違ってたら言って。私ね、あなたが対価を払ったんだって、思ったの。理由はわからないけど、そのせいで倒れたんだって……私は、二人の過去を見たよ。でも、すごく変な感じだった。まるで頭の中に無理やり文字が浮かんで、それを読まされているみたいな」
その話を聞き、自分とまるで同じことが智香にも起きたのだと気付いた鬼平は、急いでそれを伝えようと思った。
だが、鬼平は、急に自信を失い、実際に発した声は、消え入るように小さくなった。
「……ぼ、僕も……み、見たかも」
「本当に? どんな?」
智香の顔色が変わった。鬼平は不安だったが、不器用ながらもそれを伝えていった。智香は時々質問を挟みながら、真剣な表情を変えずに話を聞いていた。それで鬼平はどうにか最後まで話すことができた。といっても、フラッシュバックした自分の記憶のことは黙ったままだったが。
「そう。そんなことが……」
鬼平がすべて話し終えると、智香の表情は沈んでいき、しばらく物思いに耽った。
「でも、それは何ていうか、ちょっと意外かも」
智香は膝の上に重ねた両手と、その先の白く長い指についたピンクに輝く爪を見つめて、そう漏らした。智香は顔を上げた。
「私が見たのはね、鬼平くんが見たものとは全然違うものだった。百川の過去は、そんな古いものじゃなくて、もっと最近のものだったよ。スマホの中に溢れた大量の自撮りと加工された他人の顔写真……。そこに映った自分の姿だけがあの子の世界のすべてだった。その後、あの子の苦しい気持ちが私の中に入ってきて、憎しみに変わった。その先にいたのが私だった。あの子が私を羨んで、憎む気持ちが痛いほどわかったけど、お母さんの存在は出てこなかった。三國の過去も同じ。私の見た三國は私たちと同じくらいの歳だった。あいつは初めて付き合った子に執着して束縛した挙句、その子と別れた。私の中に、別れた後の痛みが苦しい程伝わってきた。あいつはそれからずっと、大学を卒業して学校に就職してからもその痛みに悩まされていた。でね、それと一緒に、また私がいたの。それも、〝憎しみ〟なんて言葉じゃ表せない、もっと複雑でこんがらがった思い、何て言ったらいいのかな。そう、胸の中を虫がはいずり回ってるみたいな……そういう強い感情」
智香は拾い落した情報がないか、自分で確かめるように話していた。鬼平は自分が見たものと智香が見た記憶との食い違い、その連続性を思った。
それから、彼の中に、記憶や経験は、その人がその人であることを、どれくらい教えてくれるのか、という当然だが、答えづらい疑問が思い浮かんだが、もちろんその答えは何もわからなかった。
智香は鬼平に視線を向け、鬼平は息を呑んだ。そこに包み込むような優しさと共に、一度掴まえたら逃さない、という力強い意志を感じたからだ。智香は言った。
「ねえ、もし間違っていたら教えて。さっき先生と話している時、鬼平くんは、立ち上がった時に真っ暗になったって言ってたよね? でも、私が二人の記憶から解放された時、鬼平くんはまだ立っていて、焦点が合っていないような顔をしていた。その後すぐにあなたは倒れた。もし、二人の記憶を見ただけなら、――もちろん鬼平くんが見た二つの記憶は恐ろしい記憶だけど、それだけで、あんな顔をするものなの? 倒れてしまうほどの」
鬼平は返事に困っていた。彼の口内は緊張で渇き出していた。毛布を手で握る。――智香は気付いている。それから、自分の記憶を誰かに話すことがどれだけの意味があるんだろう? と思った。それも、誰にも話さないでいた記憶、話したくもない記憶を、こじ開けられてしまった記憶を話すことは?
