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1巻

1-3

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「当然だ。アレキサンドロスは、私の友であり家族同然なのだからな」

 リシャールは、聞いてもいないのにまた語り出す。アレキサンドロスの事を話す彼はとても楽しそうだった。アンネリーゼまで楽しくなってくる。

「アレキサンドロス……また、明日会おう」

 名残なごりしそうにしながら彼は帰って行った。
 あれから暫く二人で話をしたのだが、結局アレキサンドロスはアンネリーゼのふところから出てこようとせず、仕方なくリシャールは諦めた。


「ピーピー」
「見てください、リシャール様。アレキサンドロスって、すごいんですよ」

 アンネリーゼが指を三本立て「何本?」と尋ねると、アレキサンドロスはピーピーピーと三回鳴いた。

流石さすが、アレキサンドロスだ! やはり賢いな」

 アレキサンドロスを預かるようになってから一ヶ月が過ぎた。今ではこうして放課後にリシャールと裏庭で過ごすのが日課になっている。
 最近のアレキサンドロスは機嫌が直ったのか、リシャールを突っつく事がない。肩に止まったりしてじゃれつくようになった。だが何故か、アンネリーゼからは離れない。遊び疲れると、もぞもぞとふところに戻っていく。これでは誰が飼い主か分からないと、リシャールは苦笑した。

「そういえば、先日珍しい菓子を手に入れたんだが……その、食べるか?」

 リシャールは菓子袋を差し出した。

「いいんですか? ありがとうございます!」

 リシャールとはアレキサンドロスの話だけではなく、いつしかたわいのない話もするようになった。それがひどく嬉しく思える。こうしていると、自分がアンナマリーである事を忘れてしまいそうになってしまう。

「では、また明日」

 今日も彼に馬車まで見送られて、帰路についた。


   ◇◇◇


 アンナマリーを見送り、帰ろうとしたリシャールは立ち止まった。何故なら道を塞ぐようにして、ロイクとゲルトが立っていたからだ。
 ロイクはリシャールの従兄弟いとこであり公爵令息である。ゲルトは友人で侯爵令息だ。普段学院では、リシャールはこの二人と過ごす事が多い。

「一体どういう事? 何であの女と仲良くしてるの? リシャール、最近おかしいよ!?」

 ロイクが怒っているのが声の調子からも伝わってくる。

「別に仲良くなどしていない」

 面倒事になりそうだと思い、リシャールは二人の横を通り過ぎ帰ろうとした。だが、ロイクが腕を掴み離さない。

「僕、知ってるんだよ。ここのところ、毎日放課後あの女と会ってるでしょう!? どうして!? あの女にシャルロットは傷付けられたんだよ!?」

 シャルロットとはロイクの妹の事だ。

「ロイク、落ち着け。リシャールには、何か事情があるんだろう」

 ゲルトは冷静に話しながら、ロイクをリシャールから引き離す。

「事情って何!? どう見てもあの女に鼻の下伸ばしてるようにしか見えなかったけど!?」

 興奮したロイクは、ゲルトの手を振り払おうと暴れるが、リシャールは何も言えなかった。

「リシャール、君はもう帰れ。ロイクは俺がどうにかするから」

 ゲルトに促され、わめくロイクを横目にリシャールは帰路についた。

(言われなくとも分かっている。最近、自分がおかしい事など)

 リシャールは自室に入るなりベッドに倒れ込む。
 自分でも分からない。あんなに嫌っていたアンナマリーと、なぜこんなにも仲良くしているのか。
 彼女は、以前から異性関係がだらしなかった。そういった噂もよく耳にした。だが、別段気に留める事はなかった。興味もなく、自分には関係ないことだった。
 だが、ある時から彼女に待ち伏せをされたり付き纏われたりするようになった。そしてあの日、アレキサンドロスが逃げ出してしまい裏庭へと探しに行くと、アンナマリーがいた。
 彼女はアレキサンドロスを捕まえようとしていたが、アレキサンドロスは激しく怒り彼女に攻撃をしていた。すると彼女は、アレキサンドロスを力任せに地面に叩き落としたのだ。
 地面にぐったりとしているアレキサンドロスを拾い上げると、何とか無事だった。

