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「…分かった。どこで話をする?」
「私のマンションに来てください」
 そう言ってオレの腕を放し、胸ポケットからメモを取り出した。
「ここが私の新居です」
 メモを受け取り、頷いた。
「仕事が終わったら行く。もしかしたら残業が入るかもしれないが、八時には行けると思うから」
「分かりました。お待ちしています」
 そう言って利人は休憩室を出て行った。
 終始、固まった笑顔で。
「でも…そうさせたのは、オレ、か?」
 呟きをもらし、メモを見る。
 会社から三十分ほど先にある、住宅街の高級マンションの名前が書かれていた。
 思わず苦笑してしまう。
「相変わらず、親に可愛がられてんだな」
 利人の父親は日本人で、大企業をいくつも抱える華宮グループの会長。
 母親はイギリス人のトップモデルで、一人息子の利人はそれこそ蝶よ花よと猫かわいがりされて育った。
 おかげで成績優秀、容姿端麗、対人関係も良好に築ける立派な息子ができたワケか。
「でも、性格と好みに難があるよな」
 そこが人間らしいところか。
 オレは二度目のため息をつきながら、缶コーヒーを開けて飲んだ。
 いつも飲むより、苦く感じられた。



 仕事は本当に残業が入ってしまった。
 それでも二時間で片付け、タクシーで利人のマンションへ向かった。
 十階建ての高級マンションは一ヶ月の家賃だけで、オレの一ヶ月分の給料が吹っ飛ぶな。
 苦笑しながら自動ドアを通り、中に入る。
 しかしもう一枚のドアが、オレの行く手を遮る。
 ここから先は住人と、住人の関係者しか入れなくなっている。
 オレは上着のポケットから、昼間受け取ったメモを取り出した。
 住所が書かれたメモには、ケータイの電話番号もあった。
 マンションは厳重なオートロック式、インターホンを鳴らすという選択もあったが、オレは自分のケータイから電話をかけた。
『はい』
「志野原雅夜だ。今、お前のマンションの下にいる」
『ロックを解きます。入ってきてください』
「分かった」
 カチャッと何かが外れた音がした。
 ドアの前に行くと、自動で開く。
 オレは深呼吸をして、前に進んだ。
 メモを見ながら、エレベータに乗り込んだ。
 目的の階を押し、静かなエレベータの中で、また心臓が痛むのを感じていた。
 きっと、いや絶対に、十年前のことを言われる。
 それは覚悟しとかなければならない。
「とはいえ、ムチャクチャ怒っているよなアイツ」
 怒ると怖いんだよな…ハンパなく。
 落ち込む気持ちを奮い立たせ、オレは目的の階に到着した。
 部屋の扉の前で、インターホンを鳴らそうと手を上げた。
「いらっしゃい、雅夜」
 けれどいきなり扉は開かれた。
 利人の手によって。
「うをっ! よく分かったな」
「そりゃあ雅夜の気配なら、よく知っていますからね」
 …気配を悟られてしまっているのか。
 利人は会社で見たスーツ姿のままだった。
「どうぞ。まだ引っ越してきたばかりで、散らかっていますが」
「あっああ…」
 中は散らかっている…というより、何もなかった。
 必要最低限の家具しか置いてなく、広いリビングにもテーブルとソファー、それに大きなテレビが一つ置いてあるだけ。
 オレの部屋が二つ分ぐらい平気で入りそうなリビングが、余計に広く見える。
「なっ何か、物少ないな」
「ええ、引っ越しが急だったので」
「急な辞令だったのか?」
「いいえ」
 利人は振り向き、ニッコリ笑う。
 あっ、この笑顔はヤバイ。
「雅夜があの会社にいることを知ったのが、つい最近だったんですよ。なので本当は私はここに来る予定はなかったんです」
「それはつまり…」
 本当は利人以外の人間がウチの会社に来る予定だった、ということか。
 でもそれは急に変わった。
 理由は…オレがこの会社にいたからだ。
 だから利人は来た。
 …分かっていたことだが、改めて言われるとダメージを受ける。
 そんなオレの顔を見て、利人は満足そうに頷いた。
「察していただけたようで嬉しいですよ。ついでに私の怒りも察してくれると嬉しいですね」
 …心ん中、怒りまくっているヤツに言われてもなぁ。
「って言うか、何でウチの会社の本社にいたんだよ? てっきり親父さんの会社に就職したと思っていたのに」
「今はまだ、修行中の身なので、身内の会社には勤められないんですよ。外で修行してこいとのことなので」
 …そうですか。
 一般民のオレには分からないことだ。
 そう思いながら、一人用のソファーに座る。
 黒い皮張りのソファーは、これ一つだけでオレの給料二か月分はあるな。
 利人は斜め向かいの二人用のソファーに座る。
 この位置は…非常に微妙だ。
 近すぎず、遠すぎず。でもオレを逃がさないように構えている。
「で? 話というのは?」
「分かりきったことを…。何故十年前、私の前から姿を消したんですか?」
 …やっぱりそのことか。
「将来を誓い合った恋人に、いきなり逃げられた私の気持ち、分かります?」
「…大体は、な。分かるさ」
 利人の体から立ち上る怒りのオーラが可視できるほどは…。
「なら理由をお聞きしましょうか? 何にも言わず、そういう前触れも見せず。何故私の前から消えたんですか?」
「それは…お互いの将来の為だ。お前は会社を継がなければいけない立場だし、男の恋人なんていても、マイナスになるだけだと思ったんだ」
「何を今更っ…!」
 叫び出したい衝動を抑え、利人は続けた。
「…私は言ったはずです。確かに会社は継がなければならない。でもそんなことであなたを諦めたくはないと!」
 ―言われたな、確かに。
 『あの時』に。
 利人に告白されたのは、高校二年の時。
 共学で、そこそこレベルの高かった高校に通っていた。
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