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現実世界が一番だけど、お兄ちゃんと一緒なら異世界でも最高です!

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「ああ、やっぱり異世界って、はたから見たらいいよなあ」

 私の兄はことあるごとにそんなことを言っている。兄は最近はやりの主人公が異世界転生したり、異世界に突然転移してしまったりする物語にはまっている。兄は今日も一冊の漫画を読み終わって、リビングのソフでとても満足そうにつぶやいている。

 中学一年生の私と兄は年が四つ離れている。兄は高校二年生だが、部活もバイトもしていない。暇を持て余しているのか、家に帰るとリビングのソファで最近はまっている異世界系のライトノベルを読み漁っているのだ。

「そんなに異世界ってよいものかな?」

「夢叶(ゆめか)はロマンがないなあ。ありえないことが起こる世界だからいいんだよ。魔法が使えて、ドラゴンやエルフや妖精がいる世界なんて、憧れるしかないだろう?」

 とはいえ、実際に住みたいとは思わないが。

 兄はぼそりなにか言っているがよくわからない。とりあえず、私の異世界に対する意見を述べておく。

「私は異世界に別にロマンも感じないし、憧れないよ。私だって、お兄ちゃんがはまってる異世界系の話読んだことあるよ。でもさ、そこではスマホは使えないし、家にはエアコンもストーブもないでしょ。今の便利な生活に慣れているのに、わざわざそんな不便な生活したくない」

「それは一理ある。でもまあ、たまにはいいと思うけど」

 ソファから立ち上がった兄は大きく伸びをする。そして、私の感想に不満を漏らしたが、それ以上、異世界の話をすることは無く、リビングから出ていった。


「あら、夢叶(ゆめか)、お兄ちゃんは?ソファに座っていなかった?」

「漫画を読み終わって自分の部屋に戻っていったよ」

 兄が出ていったのと入れ替わりに母がリビングにやってきた。兄とは廊下で鉢合わせることは無かったようだ。

「あらそう、お兄ちゃんに電球を変えてもらおうと思ったんだけど。来夢(らいむ)は背が大きいからね」

「お父さんに頼めば?」

「そうするしかないわね」

「部屋に戻ったのなら、当分部屋から出てこないよ」

 兄は自分の部屋にこもると、私たちが部屋の外から声をかけても無視されてしまう。扉は鍵がかかって開けられないので困ってしまう。しかし、数時間もすれば部屋から出てくるので家族は特に気にしていない。

(いったい、自分の部屋でなにをしているのやら)

 自分の部屋で本を読まずにリビングで読んでいるのだ。もしかしたら、学校の宿題をやっているのかもしれない。漫画を読みふけっている割に兄の成績は良いことを私は知っている。

 私が必死に勉強してもあまり良い点が取れないのに、兄はさらっと私よりよい点数を取ってしまう。まったく嫌みな兄である。

 ちなみに頭の出来だけでなく、兄と私はあまり似てない。兄は元の髪色が茶色っぽく二重のぱっちりした瞳で色は白い。身長はすらりと高くいわゆるイケメンである。対して私は髪も瞳も真っ黒で奥二重で浅黒い肌をしている。身長は高めだが似ているのはそれくらいだ。兄は母親に似て、私は父親に似てしまった。

 だから、二人で並んで歩いていても兄妹だと言われることがない。



※※
「これっていったい……」

 私は自分の部屋に突然現れた大きな扉に戸惑っていた。兄が自分の部屋にこもっているので、私も自分の部屋で宿題をすることにしたのに、これでは宿題どころではない。大きな扉は部屋の中央にそびえたち、部屋に似合わない豪華なつくりをしていた。部屋のドアの数倍はある、重厚な木の作りの扉は部屋に入ってすぐ目に入った。不思議な現象が起きているが、もしかしたらこれは。

「異世界につながる扉だったりして」

 言葉にしてみると、ばかばかしいがそれ以外に考えられない。兄の部屋に謎の扉が現れたなら、神様とかが異世界好きの兄を招待したのだと納得できる。しかし、私は異世界に否定的な人間だ。そんな人間の前に扉が現れる理由がわからない。

