びんの悪魔 / 2023

yamatsuka

文字の大きさ
上 下
35 / 62
第二十二章

第一話

しおりを挟む
 智香は麻由里の家を後にして、自分の家に帰るためのバスを待っていた。目の前を通り過ぎる車のライトをぼんやり眺めながら、麻由里との再会を思い出していた。

 ようやく麻由里と会えた智香だったが、それでも少し会わなかっただけで、ずいぶんと溝ができてしまったと感じていた。

 麻由里のベッドの脇の窓は、久しぶりに開け放たれ、しばらくの間二人は、外の音を聞きながら、部屋の中心に集まって、何も言わずに座っていた。食べ物の話はやっぱりできなかった。

 でも、そうなると、どうしても病気の話になってしまうし、それも結局、食べることについての話だった。それは窓を開けても、追い出せるものでもなかった。麻由里は、頭の中が食べ物のことでいっぱいになってしまうことの恐怖を語った。

「頭にね、憑りついたみたいで、それしか考えられない。やめようって思っても、やめられないの」

 毛布の端を握りながら麻由里は俯いた。麻由里はそれから悩みを吐き出した。このままでは卒業できるかわからない、何年も病気のまま、治らないかもしれない、でも卒業したいし、大学にも行きたい……。麻由里は何度も同じところをぐるぐる回るようにそれを言った。

「きっと治る。治したいって思ってるんだから、もう始まってるんだよ」

 智香は言った。だが、その根拠はどこにもなく、言ったそばから自分でも無責任に感じた。でも、麻由里は嬉しそうにして頷いた。

 その後ようやく、麻由里も少し病気のことから離れることができたようで、二人は打ち解けて、前のように他愛ない話ができるようになった。そういうことだけをずっと話していたいのに、その時間は、智香がもう帰らなくてはならない直前の、ほんのわずかな間だけだった。

 帰り際、智香の心は揺らいだ。別れを告げた時、何も言わなかったが、麻由里の目は、智香に何かがあったことをわかっている目をしていたからだ。

 その時智香は麻由里と向き合ってすべてを話してしまいたくなった。自分が何に悩んで、どう決着をつけようとしているのか、麻由里にも知ってもらいたいと思った。こうして麻由里が勇気を出して自分の悩みを言ってくれたのだから、そうするべきだという声が頭の中で響いていた。でもそう思うほど、今の麻由里に余計な心配をかけたくないと思うようになって、それはできなかった。

「バイバイ」

 扉の前で振り返り智香が手を振って、麻由里も毛布から出した手を揺らす。麻由里の寂しそうな表情を見て、智香は言った。

「また来るよ。絶対ね」
「うん」

 麻由里は顔を明るくして答えた。それが麻由里との別れの挨拶だった。

 家に帰った智香は、すぐにお母さんと夕飯を食べた。でも、何を食べたのか、すぐに忘れてしまった。夕飯後の皿洗いを終えて部屋に戻ると、智香は疲れを感じてベッドに倒れ込んだ。

 それから智香は身体を回転させて、机の上に置きっぱなしになっている「びんの悪魔」を見た。
 麻由里に会えたことは、本当に嬉しかった。それがびんの力のおかげなのか、確かめようがなかったが、とにかく願いは叶った。――願いの対価が何だったのか、結局わからなかったが。

「……でもやっぱり、使わなければよかった」

 智香はびんを見ながら呟いた。麻由里には悪いけれど、麻由里が悩みを打ち明けてくれた喜びと同じくらい、びんの悪い力によって麻由里がもっと酷い状態になっていなくて安心した部分もあったのだ。

 そして、それは願いが叶うことと同じくらい大事なことだった。本当は、こんなにハラハラしないで、びんを使いたかった。使いようによっては、もっとうまく使えるのかもしれない。だが、どうしたらいいのかは、何も思い浮かばなかった。対価を考えながら願いを言うなんて、とてもじゃないけど、智香の精神の方が持ちそうになかった。

「願いは叶った、って言っていいのかな? それがわからないのが、このびんのわかりにくいところだよね。都合のいい偶然、か。とにかく、もうあんな思いするのはウンザリ」

 智香はびんを見た。相変わらず欠伸が出るほどこれといった特徴がなかった。だったら、いっそこのまま棚の奥にでもしまって、「びんの悪魔」であることなど、忘れてしまえばいいのだろうか……再びこの力を使いたくなる前に。

