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81話
しおりを挟む馬車に揺られる事もう十日は経つだろうか。こんなに長い距離を移動するのも馬車に揺られるのも生まれて初めてのティアナは大分疲労していた。
「大丈夫か」
護衛で付いて来ているユリウスは、先程からずっとティアナを心配して背中を優しく摩ってくれている。彼は普段と変わった様子はない。流石鍛えているだけの事はあると関心してしまう。
「はい……」
「無理はするな。少し休むか?」
「いえ、大丈夫です……」
少し前に二つ目の国境を越えたので、今日中には目的地に到着出来る予定だ。もう少しの辛抱だと耐える。
「着いたら起こす。少し寝ると良い」
ティアナは限界だった為彼の言う通り、瞳を伏せ座ったまま仮眠をとることにする。薄れゆく意識の中、ユリウスが上着を掛けてくれるのが分かり礼を言おう口を開くが眠すぎて声が出なかった。彼が笑った気がして抗議しようとするもやはり何も言えずそのままティアナは眠りに落ちた。
その日の夕刻、目的地であるミストラル国の城下町へと到着した。街中を抜け城へ向かう。門兵にハインリヒから預かった書状を渡すもかなり不審そうに見られた。不安になりながら返答を待っていると、暫くして侍女がやって来た。ティアナ達は彼女に案内されようやく城の中へと入る事が出来た。
明るい金色の一つに編み込まれた髪と、深い緑の瞳がとても印象的な長身の美しい女性が出迎えてくれた。
「ハインリヒ王子から頂きました書状を拝見致しました。お話は大体分かりました。ティアナ様、私が知っている事なら何でもお答え致します」
その夜、ティアナは用意して貰った部屋のベッドで横になったが、彼女から聞かされた話が頭から離れず中々寝付けずにいた。
ハインリヒに彼女に会う様に言われ態々こんな異国の地まで来た。因みに婚約は断ったが、ハインリヒが押し切る形で無理矢理保留となってしまった。どうやって断れば良いのか悩ましい。
先程まで話をしていた彼女の名はミレイユ・ミストラルという。この国の王太子妃にして聖女と呼ばれる存在だ。そんな彼女は少し話しただけでも分かる程慈悲深く人格者といえる女性だった。正に聖女と呼ぶに相応しいだろう。
『私は以前フローラ様にお会いした事がございます。彼女は一時この城で過ごされておりました』
数年前、生き倒れていたフローラを偶然ミレイユが見つけ助けたそうだ。その時暫く城で療養させていたが、ある日フローラは突然姿を消したらしい。
『フローラ様を城で保護していた理由は、彼女もまた私達と同じ力を持つ者だったからです』
ミレイユが私達と言った時、何故か心臓が大きく脈打つのを感じた。だが平然を装い彼女の話に耳を傾けた。
『花薬の事は以前ハインリヒ王子からお伺いしております。ティアナ様が作られていらっしゃるのですね』
ハインリヒが彼女に何を話し書状に何と書いたかは分からないが、どうして誤解を招く様な事を伝えるのか……ティアナは内心ため息を吐く。そしてミレイユに誤解のない様に丁寧に訂正をした。
『ハインリヒ王子が仰ったのではなく、私がそう確信したのです。私達は分かるんです。ティアナ様も本当は感じていらっしゃる筈ですよ』
彼女の言っている意味が分からない。何が分かるのか? 何を感じるのか? 私には分からない、私には……。
「⁉︎」
目を開けるが眩しさにティアナは再び目を瞑った。カーテンの隙間から日の光が差し込んでいる。どうやらいつの間にか眠っていた様だ。寝汗の所為で身体がベタついていて気持ちが悪い。ティアナは身体を起こすが気怠さに立ち上がる気になれずその場に座る。暫くぼうっとしながらそうしていると扉を叩く音がした。