とはいえ、扉を開けてそこから異世界にいけるのだとしたら。

(せっかくだし、扉の先につながっている世界に行くのもアリかも)

 あまりに非現実的な出来事が目の前で起こっているせいで、思考がおかしくなっていた。私は恐る恐る扉に手を伸ばしてみることにした。

 物語の中では、一度扉を抜けると一生元の世界に戻れないことも多いが、その辺のことは私の頭からすっかり抜け落ちていた。


 扉は私が手を触れる前に勝手に開いた。慌てて扉の中を覗いてみるが、真っ暗で何も見ることが出来ない。

(もしかしたら、お兄ちゃんが望むような異世界ではないかもしれない)

 扉の向こう側で何が待ち受けているかわからない。異世界なのか、地球上にある場所なのか、天国か地獄なのか。しかし、なんとなく今この扉をくぐらなければいけない気がした。危険を覚悟で私は扉をくぐることに決めた。

(覚悟は決まったけど、足が進まないんだよなあ)

 決意したのは良いものの、私はしばらくの間、扉の前でたたずんでいた。

「ゆめかあ。そろそろお風呂に入りなさいねえ」

 一階から母親の声が聞こえてくる。慌てて部屋の壁時計を確認すると、確かにそんな時間だ。

(こういうのって、扉の先と今の時間の流れが違っていて、扉の先の世界で過ごした時間と戻ってきたときの時間が違うのがお約束だよね)

 小さいころ読んだ物語でそういう展開の話があった。自分が住んでいる場所とは別の場所で過ごした時間と、現実の世界に戻ってきたときで時間のずれがあったのだ。私の場合もそうなるだろうか。

 母親の声を聞いて、私は思い切って扉に足を踏み入れた。扉は私を中へ引きこみ、そのまま閉じてしまった。そしてそのまま扉は部屋から消滅した。

 私の部屋は部屋の主がいない以外、元の部屋の状態となった。


 扉の中は真っ暗で、下に落ちているという感覚しかわからない。下へ下へ落ちながらも意識はしっかりと保たれていた。真っ暗闇で何も見えない状態が一分ほど続いたが、唐突に明るくなる。

「まぶし!」

 急に明るくなったと思ったら、私は扉を抜けてどこかの森の中に放り出された。後ろを振り返ると、扉がたたずんでいたが、すぐに扉は消滅した。扉がなくなったということは、しばらくの間、扉が案内したこの場所で過ごせということだろうか。

 辺りを見わたすと、日本の森とは違うことに気づく。日本の森よりも木がうっそうとしていて、薄暗かった。森の真ん中の開けた場所に放り出されたが、これからどうしようか。

(もしかしたら、魔物とかやばい生き物がいたりして……)

 だとしたら、今のままだとすぐにやられてしまう。武器になるようなものはもっていない。部屋着のTシャツにジャージという格好の私に何ができるというのか。ジャージのポケットを探ってみるが、そこには何も入っていない。スマホは部屋の机の上に置きっぱなしで連絡を取ることも出来ない。いや、持っていたとしてもこんな場所でスマホが使えるとは思えない。

 いきなり、絶体絶命のピンチに立たされてしまった。



※※
「グルルルル」

 一人で森の放り出された不安と恐怖でその場に座り込んでいると、さっそくやばい状況がおとずれる。私のにおいに誘われてきたのか、いつの間にか私を取り囲むように4匹の狼のような動物が迫っていた。「ような」と付けたのは、その生き物たちの額の中央に角みたいなものが生えていたからだ。

 角が生えた狼など今まで物語の中でしか見たことがない。やはり、ここは地球ではない異世界なのだ。

「さすがに、狼みたいな生き物にやられて死ぬとか、ないよね」

 そんなあっけない最期を迎えたくはない。しかし、それを回避する方法が思いつかない。物語だと誰かが助けに来てくれることが多いのだが。

「お兄ちゃん……」

 こんなとき、兄ならどんな行動をとるだろう。ふと、兄のことが頭をよぎった。異世界好きの兄がこの状況に追い込まれたら。

(現実逃避もいいところだよね。死ぬ前に考えることがお兄ちゃんのことなんて)

