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第八話③
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「その言葉。僕に会うためにここに来たって」
「ああ、それ?」アンは、クスリと笑った。「もしかして、本気にしちゃった?」
「本気で聞いているんだ」僕はひるまずに言った。あはは、とアンが笑う。
「君、結構気が強いね」僕は何も言い返さなかった。〝Galatia〟について聞こうと思ったが、まだその勇気はなかった。かわりに、抜け殻の君人に向けて腕を伸ばす。
「あそこにいる抜け殻。あなたのファンだって」
「へえ、そりゃ光栄だな」アンはにやりとすると、立ち上がって、君人の身体に触れた。
「やあ、どうも。名前は?」僕に聞く。「君人」「君人くん。会えて嬉しいよ」そして、抜け殻と握手する。
「あなたに聞きたいことがあると言っていた」僕が言った。
「僕に? へえ、なんだろうな」ちょんちょんと、君人の胸を小突きながらアンが言った。
「僕も知らない」
「そうか、残念だね」アンは君人に興味を失い、僕の元に戻って来た。
「僕も、あなたに聞きたいことがある」
「へえ、そうだったんだ」アンは明らかにわざとらしく、そう答えた。「何?」
「……〝Galatia〟とは、何のことですか?」明らかに初対面で聞くべきではない、奇妙な問いだった。
だが、アンはその文字と共にインタビュー記事にのっていたのだから知らないはずがないと思って聞いたのだ。僕はアンが、その言葉の意味を、あっさりと明かしてくれることを期待していた。そうして、僕の下らない陰謀論を打ち砕いてくれることを望んでいた。
だが、アンはそんな僕の思惑をからかうように、
「何のこと?」と笑いながら答えた。
「あなたの記事に、あなたの姿と共に書かれていた言葉です。最近、同じ名で、チャットAIのベータテストがあった」僕は追及の手を緩めなかった。
「知らないな。君の勘違いじゃないか? それとも妄想とか」――なぜだ? なぜ隠す?
「嘘だ。そんなわけない」
僕は言った。だが、アンは何も返さない。ただ黙って、明らかに何かを隠しながら、僕を見定めるような目つきで見ていた。――何かが妙だ。僕はそう思った。それから、アンは、ジントニックを飲みほしこう答えた。
「君は、ここに来てどれくらいだ?」
「え?」
「こっちに、オブスキュラに来るのは何回目?」アンは子供に言い聞かすように繰り返した。
「……まだ二回目」迷ったが、正直に答えた。
「なるほど」アンが笑う。「おかしいですか」その笑いが気に障って僕は冷たく言った。アンはまた笑った。
「いや、おかしくはないな。ただ、それじゃ、この世界についても、何にも知らないだろうね」
「それは……」僕は答えに窮した。確かに、その通りだった。だが、それが何だというのだろう。
「君は、それがなんだ、と思っているかもしれない。でも、僕にとっては、それは重要なことだと思うな。〝Galatia〟について知りたいのなら、なおさら」アンは席を立つ。
「どこに行くつもり?」僕は言った。アンは僕の問いかけに、笑みを浮かべた。
それから僕の頭を撫でて余裕を見せつけると答えた。
「帰るんだよ。僕の目的は果たされた。帰って、報告しなきゃ。じゃあね、野々宮くん。短い時間だったけど、楽しかったよ」
アンは、僕から離れ、がぶりーる達に挨拶をすると、店から出て行った。
しばらくの間、僕は放心していた。何が起きたのか理解するのに時間がかかった。だが、わかったことがある。アンは確実に、〝Galatia〟について知っている。それも僕よりもずっと深く。だが、そのことを隠さないといけない理由があるのだ。
そして、自分の下らない妄想を打ち破りたくて、アンに聞いたのに、むしろ妄想はさらに抑えきれないくらいに大きくなってしまった。どうしたらいいのだろう。そもそもどうして僕は、〝Galatia〟について知りたいと思ったのか。自分でも理解に苦しんだ。ただのチャットAIじゃないか。下らない、既存のそれに少し機能を加えただけで、独創性を謳っているいつの時代にもはびこる〝新商品〟の一つに過ぎない。どうしてそんなものに対して、僕は執着しているのだろうか。
だが、そうではない、とアンの態度が告げているような気がした。彼の態度は、〝Galatia〟はやはり、それをインストールした者たちへの隠されたメッセージなのだという思いを強めてしまった。
いや、アンはただ僕をからかっただけなのかもしれない、と思い直した。さっきもそうだったじゃないか。取材をしに来たのは、〝ANNE〟ではなかった。トランスヒューマン社の人間だったのだ。僕とアンが出会ったのは、〝偶然〟だった。――本当に、偶然だったのだろうか。また、奇妙な考えが浮かぶ。それが仕組まれたものなら……?
