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待て待て待て、結婚とかまだ早いから!!

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思い返せば伯爵夫人あのひとは、ずっと傍にいて厳しく叱咤し、そして力強く励ましてくれた。
カノンを見出し、拾い上げて、その辺の貴族令嬢には決して引けを取らない淑女へ育ててくれた。

最後の詰めで失敗はしたけれど、王妃になってこの国を自分のモノにする、なんて途方もない夢を追いかけられたのも、伯爵夫人が居てくれたから。

あの人とならどんな途方もない計画だって、不可能じゃないって信じられた。だから……

タリサにとって私も、そんな存在になりたい。ならなくっちゃいけない。
あの子の才能を、家の都合なんかで潰させはしない!!

城の上階にある自室に着いたカノンは、勢いよくドアを開けて中に入ると、まずはしっかり施錠をした。
窓も閉めてカーテンを引き、密室に独りきりという状況を作ると、壁際にある鏡台の前の椅子へ腰を下ろす。

化粧直しする訳ではないが、一番下の抽斗ひきだしから昨日使った秘蔵の小箱を取り出して台の上に置くと、さっそく蓋を開ける。

きちんと並んだ化粧品の数々に、今は用は無い。
箱の側面を飾っている赤や緑の輝石を、カノンが知っている順番で五回押すと、カチッと音がして化粧品の壜や缶が少し揺れた。
箱の下部に隠されている二重底の蓋が浮き上がったのだ。

それからカノンは化粧品をすべて箱の外に出し、底面の薄い板を慎重に持ち上げると、整然と並んだ色とりどりの小壜が十二個、現れた。
中身はもちろん、化粧水でもクリームでも香水でもない……

目当ての物は、だいたい真ん中の辺りにあった。
表面に哀しげな表情の人魚が彫り込まれた青い壜を取り出すと、カノンは口の端を吊り上げて、とびっきり邪悪に微笑む。

奇跡ってのはね、起きるのを待つものじゃなくて、自分の力で起こすものなのよ。




* * *

その夜、午後の勉強……住み込みの家庭教師による歴史書の読み合わせと書き取り……を終え、夕食を摂り、明日の予習と夜のお祈りも済ませ自分の部屋に戻ったタリサは、寝間着に着換える前に衣装箪笥クローゼットから小さな木箱を取り出した。

タリサの両手の平にすっぽり収まってしまうくらいの大きさしかないそれは、幼い頃からの大事な宝物。

ゆっくりと移動してベッドの端に腰掛け、その箱を膝の上に乗せたタリサは、そっと蓋を開ける。
すると小さな小さな硝子細工の回転木馬が、箱の中から現れた。

カラフルな丸い屋根の下、金色の鞍を背に乗せ、たてがみを靡かせる三頭の白い馬。
いつ見ても可愛らしくて、ついつい笑みが零れてしまう。

箱の側面についているゼンマイをひねると、箱の底のほうから耳に馴染みのある子守唄が流れ出し、それに合わせて硝子の馬達も動き始める。

くるくると滑らかに回るミニチュアの遊具を見つめながら、タリサはうっすらと唇を開いた。

「眠れ愛し子、星のささやきに耳すませ、夜風が運ぶ雲の上、月のゆりかごで楽しい夢を……
やがて空の明るさに、目覚めた小鳥が鳴く頃に、戻っておいで、可愛い子」

箱の中に内蔵された金属の仕掛けが奏でる、やや外れ気味の音程に合わせて子守唄を口ずさんでいると、否応もなく父の顔を思い出して胸が痛くなる……

でも、それでいい。
毎日この時間、眠る前のひとときだけは父を想ってもいいと、決めているから。

『タリサは本当に歌が上手だね。どこの国の歌姫だって、お前よりキレイな声では歌えないだろうよ』

タリサが歌うと、父はいつもそう言って褒めてくれた。

物心ついた時からタリサは父と二人きり、旅の劇団や音楽隊を転々として今よりずっと質素な暮らしをしていたが、あの頃の自分を不幸せと思ったことはない。

父は陽気で楽器の腕前も歌唱力も抜群だったし、雑用の手伝いだって文句言わずやったから、父娘はどこに行っても歓迎してもらえた。

母親の顔を知らずともタリサの周りにはいつも歌い手や踊り子など、美しく個性的で魅力のある女性が居たから……たぶんその中には父の恋人だった女性も何人かいただろう……淋しくはなかった。

お金が無くとも父は周りの大人達が『まったく、とんでもない親バカだ』とからかうくらいタリサを可愛がり大事にしてくれたし、不満なんて一つも無かった。

そんな暮らしの中で、ある小さな港街に滞在していた頃に父から貰ったこのオルゴールは、貴族の持ち物にしてみたらチャチな安物かもしれないが、放浪の旅芸人にはかなり高価な品だ。

けれど、街の雑貨屋でこれを見つけたタリサがその精巧さと可愛らしさに一目惚れし、欲しいとは口に出さずとも毎日毎日、店先をウロウロして眺めていたものだから、無理をしてその年の誕生日に買ってくれたのだ。

今日みたいに穏やかな夜だった。

街の片隅にある安宿の一室で、咽喉から手が出るほど欲しかったオルゴールを貰ったタリサは、興奮して狭い部屋の中を跳ね回った。

父は優しく笑いながら、そんなにピョンピョンしていたら落として割ってしまうよ、と嗜めて娘を抱き寄せ、膝の上に座らせた。

後ろから包み込むようにタリサを抱いた父は、手を取ってオルゴールの使い方を丁寧に教えてくれた。
箱の中から子守唄が流れ出して、二人で声を揃えて歌っているうちに、はしゃぎすぎて眠くなってきたタリサの髪を撫でながら、父は穏やかな声で語りかけてきた……

『なあタリサ、もしもこの先、お前の歌を聞きたいって願う人がいたら……
それがどんなに憎まれている、悪いことをした人だったとしても、歌ってあげてくれるかい?』

『どういう意味?パパ』

眠い目をこすりながら、幼いタリサは問い返したものだ。

『あたし、わるい人のために歌いたくない。わるい人なんてキライだもん』

『はは、そうだね。お前の嫌いな人や、許せない人には歌わなくたっていいよ。
自分の音楽には、誇りを持たなくっちゃね。

……でも、もし、お前の歌を愛し、もっと聞きたいっていう人が居たとして、
その人が世間からは悪人とか、重罪人とかって呼ばれる者だったとしても、タリサがその人の為に歌ってもいいと思ったなら……

歌って、聞かせてあげてほしいんだ。
お前の歌声は、聞いた者の心に響く。特に悲しみや苦しみを抱えている傷ついた人の心には、深く。

そういう声を、神様から与えられている人はね、この世界に何人もいないんだ。お前は特別な子なんだよ……

だからタリサ、できる限りでいいから、たくさんの人に歌ってやっておくれ。
そうすればきっと、お前の心も救ってもらえて、幸せになれるから』
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