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case1.亜子の場合
04.亜子、お姫さまになる
しおりを挟む蘭がピアノのレッスンに行くと、ようやく亜子は旦那様に連れられ、自分の家に案内された。
そう、部屋ではなく家である。
安宅の屋敷は本邸がひとつに別邸が3つあって、3つ目の別邸は言わずもがな亜子のために造られた新築とのことだ。別邸とはいえ2階建てで、亜子がそれまで暮らしていた家と同じくらいの広さがあり、家に入ると新しい木材の匂いが感じられた。
内装は淡いペパーミントの壁紙と白い家具で統一され、亜子にはちょっと可愛すぎて使うのがもったいない。部屋のリビングに入ると、旦那様は内装を変えたければいつでも言って欲しいと言われた。
「そんな、もったいないです」
「いいんだよ。亜子の趣味も聞かず、こちらで揃えただけだから。亜子が使いやすいように変えてくれたらいい。ね?」
「はい……旦那様」
返事をすると、旦那様がゆっくりと亜子の腰を抱いた。腰と腰をぴったり合わせ、優しい目が亜子を見下ろしている。
こうして身体を合わせてみると、彼は随分背が高かった。亜子も女性の中では背が高い方なのに、彼の顔を見るには顔を上げなくてはならない。
「いい子だね。キスしてもいいかな」
「……はい」
恥ずかしさと戸惑いで目を伏せながら返事をすると、旦那様が顎を持ち上げて唇が触れた。ちゅ、ちゅ、と音を鳴らして啄ばむようなキスは一回で終わらず何度も繰り返される。
亜子は恥ずかしさで身をよじらせるのに、旦那様は腰をがっちりと掴んで離してくれそうにない。それに彼が啄ばむのは唇だけでなく、頬や顎のライン、耳までにおよんで、くすぐったい。
もしかして、このまま……?
まだお風呂にも入っていないけど、旦那様がそれでいいなら仕方ない。新幹線の中でシャワーくらい浴びておけば良かったと後悔しながら彼の背中に腕を回すと、何故かそこでようやく唇が離れた。
と思うと、彼が耳元で艶っぽく囁く。
「亜子。舌を吸ってもいい?」
「へ? あ……」
何を言われているのか一瞬戸惑ったが理解して、亜子は素直に舌を出した。すると彼の舌が亜子のそれに合わさり、ふちを撫でられ、唇が割り開かれてぬるぬるとした感触が口内をまさぐった。
他人と唾液が混ざり合うのははじめての感覚で、亜子は脳内までも彼の舌が入ってきているように思えて仕方なかった。
「んん……」
目を閉じて必死に彼の舌を追いかける。どれくらいかの時間、ふたりは立ちぼうけでずっといやらしいキスをしていた。やがて腕の力が弱まって、糸をひきながら唇が離れていった時には、亜子はどこもかしこも真っ赤に染まっていた。
「ふ……」
「はっ……、かわいいね、亜子。キスはしたことあるの?」
頭を振って否定すると、今日会ったばかりの夫は少し驚いた声を出した。
「そうなんだ」
「あの、もうするんですか?」
「それもいいけど、せっかくはじめての夜だし、今夜はレストランを予約してある。もう少ししたら出ようと思うけど、亜子はカクテルドレスを持ってる?」
また首を振る。
今までは言わずもがな、カクテルドレスが必要なほどの場所とは無縁な生活だった。正装といえば、今着ている制服に他ならない。
「じゃあ、あとで見に行こう。30分になったら玄関の前に来て」
「はい、だんなさま」
「うん、よろしくね、亜子」
そう言うと頬にひとつキスをして、旦那様はまるで何事もなかったかのように亜子の家を出ていった。
一人で家に取り残され、亜子は先程まで彼の舌が這っていた唇に指を這わせた。
*
お伽話のプリンセスになったような気分だった。
ひとっ風呂浴びて私服に着替え、屋敷を出た亜子は旦那様にリードされ、運転手付きの車でまず彼の妻たちが行きつけにしているという店に向かった。
