びんの悪魔 / 2023

yamatsuka

文字の大きさ
上 下
3 / 62
第一章

第三話

しおりを挟む
「こんにちは!」

 三國が言うと、麻由里がすかさず挨拶を返し、たわいもない会話がはじまった。清潔感のある白いシャツに、しわのないズボン、前髪は短く綺麗に整えられている。そこから漂ってくる匂いは、さりげなく自分は無害だと主張するかのようだ。若く、百八十センチを優に超える長身の三國は、女子生徒の間では絶大な人気を誇っていた。

「……じゃあ、もう行かないと」

「えー、もう終わり?」

 麻由里が不満気に口を尖らすと、三國は気まずそうに微笑んた。智香は、この時だとばかりに、力を込めて麻由里の手を引っ張って耳元で囁く。

「麻由里。購買行くんじゃなかったの?」

 だが智香の切実な訴えは、麻由里には届かなかった。

「でもダイエット中だし」

 麻由里が言い、その手が三國の方へ引っ張られる。智香はため息をつき、

「麻由里」

 そしてもう一度、麻由里の手を強く、念入りに引っ張った。

「お願い」

 そこでようやく麻由里が智香の様子に気付いて、振り返った。腑に落ちないまま智香を心配そうに見つめ、言葉を詰まらせた。智香の顔は真っ青になっていた。

「智香……?」

「行ってきなよ。鈴本さん、困ってるみたいだし」

 三國がさらりと、先生然として言った。それでも智香は、まるで三國がいないかのように、無視している。三國はそれに気付きもしないで、智香に話しかけた。

「髪、切ったんだね。似合ってるよ」

 その言葉を聞いた途端、智香の怒りは爆発した。凍って動かなくなっていた智香の身体は一瞬で溶け出し、一瞬のうちに、頭が沸騰したように熱くなった。怒りが力を与え、智香は麻由里から手を離し、嫌悪感を露わにして、吐き捨てるように言う。

「あんたに、そんなこと言われたくない」

 その場の空気が凍りついた。誰もが口を閉ざした。三國は瞼をピクリと動かしたが、それだけだった。智香はまだ三國を睨みつけ、麻由里は何が起きたのかわからず、口を開けて、唖然として二人を見比べていた。三國は、聞き間違いでないかと思い、優しい声音で聞いた。

「なんだって?」

 だが、智香は蔑むように笑って答える。

「あんたに教える義理なんてないって言ったの。あんたと同じ空気を吸っていると思うと虫唾が走る。……麻由里、もう行こ」

 智香は麻由里の手を取り、その場を離れた。三國は何が起こったのかわからない顔をしていたが、すぐに教室へ入った。
 麻由里はそれを見て、ホッと胸をなでおろすやいなや、横に立ちすくむ智香の腕を掴む。

「智香? あんなこと言って、どういうつもり?」

 麻由里は、智香を叱ろうと思ったが、すぐに掴んだ智香の腕が震えているのに気付き、手を離した。

「智香? どうしたの? 何があったの?」

 不審に思って麻由里は智香を見る。それだけでなく、智香の顔を覗き込もうとする。が、

「なんでもない」

 と言って、智香はバツの悪そうに顔を背けた。麻由里は、髪の間から僅かに見える智香の表情から真意を読み取ろうとした。が、あと一歩でわかりそうな時、チャイムが鳴り、麻由里は飛び上がった。

 麻由里は慌てて、智香を急かしたが、彼女は石のように動かない。
 さっき溶けたはずの智香の身体は、再び凍り付いたようになって、震えていた。今はその身体を包み込むように腕を組んでいた。心配した麻由里が智香を見つめても、智香は顔を動かさなかった。

