上 下
43 / 63

42

しおりを挟む

十一年前ー。



手の平にまだ生々しい感覚が残っている。今し方、生まれて初めて人を斬った。
父である国王に、まだ薄暗い早朝に呼び出され、向かった先は監獄だった。父の後ろについて行くと、とある牢の前で足を止めると見張りの兵士に鍵を開けさせた。中に入る様に促され、ヴォルフラムはそれに従う。

『な、何だ⁉︎離せっ‼︎』

兵士等に拘束され布で目隠しをさせた中年の男は、予期せぬ事態に混乱し叫び身動ぐ。だが確りと押さえ付けられ、今度は口も布で塞がれた。

『ヴォルフラム』

ガチャッン‼︎ー。

静まり返る牢に、金属の音が響いた。
父は名前を呼ぶと、ヴォルフラムの前に剣を放った。父を見遣ると、何時もと変わらず無表情だった。そして一言だけ言い放つ。

『斬れ』

その瞬間、全身が粟立つ感覚を覚えたが態度には出さない様に注意した。父に知られたら叱責される。何でもないフリをしながら、剣を拾い鞘から抜いた。練習用の木剣とは違って、重い。それは物理的な重さと精神的な重さだ。

ザシュッー。

ただ終わってみると呆気ないものだ。地べたに流れる血と壊れた人形の様に動かなくなった男をヴォルフラムは無表情で見下ろした。父は何も言わず踵を返し、ヴォルフラムも血の付いた剣を地べたに放り投げその場から去った。

その日、ヴォルフラムは何時も通りに過ごした。座学をこなし、剣術をこなし、気付けば夕刻だった。だが何時もと違い、疲労感が凄い。一人になりたくて、侍従等を追払い一人中庭に出た。
衣服が汚れる事など気にせずに木に寄り掛かると、そのままズルズルとその場に座り込み目を伏せる。

疲れたー。

毎日毎日、息吐く暇すらない。座学に剣術、礼儀作法など兎に角やる事が多い。常に監視され、ゆっくりと食事すら出来ない。少しの失態も赦されず、全てに置いて完璧でなければいけない。もし失態をすれば直ぐに父に報告され、罰を受ける。
ふと一つ歳下の弟が頭に浮かぶ。お気楽で莫迦な弟だが、たまに羨ましく感じる。アレの悩みなど意中の幼馴染の令嬢の気を如何に引くか、それくらいだろう。実に下らない。そもそもあんな我儘で性悪な娘の一体何処が良いのかヴォルフラムにはまるで分からない。確かに容姿は良いだろうが、性格の悪さが顔にすら滲み出ており正直視界に入るだけで気分が悪くなる。近い将来、自分か弟のどちらかと婚約するだろうが、もし自分の婚約者にでもなろうものならと想像するだけでゾッとする。

疲れたー。

下らない事を考えていたら、余計に疲労感が増した気がした。

『⁉︎』

そんな時、直ぐ側に気配を感じ伏せていた目を開いた。気付けば少しうたた寝をしていたらしく、近付いて来た気配に気付けなかった。何時ならこんな失態はあり得ない。慌てて立ち上がろうとしたが、気配の正体を見てヴォルフラムは目を見張り固まった。

『……』

何故ならヴォルフラムの前にいたのは、小さな少女だったからだ。一体何故こんな所に幼女がいるのか理解出来ず一瞬思考も止まる。

『お風邪、引いちゃったの……?』

大きな灰色の瞳が心配そうに揺れヴォルフラムを見ていた。戸惑いを隠しながら、貼り付けた様な笑みを浮かべる。

『いや、別に僕は風邪なんか引いてないよ。どうして?』

『だって汗がすごいの。それに、苦しそう……』

そう言うと少女は急にハッとした表情をしたかと思えば、あたふたとしながら自分の衣服を弄り出す。流石のヴォルフラムも訳が分からず呆然とした。ダラシなく口が半開きになっている事に気が付き慌てて閉じる。