『私は、悪くない!!』

 アンナマリーはそう叫び逃亡した。後から噂で聞いた話では、アレキサンドロスを捕まえて自分の元へ連れて行けば、感謝されてその礼として王太子妃にしてもらえると考えたと、男の友人にこぼしたそうだ。随分と飛躍した考えだ。しかもその際「可愛くない」「あんな鳥如き」と言ったらしい。実に頭の悪い女で、腹立たしいと思った。
 以来、リシャールが彼女に嫌悪感を抱くようになったその矢先、シャルロットの事件が起きた。
 彼女には幼い頃から決められた婚約者がいた。政略的なものだが、二人はとても仲が良く、学院内でも二人が一緒にいるところを度々見かけた。
 だがある時、シャルロットの婚約者をアンナマリーが寝取った。婚約者はアンナマリーに心酔しきった様子で、あろうことかシャルロットに婚約破棄を申し出た。
 元々おとなしく繊細な性格だったシャルロットは、ショックのあまり部屋に引きこもり、学院に来なくなった。婚約者は周囲から叩かれ、最終的にロイクから激しく責められ辞めていった。
 ロイクは妹を昔から溺愛している。無論アンナマリーにも抗議したが、彼女はしれっとしていた。
 彼女の実家の伯爵家に抗議する事も考えたが、国王に進言したところで取り合ってはもらえない事は分かっていた。それにリシャールが抗議したところで、仲の良いフランツが彼女をかばえば大事おおごとになってしまう。それは避けたかった。
 それから暫くして、急にアンナマリーが学院に長期休暇届を出したと耳にした。どうやら実家に帰ったらしい。この時、もう戻らないかと思われたが、彼女は戻ってきた。だが……

「君は……」

 アンナマリーであって、アンナマリーではない。見た目は変わらない。だが、中身が別人のようだった。同じ顔だが、笑い方も違う。
 何か秘密があるのか? それともあれは演技なのか?

「君は、誰なんだ……」

 リシャールは、拳を握り締め唇を噛んだ。
 彼女はダメだ。そう思いながら、毎日気づけば足が勝手に裏庭へと向かっている。今この瞬間にも、彼女に会いたい。そう思う馬鹿な自分がいる。


 あれからリシャールは、裏庭へ行かなくなった。アレキサンドロスの事は気にはなるが、今の自分は不安定でとても彼女と顔を合わせる勇気はなかった。ロイクとも険悪になってしまい、どうしようもない状態だ。
 放課後、帰らなくてはと思いつつ、リシャールは校内をフラフラと歩いていた。気持ちは裏庭に行きたくて仕方がない。そんな時だった。

「ふふ、男たらしな貴女あなたにはお似合いね」
「最近、調子に乗り過ぎて気持ち悪いのよ!」
「よかったわね。びしょ濡れのままその辺の男に擦り寄れば、喜んで遊んでくれるんじゃないの」
「ピーピー!!」
「ちょっとっ、何するのよ!?」
「痛いっ、ヤダ」
「やめて!!」

 声のする方へ視線を向けると、全身ずぶ濡れで廊下に座り込むアンナマリーと、彼女を取り囲み罵倒する女が三人いた。アレキサンドロスが女達に攻撃をしている。そんな中、彼女は微動だにせず顔を伏せていた。 
 リシャールは急いで駆け寄ろうとするが、空気が震えるのを感じ足を止めた。 

