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28現実は少し違いました

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 翼君が襲われていた。きらりと光る何かを振り上げるのが見えたため、慌てて私はその何者かに突進した。

「ドン!」

 幸い、翼君を襲った何者かは、私より華奢な女性だった。あっさりと私の突進攻撃が効いて、後ろに尻もちをついた。からりと刃物が彼女の手からこぼれ落ちた。

「大丈夫、翼君!」

 翼君を襲った女性はしりもちをついた程度だったので、大した怪我にはならなかっただろう。彼女を無視して翼君に駆け寄ろうとするが、翼君に手で制止された。

「ちょっと、離れていてもらえますか。これはまずい」

 翼君の腕からは血が出ていた。私の突進するのが間に合わなかったのか、刃物が腕をかすってしまったようだ。彼の腕にはすうっと刃物が通った傷が見えていた。

「血が出ているなら、止血をした方が」

『その必要はない』

 慌てて、何か止血できるものを探そうと辺りを探していると、頭の中に声が聞こえた。周囲を見渡すが、暗闇の中、私たち以外に人の姿はない。しかし、声の主を私は知っていた。

「九尾!」

 声の主はいないが、近くにいるのだと思った私は、彼の名前を叫んだ。




「つ、翼。あ、あなたは、どこま、で、わた、しを」

 その直後、しりもちから立ち直った女性が立ち上がり、私たちに近づいてきた。

「どうして、翼。あなたは、すでに、亡くなった、はず。それなのに、なんでまだこの世にいるの?」

 とっさに、私は翼君を背中にかばった。女性の言葉から推測すると、彼女は翼君の生前の同棲相手かもしれない。前髪で隠されて顔が良く見えないが、なんとなく文化祭で見かけた彼女に似ている気がした。

「僕は、翼ではない。人違いだ」

『そうだぞ。小娘。こいつはお前の知っている翼ではない。翼はもうこの世に存在しない』

 私を押しのけ、翼君が彼女の前に立つ。彼の声につられるように、私の頭の中には、九尾の声が流れてくる。

「誰、私の頭の中に声が」

 九尾の声は、彼女の頭の中にも響いていたらしい。急に聞こえた声に辺りを見渡すが、声の主を見つけることはできない。私も探したが、見つけられなかったので、どこか、私たちから見えない場所にいるのだろう。




 彼女は、九尾の声がそれ以降聞こえないとわかると、突然、独白を始めた。

「私、翼のこと、好きだったのよ。死んだと思ってあきらめたのに、どうしてまだ、生きてるの!」

「僕は……」

「うるさい。翼の声で悲しそうにしないで。話さないで。私は、あなたのいない世界で生きていくことにやっと決心したの。それなのに、どうして、いまさら、私の目の前に現れるの!」

 ヒステリックに叫びだす彼女に翼君は、彼女をなだめようと言葉を紡ぐ。私は彼らの会話を聞くしかなかった。割り込める雰囲気ではなかった。

「話を聞いてよ。僕は、確かにもう、死んでいるんだ。でも、生きたいと願ったら、叶えてくれる神様に出会った。今の僕は、宇佐美翼ではない。ただの翼なんだ。僕はもう、君に会うつもりはなかった。僕の方からは絶対に会わないつもりだった。それなのに、僕を追いかけてきたのは君の方だ!」




 不意に私はこの光景をどこかで見たことを思い出す。既視感という奴だ。こんな修羅場などそうそうないと思うが、どこで見たのだろうか。

「そうだ!夢で見たのと同じだ!」

 思わず叫びそうになったが、声を出すすんでのところで口を押さえて、言葉を飲み込んだ。翼君たちは会話に夢中で、私の行動は気づかれることはなかった。

 しかし、夢の内容と若干だが現実は違っていた。私は翼君との言い争いを見ていることしかできなかった。それが、現実では塾の帰りの帰宅途中で翼君は彼女に襲われ、私は翼君の近くにいた。

 ということは、この後、翼君は……。


「そんなことを言って欲しいわけじゃない!私は、もうあなたのことを忘れて、新しい男性との道を歩み始めていたところなの。結婚の話も出てきて、幸せ絶頂期というところで!」

