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Ⅵ. 暁の章
07′穏やかなものたち
しおりを挟む弑し、奉る。
一瞬意味がわからなかったが、しんと張りつめた空気で理解する。つまりは王を殺せと。
大罪人になれと。
ロイに。
「っ、ふ、ざけんなよ、シェル!」
「アイリーン」
「そんなのっ、あんたらが勝手にやればいいことだろ! なんでロイを巻き込むんだよ。王族殺しなんて、ましてや王様殺しなんて何があってもしちゃいけない! 分かってんだろ?!」
「アイリーン、アリン、落ち着け」
頭に血がのぼり、ふうふうと荒く息を吐くアイリーンをロイの片手が引き寄せて抱いた。彼の心音が平静としていて混乱する。どうしてかロイは、大罪人になることを受け入れている様子だ。
「……ロイ、なんで……?」
見上げたそばから、ごく、とロイの喉が上下する。
そしてアイリーンはすべてを聞かされた。ロイの出自、その秘密。双頭の鷹。そもそもベリアル教の神話すら覚えのないアイリーンにとっては、双頭の鷹だろうがなんだろうが、言われてもピンとこないでいる。交渉の末の決定だと聞かされて、ロイ自身が納得しているのが不思議でならない。
「そんなの……べつに殺さなくたっていいじゃんか。捕まえるだけじゃだめなの?」
「こちらとしては肥大化して疲弊した国など、邪魔になるだけで欲しくはないんだ。負債も多いしね。でもあの国を継続させるとなると、国王を変えないことにはまた同じことが起こる。現国王が死に、こちらの息のかかった新たな国王を立てるのが最善なんだ」
「……それが、シェル?」
「イイエ。ワタクシはすでに王位継承権を剥奪されていますカラ。王位にはワタクシよりもずっと信頼するに足る人物が立つ予定デス。とはいえ彼も、まだそのことは知りませんがネ」
すべてはここにいる4人のみが知り得ることだという。どうして重大な秘密を教えてくれたのか聞くと、ロイの希望なのだそうだ。曰く、妻には知っていてほしかったと。
もやもやと霧が晴れない。
あんなに鮮やかだった世界が色あせてゆく。出生の秘密を教えてくれたことは嬉しいし、今からのことだって、隠されていた方が辛かったと思う。夫の判断は正しい。なのに。
「……どうした、アイリーン」
言葉を失うアイリーンに、ロイの声は優しかった。見上げたその表情も穏やかで、アイリーンは一瞬ためらった。しかし、聞かずにはいられなかった。
「ロイも……結局ロイも、ベリアル教をしんじてるの?」
「そんなんじゃねえ」
「じゃあ、どうしてそんなの、引き受けるの? ほうっておけばいいじゃんか。そんなの……ロイに関係ないよ。陛下にでも任せれば……!」
「関係ねえって、言い切れるか。アリン」
静かな夜のような声で、ロイは言う。
「俺じゃなくて、いったい他に誰ができる? 俺以外の誰が殺しても、王殺しとして重い処罰を受ける。レオナルドでもだ。そうなったらてめえの妹はどうなる。
そもそもだ、その実力があるやつも少ない。戦場で他のやつらを振り切って、確実に、国王をやらなきゃならねえ。国が、大事なもんがかかってるんだ。その為なら俺は、なんだってしてやる」
揺るがない。
ロイは決して、揺るいでくれない。
それがいつだって頼もしくて、うれしくて、なにもかもを預けられた。だからきっと周囲とて同じことなのだと理解する。ロイを頼り、ロイに預け、ロイ自身は"大事なもの"のためにーーそれが何かをアイリーンは知っているーー決意して、今更止められないでいる。
……卑怯だ……
妹はどうなる、と聞かれて身がすくんだ。王殺しは殺した当人だけでなく、計画者、その一族郎党もみな死刑となる。そうなればソフィアも、彼女の子も、あるいはアイリーン自身にも被害が及ぶかもしれない。
みんな卑怯だった。繋がりを断ち切れずロイになにもかも負わせるみんな。国王陛下も、シェルも、自分も。ロイだけが正しくて、他はみんな。
「……ごめーー」
「悪ぃなアリン、心配だろうが……あと少しだ、待っててくれ」
「っ……」
謝ることすら、許されない。
