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88話
しおりを挟むカランッと音を立てて剣が床に転がる。手から剣が滑り落ちた。剣を振り上げた瞬間、また風を感じた。それだけではない。その風はまるで生きているかの様にレンブラントの腕に絡み付いてきて、剣を手から離させたのだ。
「っ⁉︎」
レンブラントが呆然としているとティアナがゆっくりとこちらへと歩いて来た。
「レンブラント様、ハインリヒ様からお伺いしました。私を護る為にワザと突き放し遠ざけた事、私の幸せを願ってくれた事……。レンブラント様、私の幸せは貴方が幸せである事です。私は貴方を苦しめ悲しませるものを赦したくない。あの時、貴方は私を救い出してくれました。だから、今度は私の番です」
「ティアナッ⁉︎」
背を向け駆け出す彼女の腕に手を伸ばすと僅かに掠めたが手を擦り抜けた。彼女はその瞬間振り返り、ふわりと笑った。久しぶりに見た彼女の笑顔だった。あぁ、僕の好きな彼女の笑顔だ……そんな風に思った。
「嫌っ‼︎ 来ないで! アンタだって同類の癖にっ、何でよ⁉︎ やめて‼︎」
そしてティアナが脅えるフローラの腕を掴んだ瞬間、視界は眩い程の光に包まれた。
ーーそれが彼女の最期だった。
◆◆◆
光が消えた後、広間からティアナもフローラも跡形も無く消えていた。
レンブラントは混乱しながらただ立ち尽くした。一体何が起きたのか分からない。瞬きすら忘れ放心状態でティアナが消えた場所へと蹌踉めきながらも歩いて行く。コツンッと靴に当たった物を徐に拾い上げるとそれは髪飾りだった。飾りっ気のなかった彼女が唯一何時も身に付けていた物だ。
どれくらいそうしていたのか分からない。放心状態で立ち尽くす中、バタバタと広間に人が雪崩れ込んで来た。ミハイルやユリウス達が兵士等を引き連れているのが視界に入る。彼等もまた何が起きたのか分からず呆然としていた。
「わ、私は……何て事をっ」
「お、おい! クラウディウス⁉︎」
「貴方元に戻ったのですか⁉︎」
正気を取り戻したクラウディウスは、これまでの自分の行いを悔いて剣先を自身へと向ける。止めなくては……頭ではそう思うが身体が微動だにしない。だが意外にもハインリヒがクラウディウスを止めた。
「兄上、貴方には生きて貰わないと困ります。そうでないと僕は嘘吐きになってしまいますから」
その瞬間沸々と怒りの様な感情が沸き起こる。
嘘吐きになる? 既に十分過ぎるくらいに嘘吐きだろうと思った。
「貴方は僕に約束を守ると言ってそれを反故にした癖に、今更そんな事を言うんですか」
「確かに僕は約束を守るとは言ったよ。だからこそ安心していい、兄上の命は保証するし君達の事は不問に処す。レンブラント、実は彼女との約束には続きがあってね。聖女となりフローラを無害にする事、彼女はその約束を果たしただけだよ。君も分かっていただろう。兄上はフローラの力の中毒になっていた、あのままの状態ならば極刑は間逃れない。兄上を失えば君が悲しむ。正気に戻す方法は力の根源であるフローラそのものを滅する他なかった。レンブラント、彼女は君の為に自らを犠牲にしたんだ。これは彼女自身の願いであり望んだ結末なんだよ」
ハインリヒはそう言って笑った。だがその顔はどこか憂いを帯びて見えた。
それから何時どうやって帰って来たのか分からない。覚えているのは断片的な記憶だけだ。気が付いたらレンブラントはロートレック家の屋敷の自室にいた。山積みになった資料を見てただ虚しさだけを感じた。
ーー三日後、彼女の葬儀が行われた。
また気が付いたら今度は彼女の墓石の前に立っていた。この数日の記憶がない。
ハインリヒにユリウス、ミハエルやヘンリック、テオフィル、エルヴィーラが彼女の死を悼み墓石に花を供えていた。レンブラントはボンヤリとする頭でその光景をただ眺めていた。
「レンブラント……貴方で最後ですよ」
テオフィルの声にレンブラントは我に返った。ボンヤリとした思考がスッと靄が晴れていく様に鮮明になっていく。手にしていた小さな花束を持つ手の震えが止まらず、左手で思わず花を握り潰してしまった。
「お、おい」
「レンブラント……」
哀れむ視線が痛いくらいに突き刺さり、もうそこで限界だった。
「ダメだ……」
レンブラントは手にしていた花束を振り上げそれを彼女の墓石に投げ付けた。その瞬間、側にいたユリウスに殴り飛ばされ地べたに転がってしまう。血が唇を伝うのを感じた。口の中が血の味がする。
「ユリウス! お前っ‼︎」
「ヘンリック、やめて下さい!」
ヘンリックがユリウスに殴り掛かろうとするのをテオフィルが必死に止めている。まるで他人事の様にその光景を呆然と眺めていた。
「貴様は彼女の為に花の一本も供える事が出来ないのかっ⁉︎」
普段感情の薄いユリウスが珍しく怒りを露わにして声を荒げている。よく見ると瞳の奥が揺れてる事に気が付いた。
「あは、ははっ」
思わず笑い声を上げたレンブラントに、皆困惑を隠せない。
レンブラントは徐に立ち上がると、彼女の名が刻まれている墓石を見下ろす。瞬間心臓を握り潰されたかと思うくらいの痛みに襲われる。
「こんな空っぽの墓がっ、彼女の墓など僕は認めないっ‼︎」
風音さえしない中、レンブラントの叫び声が辺りに響いた。誰もが黙り込む中、そのまま踵を返し逃げる様にしてその場から去った。これ以上彼女の名前が刻まれた墓石を見ていられなかった。
背中越しに話せない筈のエルヴィーラの啜り泣く声が聞こえてきてそれが嫌に耳についた。
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