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2汐留家の日常③~父親(2)~

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 そんな感じで楽しく高校教師の仕事をしているわけだが、当然仕事なので、嫌なこともたくさんある。

 オレが最も嫌だと思うことは、教師の時間外労働、いわゆるサービス残業の多さだ。世間でも公になり始めているが、教師の残業時間はすごいことになっている。オレも高校教師になりたての頃は、残業は当たり前で、授業の準備などで深夜まで高校に残って仕事をしていた。きっと、多くの教員が経験するだろう。そんな生活をしていたのだが、その時はそれが普通だと思い、特に気にせず、とにかくがむしゃらに働いていた。



 そのことに違和感を覚え始めたのは、雲英羽さんと結婚してからだ。彼女と触れ合う時間が少ないことに気付いた時は絶望した。お金を稼いで彼女を養うことは大切だが、それ以上に彼女とのコミュニケーションも大切にしたい。雲英羽さんとの時間も大事にしたいが、子供がいる今は、子供たちとの時間も増やしていきたいと思っている。

 オレは、残業時間を減らすための努力をした。授業の準備も、生徒には申し訳ないと思ったが、ある程度で妥協することに決めた。オレにとっては、仕事より家庭の方が大切だったからだ。

 授業の準備を妥協し、他にも無駄な書類を作るのもやめた。教師になりたての頃、先輩教師から、学級通信なるものを発行した方がいいと言われて作成していたが、その頻度を一週間に一回から、一カ月に一回に減らすことにした。よく考えたら、最初は楽しんで作っていたが、途中から面倒になり、作成が苦痛に思えたので、減らして正解だった。

 他にも、自分の事務関係の書類の作成の単純化を計ったり、昼休みの休憩時間を減らして仕事をしたりと、何とか残業を減らす努力をしてきた。

 その結果、オレは夜彼女たちと過ごす時間を増やすことに成功した。彼女たちと一緒に夕食をとることはそれでもできていないが、夜八時頃には帰宅することができるようになった。

 まあ、そんな勤務態度なので、将来の出世は見込めない。とはいえ、オレは校長まで上り詰める性格ではないし、そこまでの出世欲もない。家族を安心して生活できるだけの稼ぎがあればそれでいいので、これからもこの生活を変えることはないだろう。雲英羽さんも、オレの出世が見込めないことは百も承知だが、別に構わないと言ってくれている。出世できなくても、オレには関係のないことだった。



 残業時間を減らすことに成功したオレだが、自分の努力だけでは解決できない仕事もあった。多くの高校生が青春をかけているという、部活だ。オレは部活に青春をかけておらず、むしろ嫌な記憶しかないが、それも感じ方次第だろう。

 オレは、今年から赴任した高校で、陸上部の顧問をすることになった。学生時代に入部していた部活だが、弱小だったので、知識というものはほとんどない。一般人に毛が生えた程度なものだ。しかし、与えられた仕事はしなくてはならないので、少し勉強することにした。

 しかし、オレはあくまで学校より、家庭の時間を大切にしたい。そのため、オレはある決断をした。

「平日の一日は休息日にして部活を無しにする」
「土日、祝日の部活は原則禁止(大会、練習試合等を除く)」

 この二つを掲げて部活に取り組もうとしたが、どうにもまだ部活に対して青春をささげたい高校生、保護者は大勢いて、猛反発をくらった。


「先生、平日に休みを入れる意味がわかりません」
「土日休むとか、先生は部活に対して、やる気あるんですか」
「そんな練習時間で、うちの子が大会を逃したらどうしてくれるんですか」

 そんな猛反発をくらっても、オレは彼らに負けることはなかった。オレだって人間であり、自分の生活があるのだ。彼らのことをいちいち聞いていたら壊れてしまう。


「私もあなた方と同じ人間ですよ。私にだって家庭はあります。365日24時間あなた方の生徒に構っている理由はありません」

「そこまで部活に熱心ならば、地域のスポーツクラブや家での自主練をするべきではないですか。学校にそこまで面倒を見る義理はありません」

 オレは、生徒や保護者、果てには熱血なのか、ただの脳筋野郎なのかわからない部活青春派の人間の猛攻に耐え、見事部活の休みをもぎ取ることができた。ただし、さすがに土日完全週休二日は認められなかった。妥協案として、土曜日の午前は部活をやることになった。






「お父さんって、日曜日に部活に行かないよね。確か陸上部の顧問だって言っていたけど、大丈夫なの?あと、合宿とかそういうのもないみたいだね」

 ある日曜日の朝、遅い朝食を家族と一緒に食べていると、喜咲に質問された。別にやましいことはないので、正直に答えることにした。

「部活は、休日は土曜日の午前中だけと決めている。それ以外は大会とか、練習試合とかの例外を除いて休みにした。合宿なんて面倒な仕事、僕はやらない」

「それはまた思い切った決断だね」

 喜咲は驚いたようだった。どうやら、喜咲の学校ではまだ、部活に対して青春や命を懸けている生徒や先生が多いらしい。

「喜咲は、部活はどうしたんだ?」

「私は美術部にした。運動部に入って、貴重な休みを減らしたくないし、部活の雰囲気って嫌だから」

「私もそれには同感かも。私もああいう、部活に命を懸けている連中嫌いだからね。私も美術部に入ればよかったかな。でも、調理部もなかなか面白そうだったし」


 一緒に朝食を食べていた陽咲も会話に入ってきた。そばで話を聞いていたらしい雲英羽さんも発言する。

「あらあら、みんな部活に消極的ねえ。これは教育を間違えたかしら?」

 まるで心のこもっていない発言に苦笑してしまった。雲英羽さんもオレと同じで部活を嫌っている派だったはずだ。


「間違えたのは部活じゃなくて、その腐った脳みそだろうが」

「喜咲って、本当にお母さんが嫌いねえ。でも、三次元で部活に熱血なのは、お母さんには無理ね。そんな熱血は二次元だけで満足だわ」


 喜咲と雲英羽さんが口喧嘩を始める。それをニコニコしながらも、止めようとしない陽咲。いつもの光景である。こんな緩やかな朝を眺められるのは、部活を休みにしているからこそのものである。


「でも、お父さんみたいな先生の方が私は安心できるかも」

 ぼそっとつぶやいた喜咲の言葉はオレには聞き取れなかったが、隣にいた陽咲には聞こえていたようだ。

「うわあ、気持ちはわかるけど、喜咲、それはやめておいた方がいいよ。あれは確かに優良物件かもしれないけど、手を出さない方がいいし、手を出すのなら、私の方が」

「ひさきいい」


 オレは今後もこんな緩やかな時間を作っていくために、学校の仕事はほどほどにやっていこうと心に誓うのだった。

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