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令息だからって偉そうにしてんじゃねえぞコラ
⑤
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* * *
中庭でカノンと論争を繰り広げてから一夜が明け、昨日と同じ午後二時に差し掛かる頃、自室を出ようとしたマルセルはちょっと立ち止まって、壁に掛かっている鏡を覗き込んだ。
いつもは服の襟が曲がっていないか見るくらいだが、今日は新しい髪型がどんなものか確認する。
昨日、中庭から引き上げてから二時間くらい後に、執事が呼んだ腕利きの美容師とやらが来て、更に一時間半ほど掛けて散髪された。
髪を切るだけだからすぐ終わるかと思ったのに、ハサミを入れるだけでなく剃刀で梳かれたり香油をふりかけられたりして、何が何だかわからないままやっと終わった時には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「いやあ、やり甲斐がありました。
男前に磨きがかかりましたぞ、若様」
満足げにそう言って美容師…器用な指を持つ割りにでっぷり太った、快活で気のいい中年男…は手鏡を渡してきたが、あぁ確かにスッキリしたな~ということくらいしかマルセルには解らなかった。
しかし遅くまで働かせてしまった侘びも兼ねてたっぷり礼金を渡し、美容師を帰した後、城内でも洒落者と名高い若い騎士を呼んで忌憚ない意見を聞いてみたら、大変良い出来栄えだと評価された。
「サッパリしたのはもちろんですが、とても良くお似合いですよ若様。
今度は仕立て屋も呼んで、その髪に合う服も作らせたらどうです?
城内どころか、領地中の若い娘がのぼせ上がっちまうでしょうなぁ」
半分はお世辞だろうが、泣かせた女は星の数という噂の伊達男からお墨付きをもらって、ようやく安心できた。
その後も使用人達と顔を合わせるたび良い髪だと褒められ、特に女性からはウケが良かった。
今朝などマルグリットからも「あら、髪切ったの。いいじゃない」と言われた。
いつもはマルセルの外見などこの世で一番どうでもいいことの一つという感じなのに。
肝心のカノンは自分の部屋で朝食を摂ったのでまだ会っていないが、彼女の目にはどう映るだろう。
……昨日、タリサを怒鳴りつけたり、色々と王都での作法について教えてくれたカノンに礼の一つも言っていないことを謝りに行くだけだから。
新しい髪型をダシにして、またカノンと喋りたいとか、そういうアレじゃないから。
誰にともなく言い訳しながら中庭に出たマルセルは、離れのほうへ進む。
間もなく、昨日と同じくベンチに座っている二人の姿が見えてきた。
「……パルミネッラというのは、妖精の王女の名前なんです」
「へえ」
その名前なら、マルセルも知っている。今度の記念公演の演目だ。
どうやら来たるジェイデン・ホールでの舞台公演について、話しているらしい。
「とても美しい女性の姿をしていて、心優しく慈悲深く、父である妖精の王様から深く愛され、父王のお城がある広大な森の奥で幸せに暮らしていました。
でもある日、迷い込んできた人間の青年、若い狩人のベイオニールを助けたことがきっかけで、彼と恋に落ちるんです」
「ふんふん…人間と妖精のラブストーリーなのね。
それで、愛の精はどこで出てくるの?」
「第二幕の真ん中、物語だと終盤のほうですね。
二人の仲を絶対に認められない妖精の王様は、劇中で配下の妖精たちを使って妨害してくるんですけれど、どれも上手くいかず、ついにはパルミネッラを森の奥の高い塔に閉じ込めてしまいます。
恋人を救うべくベイオニールは森に入りますが、妖精の王が魔法で発生させた厚い霧に阻まれて塔に辿り着けず、このまま最愛の人に会えないのなら生きていても仕方ないと絶望し、自ら命を絶とうかというところまで追い詰められます。
するとそこに現れた真実の愛の精が、美しい歌声で彼を励まし、もう一度立ち上がるように促します。
彼女に勇気づけられたベイオニールが希望を取り戻すと、嘘のように霧は晴れて塔への道が開ける―――
これが今年の記念公演でマルグリットが演じる、愛の精の役どころですね」
「うーん、なるほど、お助け美少女か。
でもその、愛の精だって妖精なんでしょ?