 私は案外、兄のことが好きだったみたいだ。狼のような生き物に対して何もできない私は、お兄ちゃんのことを思い出して、目を閉じた。


「あれ、私死んでない……」

「死ぬなんて不吉なこと言うなよ。俺がたまたま通りかからなかったら、どうなっていたことか」

 近くで男の人の声が聞こえたので、そちらに視線を向けると、そこには金髪碧眼の兄によく似た男が立っていた。私はどこかの家のベッドに横たわっていた。

「ここは?」

「俺のここの世界での家だ。狼みたいなやつに襲われそうになっていたところを俺が助けてやった」

「ありがとうございます」

「いいや別に」

 お前にそんなこと言われると、なんだかむず痒いな。

 男は私のお礼の言葉に照れながら両手を顔の前で振っていた。何か変なことを言っているが、それよりも聞きたいことがある。

「私、自分の部屋に変な扉が現れて、その扉を通ってきたらこの世界に居ました。私って、元の世界に戻れますか?」

「ああ、うん。きっと、この世界での役割を果たしたら帰れる、と思うぞ」

 俺の時もそうだから、きっとお前の時もそうなるだろうな。

 先ほどからぼそぼそと後半の言葉を濁している。何か、私がこの世界に来た事情を知っているのかもしれない。とはいえ、いきなりその辺を指摘したら怪しまれてしまう。いったん、今の私が置かれている状況を確認することにした。


 辺りを見わたしてみる。私がベッドの上にということは、この部屋は寝室だろう。男の言葉通りなら、男の家の寝室ということになる。

アニメや漫画で見た異世界の寝室にそっくりだ。ベッドとほかに木の棚が置かれて、そこには見たことのない言語で書かれた本がずらりと並んでいた。部屋には時計はなく今の時刻がわからない。窓がベッドのそばにあったが、窓ガラスは木枠にはまっていた。

「やっぱり、この世界は不便だと思うか?」

「やっぱり?」

「こんな住宅設備の整っていない家が現代日本にあってたまるか。俺はこんなところにずっと住み続けたいとは思わない。たまにここにきてたまに遊ぶのがちょうどいい」

「ふうん」

 どうやら、この男は兄によく似ているが、兄とは違うようだ。男の顔を改めて観察すると、髪と目の色が違う以外は兄にそっくりだった。兄がイメチェンしたのかと思ったほどだ。しかし、兄は異世界がかなりいいものだと主張していた気がするし、私のことを妹だと思っていないため、別人のようだ。

「俺の顔に何かついている?それとも」

 お前のお兄ちゃんに似ていて、惚れたとか?

「ば、バカじゃないの!」

「そうだよなあ。あははは。冗談だよ」

 兄のことを考えていたら、目の前の兄によく似た男にじっと見つめられて焦ってしまう。しかも、兄の顔で惚れたとか聞いてくるとか反則だ。



※※
「ねえ、村の外でドラゴンが出たって!ライ、あんたにも討伐要請が来ているから急いできてちょうだい!」

 兄によく似た男と話していたら、突然、部屋をノックせずに女の人が二人入ってきた。私は驚いてとっさにベッドの布団の奥に潜り込む。

「まったく、部屋に入るときはノックしてからが常識だろう?ドラゴンがきたとか言っているけど、村の外って言ったって、出たのは森の奥だろう?」

「だ、だって、こういう時でないと、ライは私たちの相手をしてくれないでしょう?」
「そうそう、私たちがどんなに誘っても、ライは一緒に来てくれないでしょ」

 布団の中で、彼らの会話を盗み聞いていると、どうやら彼女たちは男の知り合いらしい。なんとなく、彼女たちは兄に似た男に好意を抱いているような感じだ。しかし、男は彼女たちを好きではなく、反対に嫌悪している気がした。言葉の端々にとげがある。反対に女性たちの声は甘ったるくて、兄に似ている男に媚びているということもあり、気分が悪かった。

