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91話
しおりを挟むあの聖女騒動から五ヶ月が経った。
クラウディウスやフローラの影響で王家の信頼は地に落ちてしまっていたが、国王が復帰し王太子の座に新たにハインリヒが就いた事で貴族等や民衆達からの信頼も大分回復してきた様に思える。当初聖女と言われたフローラは今や魔女として名を残し、その魔女を退治したティアナは真の聖女として人々の間では語られていた。
ティアナがいなくなり友人のレンブラントは人が変わってしまった。昔から社交的で明るく温厚だった彼は、今や人を寄せ付けない雰囲気を纏い暗く寡黙な人間になっている。その事から、彼にとってティアナは人間性を変えてしまう程に大切な存在だったという事がよく分かる。
ふと彼女の傍で笑う彼の姿や彼女の話をする彼が幸せそうにしていたのを思い出す。それなのにも関わらず婚約破棄をしてヴェローニカを選んだ時には非常に驚き正直軽蔑さえしたが、後からあれ等が全て演技だったと知る事になり、無知で無力な自分に苛立ち又悲しくもなった。敵を騙すならまず味方からなんて言葉があるが、自分やヘンリックくらいには打ち明けて欲しかった。知った所で何か出来たかと問われても正直分からないが、友人として力になりたかった。
「何か随分と久しぶりだよな」
少し顔を赤らめたヘンリックは赤ワインの入ったグラスを呷る。
今夜は久々に城で舞踏会が開かれていた。最後に開かれたのはレンブラントがティアナに婚約破棄をした時だった事を考えると半年以上は経っている。
一時期危篤までいった国王は今はもうすっかり回復し以前の様に公務をこなしている。又新たな王太子に就いたハインリヒは早速手腕を発揮している様だ。クラウディウは無罪放免となり屋敷に篭りながらも陰ながらハインリヒを支えていた。落ち着く場所に落ち着いた様に思えて、たまに複雑な気持ちになる。
「でも味気ないな」
「そうですね、本当に……」
ずっと一緒だった四人は、今はバラバラになってしまった。レンブラントはハインリヒの側近となりテオフィルとヘンリックは第三王子のミハエルの側近に抜擢され働いている。
「随分と陰気臭いな」
クラウディウスと違い群れるのを好まないミハエルは一人になりたがる。今夜も例外ではなく広間に着くなり一人さっさと離れて行った。
「ミハエル殿下」
「ハインリヒ兄上が気に入らないのか」
げんなりした様子で戻って来たミハエルを見て苦笑した。揉みくちゃにされたのか、髪や衣服に乱れが見えた。
未だ婚約者のいない彼はこういった場所では令嬢達から言い方は悪いが狙われている。又学院を卒業しハインリヒの仕事を手伝う様になり少し大人びた雰囲気に変わった事で拍車が掛かったのかも知れない。
「いえ、そんな事はありませんよ。ただ気持ちを整理するにはもう少し時間が必要かも知れませんが」
「俺は気に入らないがな」
「ヘンリック、貴方はまたそんな事を……」
内輪で話す分には構わないが、流石にこんな誰が聞いているかも知れない公の場では不味いとテオフィルはヘンリックを諌める。旧王太子派の自分達がハインリヒを批判しているのを誰かに聞かれでもすれば揉め事になリ兼ねない。
「テオフィル、言わせてやれ。ハインリヒ兄上は一々気に留める様な繊細さは持ち合わせていない」
そんな事を話していると噂をすれば何とやら、ハインリヒ等が歩いて来るのが見えた。レンブラントやユリウス、その部下を引き連れている。
「やあ、ミハエル。僕の悪口でも言っていたのかい」
「違います」
「即答する辺り怪しいな」
むすっとした表情のミハエルに少し酔っているのか頬を赤らめたハインリヒはウザ絡みをしている。以前は距離のある兄弟に見えたが、今は大分その距離は縮まった様に見える。
「それより聞いてくれるかい。さっきのレンブラントが傑作でね」
「……余計な事を言わないでくれますか」
「ハハッ、良いじゃないか。君の友人にも是非教えてあげたいんだ」
一瞬不敵に笑ったハインリヒに、本当は彼が全く酔っていないのだという事が分かった。相変わらずの曲者振りだ。
「ダンスをせがむ令嬢達を『僕は愛する人以外とは踊らない』と一蹴していたんだよ」
「……」
レンブラントはあからさまに嫌そうな表情で顔を背けた。それはそうだろう。どんな意図があるかは分からないが無神経にも程がある。
「ねぇ! それって、私の事でしょう?」
気不味い空気の中、もう一人無神経な声を上げたのは彼等の後方から現れた長身の女性だった。確か彼女の名はベアトリスだった筈だ。珍しい女騎士でユリウスの部下だ。鍛えているだけあって筋肉質で引き締まった体付きだ。そんな彼女は聞いた話ではレンブラントに懸想しているという。
「そんな訳ある筈ないだろう」
ベアトリスの隣にいた同じくユリウスの部下であり友人でもあるカミルが呆れた様に肩をすくめる。
「失礼ね! そんな事聞いて見ないと分からないでしょう? ねぇ、レンブラント。照れなくても良いのよ? この際だからハッキリ言って」
冗談とも本気とも取れる言動をするベアトリスは、今度は軽快な足取りでレンブラントの正面に回り込むと彼へと手を伸ばした。
「っ‼︎」
パンッと乾いた音と共に手を弾かれたベアトリスはバランスを崩し危うく転びそうになるが何とか踏ん張った。その場に沈黙が流れる。だがそれを破ったのは意外な人物だった。
「レンブラント・ロートレック、何時までそうやって悲劇の主人公を気取っているつもりだっ」
