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第九章
第二話
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「よし。じゃあ、こっち。ついてきなさい」
源先生はそう言ってノートパソコンを閉じ、立ち上がった。先生は鬼平よりずっと背が高く、がっしりした胸板は威圧感を放っている。その割には、普段は優しい声色で話すのだ。前を歩く源先生の後を、鬼平は急いで追った。
「まあそうびくびくするな。そんなにたいしたこと頼まないんだから。力もいらないし、体力もそこまで必要ない。……まあ、そのかわり、普通は誰もやりたがらないことだが」
源先生はスリッパで軽快に音を鳴らしながら後ろをちらと見た。鬼平は頷いた。それが伝わったかどうか確かではなかったが、とにかく、源先生は後ろの鬼平が逃げ去ったりしないことを信頼して歩いている。
「靴を履いて、またここまで来なさい。待ってるから」
職員玄関で、源先生が靴箱を開けているのをぼーっと眺めていたら、そう言われた。鬼平は返事をしないままそこを離れたが、源に咎められることはなかった。
下駄箱に行って、靴を取り出して、鬼平は外を眺めた。向こうには、校門が見える。なんてことはない、今からでも、逃げることはできる。何もかも投げ出してしまえ、という声が響いた。もしそれで、後日怒られても、向こうが呆れるまで逃げ続けていればいいのだ……。
が鬼平はその声には従わなかった。校門を見るのをやめ、源先生が待っている職員玄関まで急いだ。これ以上面倒ごとを抱えるつもりはなかった。それにもし今逃げれば、――たとえば自分が、六条のような人間になってしまうのではないか、という気がしていた。
「よし。行くぞ」
源先生は鬼平が来たのを見ると、歩き出した。こうしていると奇妙な連帯感のようなものを鬼平は感じた。
二人は、ゴミ捨て場までやって来た。そこでは教室で出たごみがビニール袋で包まれて何個も置かれ、積み上げられている。源先生はその横の物置を開け、中を漁った。
待っている間、手持ち無沙汰になった鬼平は、学校を取り囲む木々の葉が揺れ動くさまを見ていた。
心地よい風が吹き、鳥が数羽、鳴き声をあげて木々を渡り歩いている。学校の中をそんな風にじっくり見たのは、六条に絡まれてからは久しくないことだった。時間の流れが、ゆっくりに感じた。
鬼平は目にかかっていた髪をかき上げた。待ち受けている夏に向けて、確実に気温が上がりつつあるが、まだ快適だ。少し動けば汗ばむが、その熱もすぐに風が冷やしてくれるだろう。
源先生が物置から出てきた。手にはゴミ拾い用のトングに、軍手、それとビニール袋が仕事の時間を告げるように音を立ててはためいている。
「はい。じゃあこれを付けて」
源先生は軍手を渡した。鬼平はぎこちなくそれを手にはめた。
「じゃあ、次はこれとこれね」
鬼平が何かを質問する前に(どの道、それは言葉にならなかったが)、源先生は、矢継ぎ早に残っていたトングとビニール袋を渡した。鬼平はその勢いにのまれて、混乱していた。いよいよ逃れようがない時まで来ると、疑問が生まれていた。――“掃除”じゃなかったっけ?
