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大学を卒業した後
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大学を卒業した後、すぐに連れて来られたのは親父の会社だった。
「でっけぇな」
「若様はこちらへ来るのははじめてでしたか?」
「ああ、そうだな」
「社長、楽しみに若様を待っていますよ? 今日という日を、ずっと待っていたんですから」
「恥ずかしい親父だな」
「溺愛なさっていますからね。若様のこと」
そう言ってクスクス笑うのは、親父の第一秘書の女性。
名前を梢さんという。
見た目は三十代だが、オレが小学生の頃から外見が変わらないという、恐ろしい女性だ。
いわゆるグラマラスな体付きをしている。
胸はFカップはあるのだと、初対面で胸を張られて豪語された。
胸が大きいせいか、腰は細く見える。
そしてお尻も大きい。
体にピッタリしたスーツを着ているせいもあるだろうな。
しかも中に来ているブラウスもスカートも、ギリギリの短さだし…。
普通の22歳の男であれば、梢さんに釘付けになるだろう。
しかしオレは十年以上も見続けているので、すっかり慣れてしまった。
…男としては、ある意味悲しい。
梢さんはキレイな茶髪を頭の上でまとめていて、メガネをかけている。
よくある家庭教師のAV女優に見えなくも無い。
けれどやっぱり慣れは慣れ。
彼女には年上の女性としての憧れはあっても、恋愛感情は一切持っていなかった。
高校生時代、同級生(男)がオレと梢さんが一緒にいるところを見て、興奮して声をかけてきたことを覚えている。
普通に紹介し、梢さんが去った後、その同級生に詰め寄られた。
「お前っ、あんな美女と知り合いだなんて、バチが当たるぞ!」
「…親父の秘書だっつーの。それに何ともお互いに思っていないのなら、バチも何も無いだろう?」
そう言うと、同級生はおかしなモノでも見るような目でオレを見た。
「お前…男じゃねーな」
とりあえず一発ぶん殴ったのは、間違いではないと今でも言える。
淡い恋心を抱いたことがないとは言えないが、憧れの方が強い。
いっつもオレの面倒を見てもらっているせいだろう。
会社に来るまでも、車に乗せられてきた。
そう、あれは十分ほど前―。
オレは梢さんが運転する車の後部座席に深く腰をかけながら、深く息を吐いた。
これから向かうは親父の会社。
大学を卒業したのはつい先日の話。
オレはいよいよ親父の会社に就職する…のに、私服。
スーツなんか着てくるなと、昨夜親父に笑い飛ばされたからだ。
会社に行くのは今日が初めてでも、社員には何度か顔を合わせている。
でもだからと言って、私服はないような気がするけどなぁと思う。
「若様、緊張なさっています?」
バックミラー越しに、梢さんの視線を感じた。
「いや、それより何の仕事をさせられるのか、心配の方が強い」
「今日は会社の説明だけですよ。仕事の方は後日となります」
「説明長い?」
「最初に若様に理解なさって欲しいことは、そんなに長くはないかと…。ただ」
そこで梢さんが苦笑した。
赤い口紅が、いたずらっぽく光っている。
「理解するのに時間がかかるかもしれませんね」
ぞわっ!