「結婚、ね。おめでとう。結婚式に出ることは叶わないけど、お祝いの言葉を述べることは許して欲しい」

「いやいやいやいやよ。私はもう、あなたのことは忘れた。あなたは実体のない亡霊。そう、亡霊なの。だから……」

 彼女は、突然、言葉を止めた。がくりと身体から力が抜けて、その場に崩れ落ちる。翼君は、突然倒れこんだ女性を心配して、女性のそばに駆け寄った。

「そう、昔から、あなたは、倒れこんだ女性を放っておけない、優しい人だったわね」

「ハルカ!」

 急に倒れこんだ彼女を反射的に翼君が腕を貸そうとした。その瞬間、がしっと翼君の腕を彼女がつかんだ。力を込めて掴んでいるため、手の爪が翼君の腕に食い込んでいる。

 夢で見た内容を思い出そうと必死に頭を回転させるが、頭に靄がかかったようで、詳しく思いだせない。とりあえず、やばい展開になることだけはわかった。そのやばい展開を防ごうと、翼君を掴んでいる彼女の手を振りほどこうとしたが。

「捕まえた。そう、最初からこうしておけば良かった。やっぱり、私はあなたを忘れることはできない。それなら、一緒になるのは、この方法しかないでしょう?」

 彼女は、正気を失った、濁った瞳をしていた。その瞳が翼君を捉え、にたあと笑い出す。きっと、普段は美人で可愛らしいのだろうが、今はただ、口が裂けたように笑う彼女に、恐怖しか覚えなかった。私が彼女の腕をつかんで翼君から引き離そうとしているのに、彼女は私の存在に気付いていないのか、私のことを見向きもしなかった。

 ただひたすら、視線は翼君に注がれる。

「は、なせ。おまえ、手に何をもって」

「これ?あなたと一緒になるための大事なアイテムよ。傷みは与えないわ。一気に殺ってあげる。でも、安心して。私もすぐ、追いかけるから」

 女性の手には、きらりと光る何かがあった。




「翼君!あぶない!」

 彼女は、私が先ほど突進攻撃で落とした凶器、刃渡り20センチほどの包丁を翼君の腹に突き刺そうとした。ものすごい力で翼君の腕をつかんでいて、私が引き離そうとしてもびくともしない。後ろに下がれない翼君は絶体絶命のピンチだった。

『やれやれ。翼、お前は、そこの女との縁を切ったと言っていたではないか。まったく、世話の焼ける奴だ』

 包丁が翼君の腹を突き刺さる。私は声を上げ、刺される瞬間を見たくなくて、目をつぶった。その場から動くことはできなかった。金縛りにでもあったかのように、身体が思うように動かせない。危機的状況の中、のんきな声が頭上から聞こえた。

『世話の焼けるのは、お主も同じか。退屈しないでちょうどいいが、ほどほどにしろよ』


「あれ、僕、さされていな、い」

 翼君がどうなったのか。気になって目を開けると、彼女が刺したと思われる翼君の腹に、包丁は刺さっていなかった。

「か、からだが」

『こやつの昔の恋人だかなんだか知らないが、こいつは、今はわれのものだ。われのものを傷つけるというのなら、相当な覚悟を持っているのだろうな』

 声の主は、九尾だった。ケモミミ少年姿の狐の神様がいつの間にか、私たちのすぐそばにいた。彼が翼君の窮地を救ったのだ。彼女は、包丁を翼君に向けたまま、動けないでいた。いや、動きたくても動けないのだろう。九尾の冷たい視線に身動きが取れないようだ。もしかしたら、九尾が動けないよう、力を使っているのかもしれない。

「それで、翼。これは一体どういうことなのだ。われがやってこなくても、お主は死ぬことはないだろうが」

「ええと、話せば長くなるのですが……」




「あ、あれ、身体に力が入らない……。それに、なんだか急に眠たくなって」

『面倒なことになりそうだから、お主はもう、休んでおけ。翼、それに狼貴。彼女を部屋まで運んでやれ。この女は我が記憶を操作して……』

 近くに狼貴君もいるようだ。翼君の生前の同棲相手の記憶をどうとか言っているが、九尾の話を最後まで聞く前に私は意識を失った。

 翼君を襲った彼女は、本来なら傷害事件で警察沙汰の騒ぎであるが、夜中であり、目撃者はいなかったため、九尾が女性の記憶から翼君と今日の出来事を消去することで、ニュースで取り上げられることはなかった。
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