どうやら言葉にしなくても、その不安が先生にも伝わっていたらしい。源先生はにっこりと笑って言った。
「心配するな。まあ掃除と言ったがね、――それもいずれしてもらうが、他にも色々やることがあってな。今日と明日は、校舎や、その周りのゴミ拾いというわけだ」
そう言うと源先生は遠くを眺めるような仕草をし、校舎の外れまで歩いて行った。戻ってきた時には、空き缶を握りしめていた。
「このように、何度注意しても、ゴミを捨てる輩がいる。本当は捨てた本人に拾わせたいのだが……なかなか難しい」
先生は苦い顔をしながら、空き缶をゴミ捨て場の缶が入っている麻袋に捨てた。先生は笑いながら鬼平に喋りかける。
「君は言いつけ通りに穴を埋めた。ちゃんとそれを見ていたよ。残念だけど、私は今から用事があるから、一緒にゴミ拾いをする時間はないが……」
源先生は鬼平の肩に手を置いた。鬼平は飛び上がりそうになり、身体が固まったが、先生はそれにはあまり気付かず、横を通り過ぎた。鬼平が振り返ると、先生は言った。
「大丈夫。しばらくしたら、様子を見にまた戻る。それまで……逃げるなよ?」
源先生はそう言ってノートパソコンを閉じ、立ち上がった。先生は鬼平よりずっと背が高く、がっしりした胸板は威圧感を放っている。その割には、普段は優しい声色で話すのだ。前を歩く源先生の後を、鬼平は急いで追った。
「まあそうびくびくするな。そんなにたいしたこと頼まないんだから。力もいらないし、体力もそこまで必要ない。……まあ、そのかわり、普通は誰もやりたがらないことだが」
源先生はスリッパで軽快に音を鳴らしながら後ろをちらと見た。鬼平は頷いた。それが伝わったかどうか確かではなかったが、とにかく、源先生は後ろの鬼平が逃げ去ったりしないことを信頼して歩いている。
「靴を履いて、またここまで来なさい。待ってるから」
職員玄関で、源先生が靴箱を開けているのをぼーっと眺めていたら、そう言われた。鬼平は返事をしないままそこを離れたが、源に咎められることはなかった。
下駄箱に行って、靴を取り出して、鬼平は外を眺めた。向こうには、校門が見える。なんてことはない、今からでも、逃げることはできる。何もかも投げ出してしまえ、という声が響いた。もしそれで、後日怒られても、向こうが呆れるまで逃げ続けていればいいのだ……。
が鬼平はその声には従わなかった。校門を見るのをやめ、源先生が待っている職員玄関まで急いだ。これ以上面倒ごとを抱えるつもりはなかった。それにもし今逃げれば、――たとえば自分が、六条のような人間になってしまうのではないか、という気がしていた。
「よし。行くぞ」
源先生は鬼平が来たのを見ると、歩き出した。こうしていると奇妙な連帯感のようなものを鬼平は感じた。
二人は、ゴミ捨て場までやって来た。そこでは教室で出たごみがビニール袋で包まれて何個も置かれ、積み上げられている。源先生はその横の物置を開け、中を漁った。
待っている間、手持ち無沙汰になった鬼平は、学校を取り囲む木々の葉が揺れ動くさまを見ていた。
心地よい風が吹き、鳥が数羽、鳴き声をあげて木々を渡り歩いている。学校の中をそんな風にじっくり見たのは、六条に絡まれてからは久しくないことだった。時間の流れが、ゆっくりに感じた。
鬼平は目にかかっていた髪をかき上げた。待ち受けている夏に向けて、確実に気温が上がりつつあるが、まだ快適だ。少し動けば汗ばむが、その熱もすぐに風が冷やしてくれるだろう。
源先生が物置から出てきた。手にはゴミ拾い用のトングに、軍手、それとビニール袋が仕事の時間を告げるように音を立ててはためいている。
「はい。じゃあこれを付けて」
源先生は軍手を渡した。鬼平はぎこちなくそれを手にはめた。
「じゃあ、次はこれとこれね」
鬼平が何かを質問する前に(どの道、それは言葉にならなかったが)、源先生は、矢継ぎ早に残っていたトングとビニール袋を渡した。鬼平はその勢いにのまれて、混乱していた。いよいよ逃れようがない時まで来ると、疑問が生まれていた。――“掃除”じゃなかったっけ?
どうやら言葉にしなくても、その不安が先生にも伝わっていたらしい。源先生はにっこりと笑って言った。
「心配するな。まあ掃除と言ったがね、――それもいずれしてもらうが、他にも色々やることがあってな。今日と明日は、校舎や、その周りのゴミ拾いというわけだ」
そう言うと源先生は遠くを眺めるような仕草をし、校舎の外れまで歩いて行った。戻ってきた時には、空き缶を握りしめていた。
「このように、何度注意しても、ゴミを捨てる輩がいる。本当は捨てた本人に拾わせたいのだが……なかなか難しい」
先生は苦い顔をしながら、空き缶をゴミ捨て場の缶が入っている麻袋に捨てた。先生は笑いながら鬼平に喋りかける。
「君は言いつけ通りに穴を埋めた。ちゃんとそれを見ていたよ。残念だけど、私は今から用事があるから、一緒にゴミ拾いをする時間はないが……」
源先生は鬼平の肩に手を置いた。鬼平は飛び上がりそうになり、身体が固まったが、先生はそれにはあまり気付かず、横を通り過ぎた。鬼平が振り返ると、先生は言った。
「大丈夫。しばらくしたら、様子を見にまた戻る。それまで……逃げるなよ?」
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