身支度を整えたティアナは侍女に案内され食堂へ向かう。食堂に着くとそこにはミレイユとユリウスが既に席に着いていた。
「遅くなり申し訳ございません」
湯浴みをしたいと侍女にお願いしたのだが結構な時間が過ぎてしまった。
「お気になさらないで下さい。今ユリウス様にティアナ様のお話をお伺いしていた所なんですよ」
訝しげな目でユリウスを見るが、彼は澄まし顔で優雅にお茶を啜っていた。一体何を話したのか気になる……。
「昨夜は良く眠れましたか?」
「は、はい……」
正直余り寝覚めは良くないが、ミレイユの問いにティアナは笑みを浮かべ頷いた。
「ティアナ様、宜しければ朝食が済みましたらご一緒に街へお出掛け致しませんか」
城下町の外れにある高台から、ティアナとミレイユは街全体を見下ろしていた。街中を行き交う無数の人々が驚く程小さく見える。高さがある所為か頬を掠める風が冷たく強く感じる。
少し離れた物陰にはユリウスやミレイユの護衛が待機していた。
「綺麗な景色ですね」
「私のお気に入りの場所なんです」
素直な感想を述べると彼女は嬉しそうに微笑み目を細めながら街を眺める。ティアナは先程通って来た街並みを思い出した。当たり前ではあるが自国のジラルディエールとは大分違った印象を受けた。ジラルディエールも豊かな国であるがこの国はそれだけじゃない。行き交う人々から力強く光る生命力の様なものをヒシヒシと感じた。無論実際に目に見えた訳ではない。
「ティアナ様、少し私の戯言に付き合って頂けますか」
ミレイユは元々孤児であり、血の繋がった家族がいない事、教会に併設された孤児院で育ち、偶然立ち寄った神官に見出され聖女となりその後王太子妃へと召し上げられた事を聞かされた。
「この国は遥か昔から聖女を崇める慣習があります。常に聖女は存在し続け、聖女が亡くなると直ぐに次の聖女が探し出される。聖女の条件は聖なる力を用いて聖水を生成出来る事です。聖水とはティアナ様のお国で例えるならば花薬と近いものと言えます。昨夜も申しましたが、ティアナ様は私と同じ存在なのです」
「……私にはミレイユ様の様な特別な力はありません。花薬を作っていたのは祖母であり私ではない。私には作れないんです」
花薬が聖水と同じだというならば尚更自分に作れる気がしない。ただミレイユの話を聞いて腑に落ちた。ロミルダはやはり特別な存在だったのだ。気高く慈悲深く、どんな時だって優しく微笑んでいた。そんな祖母の様にならなくてはならないと必死に真似をしたがティアナには荷が重かった……。
でもあの時彼は、私は私だと言ってくれた。だがそれも事実を知った今では滑稽としか思えなかった。そもそもが同じ舞台に上ろうなど考える事自体が烏滸がましい事だったのだ。莫迦な自分が情けなくなり顔を背ける。
「ティアナ様。ハインリヒ王子からの書状には、ティアナ様から訊ねてきた事柄を教えてやって欲しいとありました。ただそれは逆を返せば聞かれなければ教える必要はないという意味にもなります。ハインリヒ王子が何故ティアナ様を私の元へ寄越されたかは分かり兼ねますが、あの方は思慮深く先を見通す力がある方です。必ず意味がある筈です」
『無理強いは好きじゃないからね。ただ彼女なら君が探している答えを教えてくれる筈だよ』
出立前のハインリヒの言葉を思い出し、ティアナは唇をキツく結ぶ。
このまま帰った所で何も変わらない。確かにハインリヒに言われてミレイユに会いに来たが、強制された訳ではない。自分の意思で彼女に会いに来た。それは多分、心の何処かでこのままではダメだと理解して変わらなくてはいけないと思っているからだ。
ーーこのまま帰るなんて出来ない。
「ミレイユ様、教えて下さい」
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