「そんな都合のいいこと。起こらないって知ってるのにね」

 智香はびんを手にしてびんに、「消え去れ!」と言ってみたい衝動にかられた。でもそんなことを言ってどうなるのか考えるだけで震えた。もしこのびんを死ぬまで持っていれば地獄行きだと言う。初めてそのことを聞いた時、馬鹿馬鹿しいと思ったが、今はまったく反対のことを思っている。

「でも、だからといって、誰かに渡すことは考えられない。こんなもの人に背負わせられないし、それに、その人がもし変なことに使ったりするような人だったらどうしよう。ううん。そもそもこれが本物だって信じる人も少ないはず。だったら、気軽に渡すこともできないってことだ」

 智香は頭を抱えてしまった。鬼平からびんを受け取ろうと言った時、その力に魅了されて、手放すことを真面目に考えていなかったと思った。でも、こうなってしまった以上、何事もない顔をして鬼平に「もう用済みだから返すね」、とも言えない。

「私、大馬鹿だ」

 それならば、やっぱりあの時、鬼平の言う通り、彼に自分の願いを言わせればよかったのだろうかと彼女は思った。だが智香は、自分がそういう行動を許さないと知っていた。だがもし……そう、このままびんを持っていたら、結局はそういうことをするようになるのだろうかと思った。

「そんなの嫌。やっぱりどうにかしないと」

 だがどうすればいいのか、堂々巡りの問いが続いた。智香にはどうすることもできない。もしかしたら、と智香は閃いた。

「ルールに穴があるかもしれない。きっとそうだ。どうにかしてそれを確かめないと」

 しかしこれこそ、智香にとって都合のいい考えでしかなかったし、それは彼女にもわかっていた。だが智香は、それ例外に、その逸る気持ちを抑えてくれるような冴えたやり方を思いつけなかったのだ。彼女はその考えを鬼平に相談しようと決めた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと

サトウ・レン
青春
「夏風夏鈴って、名前の中にふたつも〈夏〉が入っていて、これでもかって夏を前面に押し出してくる名前でしょ。ナツカゼカリン。だから嫌いなんだ。この名前も夏も」  困惑する僕に、彼女は言った。聞いてもないのに、言わなくてもいいことまで。不思議な子だな、と思った。そしてそれが不思議と嫌ではなかった。そこも含めて不思議だった。彼女はそれだけ言うと、また逃げるようにしていなくなってしまった。 ※1 本作は、「ラムネ色した空は今日も赤く染まる」という以前書いた短編を元にしています。 ※2 以下の作品について、本作の性質上、物語の核心、結末に触れているものがあります。 〈参考〉 伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫) ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(ハヤカワepi文庫) 堀辰雄『風立ちぬ/菜穂子』(小学館文庫) 三田誠広『いちご同盟』(集英社文庫) 片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館文庫) 村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫) 住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫)

タカラジェンヌへの軌跡

赤井ちひろ
青春
私立桜城下高校に通う高校一年生、南條さくら 夢はでっかく宝塚! 中学時代は演劇コンクールで助演女優賞もとるほどの力を持っている。 でも彼女には決定的な欠陥が 受験期間高校三年までの残ります三年。必死にレッスンに励むさくらに運命の女神は微笑むのか。 限られた時間の中で夢を追う少女たちを書いた青春小説。 脇を囲む教師たちと高校生の物語。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

水曜日は図書室で

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
青春
綾織 美久(あやおり みく)、高校二年生。 見た目も地味で引っ込み思案な性格の美久は目立つことが苦手でクラスでも静かに過ごしていた。好きなのは図書室で本を見たり読んだりすること、それともうひとつ。 あるとき美久は図書室で一人の男子・久保田 快(くぼた かい)に出会う。彼はカッコよかったがどこか不思議を秘めていた。偶然から美久は彼と仲良くなっていき『水曜日は図書室で会おう』と約束をすることに……。 第12回ドリーム小説大賞にて奨励賞をいただきました! 本当にありがとうございます!

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

青春リフレクション

羽月咲羅
青春
16歳までしか生きられない――。 命の期限がある一条蒼月は未来も希望もなく、生きることを諦め、死ぬことを受け入れるしかできずにいた。 そんなある日、一人の少女に出会う。 彼女はいつも当たり前のように側にいて、次第に蒼月の心にも変化が現れる。 でも、その出会いは偶然じゃなく、必然だった…!? 胸きゅんありの切ない恋愛作品、の予定です!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...