「……私、午後は休む」

 死んだ表情のままに、智香は言った。智香は最近度々、こうして保健室に行くことが多い。だが、今日の様子は特別におかしかった。

「……大丈夫? 一緒に行こうか?」

「ううん。一人になりたいから」

 智香は申し訳なさそうに首を横に振る。

「そう……じゃあ先生には、私が言っとくね」

 麻由里は智香の真意が気になったが好奇心を押さえてそう言った。

「うん。いつもありがとう。……ねえ、麻由里」

「何?」

「三國先生には、もう近づかないで」

「え?」

 麻由里は、驚いて、一瞬、頭が真っ白になった。

「どうして?」

 麻由里は正直に聞いた。智香は、胃がむかむかしているみたいな顔をして答えた。

「あいつは、ろくでもない奴だから」

「えーっ⁉ かっこいい先生じゃない。クラスの男どもと違って」

 麻由里は多少わざとらしく口に手を当てながら言った。だが、それでも智香の真剣な面持ちは崩れなかった。

「麻由里にはそう見えるかもね。でもあいつにだけは近づかないで。もしそうなったら、私は、麻由里の友達をやめる」

「それって……嫉妬?」

 わからないまま、麻由里はにやけながら言ってみる。だがこれは見当はずれだったようだ。智香は少し表情をやわらげただけだった。

「違う。……はあ、どう言えばわかるんだろ」

「ごめんって。……わかりました! 智香がそこまで言うなら、そうします。ねえ、あたし、もう行くね? 授業、始まっちゃう。今日も一緒に帰れるよね?」

 智香は頷く。

「じゃあ、荷物持って行ってあげるね」

「それは、いいよ。自分で行ける」

 智香は背を向けようとする。

「いいから、いいから。じゃあ、そういうことで」

 麻由里は智香に手を振り、教室に向かって駆け出した。智香は麻由里の飛び跳ねる髪と音が消えるまで眺めていた。やがて姿が見えなくなって辺りが静かになると、彼女は大きなため息をつき、階段に向かってゆっくりと歩いた。

 その後、智香の姿も見えなくなり、すべての人が退場した廊下は、窓から差し込む光の中を塵が舞っているだけになった。
 そして、その一部始終を、長い髪の隙間からジロジロと観察するように、教室の隅で、誰からも忘れ去られたように座っていた鬼平柊が見ていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【本編完結】小石の恋

キザキ ケイ
BL
やや無口な平凡な男子高校生の律紀は、ひょんなことから学校一の有名人、天道 至先輩と知り合う。 助けてもらったお礼を言って、それで終わりのはずだったのに。 なぜか先輩は律紀にしつこく絡んできて、連れ回されて、平凡な日常がどんどん侵食されていく。 果たして律紀は逃げ切ることができるのか。

嘘つきな僕らの物語

小谷杏子
青春
──二度読み必至の切ない青春恋愛小説── 高校二年の古野白夜は無気力な日々を過ごしていた。 ある夜、こっそり家を抜け出してみると、白杖を持った視覚障がいの少女と遭遇する。 少女は同い年で名前を青砥瑠唯という。瑠唯は白夜をかつての想い人だと勘違いし『カゲヤマ』と呼んでなついてしまう。 彼女の視力が完全に失われるその日まで、白夜は『カゲヤマ』として瑠唯と付き合うことに。 不思議な彼女の明るさに、無気力だった白夜も心を動かされていくが──瑠唯は嘘をついていた。 そして白夜も重大な秘密を抱えていて……。

vtuberさんただいま炎上中

なべたべたい
青春
vtuber業界で女の子アイドルとしてvtuberを売っている事務所ユメノミライ。そこに唯一居る男性ライバーの主人公九重 ホムラ。そんな彼の配信はコメント欄が荒れに荒れその9割以上が罵詈雑言で埋められている。だが彼もその事を仕方ないと感じ出来るだけ周りに迷惑をかけない様にと気を遣いながら配信をしていた。だがそんなある日とある事をきっかけにホムラは誰かの迷惑になるかもと考える前に、もっと昔の様に配信がしたいと思い。その気持ちを胸に新たに出来た仲間たちとvtuber界隈のトップを目指す物語。 この小説はカクヨムや小説家になろう・ノベルアップ+・ハーメルン・ノベルピアでも掲載されています。

食いしん坊な親友と私の美味しい日常

†漆黒のシュナイダー†
青春
私‭――田所が同級生の遠野と一緒に毎日ご飯を食べる話。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

坊主女子:スポーツ女子短編集[短編集]

S.H.L
青春
野球部以外の部活の女の子が坊主にする話をまとめました

逢魔ヶ刻の迷い子3

naomikoryo
ホラー
——それは、閉ざされた異世界からのSOS。 夏休みのある夜、中学3年生になった陽介・隼人・大輝・美咲・紗奈・由香の6人は、受験勉強のために訪れた図書館で再び“恐怖”に巻き込まれる。 「図書館に大事な物を忘れたから取りに行ってくる。」 陽介の何気ないメッセージから始まった異変。 深夜の図書館に響く正体不明の足音、消えていくメッセージ、そして—— 「ここから出られない」と助けを求める陽介の声。 彼は、次元の違う同じ場所にいる。 現実世界と並行して存在する“もう一つの図書館”。 六人は、陽介を救うためにその謎を解き明かしていくが、やがてこの場所が“異世界と繋がる境界”であることに気付く。 七不思議の夜を乗り越えた彼らが挑む、シリーズ第3作目。 恐怖と謎が交錯する、戦慄のホラー・ミステリー。 「境界が開かれた時、もう戻れない——。」

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

ただ巻き芳賀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

処理中です...