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6夏休みと帰省➁~汐留悠乃の実家~(1)

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 私のくそ父の実家は、私の家から日帰りで帰ることが可能な地域に位置している。とはいえ、県外で田舎であるそこに帰省するのは、年に二回、お盆と正月だけだった。

「お母さんは、おばあちゃんたちが嫌いなの?」

 幼稚園の頃だっただろうか。ふと思いついたことをくそ母に聞いてみたことがある。あの悲惨な事件の前だった気がする。私が母親のことを普通だと思っていた時期だ。

「別に、嫌いではないけど、苦手なことは確かね」

「どうして?おばあちゃんたち、きさきたちに優しいよ。でも、お父さんの弟っていう人は苦手だな。きさきたちをへんな目で見てくる気がする」

「あんの、くそ男、義弟と言えども、許すまじ!」


「どうしたの?雲英羽さん、なんか怒ってる?」

 私とくそ母が話しているところにくそ父がやってきた。妹の陽咲は、最近買ってもらった絵本に夢中だった。

「悠乃さん、ええと、その……」

「お父さんのおばあちゃんたちを、お母さんは嫌いみたいなのはどうしてなのか、聞いてみたんだよ!」

「き、喜咲!」

「そうか。あのね、喜咲ちゃん、人間、相性っていうものがあってね。お母さんとうちのおばあさんたちは、相性が悪いんだ。相性が悪いとね、どうしても嫌いって感情が出てしまうんだ」

「あいしょう?」


 私がくそ父の言葉に首をかしげると、母親が相性についての具体的な説明をしてきた。すでにこの頃から、自分の性癖を娘に隠すつもりはなかったらしい。

「相性っていうのはね、とっても大事なの。例えば、BL(ボーイズラブ)でいうところの、受け攻めの相性で言うと、どっちも同じ性格、俺様×俺様はいけるけど、逆に気弱×気弱はいまいちみたい感じかな。俺様同士だったら、強気な感じでとっても萌えるけど、気弱同士だと、どうしても押しが弱くて、いつまでたっても、関係が進展しないから、ダメね。いや、これはこれでありか。いや、私的には相性が合わない?」


「ぼーいずらぶ?」

「それから、俺様攻め×気弱受けっていうのは、王道の相性の良さよね。反対属性同士で相性はいいから、そういうのはありかもね。他には……」

「雲英羽さん、それくらいにしなよ。喜咲ちゃんが困っているよ」

「あらあら、子供には難しい話だったかしら、ごめんね、喜咲ちゃん」



「そうそう、雲英羽さん、今年のお盆の帰省の話だけど、いつなら僕の実家に寄れそう?うちの両親がいつ来るのかって話をしていたんだけど」

「そうねえ。私は別にいつでも構わないわよ。予定は特に入っていないし」

「わかった。それなら向こうの都合に合わせることにするよ」


 この頃は、まだくそ母とくそ父の両親の仲は普通だった。しかし、この年のお盆での些細なことで喧嘩となり、それ以降仲が悪くなってしまったような気がする。




「ねえ、どうしてあのくそお、お母さんと、くそち、お父さんのとこのおばあさんたちは仲が悪くなったんだっけ?」

 父親が電話を終えるのを待ち、私は質問する。幼稚園の頃に一度聞いてみたことを思い出す。その時はごまかされてしまった。いや、その時はまだ互いに苦手意識を持っていただけだったのだろう。質問した後に何かあったはずだ。何がきっかけで彼女たちの仲が決定的に悪くなったのか、私は知らなかった。