「はっ?」
何故かそこで全身に悪寒が走った。
「まあ後は社長からお聞きください」
「あっああ…」
この時、オレは体が警告していたことに気付かなかった。
会社の地下駐車場に車を止め、特設エレベーターで最上階に上がる。
外から見たこの会社は、何かこう…でかかった。
高層ビルが建ち並ぶ街中にあって、かなり立派な建物だ。
今日からここで働くと思うと、緊張してきた。
何せオレは親父が何の仕事をしているか、詳しくは知らない。
人材派遣をしているのだと、言われ続けた。
不況の世の中でも、ウチの経済状況は変わらなかったのだから、儲かってはいるのだろう。
ウチの経済レベルはかなり高い。
オレが私立の幼稚園から大学まで行けるぐらいだ。
海外旅行もしょっちゅう行ってたし、ブランド物も家の中にゴロゴロある。
両親には一人息子兼跡継ぎとして、これ以上ないぐらい愛情を注がれた。
もちろん、親父の下で働く社員達にもだ。
オレも期待に応えるべく、勉強にスポーツに人間関係に頑張ってきた。
将来は一つの会社を継ぐんだ。
そこに働く人間、全ての人生を握ることになる。
ハンパな気持ちはいけないと、両親が呆れるぐらい真面目に生きてきた。
それが今、報われる。
これまでの苦労も、大切に思えた。
…今、この瞬間までは。
やがてエレベータの動きが止まった。
「こちらです。若様」
「あっああ」
フロアに出ると、目の前に大きな木の扉がある。
梢さんはゆっくりとノックする。
「社長、若様をお連れしました」
「ああ、入れ」
聞きなれた親父の声だが、今日は何故か緊張させれる。
背筋を伸ばすと、梢さんがドアノブを押し、扉を開けてくれた。
オレは固唾を飲み込み、中に入った。
「失礼します。しゃっ…」
「待ってたよー!」
がしっ!
「ぐわっ!」
畏まって挨拶をしようとしたが、いきなり親父に抱き付かれた!
「うっとおしいわっ! クソ親父!」
なのでつい、いつもの調子で親父を床に叩き付け、背中を踏んでしまった。
「ぐえっ!?」
「…若様、お気持ちはよく分かりますが、ここは会社ですので」
「あっああ、すまない」
梢さんの苦笑を見て、オレは足を外した。
「あいたた…。相変わらず元気だね」
すでに五十を過ぎている親父は、ブランドのスーツに身を包み、外見だけは!立派な会社の社長だった。
見た目も子供の欲目を抜いても、良い方だろう。
実際、親父と街中を歩くと女性が良く振り返る。
…くそっ!
「テメーがしっかりしないからだろう? 少しは社長らしくしやがれ!」
なのでついイライラしてしまう。
「まあまあ。若様、とりあえずソファーにお座りください。今、お茶を持ってまいります」
「ああ、頼む」
オレは返事をして、黒皮張りの一人かけソファーに座った。
親父も背中を押さえながら、オレの向かいのソファーに座る。
これじゃあどっちが大人か分からないな。
「では失礼します」
梢さんは一旦社長室を出て行った。
すると親父はキリッと姿勢を正し、オレを真っ直ぐに見つめた。
「さて、とりあえず入社おめでとう」
「ありがとよ」
「それでウチの会社のことなんだがな」
「ああ」
「その前に、お前に聞いておきたいことがある」
「何だ?」
入社のことについて、大体のことは家で済ませていた。
面接めいたものも、梢さんと済ませている。
だから今更聞かれることなんて、何だろうと少し緊張した。
「お前、童貞か?」
「………は?」
ドウテイ?
…オレ、耳、悪くなったのかな?
思わず耳の穴を指でいじる。
「いや、だから。女性と肉体関係を持ったことはあるのかと聞いている」
…そう聞いてくる親父の顔は、今まで見たことがないぐらい真面目だった。
つまり、本気、なのか。
「…何故そんなことを実の父親に告げなくちゃならない?」
だからオレも真面目に聞いてみる。
「それが重要だからだ。今後、お前にどう動いてもらうか、決めるのに大事なんだ」
「え? 話が全然見えないんだけど」
「う~ん。はっきり言わなくちゃ、やっぱり分からないものか」
親父は腕を組み、唸った。
「この会社、人材派遣であることは言ってあるよな?」
「あっああ」
だからオレは普通に一般的な派遣会社を思い浮かべていた。
「その仕事内容だが、主に性的なものなんだ」
「………はい?」
オレは自分の頭を疑った。
耳が悪いのではなく、頭がおかしくなってしまったのだろうか?