「それで、そこのベッドには誰を隠しているのかしら?私たちのことを無視して、誰と仲良くしていたの?」

「それ、私も気になるー」

 布団にもぐって隠れていたものの、やはり不自然な布団の盛り上がりに気づかれてしまった。

「こいつは……」

「この人の、い、いもうと、です!」

 男が何を言い出すのかわからないため、とっさに私は布団から頭を出して先に自己紹介してしまった。兄に似ているというだけで兄ではないが、今はこういった方が正解な気がした。男は私の話に合わせてくれるようだ。慌てて私の言葉に頷いて話を補足する。

「そうそう、こいつは俺の妹。俺に会いに来たみたいで家まで連れてきた」

「ふうん、妹ねえ。妹なのに、ライとは似てないのね」
「そもそも、髪も瞳も真っ黒で、似ているどころか正反対なんだけど。それで兄妹とか言われてもありえないでしょ」

「それは……」

 痛いところをつかれて私と男は言葉に詰まる。しかし、その手の質問はこの世界に来る前から言われていたことだ。

 兄は髪色が茶色っぽく二重のぱっちりした瞳で色は白い。反対に私は真っ黒な髪に真っ黒な瞳。奥二重の浅黒い肌。身長だけは兄と同じで高め。そこくらいしか似ていない。


『はあ』

 女性二人は私が返事に詰まっているのを見て、あきらめたような溜息を吐く。

「まあいいわ。とりあえず、ドラゴンが村のはずれまで来ているのは確かだから。そいつらを討伐するためにライの力が必要なの。だから、その子をさっさと家に帰らせて、私たちと一緒に来てちょうだい」

深紅の髪をポニーテールにした女性はベッドわきの椅子に座っていたライの腕をつかみ、椅子から立ち上がらせる。ライと呼ばれた男は嫌そうに女性の手を振り払う。

「わかったよ、行けばいいんだろ。行くのは構わないが、一つ言っておきたいことがある」

 男は女性二人をまっすぐ見つめて、思いがけないことを言い始める。

「俺は魔法で髪と瞳の色を変えている。だから髪や瞳の色だけで兄妹かどうか判断するな」

(魔法で色を変えている……) 

 どうやら、この世界では魔法という概念があるようだ。それだけでも驚きだが、それ以上に目の前の男が髪と瞳の色を変えているというのは驚きだ。ということは。

「魔法以前の問題でしょ。似ていない」

「ユメが傷ついているだろ。シルバー」

兄かもしれない男と私が似ていないと言われてしまうと、元の世界の兄とのことを思い出して落ち込んでしまう。似ていないが、両親の遺伝子を色濃く受け継いでいるので、兄とは正真正銘、血のつながった姉弟である。両親は仲が良くて浮気など考えられない。

 男はそのまま部屋のドアの元まで歩いていく。似ていないとはっきり言葉にしたのは部屋にいたスカーレット以外のもう一人の女性である。私より身長が低く、長い白いローブを足首まで羽織っていて、銀髪を背中まで伸ばしていた。

「じゃあ、俺が帰るまでおとなしく休んでいろよ。帰ってきたら一緒に家に帰ろう」

 慌ただしく、男と女性二人は部屋を出ていった。



※※
「あれ、私って名前を教えた?それに」

 男は一緒に帰ると言っていた。それはいったいどういう意味か。魔法の件もあるので、これは確実に。ひとり部屋に残された私は、先ほどの男の言葉を思い出し考える。

(だとしたら、めちゃくちゃ恥ずかしい……)

 兄に似た男が本当に兄だったとして、今は女性たちと外に出ていった。今考えなければならないことは、自分自身の状態を確認することだ。ベッドから下りて大きく伸びをするが、痛いところはないし、特に目立った外傷はない。身体に異常はないようだ。

 私は男の言いつけを破り、兄たちの元に向かうことにした。

 外に出ると、空は青く雲一つない晴天だった。この世界の空も、元居た世界と同じ空の色だ。まだそれほど時間が経っていないはずなのに、家が恋しくなってしまう。家に帰るための方法は男が知っているのだろう。何とかして男に会うため、私は歩きだした。


(いざ、外に出てみたはいいけど、どっちに行けばいいのだろうか)

 男の家から出たはいいが、既に男と女性二人の姿はどこにも見当たらない。改めてこの街の様子を確認すると、兄が話している異世界の世界にそっくりだった。家が道の両側に並び、道の前では露店が立ち並んでいる。

(今はまだ昼間のはずなのに、どうして誰もいないの?)

