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第五章
第三話
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それから何日も経って、鬼平は泥まみれになったズボンの後ろに、土のついたスコップを校庭に引きずりながら歩いていた。鬼平の不満は、スコップが代わりに遠慮なく音を立て主張し、目の前にはそんなことにはまるで気付かないで、泥一つないズボンで自信満々に歩く六条がいる。今は六条の指示で、何もないところを数か所掘らされた後、別の場所へ移動する途中だった。
――あの後、老人からびんを買ってから、鬼平は悪魔がいないかどうか確かめるために、びんの中を覗いてみたが、そこには何もなかった。それで、びんに興味がなくなって部屋に転がしておいた。願いも言わなかった。馬鹿らしいのもそうだが、どう考えても本当のことだと思えなかったからだった。
だがその後、どうしても叶えたい願いが見つかり、彼は、びんに語りかけた。そして……願いは叶った、のだろうか? 少なくとも鬼平には叶ったように見えた。鬼平は怖くなり、それから『びんの悪魔』には一切手を触れていない。それは今も、部屋の押し入れの奥にある……。
「ここらが怪しいな。鬼木くん。頼むよ」
――あるわけないだろ。お前が掘れよ、と鬼平は心の中で文句を言ったが、それはスコップを持ち上げる際に息を吸い込んだ時に消えて、言葉にはならなかった。
「助かるなあ、やっぱこういう仕事は僕には向いてないからさ」
六条は清々しい調子でそう言った。
鬼平は力任せにスコップを地面に突き立てる。
「お。いいぞ。その調子だ」
鬼平は、無茶苦茶に、勢いよく穴を掘った。さっさと終わらせたい。だが、掘れども掘れども(当然ながら)、何も出てこなかった。鬼平の体力も限界に近づき(もうすでに手の平に豆ができていたので)、手を緩めるしかなくなった。
そして、その頃には、見てみぬふりをしていた生徒たちも、責めるようにこちらに指を差してきていた。鬼平はスコップから手を離した。もう無理だ。だが、六条はそんなことはまったく気にもせず、空っぽの穴を見て、いら立ちを隠せず、顔を歪ませている。
「ちっ。ここでもないか。おかしいな、あると思ったんだが……。まあいい。他を当たろうか」
そうして、六条は、盛り上がった土を蹴った。その土が鬼平の靴にかかった。それから、汚れた自分の靴やしわくちゃになったズボンと、しわひとつない六条のズボンを見比べて、ついに鬼平は、堪忍袋の緒が切れた。
誰もかれも、自分を利用している。こっちが喋らないからって、いいように解釈して、人の善意を利用してくる……腹が立っていたし腹も空いていた。まともに声も出せない自分も嫌だった。
思い切り、スコップを地面に叩きつけた。叩きつけてしまった、というのが正確だった。衝動的な行為だったのだ。六条に対する敵意はなかった。だがスコップはそんな事情も顧みずに高鳴り、六条は驚いて振り返った。鬼平は、やってしまったと思いながら、もう今さら後戻りはできないと思った。鬼平は、覚悟を決めた。
「な、なんだ。どういうつもりだ?」
だが思いがけず、六条は動揺していた。そんなことをすると思ってもいなかったのかもしれない。彼は、そうしてふらふらと後ずさったせいで、運悪く積み上げた土を踏み、――六条の足が無様に地面を求めて悪あがきをしながら宙を蹴った――転んだ。
「くそっ!」
悪態をつきながら立ち上がった六条の背中には、びっしりと湿った土がこびりついていた。それを見て鬼平はにやけた。
さらには、土を取ろうとして後ろを見ようとしながら、手が届かないでいる間抜けな六条を見て、鬼平は笑いを堪えられなくなり、噴き出した。そんなことをするべきじゃないと思っているのに、でも一度笑い出すと、止められなかった。それで開き直って心の底から笑った。すべてを笑い飛ばしたかった。人の気持ちを考えない六条も、それに何も言い返せないどうしようもない自分も。
いつまでも笑い続けていた鬼平に、六条は腹が立ったようだ。彼は、信じられない、というように土を見てから、笑っている鬼平を睨んだ。
鬼平はそれで我に返り、身構えた。――殴られる。六条の顔を見て、そう直感した。
「お前らー! そこで何してる! こっちに来い!」
その時、どこからか怒声が聞こえて、六条は振り返った。再び鬼平の方を向いた時、赤かった顔はすっかり青くなっていた。六条は鬼平のことを無視して、走って逃げだした。鬼平は呆然と立ち尽くし、何が起こったのかと思っていた。
