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第二十六章
第一話
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夢を見ていた。中学時代の夢。教室で鬼平は誰かと話している。それは鬼平のことを理解してくれた先生たち、クラスメイト。そこで感じる、誰かが自分を助けてくれることの有難さ、誰かと言葉を交わすこと、心を通わせることの温かさ。本当はずっとそこにいたかった。
でも、何も手を加えなければ、指をくわえて見ているだけでは幸福は続いていかない。熱は熱いところから寒いところへ、水は高いところから低いところへと流れていく。年月は現実を思い出に変えていった。
あっという間に中学の教室から高校の教室へと切り替わって、周りに誰もいなくなった。鬼平はその後に味わった挫折、自分への信頼が砂の城のように崩れ去っていったのを思い出した。
「あ、起きた?」
目が覚めると鬼平は白いベッドの上で横たわっていた。頭には枕が置かれていて、身体には水色の柔らかい毛布がかかっている。智香はベッドの横、ステンレスの緑色のスツールに座り、目覚めたばかりの鬼平の表情を観察していた。身体を起こそうとすると、痛みが腰に走り、彼は顔をしかめた。
「無理に起き上がらなくていいよ。ちょっと待ってて。すぐに先生呼んでくるから」
鬼平が返事をする前に智香は立ち上がり、保健室から出て行った。室内は途端に静かになり、鬼平は寝た体勢のまま、周りを見渡した。
時計を見て、四十分くらい寝てしまっていた、と推察できた。外もだいぶ暗くなっていた。もう一度立ち上がろうと試みたが、鈍い痛みは変わらず、鬼平は、諦めてベッドに横になった。
しばらく、そうして天井を見つめながら、鬼平は一瞬、どうして自分がここにいるのかわからなくなった。
だが、忘れたわけではない。むしろ、見たものをはっきりと覚えていた。びんが見せた百川千花と三國修司の記憶。あれは本当に二人の記憶だったのだろうか。そしてあの時、鬼平が見たもの、あれは……。
「連れてきたよ。先生、お願いします」
カーテンから智香の顔がのぞいて、後から福田先生が入ってきた。
それから、鬼平は身体をチェックされ、以前にも倒れたことがあったか聞かれた。ないと答える。倒れた時、どんな感じだったのか、と聞かれて、彼は答えに窮した。まさかばか正直に、他人の記憶を見ていて、その後〝フラッシュバック〟が起こった、とは言えるはずもなかった。
だから立ち上がった時に目の前が真っ暗になったことにした。福田先生は特に疑いもせず、その話を信じた。
「大丈夫だと思うけど、心配なら一応病院に行ってね」
福田先生は湿布を引き出しから出して言った。鬼平は湿布を受け取り、頷く。続けて、規則正しい生活を送ることの大切さや、運動、食事を見直すことの重要性などの短い指導が入る。
「じゃあ先生。後は私が」
それらがひとしきり終わると、指導の間、後ろでそわそわしていた智香が割り込んだ。
「ああ、そうだったね。邪魔者は仕事を終えたらさっさと去りますよ」
拗ねたような調子で福田先生が答える。
「ちょっと、そういうつもりじゃないって言わなかったっけ?」
「わかってるよ。でも、鈴本さんを信頼しないわけじゃないけど、あんまり長いのはダメだからね?」
福田先生は付け加えた。
「うん。そうする。ありがとう」
しばらくして、福田先生は笑いながら書類をまとめる仕草をして、足早に保健室を出て行った。せわしない足音と共に扉が閉まると、保健室に再び静寂が訪れた。
「どう? もう立てる?」
智香が鬼平の身体を見ながら聞いた。鬼平は頷き、毛布を払いのけ、ベッドから脚を下ろした。まだ慣れないし、痛みもあるが、なんとか立つことはできそうだった。
「よかった」
智香の声が震えたのがわかって、鬼平はベッドに座りこんだ。
「ダメかと思った」
その言葉を最後に、智香が泣き出してしまって、鬼平は言葉が詰まった。