 きっと、何時もなら露店はたいそうにぎわっているのだろう。そう思ったのに、今は露店には人っ子一人見当たらない。道を歩いている人もいなかった。

(そういえば、ドラゴン?が来ているとか何とか言っていたな)

 深紅の髪の女性が言っていた気がする。ドラゴンなんて、異世界の定番の生き物だ。村に危険を及ぼす危険があるのだろう。それを男と女性二人が退治しに行ったのだ。

(とはいえ、あの女性二人がドラゴン退治か)

『異世界でいいところは、女性の露出が高いところだよな。現実でそんな恰好で歩いていたら、普通に捕まるレベルだろ。しかも、そいつらを見ているだけで俺たちはセクハラで捕まりそうだ』

 兄が家でよくつぶやいていた。異世界というのは女性の露出度が高いらしい。兄を探しながら町を歩きながら、先ほど兄を迎えに来た女性の服装を思い出す。

 赤髪の女性は騎士みたいだった。鎧を身に着けてはいたが、胸周りだけぽっかりと空洞になっていた。あれでは胸を剣で刺されたら致命傷を受けてしまう。下半身は膝上までの皮のロングブーツを履いていたが、お尻の付け根当たりまでしかない下着のようなショートパンツを合わせていたので、太ももの絶対領域が丸見えだ。これもまた太ももに剣を突き立てられたら致命傷だ。

(女騎士には見えるけど、あの服は戦には向かないと思う)

 もう一人の女性は聖職者のようにも見えた。長いローブを羽織っているのは漫画で聖職者が多い。しかし、聖職者というには余りに幼い容姿だった。銀髪を背中に伸ばした可愛らしい少女だった。しかし、可愛らしいのは容姿だけで服装は決してかわいいものではなかった。ローブの裾から見えるスカートはひざ下まであったが、かなりのスリットが入っていて、お尻が見えるくらいのものだった。どんな下着を身に着けているのか知らないが、あれでは歩くたびに下着が見えそうだ。

『ユメはコスプレでもあんな破廉恥な服は着るなよ』

 兄に絶対に着ないのに念押しされていたことを思い出す。コスプレはみるのは楽しいが、自分が着たいとは思わないので、ただ適当に返答した気がする。

 そんなことを考えながら歩いていると、町のはずれまで来てしまった。町自体はあまり大きくないようだ。

 私が迷っていた森だと思われる場所に到着した。金髪の男と深紅の髪色をした女性、銀髪の女性の姿が確認できた。



※※
「ちょっと、こんなに強いなんて聞いてないんだけど」
「私の魔力はもう、限界です」

 彼らのそばに近付いていくと、彼らがかなり焦っていることがわかる。森の方角に目をむけると、そこには巨大なドラゴンがそびえたっていた。物語の中で目にしたことがあるので、その大きさには戸惑ったが、それ以上の感情はわかない。

 真っ黒な身体に頭には大きな角が生えている。大きさは一軒家くらいあるだろうか。それに対して、男や女性たちが魔法を放っているようだが、鱗が固いのか、ダメージを与えられていないようだ。ドラゴンはなぜか、こちら側に攻撃することなく、ただ彼らの攻撃を黙って受け続けている。

(ああ、やっぱりここは異世界なんだなあ)

「ユメ、どうしてここに!家で待っていろと言っただろ!」

「だって、お兄ちゃんが心配だったから」

「お、お兄ちゃんって、お前まさか」

 男の今更過ぎる戸惑った反応に笑えてしまう。それにしても、どうしてこのドラゴンはこちらが攻撃しているのに、反撃をしてこないのだろう。

「はあ、仕方ないな。ユメ、お前、魔法は使えそうか?」

「ライ、なに言って」
「そうだよ、どう見ても、この子に魔法なんか扱えるわけ」

 男、私の兄らしき人物は私に真剣な表情で問いかけてくる。どうやら、この場は私の行動次第で状況が変わってくるようだ。魔法が使えないことなど、兄が一番よく知っているだろう。それでも、ここは異世界である。

