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絶望の中の行為

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 羽月は最初から、陽一と死ぬ為にここへやって来たのか。
「ぐほっごほっ、がはぁっ…」
 呼吸音がおかしくなってきた。
 羽月の言うとおり痛みや苦しさはないものの、熱さが体中を駆け巡っている。
 そして甘い匂いも吐き出したいのに、もう体にそんな力は残っていなかった。
 その様子を見て、羽月はカバンの中から一本のナイフを取り出し、自分の手首に当てた。
「はづっ…! やっめ…」
 震える手を伸ばそうとするが、指先すら動かなくなっていた。
 熱が全てを支配してしまっている。体の動きも、そして呼吸すら自分の意思ではどうにもならなかった。
 次第に眼が霞んできた。
 このままじゃいけない。
 少なくとも、陽一は死ぬつもりなんてなかった。
 生きて、例え離されたって、再び会うことを目指して生きていたかった。
 そう、死にたくはない。
 生きて、羽月と一緒にいたい。
 それを大声で伝えたいのに、唇も舌も動かなかった。
 ただ悲しみの色を浮かべた黒い眼で、羽月の悲しげな笑みを見つめることしかできない。
 そっと羽月の顔が下りてきて、唇にキスされた。
「愛しているよ、陽一」
「はづ…き」
 出した言葉は、音にもならなかっただろう。
 そこで陽一の意識は黒く塗り潰された。



 そして次に眼が覚めた時、陽一は病室の中にいた。
 不安そうな表情を浮かべる両親が側にいて、眼を開けた陽一に泣いて喜んでいた。
 しかし陽一の体はしばらく動かず、言葉すら出てこなかった。その間、両親はずっと側にいて看病をしてくれた。
 やがて桜の花が咲く頃、ようやく文字を書くことができた。
 それでずっと聞きたかったことを、二人に尋ねた。
『羽月は?』
 スケッチブックに黒いマジックで書いた。
 すると二人は一気に暗い表情になった。
 母親は涙を浮かべて俯き、父親はゆっくりと辛そうに言った。
「羽月くんは…亡くなった」
「っ!」
 声にならない声が、のどからもれ出た。
 眼を見開き、ブルブルと震えだす息子の両手をしっかりと握り、父親は説明した。
 陽一と羽月は二人だけで出かけたが、その後を羽月の父親の者達がつけていた。
 その頃には羽月には監視がついていたらしい。
 そして空き家に入ってから数時間後、出てこないことを不審に思い、監視者達は窓から様子を見た。
 すると部屋の中で倒れている二人を発見した。
 慌てて部屋の中に入ると、すでに呼吸を止めていた陽一と、自ら手首を切って大量の血を流している羽月がいた。
 二人はすぐに地元の病院に運ばれたものの、羽月は失血死で亡くなったのだという。
 遺体はすぐに羽月の父親が引き取りにきた。
 その間、陽一は意識不明で生死の境を彷徨っていたのだ。
「陽一、引っ越さないか?」
 父はあえて明るい声で言った。
「あの街から離れよう」
 その言葉に、陽一は弾かれたように顔を上げた。
 そしてスケッチブックに言葉をつづった。
『仕事は?』
「もうすでに辞めてあるんだ。お前の看病もあったしな」
 驚いて母に視線を向けると、何も言わず、何度も首を縦に振った。
「幸いにも退職金は思った以上に出たし、家も売れば引っ越し代金にはなるだろう。大学の方は…諦めてもらうしかないが…」
 羽月と一緒に通うはずだった大学。しかしすでに入学式は終わり、そして二人とも通っていなかった。
 今更一人で通っても、意味はなかった。
 羽月が一緒でなければ…行く意味すら無いのだから。
「父さんの昔の知り合いで、水野という男を覚えているか? 彼の故郷で今度事業を立ち上げる話が出ているんだ。それに参加しようと思っている」
 水野、という名前には覚えがあった。
 昔から何度か家に遊びに来て、陽一を可愛がってくれた父の同級生だった男性だ。
「水野が家族で引っ越してくるなら、家や仕事は準備してくれるという。お前も療養を兼ねて、向こうで暮らそう。田舎だが、果物や花がたくさんある良い所だそうだから」
 ―当時、水野が陽介に事業の話を持ちかけたのと、陽一と羽月が心中事件を起こしたのはほぼ同時期だったと言う。
 陽一は黙って頷いた。
 父は誘いのように言ってくれるが、本当は選択肢は他に無かったのだろう。
 父の歳で再就職は難しいだろうし、陽一だってすぐに社会に出れるわけがなかった。
 水野の誘いは、ありがたいもの。
 受けないわけにはいかなかった。
 それから一ヵ月後、リハビリは順調に進み、松葉杖をつきながら陽一は退院した。何とか声も少しならば出るようになり、茜一家はあの土地へ引っ越したのだ。
 それから陽一は半年の間、療養していた。
 自分が眠っている間に羽月を失ってしまったことはショックだった。
 しかしそれ以上に、何も言わずに殺されていたかもしれないことに、心はダメージを負っていた。
 相談もされなかった。
 そんな様子、欠片も見せてはくれなかった。
「羽月っ…!」
 美しく花に満ちた庭で、思うのは自分を殺そうとした男のことばかり。
 花の匂いが、あのもがき苦しんだ時に体に満ちた匂いと重なり、何度も咳き込んだ。
 ―あの事件以来、紅茶が飲めなくなったのは言うまでもないことだった。
 苦くて苦手だったコーヒーを飲むことによって、あの味と匂いを消そうと必死になった。
 そして何とか回復してからは、父と水野の仕事を手伝うようになった。
 東京でも成功していた二人の手腕のおかげで、仕事が楽しく思えた。
 満ち足りた生活の中でも、ふと自分の中でよみがえる羽月の姿と声に、何度も気を失いそうになった。
 けれど…心のどこかで、本当に死んだのかと疑問に思ってもいた。
 何より父の態度が気になった。
 あれほど羽月を可愛がっていたのに、墓参りに行こうとすらしなかったし、言い出しもしないのだ。
 本当に亡くなっているのなら、一度ぐらいは行くはずだ。
 いくら息子である陽一を道連れにしようとしたとしても、それでも行くような男だった。
 ところが引っ越してからというもの、両親は一度もこの土地から離れなかった。
 陽一もあえて出ようとは思わなかったが、両親の場合は不審に思ってもいた。
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