「え……!」

 一人の女が間の抜けた声を上げた直後、どこからともなく水が湧き起こり、女達は一瞬にして全身ずぶ濡れになる。

「冷たい!!」
「やだ、何でずぶ濡れなの!?」
「バケツの水、もう入ってなかった……え!? キャァ!!」

 バンッ!!
 破裂音が聞こえた瞬間、バケツが粉々に砕けた。その事に女達はパニックになる。

「何をしているんだ!!」

 リシャールが女達を怒鳴りつけると、慌てふためきながら走り去って行った。

「アンナマリー」

 自分の上着を脱ぐと彼女に掛けた。彼女は黙り込んだまま、呆然とこちらを見上げる。

「もう、大丈夫だ」

 膝をつき、そのまま彼女を抱き上げた。
 リシャールは、アンナマリーを腕に抱いたまま馬車に乗り込む。行き先は彼女の屋敷だ。こんな状態のまま一人で帰す事などできない。いや、したくない。
 彼女は身体を小さくして、リシャールの胸元にすがり付くようにして顔を埋めていた。それを抱き留めながら、頭をそっと撫でた。

「アレキサンドロス、お手柄だな。やはり、お前は頼りになる」

 自分の肩に止まり、心配そうに彼女を覗き込んでアレキサンドロスを称賛する。すると……

「ピー!」

 胸を張り鳴いた。まるで偉いだろうと言わんばかりだ。その姿に思わず笑った。

「あの時も、お前が私を助けてくれたな」

 幼い頃、母の影響で周囲からは冷遇され、嫌がらせを受けていた。そんな時、このアレキサンドロスが突如現れたかと思えば助けてくれたのだ。

「ありがとう、アレキサンドロス」
「ピーピー」

 アレキサンドロスはリシャールの肩から彼女の頭上に移動すると、頬を擦り寄せる。まるでリシャールのマネをして頭を撫でているみたいだ。
 程なくして馬車は停まり、リシャールは彼女を抱えたまま屋敷へと入っていく。

「お嬢様!?」

 すぐに侍女が現れ、慌てふためきながらも招き入れてくれた。
 応接間に通され、暫くすると着替えを済ませたアンナマリーが部屋へと入ってきた。髪の毛だけはまだ濡れていて、妙に艶っぽく見える。瞬間彼女に釘付けになるが、すぐさま視線を外した。顔が熱く感じるが、気のせいだろう……

「リシャール様……申し訳ございませんでした」

 か細い声で謝罪する彼女を横目で確認する。
 項垂うなだれながら話す彼女は、可哀想なくらいに小さくなっていた。
 あの女達の言動からして彼女に非があるようには思えない。女達に非がないのならば逃げる必要はないはずだ。それにどんな理由があるにせよ、暴力は容認できない。

「君が悪いわけじゃないだろう。謝罪は不要だ」

 ぶっきらぼうに言い、自分の隣の椅子を軽く叩き座るように促す。すると彼女は躊躇ためらいながら、おずおずと椅子に腰を下ろした。何故隣を指定したかと聞かれたら……深い意味はない。本当にない……やましさなど、断じてない……

「……いつも、あんな事をされているのか」
「いえ、今日が初めてです……」

 その言葉に、取り敢えずは安堵する。

「そ、そうか……その、気にするなとは言わないが、気にしない方がいい」
「ありがとうございます」

 自分でも驚くほどに動揺してしまい、何を言いたいのかが分からなくなる。
 情けない事に手のひらに汗をかいている。
 いつも裏庭のベンチに並んで座っており、日常と変わらない光景のはずで、特別な事ではない。それなのに、今日は何かがおかしい……
 リシャールの緊張が伝わっているのか、アンナマリーもいつもと違い、落ち着かない様子に見えた。

「「……」」

 取り敢えずこの気まずい空気を変えなくてはと、思考を巡らせる。だが気の利いた話など思い付かない。その間彼女も気まずそうに顔を伏せたままだった。
 会えなかったのは、ほんの僅かの間だ。それなのに、今日までひどく長く感じた。