「まあ他にもいろいろな場面で、必要とされればそこに人材を派遣するんだ。だが主な仕事はセックスの相手だな」
「それって…いわゆる売春…」
「それだけではないと言っているだろう? まあ簡単に言えば、プライベートで相手がほしい人に、こっちから人をやる。その内容は相手次第だが」
「つまり…普通の派遣会社は会社を通して人材を派遣するけれど、ウチの会社は個人で人材を派遣するってこと?」
「おおっ! のみ込みが早いな!」
親父は嬉しそうだが、オレは体中の血が冷えていくのを感じていた。
個人的な依頼内容…ということは、この会社、違法で引っ掛かるんじゃないだろうか?
と言うか、とっくに警察が来てもおかしくないのでは?
「あっ、今、社会的なこと考えただろう?」
「常識的なことを考えてたんだっ!」
「まあ確かに何かに引っ掛かりそうな商売だけどな」
アッサリ認めやがった!
ヤバイ! 今すぐ退社した方が身の為だ!
と言うより、この親父と縁を切った方がオレ自身の為だな。
「でも大丈夫。ウチは組織だから。個人であれば叩かれるけど、組織であれば大目に見られるんだよ」
犯罪の匂いが濃いっ!
「上客の中には、ニュースで見る人達も多くいるしね」
そして社会の闇の色も濃い!!
親父はあくまでも笑顔で語る。
「この会社はかなり歴史があってね。わたしの世代からはじめたものじゃないんだよ」
「…どれぐらい昔なんだよ?」
「そうだねぇ。…遊郭があった時代から、かな?」
ここは何百年の老舗かっ!
嬉しくない歴史だ…。
がっくり肩が下がる。
「それなりに歴史もあるし、仕事も昔からのものだ。ただの風俗店と一緒にされては、困るなぁ」
笑顔ながらも、眼が笑っていない。
つまりそれだけ重い歴史があるということか。
社会の闇…特に性欲は人間の三大欲求の一つ。
それを満たす会社を、何百年も続けてくるにはそれなりの覚悟が必要なんだろう。
オレは深く息を吐いた。
「プライベートの相手って…その、夜の相手の他にどんな意味があるんだよ?」
「う~ん、そうだね…。軽いものでは食事の相手。一人じゃ味気ないって言う人はかなりいるしね」
あっ、そのくらいか。
「後はパーティーのパートナーもあるな。買い物の付き添いもあるし、旅行の相手ってのもある」
なるほど。
一人で過ごしたくない人の相手役か。
そこら辺なら理解できる…が。
「まあ夜の相手の希望者の方が圧倒的に多いけどね。アハハ」
…それが問題だ。
「そういうのってさ、素直に風俗店に行けばいいんじゃね?」
「分かってないね、お前は」
ふと真剣な顔で、親父は声を潜めた。
「それなりに社会的地位がある人や、顔が売れている人が堂々と行けると思うかい?」
「それは…」
行けない、だろうな。
「だからウチは名目上は『プライベートの相手』と言っているんだ。表立って『夜のお相手』を派遣しているとは言えないだろう?」
一理あるので、思わず黙ってしまう。
「ウチにはそれなりに権力もある。うるさいところや、おしゃべりなところを黙らせることができるぐらいは、ね。だからゆっくりとプライベートを堪能したい人にとって、大事な会社なんだよ」
…まあ性欲って大事、だよな?
オレにはやっぱりよく理解できない。
多分、淡白なんだろうな。
「で? オレが童貞かどうかなんて、どこら辺で関係あるんだよ?」
「それが一番重要なんだ」
「だからどこがっ!」
「仕事内容のことですよ。若様」
梢さんが社長室に戻って来た。
トレーに二つの湯飲みを持って。
テーブルの前で跪くと、オレと親父の前に湯飲みを置いた。
オレはお茶を一口飲んで、気分を鎮める。
「若様が社長になられるには、この会社の仕事全体を知らなければなりません。一番重要なのは、お客様にどのような相手を当てるかです」
「つまり、適材適所というのものだな?」
「その通りです」
梢さんは立ち上がると、にっこり笑った。
「ここは人材派遣会社。人を見極めなければ、お客様のご要望に応えられることもできません。ゆえに若様には人を見る眼を養ってもらいたいのですわ」
「そう! わたしの言いたいことはそれだよ」
親父が嬉しそうに手を叩く。
…ホントかよ?
