私の大事な妹は

折原さゆみ

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9帰宅

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 その後、フクロウはそのまま完全に歩武たちの前から姿を消してしまった。それと同時に頭に響いていた声も聞こえなくなった。

 しばらく、教室には沈黙が流れた。誰も何も言葉を発しなかった。フクロウとの別れの余韻に浸らせてあげようという配慮なのかはわからないが、高木が気持ちを落ち着かせるには十分な時間だった。



「先輩、それに遠野さん、それに遠野さんの妹さん、今日は私のために本当にありがとうございました」

 もうすぐ6時という頃になり、ようやく高木が感謝の言葉を口にして、三人に頭を下げる。歩武が何気なく教室から窓を見ると、すでに日は暮れかけ、夕焼けが教室を赤く染めていた。

「なかなか人間にしては賢い選択をしたわね。これからも、お姉ちゃんと話すことを特別に許してあげる。少しはましな人間もいるみたいで安心したわ」

「その上から目線の発言はやめた方がいいぞ。とはいえ、お疲れ様。高木さん。今日はもう、家に帰ってぐっすり休むといいよ。これをあげるから、お守り代わりにしてね」

 ミコが空気を読めない発言をするが、清春がそれをたしなめて、カバンからまた別のお札を取り出した。

「そ、そんなに気を遣ってもらわなくても大丈夫です。あの、先輩ってお金を取ってこういうことしているんですよね。だとしたら、これ以上、私のためにしてもらうわけには」

「気にしないで、と言いたいところだけど、本当に今回の件は高木さんが気にすることはないよ。お題はそいつにつけておくから」

「えええ、自分の彼女にお金を請求するんですかあ?」

「その気持ち悪い話し方もやめろ。そもそも、お前がオレに依頼してきたことだろ。この子にペットとの別れをさせてあげてくれと」

「うっ、それはその、お姉ちゃんが」

 高木は安倍の好意を遠慮していたが、確かにお金をもらってやっているという噂を聞けば、誰でもその金額が気になるし、自分が払える金額か心配になるものだ。ミコはお金が取られることを知っていたのだろうか。高木のために男にペットと別れができるように依頼してくれたらしいが。

「ねえ、ミコ。どうして私と自分のため以外には動かないあなたが、今回はここまでするの。少しは他人に興味を」

『それはありえない』

 歩武の言葉はバッサリと切り捨てられる。しかも、清春とミコが同時に言葉を発し、きれいにハモりを見せた。




「キーンコーンカーンコーン」

 そういえば、ここは放課後の教室だった。部活動の終わりを告げるチャイムが学校中に響き渡る。教室にいる歩武たちにもチャイムの音は当然聞こえていた。

「あーあ。せっかくこいつに任せて、私はお姉ちゃんとデートできるかと思ったのに」

「チャイムが鳴ったということは、そのうち、ここにも見回りの先生が来るということだ。急いで教室を出るぞ」

 チャイムを合図に歩武たちは急いで教室を出る。そして、廊下を早歩きしながら玄関に向かう。廊下を走っているところを先生たちに見られたら、それはそれで面倒だからだ。幸いなことに、玄関にたどりつくまでに、先生たちと遭遇することはなかった。


「それで、さっき渡そうと思っていたこれ。受け取って。きっと今日家に帰ったら、教室でのペットの別れを思い出すでしょ。これを使えば、少しは気分が落ち着いてしっかりと休めると思うから」

「ええと、でもこれって」

「うん。お札に見えたかもしれないけど、そんなに深刻に考えなくてもいいよ。ただの匂い付きの紙だと思ってくれればいい」

「ずいぶんと気にかけるわねえ。私はお金を払うつもりは毛頭ないから、どうでもいいけど」

「先輩、私。お金は」

「平気、平気。じゃあ、オレはこれで失礼するね。高木さん、何かあったら、そこのオレの彼女気取りの奴に伝言を頼めばいいよ。相談に乗るから」

 玄関までつくと、清春はそのまま別れを告げて足早に学校から出ていった。有名人だという噂は本当らしく、玄関を出てすぐに部活を終えた中学生たちに囲まれていた。


「さあ、私たちも帰りましょう」

「うん」

「あの、今日は本当にありが」

「礼はいらない。それと、あの男と連絡を取るのはあきらめろ。後は」

 男がいなくなり、歩武たち三人も急いで上履きから靴に履き替える。高木が再度、ミコにオレをしようと声をかけるが、バッサリと切り捨てられる。それでも、高木はあきらめずに言葉を続ける。