「あー……その、ア、アレキサンドロスは、どうだ? 元気にしていたか?」

 本当は彼女に対して聞きたかったのに、気恥ずかしさを感じ、咄嗟にアレキサンドロスに変えた。すると彼女は顔を上げ微笑する。

「相変わらず、お利口さんでした。ね、アレキサンドロス」

 いつの間にか、ちゃっかりと彼女のふところに収まっていたアレキサンドロスは隙間から顔だけを出すと、ピー! とドヤ顔で鳴いた。

「そうか……。私は、あまり元気ではなかった」

 その言葉にアンナマリーは眉根を寄せ、心配そうな顔をする。

「何か、あったんですか……」
「……君に、聞いてもらいたい話がある」

 彼女の問いには敢えて答えず、話を進める。するとアンナマリーは静かに頷いた。
 リシャールは、一度息を吐き気持ちを落ち着かせると口を開いた。

「アンナマリー……私は、君が嫌いだ」

 その瞬間、彼女の瞳がこぼれ落ちそうなほどに見開かれたのが分かった。



   第二章 居候いそうろうとアレキサンドロス


 別に思い上がっていたわけではない。少しだけ彼が、私を受け入れてくれたと思ってしまった……ただそれだけ。

「アンナマリー……私は、君が嫌いだ」

 その言葉を聞いた瞬間、自分の思い上がりに気づいてしまった。分かっていたはずなのに……彼はアンナマリーが嫌いなんだと私は知っていたはずなのに、馬鹿でしょうもない自分はいつの間にか勘違いをしていたのだ。だって、彼が毎日放課後に裏庭へと足繁く通っていたのはアレキサンドロスに会うためで、自分に会いに来てくれていたわけじゃない。分かっていたはずだった……
 リシャールが少しだけ優しくしてくれたから、少しだけ楽しそうな顔をするから、少しだけ笑いかけてくれたから、勘違いしていた? 
 さっきだって偶然だろうが、手を差し伸べて助けてくれた。彼の顔を見たあの瞬間、何故か安堵して全身の力が抜けるのを感じた。上着を肩に掛けて優しく抱きかかえてもくれた。でもそれは、結局ただの同情に過ぎない。私は何を勘違いして、何を期待していたのだろう――


   ◇◇◇


「……リシャール様、ご心配には及びません。心得ております」
「それなら、いい……」

 素っ気ない彼の声と態度。リシャールの顔を見ていられなくて、アンネリーゼは顔を背けた。その時だった。ふところがモゾモゾと少し乱暴に動く。

「ピーピー!!」
「アレキサンドロスっ!? どうしたんだ!? やめろ!!」
「ピー!! ピー!! ピー!!」

 ふところからアレキサンドロスが飛び出し、その勢いのままリシャールに突っ込んだ。羽を激しく動かしながら、くちばしで何度もリシャールの頭や顔の辺りを突く。かなり怒っているのが分かる。

「ダメよ、アレキサンドロス!」

 アンネリーゼは止めなくてはと慌てて立ち上がった。
 だが次の瞬間、空気が震えたのを感じた、と同時に、リシャールは頭からずぶ濡れになっていた。

「リシャール様!? 大丈夫ですか!?」

 一体何が起きたのか分からないが、このままでは彼が風邪を引いてしまう。
 アンネリーゼはすぐにリタを呼んだ。

「あの……申し訳ありません」

 彼は、いつものキッチリとした服装ではなく、ラフな格好で長椅子に座り少しむくれている。

「何故、君が謝るんだ」
「使用人の服しか替えがなかったので……申し訳なくて、その……。それに、ほらアレキサンドロス、リシャール様と仲直りしましょう」

 あの後、リタに着替えを用意してもらったのだが、屋敷に男性は使用人しかいないのでそれを彼に渡した。彼は不満げに受け取ると着替えたのだが、少しねているように見える。やはり、王太子である彼に使用人の服を着せるなどまずかっただろうか……

「ピ~」

 まるで反省した様子のないアレキサンドロスは、ぷいっと顔を背けると、いそいそとアンネリーゼのふところに戻ろうとする。

「アレキサンドロス、ダメよ。リシャール様に謝るまで入れてあげないからね? 悪い事をしたらごめんなさいってしないとダメなのよ」
「ピッ!?」

 入れてもらえないと分かったアレキサンドロスは、まるでこの世の終わりかのような顔をする。そのまま暫く固まっていたが、不意にパタパタと羽ばたいたかと思ったら、リシャールの膝に止まりウルウルと上目遣いで彼を見上げた。

