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待て待て待て、結婚とかまだ早いから!!

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人が下手したてに出て黙ってりゃあ、つけ上がりやがってブス共が……
でも、ここでぶちギレて言い返したら相手の思う壺だ。

グッとドレスの裾を握って耐えていると、いつの間にか近くへ来ていた伯爵夫人が、カノンと令嬢の間にすっと割って入った。

『|養女《むすめ』が失礼を……
それはそうと、もう少しメイドの教育をちゃんとしておくべきですわね』

老齢とはいえ、長身でまっすぐ背筋の伸びた、並外れて高貴な女性が相手では、中途半端な家柄の小娘に勝ち目などない。

伯爵夫人の瞳から放たれる、凍てつくような鋭い眼光にメイドも令嬢も怯んでいるうちに、夫人は自分の上着をカノンに羽織らせ、その肩を抱いて歩き出す。

颯爽とした足取りで夜会が開かれている広間を後にした伯爵夫人を、主催した貴族の夫婦、先ほどの令嬢の両親が追いかけてきた。

青褪めた顔で必死に謝罪を繰り返し、汚れたドレスを弁償させてほしいと申し出たが、夫人はカノンを庇いながら取りつく島もなく進み続け、

『もうよい。あなた方の客人に対するもてなし方は、よく解りました。
ドレスに払うお金があるのなら、それでマナー講師でも雇って、娘を一から躾け直すのがよろしいでしょう』

吐き捨てるようにそう注意してロビーを抜け、外に待たせていた馬車に乗り込んだ。
伯爵邸を目指して馬車が走り出し、騒ぎのあった屋敷から離れると、伯爵夫人は忌々しげに溜め息をついた。

『まったく、舐められたもんだよ……とんだ災難だったね、カノン』

どうやら気遣ってくれているらしいが、カノンは何も返せなかった。

ウエストをぎゅっと絞った銀のドレス、仮縫いの時からお気に入りだったのに。
今日初めて袖を通してみたら、昔話に出てくる幸せなお姫様にでもなったような気分になれて、踊るのも楽しかったのに。
たった一晩で、こんな……

『いつまで落ち込んでるんだい。帰ったらすぐに、言葉使いのレッスンをしないと。
さっきみたいに、とっさの時に庶民の口ぶりが出るようじゃ、まだまだ胸を張って伯爵令嬢とはいえないからね。
泣いている暇なんてないよ』

『…ムリよ、もう!!あたしが令嬢なんて、なれるわけないじゃない!!』

どうにか堪えていた負の感情が、とうとう爆発し、カノンは叫んだ。

どうせ生まれも育ちも貧民街の片隅、その辺のドブを走り回っているネズミと変わらないような出自で、ご令嬢の真似事なんて無理なんだ。

どこに行ったって今夜みたいにバカにされ、嗤われるのがオチ。王太子の心を射止めて未来の王妃なんて夢のまた夢、叶いっこない夢なんだ……

両目から涙を撒き散らし、嗚咽しながらそう嘆くカノンを、伯爵夫人は黙って見つめていた。
溜まっていたものを言葉にしてぜんぶ吐き出したカノンが、ただしゃくり上げるだけになると、夫人はまた一つ小さく息をついて、

『……まったく、馬鹿な子だよ。何にも解ってないね』

静かな声でそう言った。

きっともう、出来の悪いカノンに呆れ、見限るつもりなんだと思ってまたいっそう悲しくなったが、そうじゃなかった。

『もしアンタがろくに踊れず容姿もパッとしない、ただの冴えない女の子だったら、あのおバカな令嬢は何も仕掛けたりせず、ただ歓迎しただろうね。
何故だか解るかい?』

冴えない女の子が、歓迎される?

意味がわからずカノンが首を横に振ると、伯爵夫人はちょっと肩を竦めた。

『自分の脅威にはならないからさ。人間ってのは単純なモンでね。
自分より格下の者、こいつに今の地位を脅かされる心配はないだろうってどうでもいい存在には、心から優しくできる。

偽善とか、優越感ってやつだね。
弱い者に手を差し伸べて、感謝されたり称賛されるのは、誰だって気持ちのいいもんさ。

だけど、自分より能力の高い者が相手だと、そうはいかない。
特にそれが新参者ならば、よりいっそう怖いもんだ』

『怖い?』

『そう。攻撃性ってのは恐怖心の裏返しだからね……
今夜のアンタは、あの場に居た誰より美しく、華やかで、目を引く存在、まさしく夜会の主役だった。

ご令嬢はそれが気に入らなかったのさ。
本来なら自分が受けるはずの賛美、注目、ぜんぶアンタに盗られたと思い込んだ。
だからあんな幼稚な真似を……

いいかい?今夜、アンタを嗤ってたのは年端もいかない愚かな小娘どもだけで、大人や若い男はみんなアンタを心配し、ご令嬢には腹を立ててた。

あんな馬鹿馬鹿しい嫌がらせ、みんな茶番だと気づいてアンタに同情してた。
私はそれを見て、やっぱりアンタを選んで正解だったと確信したよ。

カノン、お前には並外れた美貌と、人を惹きつける力がある……
それが天性の輝きなのか、女の魔性なのかは知らないが、とにかくあんな三下令嬢なんかにゃ追いつけない、特別な人間に成り得る可能性があるんだ。

それを、こんなつまらない嫌がらせなんかで諦めるのかい。
庶民の出身だからこそ、負けん気も根性も貴族の娘以上にあると思ったけど、私の見込み違いだったかねぇ』

厳しくはあるがこれは、伯爵夫人からの最大の賛辞だ。

カノンは泣き腫らした目でじっと夫人を見つめながら、もう一度、首を横に振った。
否定の仕草ではあるが、覚悟を決めた意志表明でもある。

……私は、負けない。もう泣いたりしない。
この高貴で誇り高く賢明な女性が、こんな風に信じてくれているんだもの。

もう一度、私も、自分を信じてみる。
笑われてもいい、バカにされたって気にしない。いつか全部、見返してやるんだから……!!

言葉にしなくても、伯爵夫人はわかってくれた。ハンカチを渡されたから、受け取ってぐちゃぐちゃに濡れた目元に当てる。

『……帰ったら言葉遣いと、可愛く見える泣き方の練習もしないとねえ。
今のアンタの顔、ひどいったらないよ』

『わかってるわよ!!』

普段の調子で憎まれ口を叩く二人は、はたから見れば本物の母娘みたいに似ていたに違いない。

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