「いきなりどうしたの?」

「別に、ただ、今日友達と一緒にご飯を食べたんだけど、その時に、お互いのおじいさんおばあさんの話が出て、ちょっと気になっただけ」

「ふうん、まあ、喜咲たちも高校生になったし、いい機会かもね。雲英羽さん、そう言うことだけど、僕の口から話してもいい?」


 くそ父は、近くにいたくそ母に話をする許可を得るために話しかける。

「いいけど、面白くもない話よ」

「私も聞きたい」

 陽咲も興味があるのか、前のめりで話を聞く態勢をとっていた。

「そうか。じゃあ、雲英羽さんの言う通り、あまり面白くない話だけど、話してみようか」


 こうして、父から、母親と自分の親との仲が決裂した話を聞くことになった。









「いらっしゃい。雲英羽さんも喜咲ちゃんも陽咲ちゃんも、どうぞ上がって上がって」

「お邪魔します」

 お盆のちょうど真ん中あたりに悠乃たちは、悠乃の実家に帰省していた。

「おお、来たか。ちびたち。少しは大きくなったか?」

 悠乃の両親の実家には、両親の他に、悠乃の弟が住んでいた。悠乃とは五歳ほど年が離れていたが、喜咲たちが幼稚園に上がる頃には、すでに成人済みだった。しかし、悠乃の弟は俗に言う引きこもりで、高校卒業後、就職先を一カ月で辞めてしまい、それ以来、ニート生活を送っていた。定職にはつかず、バイトをしながら親のお金で暮らしていた。

 弟のことは、悠乃たち家族の大きな悩みの種だった。すでに成人済みの息子が定職にもつかず、親のお金で暮らしている。何度も定職に就けと両親が説得しても、そのたびにのらりくらり交わされて、どうにもならない状態が続いていた。

 そんな弟の部屋には、壁の本棚いっぱいに美少女のフィギアが置かれていた。どれも露出度が高く、ほぼ裸状態のものもあった。



「久しぶりだな、相変わらず家に引きこもりの生活をしているのか?いい加減に自立したらどうだ」

「悠乃兄に言われたくない。僕は悠乃兄みたいに優秀じゃないし、それに、女性に妥協はしたくないからね。でも、もったいないよね。女子からモテモテだった自分の兄が、何をとち狂って、そこの地味女と結婚したんだか。弱みでも握られたの?弟として悲しい限りだよ」

「おまえ、いい加減にしろよ!雲英羽さんはとてもいい人だ。今の言葉を謝罪しろ!」

「気にしないで、悠乃さん。それと、義弟さん、私は悠乃さんの弱みは握っていないから安心して。それに」

 こっそりと悠乃の弟の耳もとでささやく雲英羽の言葉を悠乃は聞き取ることができなかったが、その言葉に弟の目は大きく見開かれた。彼女の言葉に驚きを隠せないようで、何を言ったらいいのかわからず、口をパクパクさせていた。そして、少し目をつむってから、はあと大きなため息をつく。

「悠乃兄、オレ、誤解してた。お兄にそんな趣味があったなんて。オレも人には堂々と言えない趣味があるからな。うん。ごめんなさい」

「そうか、わかってくれたならいいけど。とりあえず、俺ではなくて、雲英羽さんに謝ってくれ」

「雲英羽さん、すいません」

 突然の態度の変わりように悠乃は困惑していたが、特に言及することはなかった。


「申し訳ありませんね。うちの愚息が失礼なことを言いまして。こんなところで長居はさらに失礼になりますので、ささ、上がってください」

 悠乃の母親の言葉に、ようやく悠乃たちは玄関から上がり、部屋に踏み入れるのだった。






「そういえば、悠乃、雲英羽さん、聞いて頂戴。うちの田舎に、彼らが来てくれるのよ。すごいでしょう!これを見て!」

 畳の間に案内された悠乃たちが用意された座布団に座ると、同時に悠乃の母親が興奮気味に話し出す。悠乃たちに一枚のチラシを見せてきた。

『相撲の地方巡業?』

 悠乃と雲英羽が声をそろえ、チラシに書かれている内容を口に出す。

「そうなのよ。何しろ、うちの田舎には昔、有名な力士が出たのよ。その彼の死後五十年ということで、特別に回ってくれるそうなの。来年の四月に春巡業としてくるのだけど、今からそれがとても楽しみで」

「そうなんですか。すいません。私、相撲については詳しくなくて」

 雲英羽が申し訳なさそうに口を開くが、悠乃の母親は気にしない様子で、興奮状態で相撲の魅力を全力で語りだす。悠乃は苦笑いをしているが、止めることはしなかった。こうなった母親を止められないと知っていたからだ。

「相撲というのはね、日本の伝統的なスポーツで、日本の国技でもあるの。男同士が裸でぶつかり合う激しい様子が、何とも魅力的でしょう。何より、あの大きな体同士のぶつかり合う様子なんて、想像しただけでよだれものでしょう」

「はあ」

「悠乃も志乃も、相撲に興味がなくてね。私も妻と同じ相撲ファンなんだが、私だけではつまらないと言っていてね。雲英羽さんが相撲ファンになってくれると私たちはうれしいんだが」