そして、向こうに怒り狂った教師が見えて、ようやく事態を把握した。
鬼平は、転がったスコップ、ぽっかり空いた穴、追って来る教師、それらすべてをそのままにして、校舎の外に向かって走り出した。
――あの後、老人からびんを買ってから、鬼平は悪魔がいないかどうか確かめるために、びんの中を覗いてみたが、そこには何もなかった。それで、びんに興味がなくなって部屋に転がしておいた。願いも言わなかった。馬鹿らしいのもそうだが、どう考えても本当のことだと思えなかったからだった。
だがその後、どうしても叶えたい願いが見つかり、彼は、びんに語りかけた。そして……願いは叶った、のだろうか? 少なくとも鬼平には叶ったように見えた。鬼平は怖くなり、それから『びんの悪魔』には一切手を触れていない。それは今も、部屋の押し入れの奥にある……。
「ここらが怪しいな。鬼木くん。頼むよ」
――あるわけないだろ。お前が掘れよ、と鬼平は心の中で文句を言ったが、それはスコップを持ち上げる際に息を吸い込んだ時に消えて、言葉にはならなかった。
「助かるなあ、やっぱこういう仕事は僕には向いてないからさ」
六条は清々しい調子でそう言った。
鬼平は力任せにスコップを地面に突き立てる。
「お。いいぞ。その調子だ」
鬼平は、無茶苦茶に、勢いよく穴を掘った。さっさと終わらせたい。だが、掘れども掘れども(当然ながら)、何も出てこなかった。鬼平の体力も限界に近づき(もうすでに手の平に豆ができていたので)、手を緩めるしかなくなった。
そして、その頃には、見てみぬふりをしていた生徒たちも、責めるようにこちらに指を差してきていた。鬼平はスコップから手を離した。もう無理だ。だが、六条はそんなことはまったく気にもせず、空っぽの穴を見て、いら立ちを隠せず、顔を歪ませている。
「ちっ。ここでもないか。おかしいな、あると思ったんだが……。まあいい。他を当たろうか」
そうして、六条は、盛り上がった土を蹴った。その土が鬼平の靴にかかった。それから、汚れた自分の靴やしわくちゃになったズボンと、しわひとつない六条のズボンを見比べて、ついに鬼平は、堪忍袋の緒が切れた。
誰もかれも、自分を利用している。こっちが喋らないからって、いいように解釈して、人の善意を利用してくる……腹が立っていたし腹も空いていた。まともに声も出せない自分も嫌だった。
思い切り、スコップを地面に叩きつけた。叩きつけてしまった、というのが正確だった。衝動的な行為だったのだ。六条に対する敵意はなかった。だがスコップはそんな事情も顧みずに高鳴り、六条は驚いて振り返った。鬼平は、やってしまったと思いながら、もう今さら後戻りはできないと思った。鬼平は、覚悟を決めた。
「な、なんだ。どういうつもりだ?」
だが思いがけず、六条は動揺していた。そんなことをすると思ってもいなかったのかもしれない。彼は、そうしてふらふらと後ずさったせいで、運悪く積み上げた土を踏み、――六条の足が無様に地面を求めて悪あがきをしながら宙を蹴った――転んだ。
「くそっ!」
悪態をつきながら立ち上がった六条の背中には、びっしりと湿った土がこびりついていた。それを見て鬼平はにやけた。
さらには、土を取ろうとして後ろを見ようとしながら、手が届かないでいる間抜けな六条を見て、鬼平は笑いを堪えられなくなり、噴き出した。そんなことをするべきじゃないと思っているのに、でも一度笑い出すと、止められなかった。それで開き直って心の底から笑った。すべてを笑い飛ばしたかった。人の気持ちを考えない六条も、それに何も言い返せないどうしようもない自分も。
いつまでも笑い続けていた鬼平に、六条は腹が立ったようだ。彼は、信じられない、というように土を見てから、笑っている鬼平を睨んだ。
鬼平はそれで我に返り、身構えた。――殴られる。六条の顔を見て、そう直感した。
「お前らー! そこで何してる! こっちに来い!」
その時、どこからか怒声が聞こえて、六条は振り返った。再び鬼平の方を向いた時、赤かった顔はすっかり青くなっていた。六条は鬼平のことを無視して、走って逃げだした。鬼平は呆然と立ち尽くし、何が起こったのかと思っていた。
そして、向こうに怒り狂った教師が見えて、ようやく事態を把握した。
鬼平は、転がったスコップ、ぽっかり空いた穴、追って来る教師、それらすべてをそのままにして、校舎の外に向かって走り出した。
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