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四十四話

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 ぽちゃんっと水の音が浴室に響き、いやに耳につく。エーファは肩まで湯に浸かっていたが、更に顔の半分まで沈ませた。長い髪は湯に揺ら揺らと花弁の如く広がる。

「エメ、大丈夫かな……」

 部屋に戻った後、いなくなったエーファを探していたニーナや他の使用人達は、引き裂かれボロボロのエーファのドレス姿に驚愕した。ニーナなど泣いたり怒ったりとそれはもう忙しかったが、その後直ぐ湯浴みの用意をしてくれた。だがエメの容態が心配でエーファは後にすると断ったが、マンフレットからは自分が見ているから必要ないと言われてしまった。

 頭の中を先程の光景が鮮明に蘇る。
 湯に浸かり身体は十分に温まった筈なのに、背筋が冷えていく感覚がしてまた気分が悪くなってしまう。
 あの後リュークは如何なったのだろうか。マンフレットは彼とは縁を切ると話していたが、少し複雑だ。エーファは正直もう顔も見たくないし赦せない。だがマンフレットにとってはたった一人の兄弟であり、昔から可愛がっていた筈だ。今回自分が軽率な行動をしなければこんな事には……。いやしかし、姉の事もある。ただマンフレットはブリュンヒルデの件でリュークをどうこうするつもりはなかったと話していた。そうするとやはり自分の所為だ……。


「お姉様……」

 あの時、不意に姉との昔の記憶が蘇った、ずっと忘れていたのにーー。


『エーファも、きらきらほしい』

 あれは物心付いたくらいだっただろうか……。まだ両親から愛されているのだとエーファが信じていた頃。母が姉に宝石の付いた煌びやかな髪飾りをあげていた。それを見たエーファは、自分も欲しくなり母のドレスのスカート引っ張った。

『ちょっと触らないで! お行儀の悪い!』

 母は怒声をあげエーファの手を強く叩いた。じんじんとして痛かった。

『良い? これはねブリュンヒルデの物であって貴女の分なんてありません』
『でも、エーファもほしいの……』

 瞳いっぱいに涙を溜めるエーファに対して母は顔を歪めため息を吐く。

『ブリュンヒルデがこんなに美人で優秀だったから次も期待していたのに。男でない上にまさかこんな頭の悪い出来損ないとはね。全くこんなのに使うお金が勿体無いわ……産まなきゃ良かった』

 幼いエーファには母の言葉がまだ難しく理解出来なかったが、自分は姉の様に髪飾りを貰う事は出来ないのだという事は分かった。悲しくなり部屋に戻り暫く一人で泣いていた。すると扉がゆっくりと開き姉が忍び込む様にして中へと入って来た。

『おねえさま』
『エーファ、お母さまには内緒よ』

 鏡の前に座らされると姉は先程の髪飾りをエーファの髪に付けてくれた。その瞬間涙は治まり代わりに笑みが溢れた。嬉しくて仕方がなくて「おねえさま、ありがとう!」そう言って姉に飛び付いた。

『エーファ‼︎ 人の物を盗むなんてっ!』
『いたいっ……ごめんなさい、おかあさまっ……イイコにするから、たたかないで……ごめんなさい、ごめんなさい……』

 暫くして髪飾りをエーファが持っている事に気付いた母に折檻された。姉から貰ったと何度話しても信じて貰えず只々謝り続ける他ない。更に髪飾りを取り上げられただけでなく目の前で壊されてしまった。

『やめて! お母さま、違うの、それは私がエーファにあげたの!』
『あぁブリュンヒルデ、貴女は賢いだけでなく優しくて本当に良い子ね。こんな出来損ないの妹を庇ってあげるなんて』
『違う、そうじゃ……』
『あらやだわ、もうこんな時間なのね。仕立て屋が来てしまう。さぁ、ブリュンヒルデ。新しいドレスはどんな物にしましょうか』

 一人残されたエーファは壊された髪飾りを拾い上げるとそれを引き出しに仕舞った。もう涙は出なかった。
 それからブリュンヒルデはエーファに構う事は一切なくなった。

 同じ屋敷で暮らしているのに一言も話す事もなく月日は流れ、エーファは何時も離れた場所から両親や姉達の姿を見ていた。弟が生まれてからはもはやエーファの存在はないものとして扱われた。

『あ……逃げちゃった』

 心で思った事が気付けば声に出ていた。
 エーファがブリュンヒルデがいるとは知らずに中庭へ来ると鳥籠を手にした姉と出会した。かなり気まずい……。エーファが戸惑っているとその瞬間、鳥籠から鳥が逃げ出し空へと飛び立っていった。
 この頃、姉には多数の男性等から宝石やドレス、花、靴など沢山の贈り物が毎日の様に送られて来ていた。そんな贈り物の中、一つだけ毛色の違うものが混ざっていた。それがあの鳥だ。鳥は青と緋色の美しい姿をしておりかなり希少らしく世間では高値で取り引きされていた鳥だった。

『……良いのよ、それで。こんな檻に閉じ込められ愛られた所で哀れなだけ』

 淡々と答える声色からは何の感情も読み取る事は出来ない。鳥の姿はもう何処を探してもありはしないのに、ブリュンヒルデは何時迄も空を見ていた。
 思えば姉は、屋敷にいる時は窓の外や空を眺めている事が多かった様に思える。あの時は姉の言葉の意味が分からなかったが、今なら分かる気がした。

 お姉様はずっと自由になりたかったのかも知れないーー。

 数年振りに交わした姉妹の会話は互いにその一言だけだった。更にその数年後、姉が嫁ぐ日ーーその日エーファは二階の窓から屋敷を出て行くブリュンヒルデの後ろ姿を見送った。これが姉を見た最後だった。
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