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第一章
第二話
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鬼平は、聞き慣れない甘い声で自身の重たい頭を上げた。もとより眠っているというのは振りであって、眠たいわけではなかった。だがあくまでもそれを悟られたくないがために、本当はもっと素早く反応できたのに、眠たいふりをして気だるげに反応したのだった。
その少し脂ぎった長い髪は好き勝手に伸びて、ぼさぼさで目に覆いかぶさり、著しく清潔感に欠けていた。彼は、髪で隠れていない右目で声の主を盗み見た。
「……!」
鬼平はそこで、それまでのナマケモノみたいな反応とは明らかに違うスピードで身体を跳ね上げた。彼は危険を察知して逃げ出す前の猫のように、席から立ち上がり、――逃げ道を探したが、智香が塞いでしまっていた――目を見開いて、じろじろと信じられない目つきで智香を見ていた。
智香は鬼平の、孤独が煮詰まったような臭い(なんだか酸っぱい嫌な臭い)が気になったが、その反応を見てそれどころではなくなってしまった。
が、特に話したこともないため、深く問い詰める気も起きない。さっさとやることを終えることだけを考えていた。
鬼平は立ち上がると、智香よりも少し背が低く、身体も細かった。病的な程白い肌と長い髪に中性的な顔立ちは、髪を切ったばかりで凛とした表情の智香と並んでいると、遠目で見ると、どちらもはっきりとは性別がわからない。
「これ、返すね。ありがとう」
智香は目が泳いで定まらない鬼平をよそに、折り畳み傘を差し出した。それを見るなり、鬼平は唇をキュッと結んだ。
「……でもできれば、」
鬼平が傘を手にすると智香は言った。
「渡す時、声をかけてくれると嬉しかったかな。じゃないと、……ちょっと怖いよ?」
智香が茶化すように言うと鬼平は俯き、そのまま、誰にもわからないほど小さく頷き、何も言わずに、傘を持ったまま席に座った。それから腕を組んで、もう一度寝ようとしたが……持っている傘に気付くと、――また猫がするかのように――虚空を見つめていた。
智香はそれを見ながら何か声をかけようか迷っていたが、休み時間はあとわずかだ。諦めて鬼平に背を向けると、教室中の視線をくぐり抜け、そこから去った。
廊下に出るなり、女子生徒が抱き着いてきた。
「ちーかっ!」
智香は苦笑いしながら、市ノ瀬麻由里を受け止めた。麻由里はさながら智香の胸に倒れ込むように寄り掛かってくる。智香は彼女をしっかりと受け止めた。
「用事、終わった?」
麻由里は抱き着いたまま智香の瞳を覗き込み、無邪気に聞く。智香もまた、麻由里の瞳に浮かぶ輝きを見つめる。
「うん」
麻由里はそれを聞いて微笑み、智香から離れ、手を取った。
「じゃあ購買行こうよ。お腹空いちゃった」
「麻由里、ダイエット中じゃないの?」
智香は、麻由里の跳ね上がって床に落ち着こうとしない脚を見て言った。何気なく言ったその一言に、麻由里はムッとして智香を睨んだ。
「今日はいいんだよ」
「……それ、昨日も言ってなかった?」
「昨日は、昨日。今日は今日」
智香は呆れながら笑った。
「なにそれ」
麻由里も笑い、智香の手を引っ張った。しかし、その手はそのまま動こうとしなかった。不審に思った麻由里は、すぐに振り返った。
智香は立ち止まって眉をひそめ、もの凄い形相で、ある一点を睨んでいた。麻由里は、気になって智香の視線をなぞった。
すると廊下の向こうから英語教師、三國修司が教科書と出席表を持って歩いてくるのが見えた。麻由里は三國を見るなり、曇りかけていた顔を輝かせる。
「三國先生ー!」
まるで道端で綺麗な花を見つけた時の少女のように、三國の元へ駆けだそうする麻由里。ただ、一人の女子生徒が別のところから駆けて来て、三國の注意を奪うと、麻由里はキュッとブレーキをかけるように音を鳴らして立ち止まり、目を凝らした。
「……げえっ、百川千花じゃん!」
それが誰だかわかると、麻由里は露骨に嫌悪感を丸出しにした。それでも智香は反応を示さなかった。向こうに見える百川千花は、三國に頻りに喋りかけて、どうにか関心を引こうとしていた。
百川の真っ直ぐで艶のある長い髪は、大げさにリアクションを取るごとに、ゆらゆら揺れている。が、そんな彼女の努力も虚しく、三國は彼女へ早々に別れを告げ、死んでいるみたいに固まってしまった智香の元へと歩いてくる。