ユリウスはレンブラントの胸ぐらを掴み凄む。だがレンブラントは彼を見ようともせずに視線を逸らしていた。
「ユリウス、こんな場所でいけませんよ」
ユリウスの部下であるマインラートが冷静に彼を制し胸ぐらを掴んでいる腕を掴んだ。ユリウスは顔を歪ませながらも突き飛ばす勢いでレンブラントから手を離した。その衝撃で何かをレンブラントは落とす。それはカランっと音を立てて床に転がった。
「ねぇ、何か落ち……」
「それに触るなっ‼︎」
ベアトリスが触れようとするが、レンブラントは素早くそれを拾い上げ隠した。一瞬だったが髪飾りだと分かった。
「もう、僕の事は放って置いてくれ」
何時の間にか周囲から注目の的になり遠巻きに人集りになっている中を、レンブラントは人を掻き分ける様にしてその場から去って行った。
◆◆◆
あの日からもう直ぐ半年が経とうしていた。
祖父のダーヴィットが他界した。病床に伏せる様になってから僅か一ヶ月と少しと呆気ないものだったが、穏やかな最期だった。
「もう少し、しぶといかと思ったのにね……」
レンブラントはダーヴィットの墓の前で苦笑する。葬儀は数日前にロートレック公爵家の名に恥じぬ様にと大規模で執り行われたが、両親は淡々としており特別変わった様子は見られなかった。相変わらず冷淡な人達だと思ったが、自分も似た様なものなので人の事を言えた義理ではない。
ダーヴィットの墓石は本人の希望通りロミルダが眠っている教会の墓地に埋葬した。
ーー自分の伴侶は自分の責任で探す。
ふと何故かその言葉が頭に浮かんだ。愛する人と結ばれる事が出来なかった祖父の想いがそこには込められている。以前は面倒だと思い何なら政略結婚の方が良いとすら思っていたが、彼女と出会って考え方が変わった。
『君がいない人生は、どうしようもなく、孤独だった』
ダーヴィットがロミルダに言った言葉が重くのし掛かる。
元に戻ったとまではいかないが、クラウディウスも無罪となり、今はエルヴィーラに支えられてながら生きている。別々にはなってしまったがヘンリックやテオフィルだって元気にやっている。レンブラントには新たな主君に鬱陶しい同僚達だって出来た。決して一人な訳ではない。
ーーただ君がいない、ただそれだけ。それだけなのに、どうしてこんなにも孤独なのだろう。
以前祖父に貴方とは違うと豪語したものの、今なら少しだけ妥協してもいい。多分ダーヴィットも今の自分と同じ様な思いを味わっていたのだろう。
「お祖父様……。それでも僕は、やはりお祖父様の様にはなれない」
ダーヴィットを見舞った後、自分なりに努力をしてみた。酒の量を減らしてみたり、彼女の事を考えない時間を作ってみたり、莫迦みたいだが鏡相手に笑う練習もしてみた。だがどれも無意味にしか思えなかった。努力をすればする程虚しさを覚え、彼女がいない事を思い知らされた。
「彼女を思い出にするなんて、無理だ……。僕には出来ない」
もしもダーヴィットがレンブラントの立場だったならば、ティアナを想いながらも何時かは結婚をし子を成しそれなりに生きて行くのだと思う。だが自分にはそんな器用な生き方は出来そうもない。
「君のいない世界はこんなにも色褪せて見える。まるで光のない冷たい暗闇の中に一人だけ放り込まれた様なんだ」
レンブラントは側にある彼女の墓石にも、手にしていた花を供えた。
『レンブラント・ロートレック様でございますね』
『デートなんて、どうでも良いんです!』
自分を追い回していた彼女は、自分ではなく祖父のダーヴィットが目的だった。
『ダーヴィット・ロートレック様にお会いしたいんです』
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『祖母が何より大切にしている自慢の庭なんです』
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『今この場で私も神に誓います。この先何があろうとも、私はレンブラント様のその言葉を信じます』
教会で彼女と愛を誓い合った。
『それは私達も、ですか』
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『レンブラント様、私はここにいます』
陶器の様に白い肌と青みがかった銀色の美しい髪、ルビーの様に赤い瞳……偽聖女として姿を現した彼女は何処までも気高く美しかった。
『……報告していました』
『はい、お祖母様の昔愛した方の孫息子様と恋をしましたと』
『この度、私ティアナ・アルナルディはハインリヒ王子殿下と婚約しましたと』
自分で手放した癖に彼女が他の男のものになったと知り、本当は嫌で嫌仕方がなかった。だがこれで良かったと自分に言い聞かせて、自分を無理矢理納得させるしかなかった。
『レンブラント様、どうして』
あの日の朝、もう彼女に会えないと思ったら又勝手に身体が動いていた。気が付いた時には彼女に会いに行っていた。鉄柵越しに触れた彼女の手は柔らかくてとても温かった。
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懐からハンカチに包まれた髪飾りを取り出し、強く握り締めた。
ーー例え君はもう居なくても……後にも先にも僕が愛するのは彼女だけだ。愚か者だと言われようとも、これ先他の女性と結婚するつもりはない。
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