ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)

文字の大きさ
上 下
52 / 58

五十一話

しおりを挟む


 つい先程まであれだけ賑やかだったのが嘘の様に静かになっていた。
 最後の招待客を見送ったエーファが広間に戻って来ると既に片付けが始まっていた。準備するのも大変だが、片付けるのは更に大変だ。時計の短針は十一の数字を示しており、終わる頃には疾うに日付は超えてしまうだろう。そう考えると一気に疲労感を感じてしまう。だが泣き言を言った所で始まらないし終わらないと自分に喝を入れた。
 厨房へ向かい恐る恐る中を覗いてみると、それはもう凄い事になっていた。山積みになった汚れた皿やグラス、カトラリー、床には空のワインボトルからゴミ屑まで置かれ足の踏み場もない。余りの惨状に先程まで疲れも手伝い少し眠気に襲われていたが、一瞬にして吹っ飛んだ。

「エーファ」
「マンフレット様、お疲れ様でした」

 エーファが片付けに取り掛かろうとした瞬間、マンフレットが厨房に入って来て声を掛けられた。

「君も疲れただろう。もう休んだ方が良い」
「ですが、まだ片付けがありますので……」

 マンフレットからの労いの言葉に思わず甘えたくなってしまうが、まだまだ仕事が残っているのが現状だ。

「後の事はギー達に任せてある」
「ですが……」
 
 気持ちは有難いが、疲れているのは使用人達も同じだ。自分だけ休むなど出来ない。

「旦那様の仰る通りですよ、奥様。本来ならばこの様な雑事は私共の仕事で御座います。気に掛けて下さるお心遣いだけでも十分有難い事なんです」

 シェフの言葉に周りにいた他の使用人等も頷き、マンフレットと共に厨房から追い出されてしまった。
 

「エーファ、少し話さないか」
 
 自室に下がる前にマンフレットからお茶に誘われたエーファは、彼の仕事部屋である執務室のソファーに腰掛けた。此処に入るのは初めてで少し緊張をする。
 執務室の中は寝室などと比べ更に広さがあるが、天井まで高さのある本棚が部屋の大半を占めており圧迫感を感じた。仕事机には山積みにされている書類が置かれており、それ等を見るだけで彼の責務や重要さが窺えた。この場所はきっと彼の領域であり、そう易々と自分などが立ち入って良い場所ではない、そんな風に思えて萎縮してしまう。
 テーブルには既に二人分のお茶が用意されていた。マンフレットが自らティーポットを手にしてカップへとお茶を注いでくれる。エーファはお礼を言いそれに口をつけた。カモミールの良い香りがする。
 
「マンフレット様、改めて公爵ご就任おめでとうございます」

 居住まいを正し丁寧に彼へと頭を下げた。今日は朝から慌ただしく、きちんとお祝いの言葉を伝えられていなかった。

「あぁ、ありがとう。君のお陰で今日は素晴らしい日になった、本当に感謝している。皆、君を素晴らしいと褒めていた。装飾や料理、デザート、酒の銘柄に至るまで完璧だとな。無論君自身の事もだ。私も完璧な立ち居振る舞いだったと思う。招待客への対応も申し分ない」
「そんな、褒め過ぎです。それに私一人の力ではありません。ニーナを始めとした使用人の皆さんの協力があったからこそ出来た事です。ですから宜しければ後で皆さんにも労いの言葉を掛けて差し上げて下さい」

 まさか彼からこんなに賞賛の言葉を掛けて貰えるとは思いもしなかったと嬉しくなった。

「周りへの気遣いや振る舞いは、もう立派な淑女だな」

 心持ち潤んでいる瞳を細めエーファを見遣るマンフレットの頬は少し赤く見えた。付き合いもあり今夜はかなり酒を口にしていた様子だったので仕方がない。祝酒で勧められ断るのは失礼にあたる。