「だからお前の女性関係が重要なんだ。全く知らないというのは、欠点にしかならないからな」
事情は分かった。
理解はできたが…納得はできない。
「まあ深く言うと、女性のみならず、老若男女全ての性格を見抜ける人間になってほしいんだ。まずは観察力をみがき、経験を積むのがお前の仕事だ」
「つまり客の要望に応えられる人間を、ちゃんと見出せってことだろ? それなら親父の仕事を見て、学べばいいだろう?」
「いや、わたしの仕事を見ているだけではダメだ。ちゃんとお前自身の感性をみがかなければ、意味がない」
「チッ!」
あまりにハッキリとした親父の言い方に、思わず舌打ちをする。
「で? どうなんだ?」
「…童貞、じゃない。中学の時に、捨てた」
渋々答える。
「付き合った人数は?」
そこまで言うのかよ。
「……三人」
「三人か。少ないな」
余計なお世話だっ!
しかし文句を言うよりも前に、昔の苦い思い出がよみがえった。
付き合ったのは三人。
いずれも肉体関係はあった。
けれど長続きはせず、一年も経たないうちに別れた。
…三人とも、だ。
いつもオレがフられる立場だった。
しかし彼女達は涙を浮かべながら、オレにこう言った。
「あなたはアタシのことを愛していない!」
そういうつもりは、無かった。
けれど強く否定もできなかった。
来る者を拒むことなく受け入れてきたオレは、多分まだ真剣に人を愛したことがない。
原因は将来のことだった。
親父の会社を継ぐという自覚は、物心つく前からあった。
そのことで頭がいっぱいで、普通の恋人関係が上手くいかなかった。
そりゃそれなりに、彼女達のことは好きだったけど、夢中にはなれなかった。
それは性生活にも出てて…。
…あっ、落ち込んできた。
「でっけぇな」
「若様はこちらへ来るのははじめてでしたか?」
「ああ、そうだな」
「社長、楽しみに若様を待っていますよ? 今日という日を、ずっと待っていたんですから」
「恥ずかしい親父だな」
「溺愛なさっていますからね。若様のこと」
そう言ってクスクス笑うのは、親父の第一秘書の女性。
名前を梢さんという。
見た目は三十代だが、オレが小学生の頃から外見が変わらないという、恐ろしい女性だ。
いわゆるグラマラスな体付きをしている。
胸はFカップはあるのだと、初対面で胸を張られて豪語された。
胸が大きいせいか、腰は細く見える。
そしてお尻も大きい。
体にピッタリしたスーツを着ているせいもあるだろうな。
しかも中に来ているブラウスもスカートも、ギリギリの短さだし…。
普通の22歳の男であれば、梢さんに釘付けになるだろう。
しかしオレは十年以上も見続けているので、すっかり慣れてしまった。
…男としては、ある意味悲しい。
梢さんはキレイな茶髪を頭の上でまとめていて、メガネをかけている。
よくある家庭教師のAV女優に見えなくも無い。
けれどやっぱり慣れは慣れ。
彼女には年上の女性としての憧れはあっても、恋愛感情は一切持っていなかった。
高校生時代、同級生(男)がオレと梢さんが一緒にいるところを見て、興奮して声をかけてきたことを覚えている。
普通に紹介し、梢さんが去った後、その同級生に詰め寄られた。
「お前っ、あんな美女と知り合いだなんて、バチが当たるぞ!」
「…親父の秘書だっつーの。それに何ともお互いに思っていないのなら、バチも何も無いだろう?」
そう言うと、同級生はおかしなモノでも見るような目でオレを見た。
「お前…男じゃねーな」
とりあえず一発ぶん殴ったのは、間違いではないと今でも言える。
