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Ⅵ. 暁の章
06′会議
しおりを挟むふわふわと夢見心地で風呂に入り、どこからともなく用意されたドレスをまとって、エメとティリケの手を借りて準備を進める。長い黒髪を結われながら化粧もされていると、エメは大きなため息をついて自分の主人を呼んだ。
「ん、なに……?」
「アンタね……そんな状態で会議なんて出れんのかい。今からでも断ってやろうか?」
「んー、出るよ、出なきゃいけないんだろうし……なんかおかしい……?」
「おかしいもなんも……そんな、明らかにさっきまでヤッてましたって顔で、まともな対応出来んのかって話だよ」
「ヤッ……!」
ぱふぱふと白粉をはたかれる頬には赤みが差して、瞳はどこかとろけている。鏡ごしに見えている自分の状態を指摘され、アイリーンはこの場から消えてしまいたい。主人に当てられ、ふたりの侍女もどこか頬が赤い気がする。
「い、言わないで。勘弁して……」
「まぁ軍長も軍長だよ。ったく……ティリケ、どう?」
「大体はなんとか。でもこんなにお花があると、飾るにも限界がありますねぇ……」
侍女たちはさすがというか、花束がロイの贈り物だと説明するとすぐにその意味をーー後朝の花だとーー理解した。「だからって普通、束で渡すもんじゃないけどね」と苦笑された野花たちはいま、アイリーンの結い髪に所狭しと飾られている。
あえて上げずに左肩に流された黒髪は首元の噛み傷を隠してくれる。しかしそれ以外にもいくつも赤い痕がちらされ、また首の絞扼痕も、最終的には隠しきれないと言われてしまった。
黒にも近い、深い赤色のドレスはアイリーンの赤目によく似合う。
「さぁ出来た……綺麗だよ、いっそ見せつけてやんな」
「ん……ありがと。エメ、ティリケ、行ってくるな」
「はい、アイリーンさん。いってらっしゃいませ」
外に待たせていた案内役の軍人は、アイリーンの姿を見てはっと息を飲みこんだ。きっと赤目に驚いたのだろう。いつもなら隠していたが、いまでは目隠しすら無いからどうしようもない。それに彼らと対峙してから、アイリーンはなるだけこの赤目を開いていたかった。
ーーこの赤目を、もう隠したくない。
背すじを伸ばし、まっすぐ前を見据えて進む。とある部屋の前へ着くと、案内役はうやうやしく一礼してアイリーンを中へと促した。
扉が開くと円卓に座っていたロイがすぐさま駆け寄って手を差し伸べてくれる。人数はロイを含めて3人、会議というには存外少ない。夫は彼女の耳もとに唇を添わせて静かに囁いた。
「ああ、アイリーン。よくなったな……綺麗だ」
「うん、ロイ…………あれ、な、なんでッ……?!」
そしてアイリーンはそのふたりともを知っていた。知ってはいるが、この場にいるには相応しくない組み合わせのふたりだとも。とっさにロイのうしろに隠れれば、目の前のふたりがくっくと低く笑った。
「人目もはばからず、お熱いですネェ……ドウモ、アイリーン嬢」
「まったくだな……アイリーン、久しぶりだね。随分長いこと、つらい目に遭わせてしまってすまなかった」
「いっ、いえ……でもなんで、ロイ、どうなって……!」
「いいから座れ。ここにこいつらがいる事は誰にも言うなよ」
口髭をたくわえ、さらに堂々たる風格を漂わせるーーイェーナ国王、レオナルド。
今日はまた男装で、敵国の軍服を着たーーヒエロンド元王族、シェル・イッド。
どうやらとんでもない会議に参加させられていることをアイリーンはようやく悟った。一見、お茶会でもしているかのような和やかさだが、その空気は鉛のように重苦しく、誰ひとりとして隙を見せない。
腰をかけ、円卓の中央を見ると1枚の地図が置かれていた。中央よりわずかにずれてチュイリーの文字がある。ここ一帯の地図らしい。
「さて、と……アイリーン、ここに来てもらったのは他でもない。今回の戦争の件についてだ。ロイからひと通りは聞いているね? 私たちはそろそろこれを……終わりにしたくてね」
陛下が悠然と口を開く。
ざわざわと、妙な胸騒ぎがする。
「私たち、って……シェルも含めて、ですか」
「モチロン。そもそもこの戦争を始めたのはワタクシではなく兄王デス。横暴無礼な兄王と違って、ワタクシは平和主義そのものですヨ? それに自国を憂いていますシ……」
「しっ、信用できねぇー……!」
「まぁそう言ってやらないでくれアイリーン。イッド侯はチュイリーでの君の惨状を訴えてくれたり、向こうの情報を提供してくれたり……なにかと手助けしてくれているんだ」
ニコニコと底の見えない笑みを浮かべているシェルについてはロイからも聞いている。確かに陛下の言うことに相違ないのだろうが、それにしたって、不信感は消えない。
