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第二十章
第一話
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「びんの悪魔」を渡したことで、鬼平は自分の出番を終えたと思っていた。鬼平の人生から小学校、中学校の友達や先生が退場したように、智香の人生の物語から鬼平も役目を終えたのだ、と。
鬼平は、びんを売ることになったのは予想外だったが、もし智香の手に余るようなら、自分がまた買い戻せばいい、と考えていた。いや、結局処理に困るだろうから、それ以外に方法はないと思っていた。
彼は自分のしたことに満足していた。不本意な形になってしまったが、智香はびんの力を使うだろう。そしてそれが何より鬼平の望んだことだった。
同時に、びんが戻ってきた時が、智香との別れだとも理解していた。
――今までがおかしかったのだ。自分のような人間が、智香と関わろうなど、それこそ、悪魔が介入しなければ起こらないことだ、と彼は考えていた。
とにかく、これで自分と智香は、元の人生のレールに戻るのだと思った。それは、以前のように、決して交わることのない平行線に戻るのだ。
彼は、ずっと智香と関わろうとしている自分を恥じていた。自分なんかがそんなことを望んでいいわけがない。でもそれも終わった。もう彼女の言動や表情や、笑顔、泣き腫らした顔や、あの声、あの匂い、鬼平を見つめる意味深な視線にも悩まされなくていい。
鬼平の人生の物語から、智香もまた消えるのだ。その短いが僅かな煌めくような思い出と共に……。
だがその前に、まだやることがあるのを、鬼平は、この男の登場で思い出した。
「……だからさ、もう一人、仲間というか、相談相手を増やすべきじゃないか。噂の幅を広げるためにも、異性だとちょうどいい気がする」
六条は、鬼平をそんなヒロイックな幻想に浸っていることを許さずに鬼平の思考をその言葉で埋め尽くすと、
「そこでさ、鬼木くん、君の方から鈴本を誘ってくれない? ね、できるよね? 仲いいんだろ?」
と、鬼平にめいっぱい圧をかけた。それから鬼平を見たが、鬼平は、何も言えなかった。「なんでそんなことを?」と言ってやりたかったが、実際には眉を下げただけだった。六条は笑った。
「大丈夫だって、鬼木くん、鈴本と面識があるんだろ? ちょっと紹介してくれればいいんだって」
鬼平は口を開いて、自信満々に話す六条を眺めていた。どこからその自信が生まれるのか、鬼平には不思議だった。こう言ってはなんだけど、六条は自分と同類だ、と彼は思っていた。六条は鬼平には迷惑なほど口が回るのに、彼が他の人と喋っている場面を見たことがなかったのだ。
それがどうしてこうも変に自信があるのか、鬼平にはわからなかった。
それに、六条には悪いけど、おそらく智香は六条に興味なんか持たないだろうと彼は思っていた。
たぶん、万が一も起こらないだろう、と。
すると、その考えがなぜか言葉を介さなくても伝わったのか、それとも鬼平の反応が鈍くて苛立ったのか、六条は舌打ちをして、珍しくすぐさま行動に移した。
「善は急げ、だ」とか言いながら、ズンズン足を鳴らして、放課後、智香の教室に向かった。鬼平は六条を止めるべきか迷いながら、結局その教室の前まで来てしまった。
だが、智香はいなかった。六条の後ろから、中を覗いても、六条が教室中を探し歩いても、彼女の姿はどこにもなかった。
「今日は休みか?」
残念がる六条と、珍しく意見が一致した。鬼平は、もう一度教室内を見渡して、確認すると、智香は今どこにいるのだろう、と思った。でも、もし会ったとして喋ることができるんだろうか、と思った。
それは智香がいないからこそ思えたことだった。彼の手にびんはなかった。六条の獲物を探すような目つきに、嫌な汗がじわじわと背中に、広がっていくのを感じながら、鬼平はふと、彼女に会いたい、と思った。
鬼平は、びんを売ることになったのは予想外だったが、もし智香の手に余るようなら、自分がまた買い戻せばいい、と考えていた。いや、結局処理に困るだろうから、それ以外に方法はないと思っていた。
彼は自分のしたことに満足していた。不本意な形になってしまったが、智香はびんの力を使うだろう。そしてそれが何より鬼平の望んだことだった。
同時に、びんが戻ってきた時が、智香との別れだとも理解していた。
――今までがおかしかったのだ。自分のような人間が、智香と関わろうなど、それこそ、悪魔が介入しなければ起こらないことだ、と彼は考えていた。
とにかく、これで自分と智香は、元の人生のレールに戻るのだと思った。それは、以前のように、決して交わることのない平行線に戻るのだ。
彼は、ずっと智香と関わろうとしている自分を恥じていた。自分なんかがそんなことを望んでいいわけがない。でもそれも終わった。もう彼女の言動や表情や、笑顔、泣き腫らした顔や、あの声、あの匂い、鬼平を見つめる意味深な視線にも悩まされなくていい。
鬼平の人生の物語から、智香もまた消えるのだ。その短いが僅かな煌めくような思い出と共に……。
だがその前に、まだやることがあるのを、鬼平は、この男の登場で思い出した。
「……だからさ、もう一人、仲間というか、相談相手を増やすべきじゃないか。噂の幅を広げるためにも、異性だとちょうどいい気がする」
六条は、鬼平をそんなヒロイックな幻想に浸っていることを許さずに鬼平の思考をその言葉で埋め尽くすと、
「そこでさ、鬼木くん、君の方から鈴本を誘ってくれない? ね、できるよね? 仲いいんだろ?」
と、鬼平にめいっぱい圧をかけた。それから鬼平を見たが、鬼平は、何も言えなかった。「なんでそんなことを?」と言ってやりたかったが、実際には眉を下げただけだった。六条は笑った。
「大丈夫だって、鬼木くん、鈴本と面識があるんだろ? ちょっと紹介してくれればいいんだって」
鬼平は口を開いて、自信満々に話す六条を眺めていた。どこからその自信が生まれるのか、鬼平には不思議だった。こう言ってはなんだけど、六条は自分と同類だ、と彼は思っていた。六条は鬼平には迷惑なほど口が回るのに、彼が他の人と喋っている場面を見たことがなかったのだ。
それがどうしてこうも変に自信があるのか、鬼平にはわからなかった。
それに、六条には悪いけど、おそらく智香は六条に興味なんか持たないだろうと彼は思っていた。
たぶん、万が一も起こらないだろう、と。
すると、その考えがなぜか言葉を介さなくても伝わったのか、それとも鬼平の反応が鈍くて苛立ったのか、六条は舌打ちをして、珍しくすぐさま行動に移した。
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だが、智香はいなかった。六条の後ろから、中を覗いても、六条が教室中を探し歩いても、彼女の姿はどこにもなかった。
「今日は休みか?」
残念がる六条と、珍しく意見が一致した。鬼平は、もう一度教室内を見渡して、確認すると、智香は今どこにいるのだろう、と思った。でも、もし会ったとして喋ることができるんだろうか、と思った。
それは智香がいないからこそ思えたことだった。彼の手にびんはなかった。六条の獲物を探すような目つきに、嫌な汗がじわじわと背中に、広がっていくのを感じながら、鬼平はふと、彼女に会いたい、と思った。
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