淡い恋心を抱いたことがないとは言えないが、憧れの方が強い。
いっつもオレの面倒を見てもらっているせいだろう。
会社に来るまでも、車に乗せられてきた。
そう、あれは十分ほど前―。
オレは梢さんが運転する車の後部座席に深く腰をかけながら、深く息を吐いた。
これから向かうは親父の会社。
大学を卒業したのはつい先日の話。
オレはいよいよ親父の会社に就職する…のに、私服。
スーツなんか着てくるなと、昨夜親父に笑い飛ばされたからだ。
会社に行くのは今日が初めてでも、社員には何度か顔を合わせている。
でもだからと言って、私服はないような気がするけどなぁと思う。
「若様、緊張なさっています?」
バックミラー越しに、梢さんの視線を感じた。
「いや、それより何の仕事をさせられるのか、心配の方が強い」
「今日は会社の説明だけですよ。仕事の方は後日となります」
「説明長い?」
「最初に若様に理解なさって欲しいことは、そんなに長くはないかと…。ただ」
そこで梢さんが苦笑した。
赤い口紅が、いたずらっぽく光っている。
「理解するのに時間がかかるかもしれませんね」
ぞわっ!
「はっ?」
何故かそこで全身に悪寒が走った。
「まあ後は社長からお聞きください」
「あっああ…」
この時、オレは体が警告していたことに気付かなかった。
会社の地下駐車場に車を止め、特設エレベーターで最上階に上がる。
外から見たこの会社は、何かこう…でかかった。
高層ビルが建ち並ぶ街中にあって、かなり立派な建物だ。
今日からここで働くと思うと、緊張してきた。
何せオレは親父が何の仕事をしているか、詳しくは知らない。
人材派遣をしているのだと、言われ続けた。
不況の世の中でも、ウチの経済状況は変わらなかったのだから、儲かってはいるのだろう。
ウチの経済レベルはかなり高い。
オレが私立の幼稚園から大学まで行けるぐらいだ。
海外旅行もしょっちゅう行ってたし、ブランド物も家の中にゴロゴロある。
両親には一人息子兼跡継ぎとして、これ以上ないぐらい愛情を注がれた。
もちろん、親父の下で働く社員達にもだ。
オレも期待に応えるべく、勉強にスポーツに人間関係に頑張ってきた。
将来は一つの会社を継ぐんだ。
そこに働く人間、全ての人生を握ることになる。
ハンパな気持ちはいけないと、両親が呆れるぐらい真面目に生きてきた。
それが今、報われる。
これまでの苦労も、大切に思えた。
…今、この瞬間までは。
やがてエレベータの動きが止まった。
「こちらです。若様」
「あっああ」
フロアに出ると、目の前に大きな木の扉がある。
梢さんはゆっくりとノックする。
「社長、若様をお連れしました」
「ああ、入れ」
聞きなれた親父の声だが、今日は何故か緊張させれる。
背筋を伸ばすと、梢さんがドアノブを押し、扉を開けてくれた。
オレは固唾を飲み込み、中に入った。
「失礼します。しゃっ…」
「待ってたよー!」
がしっ!
「ぐわっ!」
畏まって挨拶をしようとしたが、いきなり親父に抱き付かれた!
「うっとおしいわっ! クソ親父!」
なのでつい、いつもの調子で親父を床に叩き付け、背中を踏んでしまった。
「ぐえっ!?」
「…若様、お気持ちはよく分かりますが、ここは会社ですので」
「あっああ、すまない」
梢さんの苦笑を見て、オレは足を外した。
「あいたた…。相変わらず元気だね」
すでに五十を過ぎている親父は、ブランドのスーツに身を包み、外見だけは!立派な会社の社長だった。
見た目も子供の欲目を抜いても、良い方だろう。
実際、親父と街中を歩くと女性が良く振り返る。
…くそっ!
