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麗しのカノン嬢は侯爵令嬢を断罪しようとして失敗したのだ。

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 夜会に参加しカノンを目にした上流階級の紳士淑女達は、こぞって彼女の名を口にした。

 ある者はその可憐さと無邪気な朗らかさを愛らしい妖精のようだと讃え、またある者は庶民ゆえマナーがなっていない、感情のまま表情をくるくる変えるのははしたない、とやっかみ半分で批判した。

 そうして良くも悪くも貴族達の話題の中心となり、一挙手一投足が注目の的にされていたカノン嬢の噂は、王宮で退屈していた王太子…容姿端麗・文武両道ながら気性が激しく高慢なことで有名なアンリ・シーシアスの耳にも入るようになった。

 貴族どもの話が本当なら、なかなか面白そうな娘だ、と感じた王太子アンリは、間もなく王国西部を治める大貴族デニエ侯爵の息女ユージェニアとの結婚を控えた身でありながら、

 その前に身分の低い娘と火遊びするのも悪くなかろう、などというゲスな考えのもと、伯爵夫人が主催する冬の仮面舞踏会にお忍びで参加し(バレバレだったけど。ウケるww)、お目当ての令嬢、カノンと出会い―――

 人生初の、本気の恋に落ちた。

 貴族が着る気取った重苦しいドレスではなく、平民が纏う訪問着に近い、ワイヤーも飾り石も縫い込んでいない簡素な服に身を包み、踵の低い靴で軽やかに駆け回り、自身の喜怒哀楽を隠さずよく笑いよく泣くカノンに、アンリは一目で魅了された。

 わずかに会話を交わしたその夜以来、何かと理由をつけて彼女を宮殿へ呼び寄せたり、自らが伯爵邸を訪ねたりして逢瀬を重ね、日を追うごとに王太子が彼女へと寄せる想いは強く深くなっていき、ついにはカノンを生涯の伴侶として傍に置きたいと願うようになった。

 もちろん、一国を背負う次期王であるアンリに、そんなことが許されるはずもなく。

 意を決して父である国王に現在の婚約を破棄しカノンを王妃として迎え入れたい旨を申し出たところ、当然ながら断固反対、自分の立場をよく考えろと叱責され、父王ばかりか周囲の大貴族からも苦言を呈される始末。

 いくら可愛らしいとはいえ庶民との結婚を望むなんて、王太子は気でも狂ったのではないかと口さがない宮廷の人々から噂され、カノン嬢は男の心を惑わす魔女だなどと罵られて。

 ついには正式な結婚の前の遊びならばと二人の仲に目を瞑っていた国王からも、二度と会うことはならぬと厳しく言い渡され、引き離された若い二人のまっすぐで純粋な恋は、哀れにも永久の終わりを迎える―――はずだった。
 カノンが評判通りの、素直で心優しく愛情深い少女であれば。

 殿方の夢を壊すようで忍びないがカノンから言わせてもらえば、そんな女いるかボケ、だ。

 いたとしてもスラムじゃ生きていけないだろう。
 生き馬の目を抜くどころか、皮も肉も剥ぎ取って内臓はらわたさえ啜り食らうくらいの精神じゃなければ渡っていけない世の中を、カノンは13才まで自分の力だけで生きてきたんだ。

 あの頃のことはできるだけ思い出したくないが……随分と理不尽で惨めな目に遭ってきたものだ。

 働いていた商家でわずかなチップ欲しさに、客が面白がって床に投げつけた小銭を這いつくばって拾うなんてしょっちゅうあったし、
 酒の席の余興として動物の物真似をして笑われたり、太って醜い中年男の客が一口だけ齧った果物を食べろと言われたことも。

 そんな吐き気のするアレコレが当たり前にあるクソみたいな日常で、一番悔しかったのは、地元の貴族連中が貧民への慰問だとかいって、近くの教会へ施しに来る時。

 自分のわずかな稼ぎでは絶対に買えないような、甘い砂糖菓子や小さなケーキなんかを無償で配ってくれるから、それを目当てに通っていたのだけれど、あまり好きな時間ではなかった。

 いい服を着て、時計やアクセサリーで金ピカに飾り立てて、ツヤツヤの肌に白粉を塗ったくった連中から、

「あなたみたいな若い子が、可哀想に……希望を捨てず頑張って生きなさい」

 なんて声をかけられるたび、腹の底からドス黒い怒りが込み上げてきた。
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