王様に逆らっちゃっていいの?」
「そこがこの役の肝心なところなんですよ。
妖精の王にはこの世に二人だけ、支配できない精霊がいて、一人はいつ・どこで・誰を連れていくかわからない気まぐれな死の精。
そしてもう一人が愛の精なんです。
身分や種族、どんな隔たりがあろうとも真に愛し合う者達であれば、彼女の加護を受けこの世の何より強い絆で結ばれる。
だからいかに偉大な王であっても、それを断ち切ることはできないっていうお話なんです」
「へえ~~。何かちょっと、怖い気もするわね」
愛、という耳が痒くなる単語を何度も聞いたせいか、呆れた表情で苦笑いするカノンの横顔を、タリサはどうしてか真剣な顔で見つめていたが、やがて意を決した風で口を開いた。
「あの……実は私、あなたと王太子殿下が国じゅうの噂になってた時、この歌劇みたいだなって思ってたんです」
「ん?」
カノンは訳がわからないようで首を傾げるが、タリサはそんなこと視界に入らないようで、大きな瞳をキラキラ輝かせている。
中庭でカノンと論争を繰り広げてから一夜が明け、昨日と同じ午後二時に差し掛かる頃、自室を出ようとしたマルセルはちょっと立ち止まって、壁に掛かっている鏡を覗き込んだ。
いつもは服の襟が曲がっていないか見るくらいだが、今日は新しい髪型がどんなものか確認する。
昨日、中庭から引き上げてから二時間くらい後に、執事が呼んだ腕利きの美容師とやらが来て、更に一時間半ほど掛けて散髪された。
髪を切るだけだからすぐ終わるかと思ったのに、ハサミを入れるだけでなく剃刀で梳かれたり香油をふりかけられたりして、何が何だかわからないままやっと終わった時には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「いやあ、やり甲斐がありました。
男前に磨きがかかりましたぞ、若様」
満足げにそう言って美容師…器用な指を持つ割りにでっぷり太った、快活で気のいい中年男…は手鏡を渡してきたが、あぁ確かにスッキリしたな~ということくらいしかマルセルには解らなかった。
しかし遅くまで働かせてしまった侘びも兼ねてたっぷり礼金を渡し、美容師を帰した後、城内でも洒落者と名高い若い騎士を呼んで忌憚ない意見を聞いてみたら、大変良い出来栄えだと評価された。
「サッパリしたのはもちろんですが、とても良くお似合いですよ若様。
今度は仕立て屋も呼んで、その髪に合う服も作らせたらどうです?
城内どころか、領地中の若い娘がのぼせ上がっちまうでしょうなぁ」
半分はお世辞だろうが、泣かせた女は星の数という噂の伊達男からお墨付きをもらって、ようやく安心できた。
その後も使用人達と顔を合わせるたび良い髪だと褒められ、特に女性からはウケが良かった。
今朝などマルグリットからも「あら、髪切ったの。いいじゃない」と言われた。
いつもはマルセルの外見などこの世で一番どうでもいいことの一つという感じなのに。
肝心のカノンは自分の部屋で朝食を摂ったのでまだ会っていないが、彼女の目にはどう映るだろう。
……昨日、タリサを怒鳴りつけたり、色々と王都での作法について教えてくれたカノンに礼の一つも言っていないことを謝りに行くだけだから。
新しい髪型をダシにして、またカノンと喋りたいとか、そういうアレじゃないから。
誰にともなく言い訳しながら中庭に出たマルセルは、離れのほうへ進む。
間もなく、昨日と同じくベンチに座っている二人の姿が見えてきた。
「……パルミネッラというのは、妖精の王女の名前なんです」
「へえ」
その名前なら、マルセルも知っている。今度の記念公演の演目だ。
どうやら来たるジェイデン・ホールでの舞台公演について、話しているらしい。
「とても美しい女性の姿をしていて、心優しく慈悲深く、父である妖精の王様から深く愛され、父王のお城がある広大な森の奥で幸せに暮らしていました。
でもある日、迷い込んできた人間の青年、若い狩人のベイオニールを助けたことがきっかけで、彼と恋に落ちるんです」
「ふんふん…人間と妖精のラブストーリーなのね。
それで、愛の精はどこで出てくるの?」
「第二幕の真ん中、物語だと終盤のほうですね。
二人の仲を絶対に認められない妖精の王様は、劇中で配下の妖精たちを使って妨害してくるんですけれど、どれも上手くいかず、ついにはパルミネッラを森の奥の高い塔に閉じ込めてしまいます。
恋人を救うべくベイオニールは森に入りますが、妖精の王が魔法で発生させた厚い霧に阻まれて塔に辿り着けず、このまま最愛の人に会えないのなら生きていても仕方ないと絶望し、自ら命を絶とうかというところまで追い詰められます。
するとそこに現れた真実の愛の精が、美しい歌声で彼を励まし、もう一度立ち上がるように促します。
彼女に勇気づけられたベイオニールが希望を取り戻すと、嘘のように霧は晴れて塔への道が開ける―――
これが今年の記念公演でマルグリットが演じる、愛の精の役どころですね」
「うーん、なるほど、お助け美少女か。
でもその、愛の精だって妖精なんでしょ?
王様に逆らっちゃっていいの?」
「そこがこの役の肝心なところなんですよ。
妖精の王にはこの世に二人だけ、支配できない精霊がいて、一人はいつ・どこで・誰を連れていくかわからない気まぐれな死の精。
そしてもう一人が愛の精なんです。
身分や種族、どんな隔たりがあろうとも真に愛し合う者達であれば、彼女の加護を受けこの世の何より強い絆で結ばれる。
だからいかに偉大な王であっても、それを断ち切ることはできないっていうお話なんです」
「へえ~~。何かちょっと、怖い気もするわね」
愛、という耳が痒くなる単語を何度も聞いたせいか、呆れた表情で苦笑いするカノンの横顔を、タリサはどうしてか真剣な顔で見つめていたが、やがて意を決した風で口を開いた。
「あの……実は私、あなたと王太子殿下が国じゅうの噂になってた時、この歌劇みたいだなって思ってたんです」
「ん?」
カノンは訳がわからないようで首を傾げるが、タリサはそんなこと視界に入らないようで、大きな瞳をキラキラ輝かせている。
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