「テメーがしっかりしないからだろう? 少しは社長らしくしやがれ!」
なのでついイライラしてしまう。
「まあまあ。若様、とりあえずソファーにお座りください。今、お茶を持ってまいります」
「ああ、頼む」
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親父も背中を押さえながら、オレの向かいのソファーに座る。
これじゃあどっちが大人か分からないな。
「では失礼します」
梢さんは一旦社長室を出て行った。
すると親父はキリッと姿勢を正し、オレを真っ直ぐに見つめた。
「さて、とりあえず入社おめでとう」
「ありがとよ」
「それでウチの会社のことなんだがな」
「ああ」
「その前に、お前に聞いておきたいことがある」
「何だ?」
入社のことについて、大体のことは家で済ませていた。
面接めいたものも、梢さんと済ませている。
だから今更聞かれることなんて、何だろうと少し緊張した。
「お前、童貞か?」
「………は?」
ドウテイ?
…オレ、耳、悪くなったのかな?
思わず耳の穴を指でいじる。
「いや、だから。女性と肉体関係を持ったことはあるのかと聞いている」
…そう聞いてくる親父の顔は、今まで見たことがないぐらい真面目だった。
つまり、本気、なのか。
「…何故そんなことを実の父親に告げなくちゃならない?」
だからオレも真面目に聞いてみる。
「それが重要だからだ。今後、お前にどう動いてもらうか、決めるのに大事なんだ」
「え? 話が全然見えないんだけど」
「う~ん。はっきり言わなくちゃ、やっぱり分からないものか」
親父は腕を組み、唸った。
「この会社、人材派遣であることは言ってあるよな?」
「あっああ」
だからオレは普通に一般的な派遣会社を思い浮かべていた。
「その仕事内容だが、主に性的なものなんだ」
「………はい?」
オレは自分の頭を疑った。
耳が悪いのではなく、頭がおかしくなってしまったのだろうか?
「まあ他にもいろいろな場面で、必要とされればそこに人材を派遣するんだ。だが主な仕事はセックスの相手だな」
「それって…いわゆる売春…」
「それだけではないと言っているだろう? まあ簡単に言えば、プライベートで相手がほしい人に、こっちから人をやる。その内容は相手次第だが」
「つまり…普通の派遣会社は会社を通して人材を派遣するけれど、ウチの会社は個人で人材を派遣するってこと?」
「おおっ! のみ込みが早いな!」
親父は嬉しそうだが、オレは体中の血が冷えていくのを感じていた。
個人的な依頼内容…ということは、この会社、違法で引っ掛かるんじゃないだろうか?
と言うか、とっくに警察が来てもおかしくないのでは?
「あっ、今、社会的なこと考えただろう?」
「常識的なことを考えてたんだっ!」
「まあ確かに何かに引っ掛かりそうな商売だけどな」
アッサリ認めやがった!
ヤバイ! 今すぐ退社した方が身の為だ!
と言うより、この親父と縁を切った方がオレ自身の為だな。
「でも大丈夫。ウチは組織だから。個人であれば叩かれるけど、組織であれば大目に見られるんだよ」
犯罪の匂いが濃いっ!
「上客の中には、ニュースで見る人達も多くいるしね」
そして社会の闇の色も濃い!!
親父はあくまでも笑顔で語る。
「この会社はかなり歴史があってね。わたしの世代からはじめたものじゃないんだよ」
「…どれぐらい昔なんだよ?」
「そうだねぇ。…遊郭があった時代から、かな?」
ここは何百年の老舗かっ!