そこで店員の見立てたドレスと靴をいくつか試着させられ、彼に見てもらいながら似合うものを探した。
ドレスを着るなんてことは初めてで落ち着かず、自分には似合わないと思っていたが、さすが店員はよく心得ていた。亜子に似合うものをたくさん持ってきて、鏡の中の彼女はいつもと違う自分に大層驚いていた。
中でも亜子に似合っていた、家の壁色と同じペパーミントのマーメイドドレスを着て行くことになり、さらにお店では化粧とヘアセットまでしてくれた。
最後に全身鏡で自分を見た亜子が気になったのは、ドレスから覗く肩のタンクトップ型の日焼けだった。他はすべからく綺麗に整えられて、まるで自分じゃないみたいなのに、肩だけが不恰好な自分を主張している。
店員はいち早くそれを察知し、薄手の少し濃い緑色のショールを持ってきてくれた。商売上手な店員に乗せられ、結局それも旦那様に買ってもらうことになった。
全ての支度が終わったとき、旦那様はすでに会計を済ませて、しかも他のドレスまで買って亜子を待っていた。
彼も着替えたらしく、ラフな格好からきっちり誂えられたスーツを身に纏っている。その姿は流石に見応えのあるものだった。
「ああ、とても綺麗になったね」
「旦那様も……すてきです」
「はは。亜子から見れば僕はもうおじさんだから、こうして整えないとね」
「そんなことありません」
彼の自嘲に、自分で思っていたよりも素直に言葉が出た。
それほど、今夜の亜子の旦那様は素敵だった。
今の私にはお伽話の魔法がかかっているのかもしれないーー亜子はふわふわとした心持ちで彼に連れられ、また車に乗ってレストランへ向かった。そこは夜景の美しいモダンなお店で、亜子と旦那様はまずシャンパンで乾杯をした。
「私、未成年ですよ」
「君はもう僕の妻だ。結婚すれば未成年でも大人だろう? それにリナリアでそんな些細な事を気にする人間はいないよ」
亜子は一般家庭で育ったから、二十歳までは飲んではいけないと教わっているが、ここではそんなものなのだろうか。ことごとく常識が通用しない。
とにかくここへ来る前にも車の中で呑んだくれていた亜子にとっても、そんな問題は今更だった。シャンパンを空け、目の前の旦那様と話をしながら次々に運ばれる料理を堪能した。
酒の力もあって緊張が抜け、亜子はいつもより饒舌に話をすることができた。両親のこと、学校のこと、友人のこと。
つい口が滑って、自分が王子と呼ばれていたことや、卒業式で友人にありえないと言われたこと、バレンタインデーに集団で告白してきた後輩女子のことまで話してしまった。亜子のとりとめない話を、旦那様は優しい目つきで聞いてくれていた。
豪華なディナーが終わってあとはデザートというところで、旦那様は夜景の綺麗な窓を指さした。
「あっちを見てて」
なんだろうと思うと、ふと電気が消えて窓の向こうに大きな花火が上がった。夏の祭りでしか見ないような、大きな花火。しかも、どんどん打ち上がってゆく。亜子は時間を忘れてそれに見入っていた。
10分ほどして打ち上げ花火が終わると電気がついて、テーブルの上には可愛らしいケーキの皿があった。出来過ぎな状況に目眩がする。
「このレストラン、土日と祝日には毎回こうして花火が上がるそうだよ。初めて見たけど、なかなか良いものだったね」
「ここに来られたことは無かったんですか?」
「うん。この花火が人気で、なかなか予約が取れなくてね。今回早めに予約してよかった。気に入った?」
「はい、とても」
「ならまた来よう。僕もここは好きだ」
くしゃりとしわを寄せて笑う旦那様と約束をして、亜子はレストランを後にした。
リナリアで生活している彼にとっても今夜は初めての出来事だったと知り、亜子は少し嬉しく思った。
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