智香はその時も三國の行く末を睨み続けていた。百川が向こうで不貞腐れ、頬を膨らませた後、智香の方を睨み、教室に入るのが見えた。
「こんにちは」
その少し脂ぎった長い髪は好き勝手に伸びて、ぼさぼさで目に覆いかぶさり、著しく清潔感に欠けていた。彼は、髪で隠れていない右目で声の主を盗み見た。
「……!」
鬼平はそこで、それまでのナマケモノみたいな反応とは明らかに違うスピードで身体を跳ね上げた。彼は危険を察知して逃げ出す前の猫のように、席から立ち上がり、――逃げ道を探したが、智香が塞いでしまっていた――目を見開いて、じろじろと信じられない目つきで智香を見ていた。
智香は鬼平の、孤独が煮詰まったような臭い(なんだか酸っぱい嫌な臭い)が気になったが、その反応を見てそれどころではなくなってしまった。
が、特に話したこともないため、深く問い詰める気も起きない。さっさとやることを終えることだけを考えていた。
鬼平は立ち上がると、智香よりも少し背が低く、身体も細かった。病的な程白い肌と長い髪に中性的な顔立ちは、髪を切ったばかりで凛とした表情の智香と並んでいると、遠目で見ると、どちらもはっきりとは性別がわからない。
「これ、返すね。ありがとう」
智香は目が泳いで定まらない鬼平をよそに、折り畳み傘を差し出した。それを見るなり、鬼平は唇をキュッと結んだ。
「……でもできれば、」
鬼平が傘を手にすると智香は言った。
「渡す時、声をかけてくれると嬉しかったかな。じゃないと、……ちょっと怖いよ?」
智香が茶化すように言うと鬼平は俯き、そのまま、誰にもわからないほど小さく頷き、何も言わずに、傘を持ったまま席に座った。それから腕を組んで、もう一度寝ようとしたが……持っている傘に気付くと、――また猫がするかのように――虚空を見つめていた。
智香はそれを見ながら何か声をかけようか迷っていたが、休み時間はあとわずかだ。諦めて鬼平に背を向けると、教室中の視線をくぐり抜け、そこから去った。
廊下に出るなり、女子生徒が抱き着いてきた。
「ちーかっ!」
智香は苦笑いしながら、市ノ瀬麻由里を受け止めた。麻由里はさながら智香の胸に倒れ込むように寄り掛かってくる。智香は彼女をしっかりと受け止めた。
「用事、終わった?」
麻由里は抱き着いたまま智香の瞳を覗き込み、無邪気に聞く。智香もまた、麻由里の瞳に浮かぶ輝きを見つめる。
「うん」
麻由里はそれを聞いて微笑み、智香から離れ、手を取った。
「じゃあ購買行こうよ。お腹空いちゃった」
「麻由里、ダイエット中じゃないの?」
智香は、麻由里の跳ね上がって床に落ち着こうとしない脚を見て言った。何気なく言ったその一言に、麻由里はムッとして智香を睨んだ。
「今日はいいんだよ」
「……それ、昨日も言ってなかった?」
「昨日は、昨日。今日は今日」
智香は呆れながら笑った。
「なにそれ」
麻由里も笑い、智香の手を引っ張った。しかし、その手はそのまま動こうとしなかった。不審に思った麻由里は、すぐに振り返った。
智香は立ち止まって眉をひそめ、もの凄い形相で、ある一点を睨んでいた。麻由里は、気になって智香の視線をなぞった。
すると廊下の向こうから英語教師、三國修司が教科書と出席表を持って歩いてくるのが見えた。麻由里は三國を見るなり、曇りかけていた顔を輝かせる。
「三國先生ー!」
まるで道端で綺麗な花を見つけた時の少女のように、三國の元へ駆けだそうする麻由里。ただ、一人の女子生徒が別のところから駆けて来て、三國の注意を奪うと、麻由里はキュッとブレーキをかけるように音を鳴らして立ち止まり、目を凝らした。
「……げえっ、百川千花じゃん!」
それが誰だかわかると、麻由里は露骨に嫌悪感を丸出しにした。それでも智香は反応を示さなかった。向こうに見える百川千花は、三國に頻りに喋りかけて、どうにか関心を引こうとしていた。
百川の真っ直ぐで艶のある長い髪は、大げさにリアクションを取るごとに、ゆらゆら揺れている。が、そんな彼女の努力も虚しく、三國は彼女へ早々に別れを告げ、死んでいるみたいに固まってしまった智香の元へと歩いてくる。
智香はその時も三國の行く末を睨み続けていた。百川が向こうで不貞腐れ、頬を膨らませた後、智香の方を睨み、教室に入るのが見えた。
「こんにちは」
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