嬉しくない歴史だ…。
がっくり肩が下がる。
「それなりに歴史もあるし、仕事も昔からのものだ。ただの風俗店と一緒にされては、困るなぁ」
笑顔ながらも、眼が笑っていない。
つまりそれだけ重い歴史があるということか。
社会の闇…特に性欲は人間の三大欲求の一つ。
それを満たす会社を、何百年も続けてくるにはそれなりの覚悟が必要なんだろう。
オレは深く息を吐いた。
「プライベートの相手って…その、夜の相手の他にどんな意味があるんだよ?」
「う~ん、そうだね…。軽いものでは食事の相手。一人じゃ味気ないって言う人はかなりいるしね」
あっ、そのくらいか。
「後はパーティーのパートナーもあるな。買い物の付き添いもあるし、旅行の相手ってのもある」
なるほど。
一人で過ごしたくない人の相手役か。
そこら辺なら理解できる…が。
「まあ夜の相手の希望者の方が圧倒的に多いけどね。アハハ」
…それが問題だ。
「そういうのってさ、素直に風俗店に行けばいいんじゃね?」
「分かってないね、お前は」
ふと真剣な顔で、親父は声を潜めた。
「それなりに社会的地位がある人や、顔が売れている人が堂々と行けると思うかい?」
「それは…」
行けない、だろうな。
「だからウチは名目上は『プライベートの相手』と言っているんだ。表立って『夜のお相手』を派遣しているとは言えないだろう?」
一理あるので、思わず黙ってしまう。
「ウチにはそれなりに権力もある。うるさいところや、おしゃべりなところを黙らせることができるぐらいは、ね。だからゆっくりとプライベートを堪能したい人にとって、大事な会社なんだよ」
…まあ性欲って大事、だよな?
オレにはやっぱりよく理解できない。
多分、淡白なんだろうな。
「で? オレが童貞かどうかなんて、どこら辺で関係あるんだよ?」
「それが一番重要なんだ」
「だからどこがっ!」
「仕事内容のことですよ。若様」
梢さんが社長室に戻って来た。
トレーに二つの湯飲みを持って。
テーブルの前で跪くと、オレと親父の前に湯飲みを置いた。
オレはお茶を一口飲んで、気分を鎮める。
「若様が社長になられるには、この会社の仕事全体を知らなければなりません。一番重要なのは、お客様にどのような相手を当てるかです」
「つまり、適材適所というのものだな?」
「その通りです」
梢さんは立ち上がると、にっこり笑った。
「ここは人材派遣会社。人を見極めなければ、お客様のご要望に応えられることもできません。ゆえに若様には人を見る眼を養ってもらいたいのですわ」
「そう! わたしの言いたいことはそれだよ」
親父が嬉しそうに手を叩く。
…ホントかよ?
「だからお前の女性関係が重要なんだ。全く知らないというのは、欠点にしかならないからな」
事情は分かった。
理解はできたが…納得はできない。
「まあ深く言うと、女性のみならず、老若男女全ての性格を見抜ける人間になってほしいんだ。まずは観察力をみがき、経験を積むのがお前の仕事だ」
「つまり客の要望に応えられる人間を、ちゃんと見出せってことだろ? それなら親父の仕事を見て、学べばいいだろう?」
「いや、わたしの仕事を見ているだけではダメだ。ちゃんとお前自身の感性をみがかなければ、意味がない」
「チッ!」
あまりにハッキリとした親父の言い方に、思わず舌打ちをする。
「で? どうなんだ?」
「…童貞、じゃない。中学の時に、捨てた」
渋々答える。
「付き合った人数は?」
そこまで言うのかよ。
「……三人」
「三人か。少ないな」
余計なお世話だっ!
しかし文句を言うよりも前に、昔の苦い思い出がよみがえった。
付き合ったのは三人。
いずれも肉体関係はあった。
けれど長続きはせず、一年も経たないうちに別れた。
…三人とも、だ。
いつもオレがフられる立場だった。
しかし彼女達は涙を浮かべながら、オレにこう言った。
「あなたはアタシのことを愛していない!」
そういうつもりは、無かった。
けれど強く否定もできなかった。
来る者を拒むことなく受け入れてきたオレは、多分まだ真剣に人を愛したことがない。
原因は将来のことだった。
親父の会社を継ぐという自覚は、物心つく前からあった。
そのことで頭がいっぱいで、普通の恋人関係が上手くいかなかった。
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…あっ、落ち込んできた。
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