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三十三話
しおりを挟む「君がきっと思い違いをしていると思ったから、その誤解を解こうと思って」
「……何の話だか私には分からない」
レクスとの会話を拒絶する様にして背を向けているマンフレットに話し掛けると、暫し間があってから彼はそう答えた。
「俺さ……エーファ嬢が好きなんだ」
「ーーっ」
瞬間、マンフレットの肩が言葉に反応する様に揺れたのが分かった。手元に視線を遣ると拳をキツく握り締めていた。
何を言っても言い訳にしかならないと分かっている。だが本当にそんなつもりじゃなかったーー。
友人のマンフレットが前妻のブリュンヒルデを亡くしてから約半年後、その彼女の実妹を後妻に迎えたと耳にした。無論社交界は噂好きの人間達が挙って何処から仕入れたのか分からない様な話を面白おかしく広めていった。以前からブリュンヒルデの妹の噂話は耳にしていたが、姉と違って妹の方は何分社交の場には余り姿を見せない故、レクスは見掛けた事すら無かった。
才色兼備のブリュンヒルデは女神とすら比喩される完璧な女性で、社交界では誰もが一目置く存在だった。対して妹の噂は酷いものばかりだった。地味で何の取り柄もなく目も当てられない、同じ血を分けた姉妹には到底思えない、あんな娘が妹などブリュンヒルデ嬢が不憫……まだまだ沢山ある。それに加えて今回の噂はもっと酷いものだった。姉に嫉妬した妹が彼女を亡き者にし代わりにヴィルマ家次期当主の妻の座を強奪したーー噂話など所詮は退屈な貴族等の娯楽の様なもので信憑性には掛ける。だがそれでも火のない所に煙は立たぬともいう。それにあの女の実妹だ……。
レクスはマンフレットが心配になり様子を見に彼の屋敷へと向かった。
マンフレットの屋敷を訪問するのは久々だった。前回の訪問したのはまだ前妻のブリュンヒルデが生きていた頃だ。以前までは暇さえあればマンフレットを揶揄いに来ていた。それは彼が結婚してからも変わる事は無かったが、ある事柄からレクスはめっきり来る事はなくなった。
『目的はそっちだろう』
久々に会った友人は驚いた事に死ぬ程嫌いな筈のニンジン入りケーキを食べていた。これには自分の目を疑った。何しろあのマンフレットがニンジンを食べているのだから、驚くなという方が無理な話だ。
レクスは軽口を叩きながらそれとなく探りを入れるが、呆気なく真意が彼にバレてしまった。
『……ブリュンヒルデとは似ても似つかない程平凡でつまらない娘だ』
そして彼は後妻の事を冷たくそう言い捨てた。あの言葉をどういう心情で言ったのかはレクスには分からなかった。ただ言えるのは、彼は自分の痛みに超絶鈍感だという事だ。ブリュンヒルデの妹を妻に迎える事になりとても複雑な想いを抱えているのに違いないのに、多分それすら気付いていないかも知れない。
『此処には何の花が咲くのかな』
初めて見た彼女は花壇の前で嬉しそうに蹲み込み、まだ何もない土をただ眺めていた。その時は何故侍女服を着ているのかと正直驚いた。今思えばこの時から警戒しながらも無意識に彼女に深い興味を抱いていたのだと思う。
レクスはマンフレットの話題を出しては彼女の反応を窺いその本性を暴こうとした。不倫を肯定したらどんな反応が見られるかーーあの女の妹ならばきっと同調する筈だと思っていた彼女の反応は予想に反し真逆だった。ただ警戒して演技をしている可能性は高い。親しくなるフリをして様子を見る事にした。
それから友人のマンフレットの為だと大義名分と銘打ち彼女の元へと足繁く通った。そして何時の間にか本来の目的を忘れ、レクスが彼女に惹かれるのにそう時間は掛からなかった。
夜会で彼女とマンフレットが夫婦として並ぶ様子を遠目で眺めいい知れぬ想いに駆られた。レクスは暫くして一人になった彼女に声を掛ける。改めて正装した彼女を正面から見ると、その愛らしさに思わず目を見張り息を呑んだ。
『見違えたよ。何処の国のお姫様かと思った』
社交辞令なんかではない、本心からそう思った。
その後二人だけの時間を愉しんでいたが、柄の悪い男達が現れ邪魔をされた。それどころか男達は彼女を侮辱する暴言を吐く。こんな所で揉め事を起こすのは良くないと分かっていたが、いい加減我慢の限界に達したレクスが声を上げた時……マンフレットが現れ当然の様に彼女を助けた。それが無性に苛立って悔しくて、虚しかった。
