びんの悪魔 / 2023

yamatsuka

文字の大きさ
上 下
4 / 62
第二章

第一話

しおりを挟む
 ――冒頭から少し前、ゴールデンウィーク前のある日……

 高校からの帰り道を、鬼平柊はいつもと同じように、トボトボと下を向きながら一人で歩いていた。鬼平は、今日も誰とも喋らなかった。四月からずっとそうだった。今年こそは、クラスに友達を作ろうと思ったのにも関わらず、結局いつもと同じだった。

「……また今年も一人か」

 鬼平はわざとそれを口に出して言った。自分の喋る能力がなくなったわけではないと確認するためだった。

 鬼平が一人になってしまう過程は、いつも同じだった。新しいクラスになり、鬼平がどうやって話しかけたらいいのか、話しかけてもいいと思える人を探して迷っている内に、クラスでは着々と関係が築かれていく。
 そして、やっと人となりが見え始めた頃には、もう遅かった。その時には、既にクラス中に寸分の隙間もないくらいに関係が出来上がっていて、そこに鬼平の入る場所はどこにもなかった。

 ……それに、鬼平にはどうしても変えることのできない癖があった。それは、吃り、吃音だった。誰かに話しかける時、どうしても最初の一声が出てこないのだ。それでも、その時さえ過ぎれば、誰かが待ってくれさえすれば、いくらでも喋ることができると思っているのに、どうやってもその一言が出てこないし、その誰かも現れなかった。

 そして、それは誰かに話しかけられる時も同じだった。鬼平は相手が欲しいと思うタイミングで上手く返事をすることができず、会話は途切れた。その時彼はただ固唾をのむだけの存在になり、相手はいつも、その長い沈黙だけで興味を失うのだ。

「きっと、これからもずっとこうなんだろうな」

 鬼平はそう呟くと、胸が締め付けられるのを感じた。そして次の瞬間には、まるで影のように、自分は特別だから、あいつらが下らない奴らだからだ、というまったく正反対の気持ちが沸き起こった。
 だがそれも、すぐに消え去ってしまった。

 以前、これでも中学の時までは、鬼平を理解してくれる人が幾らかいた。あの時に、もう喋れないということから卒業したのだと思った。だから高校に入学するにあたって、鬼平はあえて仲のよかった数人とは違う高校を選んだ。

 それは学力的な問題もそうだが、何よりいつまでもそんな「理解のある人」に頼っていてはダメだと思ったからだった。――自立。その訓練のために、これから待ち受けている社会に、より適応するために厳しい環境を選んだつもりだった。その力が、自分にはもうあるのだと思い込んでいた。だが、現実は非情だった。自分が強くなったと思っていたのは、ただ幸運だったからだと、後で気付いた。
 
 あれから三年も経つが、今日も鬼平は一人だ。そのことを考えるだけで惨めで、消えてしまいたいような思いがする。
 鬼平は鼻をすすった。外は、そんな彼の気分とは裏腹に快晴である。今日は学校の都合で午前の授業だけだった。

 道路に沿って植えられた街路樹や生垣は夏に向けて、瑞々しい葉をつけていた。それは厳しい冬を超え、華やかな春を過ぎ、若葉から青葉へと緑を濃くする一方だった。その透き通るように鮮やかな葉と、ちょうど春と夏の中間の青空、五月晴れが描き出すハッとさせるような一瞬の景色が、鬼平は何より好きだった。

「まあ、五月晴れって本当は、六月なんだってね」

 そんな知識をひけらかすような相手もいない。彼はそれに気付いて、また虚しくなったが、その時たまたま吹いた心地よい風が、虚しさをなだめてくれた。いや、何よりその後、それ以上の暴風が鬼平の心に吹き、ちっぽけな自分の苦悩など、どこかへ吹き飛ばされてしまったのだった。

 ちょうど、信号のない横断歩道を渡ろうと道路の真ん中に入ったところだった。向こうに、赤橙色の傘が道路の真ん中で、開いた状態のまま転がっているのが見えた。それは取っ手の曲がった部分を支点にして風に揺れていた。