頭を振った。どうやら、僕は、橋の下で拾われたのではなく、母さんの子供なのは間違いないらしい。すべての偶然を必然の糸でまとめ上げることが大好きなようだ。見ないようにしていた、自分の陰謀論好きを見せつけられたようで気がめいった。
僕はもう、〝ANNE〟には会わないことにしよう。〝Galatia〟との奇妙な繋がりについても、僕の妄想が消えなかったのは、たまたま僕の聞き方が悪かったのだ。そうだ、あれはいくらなんでも唐突過ぎた。あのような言い方をされて、アンはきっと僕をからかうことに決めたのだろう。裏に何かがあると見せかけるように、ほのめかして。アンはたぶん、そういう性格なのだ……。
アンに会った衝撃から、自分自身を取り戻すために、時間をかけすぎたようだ。僕は、そこでようやく、君人の身体が、ほんの少し、揺れ動いているのを発見した。テーブル席を見やる。ウサギの耳と、サキュバスの羽が向かい合っているのが見えた。まだ、取材は続いているようだ。
「ああ、それ?」アンは、クスリと笑った。「もしかして、本気にしちゃった?」
「本気で聞いているんだ」僕はひるまずに言った。あはは、とアンが笑う。
「君、結構気が強いね」僕は何も言い返さなかった。〝Galatia〟について聞こうと思ったが、まだその勇気はなかった。かわりに、抜け殻の君人に向けて腕を伸ばす。
「あそこにいる抜け殻。あなたのファンだって」
「へえ、そりゃ光栄だな」アンはにやりとすると、立ち上がって、君人の身体に触れた。
「やあ、どうも。名前は?」僕に聞く。「君人」「君人くん。会えて嬉しいよ」そして、抜け殻と握手する。
「あなたに聞きたいことがあると言っていた」僕が言った。
「僕に? へえ、なんだろうな」ちょんちょんと、君人の胸を小突きながらアンが言った。
「僕も知らない」
「そうか、残念だね」アンは君人に興味を失い、僕の元に戻って来た。
「僕も、あなたに聞きたいことがある」
「へえ、そうだったんだ」アンは明らかにわざとらしく、そう答えた。「何?」
「……〝Galatia〟とは、何のことですか?」明らかに初対面で聞くべきではない、奇妙な問いだった。
だが、アンはその文字と共にインタビュー記事にのっていたのだから知らないはずがないと思って聞いたのだ。僕はアンが、その言葉の意味を、あっさりと明かしてくれることを期待していた。そうして、僕の下らない陰謀論を打ち砕いてくれることを望んでいた。
だが、アンはそんな僕の思惑をからかうように、
「何のこと?」と笑いながら答えた。
「あなたの記事に、あなたの姿と共に書かれていた言葉です。最近、同じ名で、チャットAIのベータテストがあった」僕は追及の手を緩めなかった。
「知らないな。君の勘違いじゃないか? それとも妄想とか」――なぜだ? なぜ隠す?
