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やる気出ない日々に現れた、あなたは誰?

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「父は……素行が悪いわけじゃないんです。ただ貴族の暮らしが合わなかっただけで……一緒に旅してた頃は凄く楽しそうでした。

父の周りにはいつも人が居て、その人達のために父はリュートを弾いたり、笛を吹いたりして、私にも歌を教えてくれて……もう、ずっと前のことですけど」

父親のことを思い出したら切なくなったらしく、膝の上でギュッと拳を握るタリサを見ていると、貴族の暮らしが合わないのはこのコも同様だなとわかる。

昨日、記念公演や劇場の情報を集めるついでに、カノンはタリサとその父親についても色々な話を耳に挟んでいた。

タリサの父であるエミールという人は、マルセルとマルグリットの父であるクローベル公の長男と、三人続いて年子で生まれた娘達を兄姉に持つ五番目の子にして次男、そして末っ子であった。

芝居好きだったご先祖の血が濃く出たか、はたまた音楽の才があったという母親に似たか、幼少の頃から歌や戯曲に並々ならぬ関心と情熱を注ぎ、歴史書を読み込むよりも詩歌の暗証が得意で、剣術はからっきしだが踊りは誰にも負けないという人だったそうだ。

あまりに巧みに踊り、美しい声で歌うものだから、父であるクローベル公は毎年の記念公演で三人の娘達と一緒に舞台へ上げることを思いついた。

この提案をエミールはことのほか喜び、当日まで寝食を忘れて練習を重ねた。

その甲斐あって公園は大成功。当時14才だったエミールはほんの端役ながら美声と滑らかなダンスで観客の心をみごと掴み、お義理ではない本物の拍手喝采を浴びて―――……いよいよ演劇の世界に魅せられ、のめり込んでしまった。

それからというもの、エミールは剣術も座学もいっさいすっぽかして劇場に通い詰めて裏方の仕事を手伝ったり、町外れで小屋を建て庶民向けの芝居をしている旅芸人などとも交流を持つようになった。

平民達は面白がって令息に様々なことを教えるものの、城仕えの者達は当然ながらその放蕩ぶりを苦々しく思い、末っ子に甘いクローベル公もあまりいい顔をしなかったが、どうせ一時のことだろう、そのうち飽きると高をくくって遠巻きに見守っていた。

しかし令息の芝居への情熱は時間が経つにつれ冷めるどころか燃え上がっていく一方で、二年が経つ頃にはとうとう城へ帰ってこなくなった。

下町の安宿に連泊し劇場へ入り浸って演出など手掛けつつ、旅芸人の一座に混じって歌ったり笑劇を演じたりしているとの話を耳に入れ、さすがに危機感を覚えたクローベル公は衛兵をやって、ほぼ力ずくでエミールを城へ連れ帰った。

無論、帰宅したエミールは不平不満たらたらで、早く舞台へ戻してくれと懇願したが、クローベル公は許さなかった。

たとえ次男であろうとお前はれっきとした貴族の令息なのだから、下品な役者の真似事など金輪際してはならない。

これからは自分の立場をしっかり自覚し、クローベルの名を汚さぬよう貴族らしい振る舞いを見に着けよと、父親と兄から厳しく戒められたエミールは、渋々と口を閉じ二人に従うようになった。

今まで放り出していた勉強や武術の稽古も少しずつ再開し、人が変わったように真面目に取り組んでいる様は、クローベル公を大いに安心させた。

ようやくあの子も叶わぬ夢を追う時期は過ぎて、一人前の大人の顔になってきた。
そろそろ誰か良い家の娘を見つけて、結婚させてやらねばと動き出した矢先、エミールは置き手紙を残して忽然と姿を消してしまった。

たった一枚の便箋にしたためられた短い手紙には、どうか探さないでほしい、僕は城では暮らせない、ずいぶん迷惑をかけたけれど、皆どうかお元気でと綴ってあり、どこに行くかなどはいっさい書かれていなかった。

そうしてエミールが出奔したのとちょうど同時期に、彼が親しくしていた旅の一座も町を去っており、令息も城を出たのちにそこへ合流したのは明らかだった。

すぐに追っ手をかけようという提案もあったが、意外にもクローベル公は首を縦に振らなかった。

むりやり連れ戻したところで、きっとまたエミールは隙を見て出て行く。だから追うだけ無駄だ、と力なく言ったそうだ。

それ以来、何不自由ない暮らしと貴族の特権を捨ててまで自由な暮らしを選んだ末っ子の話は、城内では何となくタブーになっていたのだが、10年後に当の本人が幼い娘を連れて、ひょっこりと戻って来た。

令息帰還の報せを聞いた当主は、もう二度と帰ってこないと思っていたから喜びよりも戸惑いのほうが大きかったが、顔を見たら間違いなく自分の息子であったから、とにもかくにも城の中へ迎え入れた。

何があったか、今までどうしていたのかという家人からの問いに令息は、

「身分のない役者、音楽家としていくつかの劇団を転々としながら旅をしていたが、国境の辺りで少し問題が起きた。
命の危険を感じたのでいったん戻ってきたが、またすぐ出て行かなければならない。

勝手なことを言ってるのは承知の上だが、下働きとしてでもいいからしばらく城に置いてほしい。
家畜の世話でも靴磨きでも、何でもするから、頼む」

と、肝心なところは曖昧にぼかして答えるも、殊勝な態度で頭を下げてきた。
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