ハンカチを目に押し付ける智香を見ていながら、慰めの言葉を探したが、まったく浮かばなかった。鬼平は智香が泣き止むまで、黙って手元を見つめ、チラチラ智香の方を見ながら待った。
しばらくして、智香は落ち着きを取り戻した。智香は、鼻をすすり目元に指をやって涙を拭うと、ぽつりぽつりと喋り出した。
でも、何も手を加えなければ、指をくわえて見ているだけでは幸福は続いていかない。熱は熱いところから寒いところへ、水は高いところから低いところへと流れていく。年月は現実を思い出に変えていった。
あっという間に中学の教室から高校の教室へと切り替わって、周りに誰もいなくなった。鬼平はその後に味わった挫折、自分への信頼が砂の城のように崩れ去っていったのを思い出した。
「あ、起きた?」
目が覚めると鬼平は白いベッドの上で横たわっていた。頭には枕が置かれていて、身体には水色の柔らかい毛布がかかっている。智香はベッドの横、ステンレスの緑色のスツールに座り、目覚めたばかりの鬼平の表情を観察していた。身体を起こそうとすると、痛みが腰に走り、彼は顔をしかめた。
「無理に起き上がらなくていいよ。ちょっと待ってて。すぐに先生呼んでくるから」
鬼平が返事をする前に智香は立ち上がり、保健室から出て行った。室内は途端に静かになり、鬼平は寝た体勢のまま、周りを見渡した。
時計を見て、四十分くらい寝てしまっていた、と推察できた。外もだいぶ暗くなっていた。もう一度立ち上がろうと試みたが、鈍い痛みは変わらず、鬼平は、諦めてベッドに横になった。
しばらく、そうして天井を見つめながら、鬼平は一瞬、どうして自分がここにいるのかわからなくなった。
だが、忘れたわけではない。むしろ、見たものをはっきりと覚えていた。びんが見せた百川千花と三國修司の記憶。あれは本当に二人の記憶だったのだろうか。そしてあの時、鬼平が見たもの、あれは……。
「連れてきたよ。先生、お願いします」
カーテンから智香の顔がのぞいて、後から福田先生が入ってきた。
それから、鬼平は身体をチェックされ、以前にも倒れたことがあったか聞かれた。ないと答える。倒れた時、どんな感じだったのか、と聞かれて、彼は答えに窮した。まさかばか正直に、他人の記憶を見ていて、その後〝フラッシュバック〟が起こった、とは言えるはずもなかった。
だから立ち上がった時に目の前が真っ暗になったことにした。福田先生は特に疑いもせず、その話を信じた。
「大丈夫だと思うけど、心配なら一応病院に行ってね」
福田先生は湿布を引き出しから出して言った。鬼平は湿布を受け取り、頷く。続けて、規則正しい生活を送ることの大切さや、運動、食事を見直すことの重要性などの短い指導が入る。
「じゃあ先生。後は私が」
それらがひとしきり終わると、指導の間、後ろでそわそわしていた智香が割り込んだ。
「ああ、そうだったね。邪魔者は仕事を終えたらさっさと去りますよ」
拗ねたような調子で福田先生が答える。
「ちょっと、そういうつもりじゃないって言わなかったっけ?」
「わかってるよ。でも、鈴本さんを信頼しないわけじゃないけど、あんまり長いのはダメだからね?」
福田先生は付け加えた。
「うん。そうする。ありがとう」
しばらくして、福田先生は笑いながら書類をまとめる仕草をして、足早に保健室を出て行った。せわしない足音と共に扉が閉まると、保健室に再び静寂が訪れた。
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その言葉を最後に、智香が泣き出してしまって、鬼平は言葉が詰まった。
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しばらくして、智香は落ち着きを取り戻した。智香は、鼻をすすり目元に指をやって涙を拭うと、ぽつりぽつりと喋り出した。
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