アイリーンはただ、ロイの腕のなかで息を吐いた。震えないようにするのが精一杯だった。
***
刻々と時は流れる。
早めの夕食を夫とともにし、束の間の平穏を享受しているとそのうち、アイリーンのもとに彼らが訪れた。とはいえ要塞を囲むわけにもいかず、気遣って近くの森で待機してくれている彼らのもとへはロイと一緒に向かった。
「これだけ?」
[あとは北の寝ぐらに幾名か。寿命を迎えたもの、度重なる戦いで命を散らしたもの、長い苦悩に狂乱して果てたもの……大勢が母なる大地へ還っていった]
「そんな……」
彼らはわずか30体ほどしかいなかった。それがすべてと言うのなら、種の存続が危ういことはアイリーンでも痛いほどわかる。しかし目の前の彼らは穏やかに、アイリーンが悲しむことだけを憂いた。
薬指の小さな切り傷は夫がつけた。返したあの短剣の切っ先で、ほんのすこしだけ。ロイはそれ以上、アイリーンが傷つくことを許さなかった。
一滴、一滴。
彼らは捧げもののようにそれをいただき、目を赤くさせた。飢えと渇きに苦しんだものたちの安堵の声が広がってゆく。みながアイリーンを王と慕ったが、それをどこか居心地悪く感じていた。
「強えやつを数匹、要塞に待機させてアイリーンを守れ。もうすぐこのあたりも戦場になる」
[よかろう、任せてくれ]
勝手にそんな契約がなされ、要塞には3名が同行することとなった。あとの彼らも、暁の王に何かあった際に駆けつけられるよう、森で待機しているという。
刻々と、流れ落ちてゆく。
夜が深くなり、空は暗闇になっていた。さいわいと言うべきか、満月が煌々とあたりを照らしている。寝ているふりをするために不要な灯りは消え、一見静かな夜に思えた。
「寝てろよアリン。身が持たねえぞ」
「……ロイは、寝ないの?」
何かあった時のためにドレス姿のまま、寝台で横にさせられ、だからといって到底眠れそうもないアイリーンはロイに問う。側に腰かけている彼の、月明かりに照らされた鋭利な瞳がふっと力を抜いて、頭を左手で撫でつけられる。
こんな、苦しい夜を。
幾度となく過ごしたのだろう。いつだってロイは疲れていて、目元には濃い隈があった。夫の苦悩をなにひとつ知らずにいたのだと思うと、分かってあげられなかったのだと思うと、やりきれない気持ちに襲われる。
「なに考えてる」
「……ううん、なんでも……」
「どうせまたくだらねえ事を、馬鹿みてえにグダグダ考えてんだろ」
「ひっでえ! あ……」
ゆっくりと身をかがめたロイの薄い唇が降ってくる。はじめは触れるだけ。次には彼女から口を開いて、舌先をちろちろと触れあわせる。そのうち我が物顔で口内へ侵入され、お互いの境い目が消えてしまいそうなほど、とろとろとぬめってゆく。
「あ……」
「寝ろアリン。目ぇ覚ました頃には全部終わらせてやる」
「……っ寝れないよ、ロイ、ロイがいなきゃ……!」
卑怯だと分かっている。何もかもを任せるくせに、瞳はうるんで、責めるような口調になるのを抑えきれなかった。そんな彼女に、ロイはどこまでも寛容に穏やかな表情を見せる。
扉の向こうで、声がする。
軍長、と呼びかけられる。
ロイは冷静に返事をする。
「いかないで」
「アリン」
「いかないで。ここにいてロイ。おねがい……!」
「そういうわけにも、いかねえだろう……」
起こしかけた身体を強く抱きしめられて息を吸った。朝露の匂いが深く染みわたってゆく。
「行ってくる」
「ロイ……こんなの、いやだ……」
「分かってる。あと1回だけ……待っててくれ」
またそんな風に乞い願うから。
なにも言えなくなったアイリーンの額にくちづけが落ちる。長くなった髪もがしがしとかき回されて、視線が合わされる。
銀色の瞳は、いまだって頼もしい。
「行ってくる」
「……いってらっしゃい、ロイ」
なぜだか微笑んだアイリーンにロイも笑って、軽くくちづけると踵を返し、振り返らずに部屋を出ていった。言ったそばから後悔したアイリーンは、そのまま寝台にうずくまり、ぎりぎりと締め付けるような痛みをただこらえるしかなかった。
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