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92話
しおりを挟む「仲直りしないとね」
あの日から半年が経った。
今日は二年振りに収穫祭が行われる。レンブラントはハインリヒに強引に祭りに連れて来られていた。
「君達に拒否権はないよ。困るんだよ、何時迄も空気を悪くされると。公務にも支障が出るからね」
舞踏会の夜からレンブラントとユリウスは互いに歪み合い、執務室の空気は最悪で重苦しくなっている自覚はあった。だが強引に関係を修復させるのは如何なものかと思う。そもそも昔からユリウスとは大して交流もなければ関係性も良好な訳ではなかった。ティアナと知り合ってからは彼女を挟み微妙な間柄となったが、彼女の事を除いた所で別段仲良くしたいとも思わない。
「たまには、こういうのも悪くないだろう?」
平民の装いのハインリヒは上機嫌で、人混みを上手く縫う様にして歩いて行く。慣れた様子の彼からは常習性を感じ呆れた。その後をレンブラントは気乗りがしない中、付いて行く。更にその後からは仏頂面をしたユリウスとその部下等が付いて来た。
日は大分傾き、そろそろ日没だ。辺りは夕闇に包まれていく。周囲を見渡すと、徐々にランプや松明といった明かりに灯がともる。何処からともなく軽快な音楽が聞こえて来た。
「これは美味しそうだね」
着いた先には五人分の席を確保していたミハエル、ヘンリック、テオフィルが待っていた。簡易的なテーブルには既に大量の酒と屋台で調達したソーセージや串焼、チーズなどのつまみが並べられていた。その光景に一瞬目を見張り立ち尽くしていたがハインリヒに座る様に促され我に返る。
始めにハインリヒとミハエルが座り、ユリウス、ベアトリス、レンブラントと続いた。残りのヘンリック達は適当に座ったり立ったままで飲み食いを始める。行儀は良くないが、周囲を見れば同じ様な者達で溢れ返っているので目立つ事はなかった。
◆◆◆
錯覚を起こしそうになる。二年前の光景が蘇り、ミハエルは眉根を寄せた。
「こうして君と仲良く酒を酌み交わせる日が来るなんて、兄として嬉しいよ」
「……恐れ入ります」
「でも君は余り愉しそうじゃないね。クラウディウス兄上の方が良かったかい?」
「⁉︎」
予想外の問い掛けに飲み掛けの酒瓶から手を滑らせるが、何とか掴み溢さずには済んだ。胸を撫で下ろしながらハインリヒの様子を窺うと彼は不敵に笑った。
「君は正しい判断をした。本当の正義など、この世界には在りはしない。分かっただろう?」
「分かりたくありません……。確かにクラウディウス兄上は利用され道を踏み外してしまったかも知れません。ですがそれはきっと、この国をより良くしたいと希望や願いから生まれた強い想いに付け込まれたと俺は思っています。こんな結末になった今でも尚クラウディウス兄上は正義を捨てていない」
クラウディウスを庇おうとは思っていないが、ただこの三兄弟の中では誰よりもこの国の未来を案じ平和を願い正義を重んじていると思う。甘いと叱責されるかと身構えるが、意外にもハインリヒはそれ以上何も言わなかった。代わりに何故か頭を撫でられ、あやされた様に感じムッとする。
「ちょっと、折角の祭りなのに辛気臭いんだけど」
そんな時、不満気に声を上げたのはユリウスとレンブラントに挟まれ座っていたベアトリスだった。始めレンブラントの隣だと燥ぎ喜んでいた筈だったが、今は二人の険悪さにうんざりした様子だ。先程からユリウスとレンブラントの二人は一言も発していない。互いに視界に入らない様にして座りながら只管酒瓶を煽っている。この二人も本当に難儀だと思った。
ティアナ・アルナルディがいなくなりレンブラントは人が変わる程傷心し、ユリウスも又表面には出さないがかなり精神的にやられているのだと分かる。斯く言う自分も人の事をいえたものではない。