「え、あのっ」

 マンフレットは不意にエーファの顔を覗き込んだかと思えば、エーファの胸元から下がる琥珀石を掬い上げた。
 至近距離に彼の顔があり動揺して思わず声が上擦ってしまう。

「……あれからずっと身に付けているな」
「お気に入りなんです」
「今日くらいもっと華美な物にすればいいものの」
「今日はマンフレット様の大切な日でしたから、どうしても此れが良かったんです。それに、何時も身に付けていたくて……」

 彼がどんな想いで此れをエーファへ贈ってくれたかは分からない。だがこの琥珀石はエーファにとって何よりも大切な物だ。これがあれば、きっとこれ先何があろうと生きていけるーー。

「……」
「マンフレット様……?」
「エーファ」
「っ⁉︎……あ、あの、マンフレット、さ……んっ」

 頬に触れられたかと思えば、親指の腹で唇を撫でられる。彼の顔が近付いて唇をエーファのそれに重ねた。
 
「んっ、ぁ……」

 突然の事にエーファは目を見張り固まってしまう。だが直ぐに羞恥心に耐えられなくなり目を閉じた。
 マンフレットは角度を変え何度となく口付けた。時折舌で唇を舐められる感覚に身体がピクリと反応してしまう。

(マンフレット様の唇、柔らかい……)

「エーファ……エーファっ」

 暫くすると彼が離れていくのを感じ、エーファは戸惑いながらもゆっくりと目を開けた。

(終わった……? え……)

 ぼんやりとそんな事を考えていると、今度は顎に彼の手が触れ親指でエーファの唇をこじ開ける。そして再び視界は彼に覆われた。ぬるりとした物が口内へと差し入れられる。経験のないエーファが、それが彼の舌だと気付くまでに数秒を要した。

「ん、エーファ……はぁ、可愛いっ……」

 逃げるエーファの舌を執拗に追い回し絡めては吸われた。未知の感覚に怖さを感じるが、不思議と嫌悪感はない。寧ろ心地よくさえ思えてしまう。
 次第に頭がクラクラし何も考えられなくなり、全身の力が抜け落ちていく。そしていつの間にか身体は彼に支えられていた。
 彼はエーファを抱き寄せると身体を隙間なく密着させ、後頭部に手を回し自らへと押し付ける様にして唇を貪る。時折洩れ聞こえる彼の吐息の様な声がとても艶かしい。

「マンフレット、さま……?」
「……」

 暫く飽きる事なく口付けていたマンフレットだったが、急に動きが止まる。その瞬間、ずっしりとした重さを感じた。

「眠ってる……?」

 頬を赤めてはいたが、酔っている感じはなかった。だが思った以上に酔いが回っていたのかも知れない。でないとあの彼がこんな事する筈はない。
 それにしても今のこの状況をどうにかしなくてはならないとエーファは身動いでみるが、マンフレットの身体は一ミリも持ち上がる事はない。もしかしなくても彼が目を覚ます朝までこのままかも知れない。いや、そもそも朝に目を覚ますかさえ怪しい……。そんな事が頭を過り慌てふためき身体を滑らせたり押したりと色々と試した。

「……む、無理」

 エーファは暫く頑張ってみたが、体力が尽き諦めた。

「マンフレット様」

 寝息を立てる彼を見て先程の事を思い浮かべてしまい、身体が熱くなり鼓動も早くなる。

(もう一度だけ……)

 エーファはどうにかして顔だけ動かすと、彼の唇に自らの唇を重ねた。


 
 




しおりを挟む
感想 194

あなたにおすすめの小説

出世のために結婚した夫から「好きな人ができたから別れてほしい」と言われたのですが~その好きな人って変装したわたしでは?

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
古代魔法を専門とする魔法研究者のアンヌッカは、家族と研究所を守るために軍人のライオネルと結婚をする。 ライオネルもまた昇進のために結婚をしなければならず、国王からの命令ということもあり結婚を渋々と引き受ける。 しかし、愛のない結婚をした二人は結婚式当日すら顔を合わせることなく、そのまま離れて暮らすこととなった。 ある日、アンヌッカの父が所長を務める魔法研究所に軍から古代文字で書かれた魔導書の解読依頼が届く。 それは禁帯本で持ち出し不可のため、軍施設に研究者を派遣してほしいという依頼だ。 この依頼に対応できるのは研究所のなかでもアンヌッカしかいない。 しかし軍人の妻が軍に派遣されて働くというのは体裁が悪いし何よりも会ったことのない夫が反対するかもしれない。 そう思ったアンヌッカたちは、アンヌッカを親戚の娘のカタリーナとして軍に送り込んだ――。 素性を隠したまま働く妻に、知らぬ間に惹かれていく(恋愛にはぽんこつ)夫とのラブコメディ。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完結済】政略結婚予定の婚約者同士である私たちの間に、愛なんてあるはずがありません!……よね?

鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
「どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい」「……あらそう。分かったわ」婚約が決まって以来初めて会った王立学園の入学式の日、私グレース・エイヴリー侯爵令嬢の婚約者となったレイモンド・ベイツ公爵令息は軽く笑ってあっさりとそう言った。仲良くやっていきたい気持ちはあったけど、なぜだか私は昔からレイモンドには嫌われていた。  そっちがそのつもりならまぁ仕方ない、と割り切る私。だけど学園生活を過ごすうちに少しずつ二人の関係が変わりはじめ…… ※※ファンタジーなご都合主義の世界観でお送りする学園もののお話です。史実に照らし合わせたりすると「??」となりますので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。 ※※大したざまぁはない予定です。気持ちがすれ違ってしまっている二人のラブストーリーです。 ※この作品は小説家になろうにも投稿しています。

大好きなあなたを忘れる方法

山田ランチ
恋愛
あらすじ  王子と婚約関係にある侯爵令嬢のメリベルは、訳あってずっと秘密の婚約者のままにされていた。学園へ入学してすぐ、メリベルの魔廻が(魔術を使う為の魔素を貯めておく器官)が限界を向かえようとしている事に気が付いた大魔術師は、魔廻を小さくする事を提案する。その方法は、魔素が好むという悲しい記憶を失くしていくものだった。悲しい記憶を引っ張り出しては消していくという日々を過ごすうち、徐々に王子との記憶を失くしていくメリベル。そんな中、魔廻を奪う謎の者達に大魔術師とメリベルが襲われてしまう。  魔廻を奪おうとする者達は何者なのか。王子との婚約が隠されている訳と、重大な秘密を抱える大魔術師の正体が、メリベルの記憶に導かれ、やがて世界の始まりへと繋がっていく。 登場人物 ・メリベル・アークトュラス 17歳、アークトゥラス侯爵の一人娘。ジャスパーの婚約者。 ・ジャスパー・オリオン 17歳、第一王子。メリベルの婚約者。 ・イーライ 学園の園芸員。 クレイシー・クレリック 17歳、クレリック侯爵の一人娘。 ・リーヴァイ・ブルーマー 18歳、ブルーマー子爵家の嫡男でジャスパーの側近。 ・アイザック・スチュアート 17歳、スチュアート侯爵の嫡男でジャスパーの側近。 ・ノア・ワード 18歳、ワード騎士団長の息子でジャスパーの従騎士。 ・シア・ガイザー 17歳、ガイザー男爵の娘でメリベルの友人。 ・マイロ 17歳、メリベルの友人。 魔素→世界に漂っている物質。触れれば精神を侵され、生き物は主に凶暴化し魔獣となる。 魔廻→体内にある魔廻(まかい)と呼ばれる器官、魔素を取り込み貯める事が出来る。魔術師はこの器官がある事が必須。 ソル神とルナ神→太陽と月の男女神が魔素で満ちた混沌の大地に現れ、世界を二つに分けて浄化した。ソル神は昼間を、ルナ神は夜を受け持った。

婚約者の心変わり? 〜愛する人ができて幸せになれると思っていました〜

冬野月子
恋愛
侯爵令嬢ルイーズは、婚約者であるジュノー大公国の太子アレクサンドが最近とある子爵令嬢と親しくしていることに悩んでいた。 そんなある時、ルイーズの乗った馬車が襲われてしまう。 死を覚悟した前に現れたのは婚約者とよく似た男で、彼に拐われたルイーズは……

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

処理中です...