 そのなんでもない風景に彼は、目を奪われた。青空に、そこへ伸びる若葉の茂る街路樹、生垣の緑、車の重さで削れてでこぼこの黒いアスファルト、剥がれてきた白い路面標示、この先の横断歩道を告げる、青と白の道路標識、その絵の真ん中に不自然に転がり、見る者を惹きつける鮮やかな赤橙色の傘……そしてそこに、主役が現れた。

 一人の少女が、見捨てられて転がっていた傘に向かって一直線に、道路の真ん中まで歩いてきたのだ。鬼平は目を見開いた。

 いくら車があまり通らない道だと言っても、彼女はそれをまったく恐れもせずに傘に近づいた。

 彼女は左右を見て、傘をジッと見つめた後、膝を折ってその傘を拾った。その時鬼平は、彼女が、鬼平の高校と同じ制服を着ていると気付いた。彼女の黒く長い髪が肩から垂れ下がり、揺れたのを見た。傘を拾って畳み、立ち上がり、髪を整えた時、髪から覗く、彼女の美しい顔を見た。そして物憂げな表情で、近くの家を見上げ、門柱の横に折り畳んだ傘を立てかけ、去っていったのを見た。

「女神だ」

 鬼平はすべてを見てから呟いた。

「あの人は女神だ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

刈り上げの春

S.H.L
青春
カットモデルに誘われた高校入学直前の15歳の雪絵の物語

拝啓、お姉さまへ

一華
青春
この春再婚したお母さんによって出来た、新しい家族 いつもにこにこのオトウサン 驚くくらいキレイなお姉さんの志奈さん 志奈さんは、突然妹になった私を本当に可愛がってくれるんだけど 私「柚鈴」は、一般的平均的なんです。 そんなに可愛がられるのは、想定外なんですが…? 「再婚」には正直戸惑い気味の私は 寮付きの高校に進学して 家族とは距離を置き、ゆっくり気持ちを整理するつもりだった。 なのに姉になる志奈さんはとっても「姉妹」したがる人で… 入学した高校は、都内屈指の進学校だけど、歴史ある女子校だからか おかしな風習があった。 それは助言者制度。以前は姉妹制度と呼ばれていたそうで、上級生と下級生が一対一の関係での指導制度。 学園側に認められた助言者が、メンティと呼ばれる相手をペアを組む、柚鈴にとっては馴染みのない話。 そもそも義姉になる志奈さんは、そこの卒業生で しかもなにやら有名人…? どうやら想像していた高校生活とは少し違うものになりそうで、先々が思いやられるのだけど… そんなこんなで、不器用な女の子が、毎日を自分なりに一生懸命過ごすお話しです 11月下旬より、小説家になろう、の方でも更新開始予定です アルファポリスでの方が先行更新になります

坊主女子:学園青春短編集【短編集】

S.H.L
青春
坊主女子の学園もの青春ストーリーを集めた短編集です。

マコトとツバサ

シナモン
青春
かっこいい彼氏をもつとすごく大変。注目されるわ意地悪されるわ毎日振り回されっぱなし。 こんなあたしのどこがいいの? 悶々とするあたしに ハンドメイドと料理が得意なうちのお母さんが意外なことを教えてくれた。 実は、1/2の奇跡だったの。

バレー部入部物語〜それぞれの断髪

S.H.L
青春
バレーボール強豪校に入学した女の子たちの断髪物語

バッサリ〜由紀子の決意

S.H.L
青春
バレー部に入部した由紀子が自慢のロングヘアをバッサリ刈り上げる物語

せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません

嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。 人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。 転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。 せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。 少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。

消失病 ~キミが消えたあの夏の日~

上村夏樹
青春
※第11回ドリーム小説大賞 特別賞受賞 記憶と体が消失していき、最後にはこの世から消えていなくなる奇病。それが『消失病』だ。 高校生の蓮は姉を事故で亡くす。悲しみに暮れる蓮だったが、地元の海で溺れかける少女を助ける。彼女の名前はサキ。彼女の手は透明で透けている。サキは消失病に侵されていた(Side-A)。 サキとのサーフィン交流を経て、前を向いていく元気をもらった蓮。 そんな彼の『たった一つの秘密』が、幼なじみの美波の恋心をキリキリと締めつける(Side-B)。 人が簡単に消える優しくない世界で起きる、少しだけ優しい物語。

処理中です...