『あった!』

嬉しそうに声を上げた少女は、ちょこちょこと更に近付いて来て手を伸ばして来た。思わずヴォルフラムは身構える。まさかこんな少女が刺客なのか⁉︎と懐に入れているナイフに手を伸ばすが……。

『は……?』

少女の手にはハンカチが握られていて、それをヴォルフラムの額に当てられた。そして優しい手付きで汗を拭われる。

『えっと……』

ニッコリと笑う少女に、一気に全身の力が抜けた。

『君は何処から来たの?お父さんやお母さんは?』

『お母さまとね、いっしょにきたの。でも、お母さまは大切なご用事があるから、お部屋で待ってたの。でもね、窓から鳥さんが見えてね』

少女は母親と登城したが用事があり、その間部室で待っている様に言われたそうだ。だが中々戻らない母親に退屈した少女は窓の外に鳥が見えて、それを追いかけて部屋を飛び出したらしい。

『全く、侍従等は一体何をしているんだ』

『?』

まさかこんな小さな少女を一人で部屋で待たせていた筈はない。となると勝手に持ち場を離れたのだろう。これは立派な職務怠慢だ。

『お兄さまは、だあれ?』

『お兄様って……』

何だか調子が狂う。それに無性に気恥ずかしさを感じた。

『僕は……』

素直に王子だと言おうとしたが、やめた。ヴォルフラムは少し意地の悪い笑みを浮かべる。

『正義の味方なんだ』

『せいぎの、みかた?』

『悪い人間から民衆を守る正義の騎士なんだよ』

『すご~い!かっこいい!』

簡単に説明すると少女は大きな瞳を見開き、羨望の眼差しを向けてくる。次から次へと様々な質問をしてきた。それが可笑しくて微笑ましく感じて、思わず笑いそうになった。

『おいで』

少女を自分の膝の上に乗せると、それから少しだけ彼女と雑談をした。こんなに穏やかな時間を過ごすのは生まれて初めてだった。

『いいこ、いいこ』

『え……』

不意に少女がヴォルフラムの頭を撫でる。予想外の出来事に目を丸くすると、少女は得意げな表情をした。

『元気がでるおまじない。いつもね、ユスティーナが悲しいときとか、元気がないときね、お母さまにいいこいいこされると、直ぐに元気になれるの!』

『…… 僕、そんなに元気ないかな?』

お得意の貼り付けた様な完璧な笑みを浮かべるが、彼女は迷う事なく頷いた。

『うん。だってお兄さま、痛くて悲しくて、苦しそうだもん』

『そっか……』

『いいこ、いいこ』

彼女はまたヴォルフラムの頭を小さな手で撫でてくれた。

『君は、優しい子だね』






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮
恋愛
それは親切な申し出のつもりだった。 あなたを本当に愛していたから。 叶わぬ恋を嘆くあなたたちを助けてあげられると、そう信じていたから。 でも、余計なことだったみたい。 だって、私は殺されてしまったのですもの。 分かってるわ、あなたを愛してしまった私が悪いの。 だから、二度目の人生では、私はあなたを愛したりはしない。 あなたはどうか、あの人と幸せになって --- ※ R-18 は保険です。

あなたが私を捨てた夏

豆狸
恋愛
私は、ニコライ陛下が好きでした。彼に恋していました。 幼いころから、それこそ初めて会った瞬間から心を寄せていました。誕生と同時に母君を失った彼を癒すのは私の役目だと自惚れていました。 ずっと彼を見ていた私だから、わかりました。わかってしまったのです。 ──彼は今、恋に落ちたのです。 なろう様でも公開中です。

