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10偶然の出会い

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「おはよう、蒼紗。どうしたの?暗い顔して」

「おはようございます。暗いですね。何かありました?」

 面接を終えてからも、通常の日常が流れていた。特に問題になりそうな事件は今のところ起きていない。そのまま平穏な毎日が続いてくれればいい。そう思いながら、私は雨水君の連絡を待っていた。

「別になんて言うことはないですよ。ただ、塾以外にバイトを始めようかと思いまして。面接を受けたんですが」

「蒼紗が面接ごときで悩むとは思えないんだけど、いったい、どんなバイトをしようとしているの?そこまで思いつめるような内容なら、やらない方がいいと思うわよ」

「確かに佐藤さんの言う通りですね」

 ジャスミンと綾崎さんには私の気分はお見通しのようだ。大学で会った彼女たちに指摘されたが、暗いという自覚はない。しかし、いろいろ考えなければならないことが多いのは事実で、そのせいで暗い顔になっていたのかもしれない。

 バイトについては、雨水君の紹介ということもあるので、おそらく採用となるだろう。つまり、組合員になれるというわけだ。しかし、そこは西園寺家が関係しているという曰くつきの組合だ。そこがなんとなく引っかかっていた。

「まあ、今日の蒼紗の服装も暗い表情に拍車をかけているっていうのもあるかもね。ていうか、暑くないの?」

「蒼紗さんの体調が心配です」

 二人に口々に服装について言われたので、自分の今日の恰好を確認する。特に何も考えずに決めてしまったが、指摘された通りかもしれない。

「ええと、今日は単純にカラスを表現したかったんですが、なかなかいい感じのものが見つからなくて。とりあえず、全身黒づくめにしてみたのですが……」

「カラスって言われても、ただの全身黒ずくめの怪しい人にしか見えないけど」

「ああ、良く見ると、頭にカラスの羽らしき髪飾りがついていますね」

 どうやら、今日の恰好は彼女たちに不評らしい。まあ、毎日大学で何を着るのか考えるのは大変なので、たまにはこういう日があってもいいではないか。

 そんなたわいないことを話しているうちに、授業が始まる時間が近づいてきた。私たちはいつも通りに大学の授業が行われる講義室に急いだ。



「すいません。ぼうっと歩いていて」

「こちらこそ、ぶつかってしまってすいません」

 授業はあっという間に終わってしまった。授業後も、考え事をして歩いていたら、誰かとぶつかってしまう。前を見ずに歩いていたのは私なので、とっさに謝ると、向こうからも謝罪された。ジャスミンたちは珍しく別の授業があるということで、授業後はさっさと私から離れてしまっていた。

「いえいえ、私が不注意でした、すいま」

 顔を上げて、ぶつかった相手を確認するが、その顔を見た瞬間、言葉を失ってしまう。相手は私の表情の変化に気付くことなく、言葉を続ける。

「私も実は考え事をしながら歩いていたんです。お互い様ですね。あれ、顔色が優れないみたいですけど、体調が悪いのですか?」

「い、いえ。そのう、実はあなたが、知り合いによく似ていたので、驚いてしまって」

 私が途中で言葉を切ったことを不審に思った相手が私の顔を覗き込んでくる。その顔があまりにも私の幼馴染の顔にそっくりだったので、つい一歩後ろに下がってしまう。彼女は先日、たまたま大学で見かけた幼馴染によく似た彼女だった。つい、思っていたことが言葉に出てしまう。

「他人の空似、でしょうか。私は誰と似ていました?いや、初対面なのに、わたしったら何を聞いているって感じですよね」

「こちらこそ、いきなり初対面の相手に、知り合いに似ているなんて言ってしまっているので、気にしないでください」

 目の前の女性を改めてみると、知り合いには似ているが、やはり他人の空似であり本人ではなかった。当たり前のことだが、なぜか胸騒ぎがした。

 ぶつかった彼女を改めて観察する。前回見かけたときはラフな格好をしていたが、今日は女子大生らしい恰好をしていた。薄い水色のシフォンのブラウスに紺色のクロップドパンツを履いていた。やはり、一重の細い瞳にすっとした鼻立ちの面長の顔はどこか幼馴染を思い出させる。

「あ、あの、こんなことを聞くのは失礼かもしれないですが、もしかしてあなたは」

 私は自分が大学ではどんな存在であるのか、すっかり忘れていた。彼女が口にした言葉の意味を知ることができなかった。



「こんなところに居たのか。雨水がお前に連絡を取りたいと言っていたぞ」

「な、七尾!いつの間に。ていうか、いきなり現れないでください。心臓に悪いです」

 彼女の言葉は途中で遮られる。面倒ない相手と出くわしてしまった。七尾はたまに大学にふらりと現れることがある。金髪碧眼の青年に姿を変えた七尾はさっそうと私に近づいてきた。

