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第1話【突然の辞令】
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「木塚くん。来月から君、売り場担当になってもらうから。はい、辞令」
私が受け取った辞令には、開発部門から販売部門に異動する旨が書かれていた。
もちろん、書面には私の勤め先である、化粧品メーカー美麗堂の社長印が押されている。
「そんなっ! 販売員なんて、私……無理です!」
「はぁ……開発として採用されてから、ろくな成果も出せずに五年。流石に向いてないとは思わんのかね? まぁ、辞令はもう出たんだ。専門職じゃなく総合職で採用もしている。嫌なら、辞めるしかないな」
私は居矢名部長の顔色を窺う。
誰がどう見ても、これ以上何を言っても、聞き入れてはくれなさそうな顔付きだ。
私はうなだれ、受け取った紙を二つに畳むと、すごすごと自分のデスクへと戻った。
すかさず隣の席の後輩が声をかけてくる。
「木塚先輩。部長に呼ばれたの、なんだったんですか?」
「来月から販売部門に異動だって」
「え!? 先輩が!? 絶対無理でしょ。いっつも人の顔色窺って、自分を出せないのに販売員なんて。親しい人じゃないと、言葉すら出せないんでしょう?」
「うっさいなぁ。そんなの言われなくたって、私が一番そう思ってるわよ」
そう。
私は小さい頃から、人の顔色ばかり窺って生きてきた。
とにかく自分の意見を述べるのが苦手で、相手を不快にさせないにはどうすればいいのかだけを考えていた。
そんな私が販売員?
声をかけたら迷惑がられないだろうか、自分が何か勧めたら不快に思わないだろうか。
そんなことが毎回頭に浮かんで、絶対に一言も話せない未来が見える。
「はぁ……憂鬱だなぁ。私だって、人の顔色をいちいち窺わなくてもいいようになりたいわよ!!」
誰もいない帰り道。
私はそんなことを叫ぶ。
辺りは田んぼだらけ。
近くに民家も無いし、なんなら蛙や虫の鳴き声の方がうるさいくらいだ。
どうしてこんな性格に育ってしまったのだろうと悔やむけれど、三十手前になってしまった今、今更自力で変えることも難しい。
人となるべく関わる必要のない職業として、開発研究職になったのだが、それがそもそもの間違いだった。
化粧品メーカーであるこの会社を選んだのはたまたまだった。
他にも何社も受けたけれど、内定をもらったのがこの会社が一番早かった、というだけの話だ。
「はぁ……誰か、私のこの性格。変えてくれないかなぁ」
そんな呟きを漏らしながら、辺りの景色がいつもと違うことに気が付いた。
「あれ? どっかで道間違ったかな? ここ何処だろ?」
見えるのは目の前の小さな祠と、田んぼだけ。
「参ったなぁ。戻るにしても、こう暗くちゃ、何処で間違ったか分かんないよ。というか、この道って家まで真っ直ぐじゃなかったっけ?」
そんなことも思ったけれど、何となく勢いでお参りしようという気分になった。
死んだお婆ちゃんが信心深い人で、苦しい時の神頼みは本当だと、いつも言っていたからだ。
「お供物は……そういえばお昼のデザートに買ったシュークリーム、食べなかったんだった。これでいいかな」
私は鞄から少し形の潰れたシュークリームを取り出すと、祠の前に置き、柏手を打って願い事を言った。
「どうか、人の顔色を窺わなくても良いようにしてください!」
「その願い、確かに聞き入れたぞ」
「え……?」
突然聞こえた声に、私は間抜けな声を出してしまう。
そして、声の主を探す。
そんなことを言っても、こう暗くては何も見えない。
仕方がないので、ポケットに入れていたスマホを取り出し、ライトを付ける。
「どこを見ておる。こっちじゃ。こっちじゃ」
「こっちじゃって……きゃあ!?」
私は驚きのあまりスマホを落としそうになり、変なパフォーマンスのような動きをして、何とか落下は免れた。
この前買ったばかりのスマホだから、落として傷付けたりしたら、泣くくらいでは済まない。
落とさずに済んだことに一息ついた後、私は改めて目線の先にいる変な生き物、いや生き物なのかも分からない物に目をやった。
「久々の供物。大変美味じゃった。お主の願い、叶えてやったから、喜べ」
間違いなく、そのぬいぐるみが喋っている。
私の目の前にいるのは、薄汚れた、狐のぬいぐるみだった。
「ひ、ひぇっ!? ば、化け物!?」
「これこれ。童。化け物とは失礼な。これでも稲荷大明神、第百十八席に座する神だぞ」
狐のぬいぐるみは、そう言うとぴょんと飛び跳ね、私の肩に乗ると、その短い手で私の顔をペシペシと叩いた。