「ピ、ピー……」
「アレキサンドロス……そんな顔をするな。案ずるな、私は気にしていない」
「ピー!!」

 リシャールの言葉にアレキサンドロスは嬉しそうな声を上げる。リシャールはふっと笑い「さあ、仲直りをしよう」と言いながら、アレキサンドロスに手を差し出した。そして感動の仲直り……とはならず、瞬間パタパタと軽やかに羽ばたいたかと思えば、アンネリーゼの元へ戻ってきた。
 リシャールは手を差し出した状態で硬直している。

「ピー!」

 戻ってきたアレキサンドロスは、ドヤ顔をした。アンネリーゼには分かる。謝ったから入れてと言っている。

「もう、仕方がない子ね」
「ピーピー」

 苦笑しながらも少し胸元を広げると、アレキサンドロスはご機嫌で、もぞもぞと中に入った。

「な、何故だ……アレキサンドロス……」

 項垂うなだれ、そして絶望しているリシャールを見て、デジャヴのような感覚を覚える。

「きっと、アレキサンドロスにも色々思うところがあるんだと思います……多分」
「思うところとは何だ」
「それは、その……」

 リシャールから恨めしそうな目で見られたアンネリーゼは、言葉を詰まらせる。

「そ、そういえば! 先程はどうしてリシャール様はずぶ濡れになってしまったのでしょうか!?」

 話題を変えようとアンネリーゼは必死に思考を巡らせていると、ふと先程の奇妙な現象を思い出し話題を強引に変えた。

「あぁ、その事か」

 かなり白々しらじらしいが、彼は話に食いついてくれたので胸を撫で下ろす。

「あれは、その……不本意だが、アレキサンドロスにやられたんだ」
「?」

 意外な返答にアンネリーゼは、首を傾げた。

「アレキサンドロスは、実は鳥ではないんだ」
「それは一体……」

 どこからどう見ても鳥にしか見えないと困惑する。

「精霊だ」
(せい、れい……せいれい? アレキサンドロスが、精霊……?)

 アンネリーゼは自らの胸元の膨らみを見遣みやる。鳥じゃなくて、精霊!? 
 確かに随分と賢いとは思っていたが……まさかの精霊!?

「まあ、あくまで私の予想だがな。アレキサンドロスは私が推測するに、水の精霊だと思っている。水を操るのを見るのは、実は今回が初めてではないんだ。他にも魔法のような現象を多々確認している。私も色々と調べてみたんだ。だがまあ、それを証明しろと言われれば難しいが、自信はある」
「精霊は文献で読んだ事はありますが、本当に存在するなんて……」

 屋敷の本棚の隅に追いやられていた古い書物。昔、何気なく手に取った事がある。それは文献ではあったが、まるでお伽噺とぎばなしのような内容だった。幼かったが非現実的な内容を信じる事はできず、再び本棚の隅に本を戻した記憶がある。

(え、でも、ちょっと待って……)

 アンネリーゼはふと思った。アレキサンドロスが鳥じゃなくて精霊。精霊という事は、もしかすると話をすることもできたりして……

「ア、アレキサンドロス……」
「ピ?」

 呼びかけるとアレキサンドロスは、もぞもぞとしながら顔だけを胸元から出した。大きな瞳で、首を少し傾けて不思議そうに見ている。その姿が愛おしく、思わず指で頭を撫でると目を細める。

(可愛い、可愛いけど……)
「リシャール様、もしかしてアレキサンドロスはお話しできるとか……」
「あー、いや。私もそう思い何度も確認してみたんだが、これまで人の言葉を話した事はない」
「そうなんですね……」

 少し安心した。もし普通に会話ができるなら、この状態は恥ずかし過ぎる……

(お風呂だって一緒に入っているのに……)