「使えるんじゃないの。たぶん」

 普通なら使えないはずだが、何せ、私は謎の扉でこちらまで来たのだ。何か意味があって扉が現れたに違いない。もしそうだとしたら、今が私が呼ばれた理由なのかもしれない。

(とりあえず、ドラゴンと会話がしたいな。それが出来ないのなら、雷とかの一撃必殺の技が使えたら便利だな)

 ドラゴンを見上げると、私の視線と絡み合う。ドラゴンの瞳は爬虫類のような瞳孔となっていた。

『私はここから離れられない』 

 その時、頭に直接謎の声が流れ込む。辺りを見わたすが、私の周りには兄と深紅の髪の女性と銀髪の女性しか確認できない。そうなると、声の主はおのずと限られてくる。

「どうして?拘束されているようには見えないけど」

「ユメ、なにを言っている?」

『私の声が聞こえるようだな。それは無理だ。私はここに縛られてしまっている。最近、この世界にやってきたとかいう、ユウシャとやらと無理やり契約を結ばされてしまった』

「ふうん」

 ちらりと兄の顔を盗み見るが、兄はドラゴンと会話はできないようだ。女性二人に関しても同様で私が突然、独り言を言い出したように見えるのか、怪訝な顔をしている。ユウシャとやらは彼らではないようだ。

「おい、ユメ、危ないからそいつから離れろ!」

「ムリ」

 兄が心配しているのはわかるが、このままでは無駄な時間が続くだけだ。私は無意識にドラゴンのそばに近寄り、その身体に手を触れた。

 私の意識はそこで途切れた。



※※
「ユメ!」

「お兄ちゃん……」

 目を覚ますと、異世界の兄の家の寝室のベッドに寝かされていた。ドラゴンに触れたことまでは覚えているが、そこで意識はブラックアウトしてしまった。あれから、どうなったのだろうか。ドラゴンは無事にこの場を離れることが出来たのか。部屋には男しかいなかった。

「いきなりドラゴンに触れるから、どうなることかと心配したんだぞ!」

 私が目を覚ましたことに気づいた兄が私をぎゅっと抱きしめる。髪はいつの間にか茶色っぽい黒髪とそれと同じ色の瞳になっている。いつもの兄の髪色と瞳の色に一気に安心感がわいてくる。

 私はしばらくの間、兄の抱擁を黙って受け入れた。目から水がこぼれてしまったが、兄の服にぐりぐりとこすりつけてごまかすことにした。


『仲睦まじい兄妹だな』

 お互いの気持ちが落ち着いて兄はベッドわきの椅子に座り、私も目をこすって水を拭い去る。そのタイミングを計ったかのように、頭の中に謎の声が響き渡る。

「おい、ユメに変な真似したら、容赦しないぞ」

『ずいぶんと妹にご執心のようだな。安心しろ。私を忌々しいユウシャから解放してくれた恩人だ。恩はあれど、敵対する理由はない』

 声のありかを探そうと辺りを見回すと、私の腹の上に小さなドラゴンがちょこんと座っていた。いきなりミニチュアサイズのドラゴンを見つけて、思わず凝視してしまう。黒い体に見覚えはあるが、まさか先ほどまでのドラゴンが小さくなったとは思うまい。しかし、声は聞き覚えのある男性の声だ。

「ユメ、お前は覚えていないだろうが、お前がこいつと新たに契約しなおしたんだ。まあ、俺も手伝ったんだが」

 兄が私が意識を失っていた間のことを簡潔に話してくれた。


 私がドラゴンに触れると、ユウシャとやらの契約を無効にしてしまったらしい。ドラゴンの首に謎の文様が浮かび上がり、その直後、いきなり雷がドラゴンの首の文様だけをきれいに破壊したようだ。