「話したくないなら、無理に話さなくてもいいの。こうなったのも全部私のせいだしね。でも、本来私が願ったことのはずなのに、鬼平くんにも効果が及んでいるのを聞いて、疑問だった。ねえ、こんなこと本当は聞きたくないし、あなたは知らないって思うかもしれないけど、どうして悪魔はあなたに二人の記憶を見せたの? どうして私とは違う種類の記憶を見せたの? それは、あなたにどんな対価を払わせたの?」
智香はなるべく明るく話そうと努力していたが、その表情に差す影はどんどん濃くなって、声は小さく低くなっていった。
そのまま、最後には気まずくなって口を閉ざしたのを、鬼平も気付いていた。だが、鬼平は彼女の疑問に答えることが――もちろんそうしないといけないと思ったが――どれだけ意味があるのかわからず、ましてやそのための言葉もなかった。鬼平はただ、脚を覆っていた毛布を腰まで手繰り寄せただけだった。智香は失望したように、大きなため息をついた。
その話を聞き、自分とまるで同じことが智香にも起きたのだと気付いた鬼平は、急いでそれを伝えようと思った。
だが、鬼平は、急に自信を失い、実際に発した声は、消え入るように小さくなった。
「……ぼ、僕も……み、見たかも」
「本当に? どんな?」
智香の顔色が変わった。鬼平は不安だったが、不器用ながらもそれを伝えていった。智香は時々質問を挟みながら、真剣な表情を変えずに話を聞いていた。それで鬼平はどうにか最後まで話すことができた。といっても、フラッシュバックした自分の記憶のことは黙ったままだったが。
「そう。そんなことが……」
鬼平がすべて話し終えると、智香の表情は沈んでいき、しばらく物思いに耽った。
「でも、それは何ていうか、ちょっと意外かも」
智香は膝の上に重ねた両手と、その先の白く長い指についたピンクに輝く爪を見つめて、そう漏らした。智香は顔を上げた。
「私が見たのはね、鬼平くんが見たものとは全然違うものだった。百川の過去は、そんな古いものじゃなくて、もっと最近のものだったよ。スマホの中に溢れた大量の自撮りと加工された他人の顔写真……。そこに映った自分の姿だけがあの子の世界のすべてだった。その後、あの子の苦しい気持ちが私の中に入ってきて、憎しみに変わった。その先にいたのが私だった。あの子が私を羨んで、憎む気持ちが痛いほどわかったけど、お母さんの存在は出てこなかった。三國の過去も同じ。私の見た三國は私たちと同じくらいの歳だった。あいつは初めて付き合った子に執着して束縛した挙句、その子と別れた。私の中に、別れた後の痛みが苦しい程伝わってきた。あいつはそれからずっと、大学を卒業して学校に就職してからもその痛みに悩まされていた。でね、それと一緒に、また私がいたの。それも、〝憎しみ〟なんて言葉じゃ表せない、もっと複雑でこんがらがった思い、何て言ったらいいのかな。そう、胸の中を虫がはいずり回ってるみたいな……そういう強い感情」
智香は拾い落した情報がないか、自分で確かめるように話していた。鬼平は自分が見たものと智香が見た記憶との食い違い、その連続性を思った。
それから、彼の中に、記憶や経験は、その人がその人であることを、どれくらい教えてくれるのか、という当然だが、答えづらい疑問が思い浮かんだが、もちろんその答えは何もわからなかった。
智香は鬼平に視線を向け、鬼平は息を呑んだ。そこに包み込むような優しさと共に、一度掴まえたら逃さない、という力強い意志を感じたからだ。智香は言った。
「ねえ、もし間違っていたら教えて。さっき先生と話している時、鬼平くんは、立ち上がった時に真っ暗になったって言ってたよね? でも、私が二人の記憶から解放された時、鬼平くんはまだ立っていて、焦点が合っていないような顔をしていた。その後すぐにあなたは倒れた。もし、二人の記憶を見ただけなら、――もちろん鬼平くんが見た二つの記憶は恐ろしい記憶だけど、それだけで、あんな顔をするものなの? 倒れてしまうほどの」
鬼平は返事に困っていた。彼の口内は緊張で渇き出していた。毛布を手で握る。――智香は気付いている。それから、自分の記憶を誰かに話すことがどれだけの意味があるんだろう? と思った。それも、誰にも話さないでいた記憶、話したくもない記憶を、こじ開けられてしまった記憶を話すことは?
「話したくないなら、無理に話さなくてもいいの。こうなったのも全部私のせいだしね。でも、本来私が願ったことのはずなのに、鬼平くんにも効果が及んでいるのを聞いて、疑問だった。ねえ、こんなこと本当は聞きたくないし、あなたは知らないって思うかもしれないけど、どうして悪魔はあなたに二人の記憶を見せたの? どうして私とは違う種類の記憶を見せたの? それは、あなたにどんな対価を払わせたの?」
智香はなるべく明るく話そうと努力していたが、その表情に差す影はどんどん濃くなって、声は小さく低くなっていった。
そのまま、最後には気まずくなって口を閉ざしたのを、鬼平も気付いていた。だが、鬼平は彼女の疑問に答えることが――もちろんそうしないといけないと思ったが――どれだけ意味があるのかわからず、ましてやそのための言葉もなかった。鬼平はただ、脚を覆っていた毛布を腰まで手繰り寄せただけだった。智香は失望したように、大きなため息をついた。
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