「アナタの所を発ってすぐ、こちらへお邪魔したのですヨ。よもや本当に国王陛下までおいでとは思いませんでしたガ?」
「っそうですよ、陛下」
まっすぐ見上げると、陛下は視線を静かに伏せた。まるで叱られることを恐れる子どもだ。しかしアイリーンはそんな陛下を見たことはなくとも知っていた。
ソフィア……どんなに心細い思いをしているか。
夏ごろまでの妹の手紙には、控えめながらも、陛下の様子が書かれていたのだ。陛下をかざる言葉は楽しげで、嘘がなく、いつだって素直で意外性に富んでいた。手紙に書かれた"レオ"と陛下は別人なのではないかと思わせるほどだったが、こうして対峙してみると、ソフィアの手紙の方が正しいのだと思う。
陛下を責める権利はない。
この人はソフィアを守るために、自ら戦場へ身を投げている。戦歴があるソフィアを表舞台に出し、良からぬ事を期待するような輩もいたと聞いた。しかしこうして陛下が外へ出た以上、ソフィアは国王代理として王宮へ留まらざるを得ない。
くわえて懐妊までしてしまえばソフィアを王妃の座から引きずり下ろすことも不可能だ。彼女は今、もっとも安全な場所で1番に守られる立場にある。その状況をつくった陛下に感謝こそすれ責めるなどーー分かっている。だが。
「……早く、戻ってあげてください。あいつ、あれですごく寂しがりなんですから」
「そうだね、知ってるよ……」
それでもどこか煮え切らず、視線を落とす陛下の気持ちが、アイリーンにはなんとなく理解できた。
恐ろしいのだろう、と。
自分だってそうだった。離れてしまった長い時間は取り戻せず、相手の状況などひとつも分からない。自分も相手も、意図せず変わってしまって、もう歯車は噛み合わないかもしれない。
そんな、漠然として迫りくる恐怖。
そしてアイリーンはもう知っていた。
「大丈夫ですよ陛下。あいつはちゃんと許してくれるから」
「ッ……ほんとうに……?」
「はい。あいつって、いっつも怒ってるみたいだけど、甘えてるだけですから。甘えたいのに甘えきれなくて、馬鹿みたいに罵って……でもそうしながら、自分が1番後悔してる。不器用なんですよ、あいつ」
こんな風に言えばきっとソフィアは否定するだろう。また怒ってくるかもしれない。想像上のソフィアは陛下にも訪れたらしく、彼は泣きそうな目をして笑い、大きくうなずいた。
「ああ……そうだね、そうだった……!」
「だから早く帰って、抱きしめて、文句を聞いてやってください。きっとオレじゃ……あいつに引け目を感じさせるだけなんで」
分かったと、陛下は噛みしめるように強く言った。
そのーー抱きしめて文句を聞いてやるーー立場を、本当は譲りたくなかった。不器用なソフィアのやさしい姉ちゃんでありたいと思う気持ちは今も変わらないし、ソフィアが他人に対していつも警戒心を抱いていることを知っている。
しかし、だからこそ譲るべきなのだと思った。
あの手紙たちは驚くほど素直に陛下との仲を覗かせていた。書かれているのはわずかでも、ソフィアが警戒を解いて陛下に心を預けていると読み取れたのだ。だったらもう……姉ばなれの時なのだろう。
「アイリーン、これが終わったらみんなで一緒に帰ろう。帰ってソフィアに、寂しがらせたことをうんと詫びなくては」
「はい陛下。それで……終わらせるって」
「今日明日じゅうに、ヒエロンドの国王がじきじきに襲撃にくる。逆にそこを叩くつもりだ」
「え」
となりでやたら冷静なロイに言葉を失う。この人は淡々と、なに訳の分からないことを。しかしかち合った銀の視線は冗談やからかいなど一切なく、本気だ。
「くるって、ここに?」
「そうだ」
「ここ……ここで、戦うの?」
「中までは絶対に入らせねえよ。外で決着をつける。ちょうど来るだろう方向には色々と罠を仕掛けさせてるところだ……アイリーン」
決着って、襲撃って……
一気に緊張でこわばる顔を、その頬を、ロイの手の甲が往復した。恐ろしくてしがみつきたくなるのを、人前だからとなんとかこらえる。
「…………勝てる、の?」
「7、8割ってとこだな。国王まで出るとなっちゃ数は多いだろうが、奴隷だなんだと、大体は素人まがいの烏合の衆だ。やってやれねえ事はない」
「っそもそもなんで、国王まで」
「ワタクシが唆しマシタ。今ならイェーナ国王がいるから、一気に叩けるぞと。うちの王は派手好きなのでネ、まぁそういう時には出たがるのデス」
「あんたの言ってた望みってこれのことなの、シェル」
ニコニコと笑みを浮かべるシェルが以前言っていたことを思い出す。ロイが、自分の望みを叶えてくれるかもしれないと。しかしシェルは首を振り、否定する。
「イイエ、アイリーン嬢。ワタクシは狂犬公爵に我が兄王を弑し奉っていただきたいのデス」
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