「知り合いですか?ああ、そろそろ次の授業が始まる時間ですね。では、私はこれで失礼します」

 なぜか、七尾と彼女を一緒にさせるわけにはいかないと思った。そのため、彼女の言葉はありがたい。ポケットからスマホを出して時刻を確認すると、授業は後5分程で始まろうとしていた。慌てた様子の彼女は私たちにぺこりと頭を下げると、大急ぎでその場から離れていき、あっけない別れとなった。

「あの女は誰だ?お前の知り合いか」

「今日、初めて会った女性です。ぼうっとしていて、私が彼女にぶつかってしまって、少し話していただけです」

 女性と別れると、私は七尾と一緒に大学を出ることにした。次の授業を入れていなかったのが幸いだった。それにしても、彼女の名前を聞きそびれてしまった。

「七尾から見て、彼女はどうですか?能力者、または人外の存在ですか?」

 私は七尾に無意識に先ほどぶつかった彼女について質問していた。七尾は少し驚いた顔をしていたが答えてくれた。

「どうだろうな。人外ではなさそうだが、能力持ちかどうかは見た目では判断が難しい。とはいえ、蒼紗が気になるのだったら、何かしらの能力者か、あるいは」



「朔夜、どうしてこいつとこんなところにいるんだ!大学はどうした?七尾、お前はまた性懲りもなく、大学にもぐりこんだのか!」

 私たちは大学を出て、近くのファミレスにやってきた。平日の午前中ということもあり、人はまばらで、飲み物を片手に話すにはちょうどいい込み具合だった。そこに、雨水君が小走りでやってきた。息を切らしているところを見ると、どうやら七尾を探して必死に駆け回っていたようだ。数分前に雨水君から連絡があり、七尾の居場所を聞かれていたので、正直にメールで返信しておいた。

「僕を探しに来たのか?ご苦労なことだ。僕がどう行動しようが僕の勝手だ。静流に指図されるいわれはない」

「お前に用事があったんだ。朔夜にも用があったから、ちょうどよかった」

 雨水君は私たちの許可を得ることなく、七尾の隣にどかりと腰を下ろす。私は店員を呼ぶと、とりあえずドリンクを注文する。私と雨水君にアイスコーヒー、七尾にはオレンジジュースを頼むことにした。

「それで、わざわざ僕を探していた理由はなんだ?」

「だいぶ急いでいたみたいですけど」

 雨水君が落ち着くのを待って質問すると、ようやく冷静になったのか、静かに雨水君は語りだす。

「七尾には少し組合のことで聞きたいことがあったんだ。朔夜については、面接の結果が出たから、結果を報告しようかと。それで電話とかじゃなくて、直接伝えた方がいいなと思ったんだ」

「ふん、そんなもの、直接蒼紗に言う必要はないだろ。そもそも、面接の時点ですでに採用は決まっていたはずだ。くだらない」

 雨水君の話の内容にいちゃもんをつける七尾。彼らは人間の心が読めるようだが、空気は読めない。

「七尾、せっかく来てくれた雨水君にひどくないですか?」

「構わない。いつものことだ。とりあえず、採用されたことは伝えておく。おめでとう」

「あ、ありがとうございます」

「それで、急で悪いんだが、さっそく仕事を頼みたい」

 私のとりあえずのお礼の言葉をあっさりと無視して、雨水君は自分の横に置いたリュックの中から一枚の封筒を取り出した。そして私に渡してくる。中を見てもいいかと確認すると、頷かれたので、恐る恐る封筒の中身を確認する。


「これ」

「先ほど見た女の写真だな」

「もう、この写真の女を見つけたというのか?」

「私の大学に通う学生だと思います。でも、どうして彼女の写真が?」

 雨水君は私が写真に写っている女性を知っていることに驚いているようだった。驚いているのは私も同じだ。まさか、写真で彼女を見ることになるとは思ってもみなかった。

 写真についていた一枚のメモには、彼女の名前と家族の詳細が書かれていた。しかし、なぜか彼女の年齢も大学名の記載もなかった。どういうことかと雨水君の顔をうかがうと、それを説明するために来たのだと改めて説明される。

「組合からの最初に仕事は、この写真の女性を探すことだ。名前を家族もわかっているが、組合側はどうしても見つけることができないらしい」

 幼馴染によく似た彼女は、何やら事情を抱えている様子だ。私は詳しく雨水君から仕事内容を聞くことにした。
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