大好きだったあなたはもう、嫌悪と恐怖の対象でしかありません。

ふまさ
恋愛
「──お前のこと、本当はずっと嫌いだったよ」 「……ジャスパー?」 「いっつもいっつも。金魚の糞みたいにおれの後をついてきてさ。鬱陶しいったらなかった。お前が公爵令嬢じゃなかったら、おれが嫡男だったら、絶対に相手になんかしなかった」  マリーの目が絶望に見開かれる。ジャスパーとは小さな頃からの付き合いだったが、いつだってジャスパーは優しかった。なのに。 「楽な暮らしができるから、仕方なく優しくしてやってただけなのに。余計なことしやがって。おれの不貞行為をお前が親に言い付けでもしたら、どうなるか。ったく」  続けて吐かれた科白に、マリーは愕然とした。 「こうなった以上、殺すしかないじゃないか。面倒かけさせやがって」  

ほらやっぱり、結局貴方は彼女を好きになるんでしょう?

望月 或
恋愛
ベラトリクス侯爵家のセイフィーラと、ライオロック王国の第一王子であるユークリットは婚約者同士だ。二人は周りが羨むほどの相思相愛な仲で、通っている学園で日々仲睦まじく過ごしていた。 ある日、セイフィーラは落馬をし、その衝撃で《前世》の記憶を取り戻す。ここはゲームの中の世界で、自分は“悪役令嬢”だということを。 転入生のヒロインにユークリットが一目惚れをしてしまい、セイフィーラは二人の仲に嫉妬してヒロインを虐め、最後は『婚約破棄』をされ修道院に送られる運命であることを―― そのことをユークリットに告げると、「絶対にその彼女に目移りなんてしない。俺がこの世で愛しているのは君だけなんだ」と真剣に言ってくれたのだが……。 その日の朝礼後、ゲームの展開通り、ヒロインのリルカが転入してくる。 ――そして、セイフィーラは見てしまった。 目を見開き、頬を紅潮させながらリルカを見つめているユークリットの顔を―― ※作者独自の世界設定です。ゆるめなので、突っ込みは心の中でお手柔らかに願います……。 ※たまに第三者視点が入ります。(タイトルに記載)

貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。 彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。 しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。 悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。 その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・

理想の女性を見つけた時には、運命の人を愛人にして白い結婚を宣言していました

ぺきぺき
恋愛
王家の次男として生まれたヨーゼフには幼い頃から決められていた婚約者がいた。兄の補佐として育てられ、兄の息子が立太子した後には臣籍降下し大公になるよていだった。 このヨーゼフ、優秀な頭脳を持ち、立派な大公となることが期待されていたが、幼い頃に見た絵本のお姫様を理想の女性として探し続けているという残念なところがあった。 そしてついに貴族学園で絵本のお姫様とそっくりな令嬢に出会う。 ーーーー 若気の至りでやらかしたことに苦しめられる主人公が最後になんとか幸せになる話。 作者別作品『二人のエリーと遅れてあらわれるヒーローたち』のスピンオフになっていますが、単体でも読めます。 完結まで執筆済み。毎日四話更新で4/24に完結予定。 第一章 無計画な婚約破棄 第二章 無計画な白い結婚 第三章 無計画な告白 第四章 無計画なプロポーズ 第五章 無計画な真実の愛 エピローグ

真実の愛を見つけた婚約者(殿下)を尊敬申し上げます、婚約破棄致しましょう

さこの
恋愛
「真実の愛を見つけた」 殿下にそう告げられる 「応援いたします」 だって真実の愛ですのよ? 見つける方が奇跡です! 婚約破棄の書類ご用意いたします。 わたくしはお先にサインをしました、殿下こちらにフルネームでお書き下さいね。 さぁ早く!わたくしは真実の愛の前では霞んでしまうような存在…身を引きます! なぜ婚約破棄後の元婚約者殿が、こんなに美しく写るのか… 私の真実の愛とは誠の愛であったのか… 気の迷いであったのでは… 葛藤するが、すでに時遅し…

新しい人生を貴方と

緑谷めい
恋愛
 私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。  突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。  2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。 * 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

処理中です...