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第六章
第一話
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しばらくして、智香はもう、びんの悪魔のことを忘れていた。
代わりと言ってはなんだが、智香は最近、妙に鬼平のことが気になっていた。
だが智香は、その感情が何なのか、掴めないでいた。
彼女は外見に見合わず、自分と同年代の異性が何を考えているのか、この歳になってもまるでわかっていなかった。それには理由があったが、ともかく、――認めたくなかったが、そのことを恥じ、でも、憤りを感じながらも、どうすればいいのかわからないでいた。
智香は何度も、自分が鬼平のいる教室に入っていき、彼と話す、という想像をした。だがその先のことをどうしても思い浮かべられなかった。――会ったとして、何を話せばいいのだろう。
傘を貸してもらった以外、鬼平と智香に接点はなかった。たぶん今会っても何も話せないだろう。それなのに、智香は鬼平に対して説明のできない期待をしていた。
もしかして、と智香はその先に待ち受けている言葉を想定し(あるいは胸の高鳴りを期待して?)、息を呑んだ。もしかして、これが“恋”?
だが智香はすぐにその思いを打ち消した。恥ずかしさからでも、経験からでもなく、ただの直感だったが、確かに恋ではないと思った。鬼平に対して、異性としてときめいたことはなかった。その証拠に今も鬼平の姿を浮かべて見ても、彼に失礼かもしれないが、心になんのさざなみも起こらない。それでも彼女は、鬼平に対して特別な思いを抱いている。それを否定することはできなかった。
あれから、智香は一度だけ、鬼平の姿を見かけたことがあった。直接ではないが、智香が廊下にいた時、窓の向こう、彼は彼以外のもう一人の男子生徒と校舎の外れにいて、スコップを持ち、――なぜだか穴を掘っていた。
それだけでも異様な光景だが、なぜか穴を掘っているのは、鬼平と思われる人物だけで、もう一人の方は(泥一つない綺麗な制服のまま)、腕を組んで偉そうに鬼平が穴を掘るのを眺めていた。それから二人の雰囲気がおかしくなり、教師の怒鳴り声が聞こえ、二人はそこから走り去った。後に残ったのは、無造作に掘られた穴に、散らばった土、投げ出されたスコップ、怒声をあげながら追ってきて、悔しそうな顔で息を切らしている教師。
それを上から見ていただけの智香には、何が起こったのかまるでわからなかった。その出来事を思い出す度に、やはり男たちが何を考えているのかわからなくなった。
「智香? どうしたの? 考え事?」
「え?」
智香は横を向いた。麻由里が額にしわを寄せて智香を見ている。
「そんなに悩むほどメロンパンが食べたいの?」
「違う違う」
智香は必死に手を振って否定した。麻由里はそれでも、ずいと近づいてくる。
「でも、おいしそうだね」
麻由里は智香が眺めていたらしいメロンパンに釘付けになった。智香もそれで初めて、メロンパンを見た。……まあ確かに。小麦色の網目の生地に載ったザラメと鼻を満たす香ばしい匂いが、食欲をそそる。が、今は食べる気になれなかった。目を逸らすと、麻由里の手には蒸しパンが握られていた。
「……それで終わりって言ってなかったっけ?」
智香は麻由里に言った。麻由里がムッとする。だがこれは智香が意地悪を言っているのではなくて、何でも目に入ったものを買わないように、と麻由里が頼んだことを智香が思い出して言ったことだった。
「そうなんだけどね。なんか、今日はすごくおいしそうに見えて」
背中を押してほしそうな目で麻由里は智香を見た。
「今日くらい、二つ買ったっていいんじゃない?」
「ダメダメ! いい? ダイエットは甘くないんだよ。そういうところから誘惑は始まってるんだから」
麻由里はそう言いながらも、メロンパンから離れる気配を見せなかった。智香はすぐにそれがわかった。
「私、先に出てるね。買うものもないし」
代わりと言ってはなんだが、智香は最近、妙に鬼平のことが気になっていた。
だが智香は、その感情が何なのか、掴めないでいた。
彼女は外見に見合わず、自分と同年代の異性が何を考えているのか、この歳になってもまるでわかっていなかった。それには理由があったが、ともかく、――認めたくなかったが、そのことを恥じ、でも、憤りを感じながらも、どうすればいいのかわからないでいた。
智香は何度も、自分が鬼平のいる教室に入っていき、彼と話す、という想像をした。だがその先のことをどうしても思い浮かべられなかった。――会ったとして、何を話せばいいのだろう。
傘を貸してもらった以外、鬼平と智香に接点はなかった。たぶん今会っても何も話せないだろう。それなのに、智香は鬼平に対して説明のできない期待をしていた。
もしかして、と智香はその先に待ち受けている言葉を想定し(あるいは胸の高鳴りを期待して?)、息を呑んだ。もしかして、これが“恋”?
だが智香はすぐにその思いを打ち消した。恥ずかしさからでも、経験からでもなく、ただの直感だったが、確かに恋ではないと思った。鬼平に対して、異性としてときめいたことはなかった。その証拠に今も鬼平の姿を浮かべて見ても、彼に失礼かもしれないが、心になんのさざなみも起こらない。それでも彼女は、鬼平に対して特別な思いを抱いている。それを否定することはできなかった。
あれから、智香は一度だけ、鬼平の姿を見かけたことがあった。直接ではないが、智香が廊下にいた時、窓の向こう、彼は彼以外のもう一人の男子生徒と校舎の外れにいて、スコップを持ち、――なぜだか穴を掘っていた。
それだけでも異様な光景だが、なぜか穴を掘っているのは、鬼平と思われる人物だけで、もう一人の方は(泥一つない綺麗な制服のまま)、腕を組んで偉そうに鬼平が穴を掘るのを眺めていた。それから二人の雰囲気がおかしくなり、教師の怒鳴り声が聞こえ、二人はそこから走り去った。後に残ったのは、無造作に掘られた穴に、散らばった土、投げ出されたスコップ、怒声をあげながら追ってきて、悔しそうな顔で息を切らしている教師。
それを上から見ていただけの智香には、何が起こったのかまるでわからなかった。その出来事を思い出す度に、やはり男たちが何を考えているのかわからなくなった。
「智香? どうしたの? 考え事?」
「え?」
智香は横を向いた。麻由里が額にしわを寄せて智香を見ている。
「そんなに悩むほどメロンパンが食べたいの?」
「違う違う」
智香は必死に手を振って否定した。麻由里はそれでも、ずいと近づいてくる。
「でも、おいしそうだね」
麻由里は智香が眺めていたらしいメロンパンに釘付けになった。智香もそれで初めて、メロンパンを見た。……まあ確かに。小麦色の網目の生地に載ったザラメと鼻を満たす香ばしい匂いが、食欲をそそる。が、今は食べる気になれなかった。目を逸らすと、麻由里の手には蒸しパンが握られていた。
「……それで終わりって言ってなかったっけ?」
智香は麻由里に言った。麻由里がムッとする。だがこれは智香が意地悪を言っているのではなくて、何でも目に入ったものを買わないように、と麻由里が頼んだことを智香が思い出して言ったことだった。
「そうなんだけどね。なんか、今日はすごくおいしそうに見えて」
背中を押してほしそうな目で麻由里は智香を見た。
「今日くらい、二つ買ったっていいんじゃない?」
「ダメダメ! いい? ダイエットは甘くないんだよ。そういうところから誘惑は始まってるんだから」
麻由里はそう言いながらも、メロンパンから離れる気配を見せなかった。智香はすぐにそれがわかった。
「私、先に出てるね。買うものもないし」
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