「わかっています。今日、私のために働いてくれたことだけでも奇跡に近いのに、これ以上、先輩とお近づきになるのはおこがましいです」

「わかっているなら、別にいい」

 こうして、歩武たちは帰宅するのだった。




「ただいまあ」

 家に帰ると、両親は珍しく帰宅していなかった。駐車場に停められているはずの車がなかったので予想はしていたが、いざ、家の中が真っ暗であると、改めて両親が帰宅していないことを実感する。大抵は母親が歩武たちを出迎えることが多いので、変な感じがした。

「おう、やっと帰ってきたな。ああ、オレみたいな奴をまたひっかけてきたのか。やっぱり、オレたちにとって、こいつは目につきやすくて惹かれてしまうよなあ」

「げっ。どうしてこの家に猫がいるんだ!そこの一匹だと思って我慢して家までついてきたのに」

 両親がいないということは、家には誰もいないことを意味するはずだった。歩武はミコと二人姉妹で、両親とミコ合わせて4人家族である。それなのに、暗い玄関の奥から声がして、猫耳少年が姿を現した。

そういえばと、歩武は家に両親以外の存在がいたことを思い出す。今朝からの騒動ですっかり忘れていた。そして、妹のミコと二人で帰宅したと思っていたが、どうやら違っていたようだ。セサミの声に真っ先に反応したのは、歩武の足下の存在だった。可愛らしい声の主を探して足下を見ると、そこには学校で見かけた白い身体に赤い目の半透明のウサギがちょこんと座っていた。

「あなたは中庭に居た……。昼休みから、ずっと私のそばにいた、よね?」

「まったく、私たちの後をついてくるとか、元動物だとは言え、ストーカー被害で訴えられるレベルなんだから」

「はあ」

 歩武が恐る恐るウサギに声をかける。ミコは呆れた様子でウサギを見つめている。すると、ウサギがため息を吐き、その場からいなくなる。


「ええと、あなたも、セサミたちと同じ存在、だよね?どうして、ミコが触れることができるの?」

ウサギはミコに持ち上げられていた。ミコの手の中でじたばたと暴れる様子はまるで生きているウサギと変わりない。しかし、半透明な時点でこの世のウサギではないとわかっていたため、それを軽々と持ち上げたミコに驚きの声を上げてしまう。

「そうだけど、私は特別にそういう奴らに触ることができるの。理由は言いたくないから聞かないで。私にはできるってだけ。それで、お前はお姉ちゃんに憑りついて何がしたいの?中庭を荒らしていたのもお前だろう?」

「離せ!この野郎!僕を誰だと思っているんだ!僕は」

『ただのへっぽこウサギだろ』

「うっ」

 ミコの手の中から逃れようとしていたウサギだったが、ミコの手から抜け出すことはできなかった。暴れながらも、金切り声で叫んでいたが、その言葉にミコとセサミが同時に口を開く。

 ウサギは、ミコと歩武の家に居候している猫耳少年にバカにされていた。ウサギと猫は捕食者と非捕食者の関係で、猫の方が強いのだということをまざまざと見せつけられた。妹のミコは猫ではないのだが、ウサギを手にした表情は、まるで獲物を前にした猫のように瞳がギラギラしていた。


「とはいえ、ここでお前を捕食したり、そこの猫野郎に引き渡したりしたら、お姉ちゃんの中の私の印象が駄々下がりしてしまう。仕方ないから、話だけは聞いてやろう。あくまで話だけ」

「ええええ!食わないのかよ。お前だってオレと同じ」

「違う。私はお姉ちゃんの妹のミコだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 物騒な発言をしていたが、さすがにウサギを目の前で食べることはしないようだ。それにはほっとしたが、食べるという発言を聞くと、本物に猫のようだ。前世が猫だったのではないかと思ってしまうほどである。

「とりあえず、お母さんたちが帰ってくるかもしれないから、私の部屋で話そう。それでいいよね?」

「かたじけない。お邪魔することにする」

 ウサギはおびえたような瞳をミコと猫耳少年に向けたが、歩武に対しては深々とお辞儀をした。ミコの手の中だというのに、頭を下げる姿に不覚にも歩武は笑えてしまった。

 歩武とミコ、猫耳少年と半透明ウサギは、歩武たちの部屋に向かうことにした。ミコはウサギを離すことはなく、そのまま歩武の部屋に続く階段を上っていた。
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