『弟さんですか?』
意図してではないが、自然とマンフレットの家族の話になった。彼女がもし、彼の弟の事を知ったらどう思うだろうかと興味が湧く。肯定するだろうかそれとも否定し軽蔑するだろうか……そんな事を考えていると、予想外の人物が話に割って入って来た。マンフレットだ。
本当は死ぬ程嫌な癖に出されたキャロットケーキを何となしに食べる様子に内心苛立ちは募る。他の誰でもなく彼女が作ったから食べているのだと分かるのが嫌だ。
その後直ぐにマンフレットに強引に馬車に押し込められ屋敷を後にした。去り際に「悪いが暫く来ないで欲しい。用があるなら手紙か使いを寄越せ」そう言われた。
エーファと結婚して彼は少しずつ変わりつつある。長年彼の側で家族同然に仕えているギーもそれは感じているらしく、先日普段無表情で感情の薄い彼が微笑を浮かべながらその様な話をしていたのを思い出した。
屋敷に来るなと言われもう直ぐ二ヶ月だ。
彼女に会いたい、彼女の声を聞きたい、彼女の笑顔を見たいーーだが口実が見つからない。悶々とする日々を送る中、僥倖な話が舞い込んだ。
レクスはエーファの講師として毎日の様に屋敷に通った。乾いた砂が水を吸う様に、彼女の成長は目覚ましくレクスは目を見張った。そしてそれと同時に彼女が生家でどんな扱いを受けて来たのかを改めて痛感する。これまでの言動と照らし合わせてもそれは明白だ。やはり彼女は俺が護ってあげなくてはと強くそう思った。
ある日彼女から来月誕生日だと聞き、お祝いすると約束をした。当日は使用人達を交えて盛大にパーティーを計画する。無論贈り物も用意するつもりだが、立場的に難しい。本心は装飾品など身に付けられて形の残る物を贈りたいが、伴侶のいる女性には流石に非常識だろう。レクスが頭を悩ませている最中、ギーからマンフレットもどうやらかなり必死になって彼女への贈り物を模索しているらしいと聞いた。ブリュンヒルデの時など見向きもしなかったあの彼が……急激な焦燥感に襲われた。
エーファの誕生日当日、パーティーの準備の為に昼前から屋敷を訪れた。ギーから彼女とマンフレットが二人で出掛けていると聞かされ、贈り物として持って来た薔薇の花束をキツく握り締め「急用を思い出したから、先に準備を始めてて。なるべく早く戻るから」そう言い残し直様花屋へと向かった。二時間程で戻って来たレクスの手には薔薇の花ではなく別の花が握られていた。
貴族の中には不倫容認派が一定数存在する。レクスはエリンジウムの花を見る度に複雑な想いになる。だが決して容認派ではない。気持ちは分かるが、やはり倫理に反する。するべきではないとずっと考えていた。だから……まさか自分がこんなふうになってしまうなんて思わなかった。だが一歩たりとも引くつもりはない。
マンフレットはきっと覚えている、昔自分が教えた話を。これは彼への宣戦布告と言っても過言ではないだろう。
エーファとマンフレットが帰宅し、パーティーが始まる。跪きさり気なく彼女の小さな手の甲に口付けを落とす。そして花束を手渡すと凄く喜んでくれた。その笑顔を見て心が満たされていくのを感じる。だが彼女がマンフレットと過ごした日中の出来事を嬉々として話す姿に一気に気分が沈んでいく。幸せそうな笑顔の彼女とは裏腹にレクスは内心苛立ちながら酒を煽り続けた。酒には強くこれまで一度たりとも酔い潰れた事はないが、酒の力も加わり益々マンフレットへと苛立ち、いや嫉妬心が増強するのを感じる。そして気付けば彼を煽る言葉を吐いていた。無論彼の性格を良く熟知した上で意図した事だった。
『ーーブリュンヒルデに比べればまだまだだ』
マンフレットの言葉に傷付いた彼女を追いかけると、彼女は一人中庭で蹲み込んでいた。レクスに気が付いた彼女は、今にも泣き出しそうな顔で笑った。その姿に胸が締め付けられる一方で、期待感に満ち溢れていた。
優しく慰める言葉を掛けると、彼女から突拍子もない話を聞く事となった。なんとマンフレットと離縁する事が決まっているのだという。そんな大事な話を自分にするなど、やはり彼女は自分と同じ気持ちに違いないとこの瞬間確信をした。レクスは高揚する気持ちが抑えきれずに彼女を抱き締め、遂に気持ちを打ち明けた。
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