 今だってアレキサンドロスが胸の谷間に挟まり、スリスリしているのが分かる。時折ピーピーと甘えた声を出すのが聞こえ、口元が引きつってしまう。

「あの、リシャール様?」

 目を見張る彼は、ハッとした表情をしている。

「アレキサンドロス、お前……」

 独り言のように呟く彼に、アンネリーゼは目を丸くした。

「アンナマリー……私を暫くここに置いてほしい」
「はい?」

 突然訳の分からない事を言い出したリシャールに、思わず声が上擦うわずる。

「それはどういった……」

 意味なのか……。驚き過ぎて最後まで言葉が続かなかった。暫し、呆気に取られる。

「そうと決まれば、私の荷物を運ばせなければならないな」

 硬直するアンネリーゼをよそに、リシャールは部屋の外で控えていたリタへと声をかけた。

「今日から暫く、この屋敷で世話になる。部屋はそうだな……アンナマリーの部屋から一番離れた場所にしてくれ」
「え、あ、あの!! リシャール様!?」

 勝手に話を進めるだけでなく、部屋まで指定してくるとは、いくら王太子でも少し図々しいのでは……と思う。それに一番離れた場所って……。そこまで嫌なら今すぐ帰ってほしい……と思う。

「アンナマリー、勘違いしてくれるな。私はアレキサンドロスが心配なだけだ」

 どことなく言い訳じみた物言いに聞こえる。だが彼の真意はともあれ、相手は王太子だ。こちらに拒否権はない。アンネリーゼは諦めて深いため息を吐いた。


「ピ、ピ、ピ~」

 角砂糖を丸呑みして、ご機嫌なアレキサンドロスはテーブルの上でポテポテと行進をしている。その様子をアンネリーゼは微笑ましく眺めていた。

「やっぱり、可愛い」

 くすりと笑い、ふと思った。

(精霊って、性別あるのかしら……?)
「……」
(もしも、男の子だったら……)
「アレキサンドロス、ダメよ」
「ピ、ピ……」

 アンネリーゼがいつものようにお風呂に入ろうとすると、それを察したアレキサンドロスはすぐさま頭に止まった。普段はこのまま一緒にお風呂に入るのだが……

「アレキサンドロスは後で入れてあげるから、ね?」
「ピ~……」

 アレキサンドロスをテーブルにそっと戻した。すると悲しそうに見上げてくる。

(ダ、ダメよ……ほだされてはダメ。話せないといっても、精霊なんだし……もしかしたら、男の子かもしれないし……)

 今更だが一緒に入るのが恥ずかしくなる。

「……一緒に、入りたいの?」
「ピー!」

 ウルウルと訴えかけるように揺れる大きな瞳に、アンネリーゼは心はグラつきそうになるがグッとこらえる。だが胸が痛む。

「そうだわ! ねえ、アレキサンドロス」
「ピ?」

 不思議そうに首を傾げるアレキサンドロスに、アンネリーゼは笑いかける。名案を思い付いた。


「そういう事でして、アレキサンドロスとお風呂に入ってあげてください」
「ピッ!? ピー!! ピー!!」

 アンネリーゼは、リシャールの部屋に来ていた。リシャールが勝手に屋敷に住むと宣言した翌日、大量の荷物が屋敷に運び込まれた。半信半疑だったが、どうやら本気のようだ。部屋は彼の要望通り、アンネリーゼの部屋から一番遠い場所を用意した。

「お願いします、リシャール様」

 簡単に説明を終えたアンネリーゼは、アレキサンドロスを彼へと差し出す。するとアレキサンドロスは鳴きながら必死にアンネリーゼの手のひらにしがみついてきた。

「どうしたの? 私の代わりにリシャール様が一緒にお風呂に入ってくれるからね」

 性別は不明だが、飼い主である彼なら一緒にお風呂に入るくらいどうって事ないはずだ。思えばアレキサンドロスは屋敷に来たその日から、一緒にお風呂に入りたがっていた。きっといつもリシャールと一緒に入っていたのだろうと考えた。それに、一緒にお風呂に入れば仲直りもできて一石二鳥だと思ったのだが……

「ピー!! ピーピー!!」

 明らかに様子がおかしい……。拒否の仕方が尋常じゃない。もはや、仲違いをして気まずいとかの次元ではないと思う。


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