「あれは見事だった。まさか、自分の妹が異世界に来てすぐ、ドラゴンと言葉を交わし、雷の魔法でドラゴンの契約を壊してしまうほどの実力者だとは思わなかった」

 楽しそうに話しだす兄にジトリとした視線を向けてしまう。兄はもう、自分が兄だと隠すことは辞めたらしい。

「ああ、そうか。俺の説明を忘れていたか。さすが俺の妹だよな、髪の色と瞳の色を変えていても、ユメは俺のことがお兄ちゃんと気づいたとは恐れ入った」

「最初から言ってくれればよかったのに」

『兄妹のことは後にして、さっさと私のことを話せ。今後の私たちは如何したらいいのか話し合う必要があるだろう?』

 話が脱線したことに気づいたドラゴンが私たちの会話に割って入ってくる。私たちとはいったいどういうことか。兄はいつの間にか、ドラゴンと会話できるようになったらしい。ドラゴンの言葉に嫌そうに返事する。

「はいはい。話しますよ。そうそう、ユメのおかげで俺もこいつと話せるようになった」

「そうなんだ。それで?」

「ユウシャとの会話を破棄したユメは、自分とお前との契約を新たに結んだ。さすがにこれについては俺も関わらせてもらった」

 兄は先ほどまでのドラゴンとのことを話し始める。私も話の続きが気になったので黙って話を聞くことにした。



※※
「俺とユメの力でこいつと新たな契約を結ぶことに成功した。そうしたら、結構魔力を消費したみたいで、髪と瞳の色がこの通り」

 話を終えた兄はふうと大きな息を吐く。女性二人は私たちがドラゴンと契約を交わすとは思わなかったようで、その光景に驚いてその場から逃げ出したようだ。

「ということで、この話はこれで終わりだ。そろそろ、お迎えの時間だ。ほら、あれを見ろ」

 兄が指で指示した方向に私が通り抜けてきた謎の扉が立っていた。あまりにもいきなりのことで言葉が出ない。しかし、兄はここに謎の扉が現れるのがわかっていたような口ぶりだ。

『私はユメたちについていけるのか?』

「どうだろうな。まあ、契約者のユウシャとやらはお前を置いてどっか行っちまったんだから、連れていけないのかもしれないし、あるいは」

「一緒に帰ろうよ。その大きさならぬいぐるみだとごまかせる、と思うし」

 せっかくドラゴンと契約をしたのだ。このままお別れになるのは寂しい。兄も少し考えていたようだが、最終的にドラゴンを元の世界に連れ帰ることに合意した。

 こうして、私たち二人と一匹は謎の扉を抜けて元の世界に帰った。


 あれから、私と兄とドラゴンは謎の扉が現れるたびに異世界に行くことになった。異世界に行くと、それから元の世界に戻れないなんてことは、物語の中では良くあることだが、私たちは何か目的を果たすと、今のところ、必ず元の世界に戻ることが出来ている。

「タツミ。行くよ」
「俺を忘れるなよ」

 ドラゴンにはタツミという名を付けて、家で飼うことにした。ミニチュアサイズのドラゴンを部屋の外に出すわけには行かないが、今のところ、元の世界にいるときはおとなしく部屋で過ごしている。異世界では元の姿に戻って私たちを空の旅に連れ出してくれる。とても頼もしい友人だ。

 私たち二人と一匹は謎の扉を抜けて今日も異世界に旅立つ。兄は異世界に着くと、髪の色と瞳の色を魔法で変えることは今でも続けている。私もそれに倣おうとしたが、せっかく色を変えられるならと、金髪にオレンジやピンクなどの色が混ざったグラデーションの髪色にした。瞳の色も金色に変えてみた。

「兄妹に見えないのを悲しんでいた色の変え方には思えないな」

「お兄ちゃんが私を妹だと言ってくれるのならいいんだよ」

 私たちは兄妹。それを兄が周りに宣言してくれるのなら、それでいいのだ。周りが何と言おうと気にしないことにした。


「ああ、やっぱり異世界って、はたから見たらいいよなあ」

 異世界に着くたび、兄はこんな言葉を呟いている。確かに異世界は物語の中だと憧れがあるが、実際に住むには私たちの今までの生活とは違い過ぎる。

 こんな言葉を言えるのは私たちが実際に異世界に行くことが出来るからだ。

(お兄ちゃんと一緒なら、異世界での生活でも最高だけどな)

 絶対に兄には言わないけれど。

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