その瞬間、私はあまりの恐怖に意識を手放してしまった。
私が受け取った辞令には、開発部門から販売部門に異動する旨が書かれていた。
もちろん、書面には私の勤め先である、化粧品メーカー美麗堂の社長印が押されている。
「そんなっ! 販売員なんて、私……無理です!」
「はぁ……開発として採用されてから、ろくな成果も出せずに五年。流石に向いてないとは思わんのかね? まぁ、辞令はもう出たんだ。専門職じゃなく総合職で採用もしている。嫌なら、辞めるしかないな」
私は居矢名部長の顔色を窺う。
誰がどう見ても、これ以上何を言っても、聞き入れてはくれなさそうな顔付きだ。
私はうなだれ、受け取った紙を二つに畳むと、すごすごと自分のデスクへと戻った。
すかさず隣の席の後輩が声をかけてくる。
「木塚先輩。部長に呼ばれたの、なんだったんですか?」
「来月から販売部門に異動だって」
「え!? 先輩が!? 絶対無理でしょ。いっつも人の顔色窺って、自分を出せないのに販売員なんて。親しい人じゃないと、言葉すら出せないんでしょう?」
「うっさいなぁ。そんなの言われなくたって、私が一番そう思ってるわよ」
そう。
私は小さい頃から、人の顔色ばかり窺って生きてきた。
とにかく自分の意見を述べるのが苦手で、相手を不快にさせないにはどうすればいいのかだけを考えていた。
そんな私が販売員?
声をかけたら迷惑がられないだろうか、自分が何か勧めたら不快に思わないだろうか。
そんなことが毎回頭に浮かんで、絶対に一言も話せない未来が見える。
「はぁ……憂鬱だなぁ。私だって、人の顔色をいちいち窺わなくてもいいようになりたいわよ!!」
誰もいない帰り道。
私はそんなことを叫ぶ。
辺りは田んぼだらけ。
近くに民家も無いし、なんなら蛙や虫の鳴き声の方がうるさいくらいだ。
どうしてこんな性格に育ってしまったのだろうと悔やむけれど、三十手前になってしまった今、今更自力で変えることも難しい。
人となるべく関わる必要のない職業として、開発研究職になったのだが、それがそもそもの間違いだった。
化粧品メーカーであるこの会社を選んだのはたまたまだった。
他にも何社も受けたけれど、内定をもらったのがこの会社が一番早かった、というだけの話だ。
「はぁ……誰か、私のこの性格。変えてくれないかなぁ」
そんな呟きを漏らしながら、辺りの景色がいつもと違うことに気が付いた。
「あれ? どっかで道間違ったかな? ここ何処だろ?」
見えるのは目の前の小さな祠と、田んぼだけ。
「参ったなぁ。戻るにしても、こう暗くちゃ、何処で間違ったか分かんないよ。というか、この道って家まで真っ直ぐじゃなかったっけ?」
そんなことも思ったけれど、何となく勢いでお参りしようという気分になった。
死んだお婆ちゃんが信心深い人で、苦しい時の神頼みは本当だと、いつも言っていたからだ。
「お供物は……そういえばお昼のデザートに買ったシュークリーム、食べなかったんだった。これでいいかな」
私は鞄から少し形の潰れたシュークリームを取り出すと、祠の前に置き、柏手を打って願い事を言った。
「どうか、人の顔色を窺わなくても良いようにしてください!」
「その願い、確かに聞き入れたぞ」
「え……?」
突然聞こえた声に、私は間抜けな声を出してしまう。
そして、声の主を探す。
そんなことを言っても、こう暗くては何も見えない。
仕方がないので、ポケットに入れていたスマホを取り出し、ライトを付ける。
「どこを見ておる。こっちじゃ。こっちじゃ」
「こっちじゃって……きゃあ!?」
私は驚きのあまりスマホを落としそうになり、変なパフォーマンスのような動きをして、何とか落下は免れた。
この前買ったばかりのスマホだから、落として傷付けたりしたら、泣くくらいでは済まない。
落とさずに済んだことに一息ついた後、私は改めて目線の先にいる変な生き物、いや生き物なのかも分からない物に目をやった。
「久々の供物。大変美味じゃった。お主の願い、叶えてやったから、喜べ」
間違いなく、そのぬいぐるみが喋っている。
私の目の前にいるのは、薄汚れた、狐のぬいぐるみだった。
「ひ、ひぇっ!? ば、化け物!?」
「これこれ。童。化け物とは失礼な。これでも稲荷大明神、第百十八席に座する神だぞ」
狐のぬいぐるみは、そう言うとぴょんと飛び跳ね、私の肩に乗ると、その短い手で私の顔をペシペシと叩いた。
その瞬間、私はあまりの恐怖に意識を手放してしまった。
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