「嘘だ。そんなわけない」
僕は言った。だが、アンは何も返さない。ただ黙って、明らかに何かを隠しながら、僕を見定めるような目つきで見ていた。――何かが妙だ。僕はそう思った。それから、アンは、ジントニックを飲みほしこう答えた。
「君は、ここに来てどれくらいだ?」
「え?」
「こっちに、オブスキュラに来るのは何回目?」アンは子供に言い聞かすように繰り返した。
「……まだ二回目」迷ったが、正直に答えた。
「なるほど」アンが笑う。「おかしいですか」その笑いが気に障って僕は冷たく言った。アンはまた笑った。
「いや、おかしくはないな。ただ、それじゃ、この世界についても、何にも知らないだろうね」
「それは……」僕は答えに窮した。確かに、その通りだった。だが、それが何だというのだろう。
「君は、それがなんだ、と思っているかもしれない。でも、僕にとっては、それは重要なことだと思うな。〝Galatia〟について知りたいのなら、なおさら」アンは席を立つ。
「どこに行くつもり?」僕は言った。アンは僕の問いかけに、笑みを浮かべた。
それから僕の頭を撫でて余裕を見せつけると答えた。
「帰るんだよ。僕の目的は果たされた。帰って、報告しなきゃ。じゃあね、野々宮くん。短い時間だったけど、楽しかったよ」
アンは、僕から離れ、がぶりーる達に挨拶をすると、店から出て行った。
しばらくの間、僕は放心していた。何が起きたのか理解するのに時間がかかった。だが、わかったことがある。アンは確実に、〝Galatia〟について知っている。それも僕よりもずっと深く。だが、そのことを隠さないといけない理由があるのだ。
そして、自分の下らない妄想を打ち破りたくて、アンに聞いたのに、むしろ妄想はさらに抑えきれないくらいに大きくなってしまった。どうしたらいいのだろう。そもそもどうして僕は、〝Galatia〟について知りたいと思ったのか。自分でも理解に苦しんだ。ただのチャットAIじゃないか。下らない、既存のそれに少し機能を加えただけで、独創性を謳っているいつの時代にもはびこる〝新商品〟の一つに過ぎない。どうしてそんなものに対して、僕は執着しているのだろうか。
だが、そうではない、とアンの態度が告げているような気がした。彼の態度は、〝Galatia〟はやはり、それをインストールした者たちへの隠されたメッセージなのだという思いを強めてしまった。
いや、アンはただ僕をからかっただけなのかもしれない、と思い直した。さっきもそうだったじゃないか。取材をしに来たのは、〝ANNE〟ではなかった。トランスヒューマン社の人間だったのだ。僕とアンが出会ったのは、〝偶然〟だった。――本当に、偶然だったのだろうか。また、奇妙な考えが浮かぶ。それが仕組まれたものなら……?
頭を振った。どうやら、僕は、橋の下で拾われたのではなく、母さんの子供なのは間違いないらしい。すべての偶然を必然の糸でまとめ上げることが大好きなようだ。見ないようにしていた、自分の陰謀論好きを見せつけられたようで気がめいった。
僕はもう、〝ANNE〟には会わないことにしよう。〝Galatia〟との奇妙な繋がりについても、僕の妄想が消えなかったのは、たまたま僕の聞き方が悪かったのだ。そうだ、あれはいくらなんでも唐突過ぎた。あのような言い方をされて、アンはきっと僕をからかうことに決めたのだろう。裏に何かがあると見せかけるように、ほのめかして。アンはたぶん、そういう性格なのだ……。
アンに会った衝撃から、自分自身を取り戻すために、時間をかけすぎたようだ。僕は、そこでようやく、君人の身体が、ほんの少し、揺れ動いているのを発見した。テーブル席を見やる。ウサギの耳と、サキュバスの羽が向かい合っているのが見えた。まだ、取材は続いているようだ。
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