 悠乃の母親だけでなく、父親も相撲ファンだった。畳みかけるように、雲英羽に相撲ファンになるよう強要している。

「それは無理だと思うよ。だって、雲英羽さんは……」

 両親の言葉に対して、悠乃は、それは無理だと伝え、理由も説明しようとした。しかし、それは雲英羽の小さなつぶやきによって遮られた。


「男同士の激しい裸のぶつかり合い……」

「雲英羽さん、何を考えてい」


「そうですよね。わかりました!お義母さんが相撲をこよなく愛している理由が!お義母さんって、案外、私と似たような趣味なのかもしれませんね」

「あらあら、相撲の良さを理解していただけたと思っていいのかしら?」

「ええ、よく考えたら、相撲の男の裸同士でのぶつかり合いは、BLでのあれ、みたいなものですよね。全力で、裸でぶつかり合うというのは、とても素晴らしいことです。口以外でのコミュニケーション方法ともいえます!それを競技としてやっているとは、いやはや、相撲とはなんと奥深い競技……」

「そうでしょう、そうでしょう!相撲って、見れば見るほど奥深いものなのよ。何より、あの大きな肉体同士での戦いっぷりには、毎回ドキドキしちゃうわねえ」

「わかります。わかります!ドキドキする気持ち。裸での戦いなんて、ドキドキ以外にも、ときめきや感動を私たちに与えてくれますよね。あの運動した後の汗もいいですよ、一生懸命運動した後の男同士の話し、なんてのもまた一興です」

「競技を終えた後のことにまで目を向けているなんて、実は雲英羽さんは、相撲の隠れファンだったのね。私も、競技後の彼らもまた素敵だと思うわよ。あのコメントを言っている姿と、髪を結ってもらっている姿も好きよ」

 なんとなく、いやかなり二人の間で話が食い違っている。かたや、BLの魅力を語っているに過ぎないし、もう片方は純粋に相撲の魅力を説明している。そろそろ止めに入らないとやばいと感じた悠乃は、二人の間に口をはさんだ。

「雲英羽さん、うちの母さんと話すのはいいけど、ほどほどにしておかないと。たぶん、雲英羽さんと母さんの間には、絶対に越えられない壁があるとおも」


「決めた!私はあなたのことを実の娘だと思うことにします。こんなに相撲の魅力を知っている子がうちの家に来てくれたことは運命だわ!」

「私も、お義母さんとは趣味が合わないかと思っていましたけど、それでも大元は同じ趣味と言えるでしょう。ある程度の違いは人間、妥協します!」


『なんて素晴らしき、同胞よ!』

「ふむ、仲が良いことはいいことだ」


 二人は、悠乃の話を完全にスルーして、意気投合をし始める。手をがっちり握り合い、何やらお互いの信頼を高め合っていた。その隣では、悠乃の父親が二人の仲がいいことに感心していた。喜咲と陽咲は退屈過ぎて、悠乃のひざの上でウトウトしていた。


「ああ、でも私はデブ専ではないです。いくら、男の裸が好きでも、そこは譲れません」

「えっ?相撲の魅力はあの、ふくよかな身体でありつつも、その下の筋肉によって動く身体の神秘がいいんじゃないのかしら?」

「いやいや、そんなわけありませんよ。それに、私はイケメンが好きなんで、あの相撲の髪を結っているのもなんとも言えないですね。別に日本の国技をバカにする気はないですが、それでも、好きにはなれませんね」

『えっ?』

「き、雲英羽さん、そろそろ僕たちはお暇しようか。そういえば、雲英羽さん、最近はまっているあの作品のコラボカフェが当選したんだったよね。それって、確か明日だったよね。確かそうだ!じゃあ、その準備もかねて、もう帰ろうか。いや、僕と一緒に今すぐ帰りましょう!」


「ちょっと、悠乃。私はまだ雲英羽さんとお話を」

「ごめん。これ以上はダメだ。このままだとやばい方向に話が進んでいきそう。だから」

「そんなことはないわ。だって、私とお義母さんは、大元はつながっている。私たちは、れっきとした、ふじょ」


「かあさん、じゃあね。また会える日を連絡するよ」

 最後まで雲英羽に言葉を言わせる前に、悠乃は、雲英羽と自分の娘たちを連れて、汐留家の実家を後にした。

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