「こんな美人が隣にいるのよ⁉︎ もっと愉しそうにしてよね!」
「お前はどれだけ強心臓なんだ!」
呆れ顔のカミルの突っ込みに周りも同じ様に思っているのだろう、苦笑する。
「レンブラント、流石に飲み過ぎです」
暫しそんな状態が続いたが、不意にテオフィルがレンブラントに声を掛けた。彼の声にミハエル等の視線は一斉にレンブラントに集まる。足元には酒の空瓶が何本も転がっていた。確かに飲み過ぎだと思うが、それでも彼はまだ飲み続けていた。
「レンブラント」
お節介な性格のテオフィルは態々近寄りレンブラントから酒瓶を取り上げた。
「……別に構わないだろう、君には関係ない」
「聞きましたよ。貴方、今夜だけでなく屋敷に帰ってからも毎晩そうやって飲んだくれているんでしょう? いい加減にしないと身体を壊します」
「っ、関係ないって言ってるだろう‼︎」
バンッと勢いよくテーブルを叩き立ち上がるとテオフィルから酒瓶を奪い返した。そしてそれを一気に飲み干すが、今度は力なくズルズルと座りテーブルに突っ伏した。そして又酒瓶に手を伸ばす。テオフィルは顔を歪めせながらも元の場所へと戻って行った。
気不味い空気が流れる中、ミハエルの視界に人混みを掻き分け此方へと向かって来る人影が見えた。隣にいるハインリヒやユリウス達も気が付いのかその場に一気に緊張が走る。隠し持っていた剣に手を掛けた。
外套を頭からスッポリと被った不審な人影はレンブラントの前へ来ると驚いた事に先程テオフィルがした様にレンブラントから酒瓶を取り上げたのだった。
◆◆◆
毎日今日こそは酒を飲み過ぎない様に思いながら、気が付けば一瓶は空になっている。今夜は何時にも増して飲み過ぎている自覚はあったが、やめられない。嫌でも二年前の事が頭を過り酔いも手伝い、仕舞いには彼女の幻影すら見えてきた。
初めての祭りに愉しそうにしながら笑う彼女が自分に話し掛けてくる。
『何だか凄く新鮮で、胸がドキドキしてます』
『孤児院の子供達が毎年愉しみにしているのを見てて、私も一度来てみたいなって思っていたんです』
『やっぱり、レンブラント様は凄いんですね』
そんな幸せな幻影に浸っていた時だった。一気に現実に引き戻される。何故なら酒瓶が宙に浮いたと思ったら又取り上げられたのだ。沸々と怒りが湧き起こる。心配して貰えるのは有り難い事だと分かってはいるが、良い加減にして欲しかった。
「だから僕の事はっ……」
レンブラントは苛立った様子で顔を上げるとそのまま固まる。これ以上ない位に目を見開き心臓が早鐘の様に脈打ち、それが全身に広がっていく感覚を覚えた。
「飲み過ぎは身体に毒ですよ」
その瞬間、時間が止まった様に感じた。レンブラントは勢いよく立ち上がると声の主である外套の人物を掻き抱いた。その衝撃の所為で、相手の手からカランッと音を立てて酒瓶が地べたに落ちて転がったが、そんな事はどうだっていい。隣に座っていたベアトリスやユリウス達は呆気に取られた様子で皆一様にこちらを見ているが、そんな事もどうだっていい。これが幻影だろうが夢だろうが、それすらもはやどうだって良かった。
「でも僕が、身体を壊したら君が看病してくれるんだろう?」
レンブラントは顔をくしゃりと歪ませ、声を震わす。腕の中で身動ぐ人物は彼の腕の中から抜け出すと徐に被っていたフードを外した。すると松明を受け燃える様に赤い瞳と美しい銀色の髪が現れた。涼やかな夜風にフワリと揺れている。
「はい、良いですよ。でも、そうなる前に私がレンブラント様を止めますから心配無用です。約束、しましたから」
収穫祭の夜、消えた筈の聖女が再び舞い戻って来たと、暫くの間民衆や社交界ではその話で持ちきりとなった。
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