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48さようなら

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「行ってきます」

 誰もいない家に向かって挨拶をすませる。外に出ると、曇り空が広がり、雨は降っていなかった。これでは火事で燃えているビルが自然消火することはないだろう。梅雨特有のじっとりとした空気が身体にまとわりつく。

 九尾たちのように、空を飛ぶ能力があったら。

 そんなことを思いながら、電車を使って組合のビルを目指す。残念ながら、能力者だからと言って万能なわけではない。私に与えられているのは、不老不死体質と、言霊の能力、予知夢の3つである。それだけでも普通の人にはない特殊能力であり、喉から手が出るほど欲しいと思う人もいるだろう。


 組合のビルの最寄り駅に電車が到着する。急いでおりて、全速力で目的地に向かって走り出す。体力があるわけではないので、ビルの前に着くころには全身汗だくになり、息が切れ切れの状態になってしまった。紺色の無地の半そでTシャツを着てきたが、汗がまとわりついて気持ちが悪い。じっとりとした空気も重なり、不快指数は限界に達している。

 これから、さらにあまり気分が良くない光景を目にすることだろう。そう思うと、目的を果たす前に、家に帰りたくなる。

「さて、確か私はこの辺で九尾たちの声を聞いたはず」

 ジャスミンの報告通り、ビルはいまだに赤い炎を上げて燃え続けていた。上を見上げると、どんよりとした曇り空に変わりはないが、今にも降りそうな黒い雲が空を覆っていた。雨が降っていないので傘を持たずに来てしまったが、このまま、私が家に着くまで持つといいのだが。

 目の前のビルが燃えているにも関わらず、天気のことを気にするなんて、おかしなことだ。とはいえ、現実逃避したくなる現状が目の前にあった。

 これは通常の火災ではなかった。ジャスミンはネットニュースでビルの火災について知ったと言っていた。ニュースにあげられたのが火災直後だとして、ジャスミンがそれをすぐに知りえたとしよう。それでも、私がその情報をもとに組合に電車を利用してビルに到着した今も、火はいまだに消し止められていなかった。そして、なぜかこんなにビルが赤々と燃え盛っているのに、消防車や救急車の姿が見当たらない。

消火活動が行われていないのに、ビルの炎が他に燃え広がる様子はなかった。ただビルが燃えているのだ。炎がただ一定の大きさでビルを飲み込んでいた。

 夢の通りに現実が動いている。やはり、あれは予知夢だったのだ。突然、夢に現れる事象が現実になることが今回も起きていた。ビルの正面に立っていると、ビルから逃げ出した人々が私の横を足早に通り過ぎていく。火災後すぐに逃げ出さなかったのだろうか。それとも、逃げられない事情があって、それがようやく逃げられる状況となったのか。

 どちらにせよ、このまま立って待っていれば、いずれ彼らの声が頭に響いてくるだろう。私はビルの正面でそのまま待つことにした。



「朔夜!どうしてここにいる!九尾たちはどうした!」

「お前がここに来るのを九尾は知っているのか?まあ、止めたとしても、お前はここに来たのかもしれないけど」

 しばらくビルの火災を眺めていると、夢には出てこなかった相手が私に声をかけてきた。驚いて振り向くと、そこには雨水君と七尾の姿があった。夢の内容が完全に現実に再現されることはなく、多少の誤差は生じることがある。

「七尾は何をしていたのですか?ビルが燃えるのを黙ってみていたのですか?」

 彼らはビルが燃えていることに慌ててはいなかった。私がいたことに驚きはしていたが、自分が所属しているビルが燃えて何も思わないのだろうか。

「今更だな。誰が燃やしたのかわかっているくせに。僕は九尾に逆らえない。彼がやっていることを止めることはできないんだよ」

「人間のオレに神の行動を止めることはできない」

「そう、ですか」

 二人は目の前の火災を止めることはできないと口にする。やはり、九尾が今の事態を引き起こしていたようだ。



「悪魔か、お前は」

「我々をつぶしたところで、西園寺家はお前らを……」

 雨水君たちと話していると、突然、頭の中に声が響きだした。夢で聞いた内容と一致している。彼らは今、ビルの中にいるのだ。

「九尾たちを怒らせたままにしておくと、僕の命にかかわるから、僕たちはこれでおさらばするよ。仕方ないから、こいつと一緒に、ここに奴らが来ないように手を尽くすよ」

 雨水君たちにはビルの中で交わされている会話は聞こえていないらしい。聞こえていたら、もっと反応をするはずだ。

「朔夜、今回はすまなかった。おわびとは言えないが、七尾の言う通り、オレは一度京都に戻って、西園寺家の奴らの足止めをすることにした。だから」

「許して欲しい、なんて言わないでください。別にもう、雨水君に対して何も思いませんから。期待もしていないので、気にしなくていいですよ。むしろ、私や西園寺家のことは忘れて、自由に生きていいと思います」


「悪魔、か。今の我は確かにお主たちにとって、悪魔と呼べる存在かもしれんな。だが、仮にも神とあがめられていた我を『悪魔』呼ばわりとは感心せんな」

『九尾。その辺にしておけ。じきにここにも火が回る』

『まあ、火が回ったところで、僕たちが燃えることはないですけどね』

 私たちが会話している間にも、ビル内での会話は進んでいく。目の前の雨水君とビルの中での会話が重なり、頭が混乱してくる。とりあえず、そろそろビルが崩壊するころだろう。ビルの崩壊に巻き込まれないように、この場を離れた方がいい。


「では、そろそろビルも崩壊しそうですので、私はこれで」

「ああ、オレ達も移動しよう。じゃあな、朔夜」

「さようなら」

 私がビルから離れるように歩き出すと、雨水君たちも同じように歩を進める。そして、ビルが崩壊しても被害がなさそうな場所までくると、そこで彼らと別れた。別れ際の雨水君のはなぜかすっきりとした明るい表情をしていた。自由に生きていいという、私のアドバイスが功を奏したのかもしれない。

 その後、夢の内容と同じ会話が続き、夢の通りにビルは崩壊した。炎が突如消え、建物の鉄筋コンクリートの骨組みがぐにゃりと崩れた。

 いつの間にか、空には雲がなくなり、陽の光が地面を照らし、ビルの近くに大きな虹がかかっていた。

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