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Ⅵ. 暁の章
02′せいこん ※
しおりを挟む「いっ……!」
…………クソが。
ロイの声は今までの甘い空気と一変し、まるで吐き捨てるような、冷徹さと重さをふくんでいた。アイリーンは驚いて目を開けたが、ロイは今しがた自分が爪をたてて傷つけた肩口に顔をうずめ、その表情は分からなかった。
ああきっと、なぐさめてくれるのだ。
傷つけられた肩がピリピリ痛む。どうやら皮膚が剥がれたらしい。きっと加減を間違えたのだろう。そして優しい夫はそれを後悔し、くちづけて、舐めて、いやしてくれる。
予想通り、アイリーンの左肩にロイの唇が触れる。
しかし刹那、与えられたのは痛みだった。
「あゥッ! い、痛い! いたいよロイ!」
「……」
「ロイ!! っ、ろ、ロイ……っあぁ、やめて、うぅ……ッ!」
呼びかけても返事はなく、いっそう強い力が込められて噛まれている。ミシミシと骨すら音を立て、肉を断ち切り食わんとするような。まるで獣だ。
アイリーンの目に、痛みによる生理的な涙が浮かぶ。逃れようとロイの肩を押すがびくともしない。痛い、いたい…………あつい……熱い……!
ーーどれだけ時間が経ったのか、永い時をそうされた気がした。ロイの歯がようやく肩から離れ、どろりとこぼれる感覚がする。きっと血が出てる。なんて非道い。ゆらりと身体を起こしかけたロイがなにかをつぶやいた。
「ーーーんな……」
「ろっ……や、なんで、なんでロイ……」
「……どうしてここに……まだ傷があるんだ」
「あっ……」
怒っている。
すごく、怒ってる。
首すじの傷痕は何度も自分でつけなおして、ほじくり返して、とうとう痣になってしまった。普段は長くなった髪が隠してくれたが、組み敷かれた今、それはあらわになっているのだろう。ロイはちゃんと覚えていて、ひどく怒っていた。
「ご、ごめ……ごめ、なさ……」
「てめえは何に、謝ってんだ」
「やっ……な、なにして……ッ!」
謝罪すら一蹴され、右手の包帯が乱暴につかまれ引きちぎられる。あらわになった真一文字の手の傷に親指をそえて撫でられる。その動きはゆったりと優しかったが、視線を落としうつむくロイの表情は伸びた前髪にまぎれてよく見えない。
なにか、言ってほしい。
さっきみたいな、やさしい声で。
ロイ、ロイ、何度も呼びかけるが返事はない。かわりに前髪の隙間から覗くロイの瞳が、その銀色が……アイリーンを見据える。
「ヒッ……!」
ーー逃げなきゃ。
とっさにそう思う。だが逃げられない。喰われる前のあわれな小動物のように、身体が硬直し、圧倒的な服従を余儀なくされる。
抗うすべなく、ロイの指が、手のひらの傷口をえぐる。
「ぐっう、ぁあ……あああ……いたい、いたいッ!」
「……」
「やだっ、ロイ、やめて痛いよ! そんなにしたら、穴になる……っ!」
まるで鉄くぎのような親指に手のひらの中心を突き刺され、広げられた傷口から血は流れつづけた。ぐりぐりとえぐられ、ようやく離れたロイは目の前で上体を起こす。味わうように赤い親指を、続いて彼女の手のひらを舐め……獲物を捕らえたロイの目にアイリーンは逆らえない。
「この血は、俺のもんだ」
「ぅ、あ、ろい……ロイ……っ」
「髪も、身体も、この傷も、てめえの痛みも全部……」
えぐれた傷を舐められ、しびれにも似た痛みが襲う。蜂蜜でも舐めるかのように恍惚と血を舐めとられて、アイリーンはひくひくと手を引いて逃れようとするが、掴まれた手首は動かない。
その瞳は陰鬱とした欲を宿して、アイリーンを見下ろしている。
「……やっ……」
見られている。ただそれだけで。
アイリーンの体温が上がり、肌がぞくぞく粟立ってゆく。先ほどまで何をされても鈍かった身体の表面が、あるいは奥底が、熱を持ってうずきはじめる。血の流れがゆるんでようやく手が離され、夫は獲物を食らった獣のように赤い口元をこすって拭う。
痛いし、怖いーーでも熱に侵されて、たったひとつのその銀色から目が離せない。
「やっ! やだ、なに……っ! きゃああっ!」
「暴れんな」
「だ、だって、やだ、なに、こんな格好っ……」
ロイはアイリーンの腰を片腕ですくって持ち上げると、かろうじてまろみの帯びる尻を自身の胸板で支え、細い両足を左右の肩にかけさせた。そうなるとあられもない部分がロイの眼下にさらされて、そして。
血色の舌が、敏感な肉芽に、ふれる。
「ひぅ! や、ああうっ!」
「クソが、急に濡らしやがって……」
「ちが、ちがう! んぁあっ、や、おと、その音、いやぁ……ッ!」
じゅるじゅると、わざとらしい音を立てて淫蜜がすすられれば身体じゅうに閃光が走る。伸びた片腕は乳房をもみつぶし、爪の先でがりがりと先端がしごかれた。
無遠慮な、痛みにも近い刺激にそれでもなぜだかアイリーンの声は、鼻にかかってますます女のそれになる。抵抗したくて身体を揺らせば、余計にロイは顔を陰部に押し付け、媚肉にかかる生々しい吐息が身体を震わせる。
「ひぁっ! やだ、はなし、て、んんぅ……ッ、ん、うう……っ!」
聞きたくない、こんな、声。
しびれる手で口をふさぐと鉄のにおいが充満した。ひどいことをされている、のに。アイリーンの腰は不安定ながらにびくびくと跳ね、目の前は白んで、ぱちぱちと光って、限界が近くなる。
こんなのおかしい。
そう思いながらも目が合えば、この身体は従順に男を欲した。さかさに吊られているにも関わらず、蜜がびちゃびちゃあふれ、尻の割れ目をつたっては、密着したふたりのあいだに滑り込むのだ。
おかしい、おかしい。
そう思う思考さえ、快楽の濁流に押し流されるーー
「ふ、ぁあ……くる、くるっ、ロイ、もうだめ、イッちゃう、イッ、ちゃ……ああアぁーー……ッ!」
久しぶりの、まぎれもない絶頂へ引きずりこまれて、アイリーンはがくがく震えた。ロイは1度唇を離し、明らかな情欲を湛えた瞳で彼女をうかがう。
みないで。
その目で見ないで。
その目で見られると、おかしくなる。
おかしくなって、気持ちよくなって、どうでもよくなる。
あなた以外、どうでもーー
「ロイ……」
「……今のことも視てんのか、あいつらは」
「え……?」
「視えてんだろうな。まあいい……せいぜい視せつけてやれ」
「ひ、ぁあ、やだ……っもうやだあ……!」
なに言って。みせるって、なにを。
ロイは独り言のように低くうめいて、ふたたびアイリーンの股ぐらに顔を深くうずめては舐めしゃぶった。達したばかりの身体はどこも痛いほど敏感なのに、ロイの舌や指はなおも激しく攻め立てる。
陰核を尖らせた舌でしごかれ、長い指が媚肉をかきわけ侵入する。はじめと同じ動きなのに、皮膚はちりちり焦がされるように熱く、内側はどろどろ溶けた鉄みたいにあふれてくる。
深みに溺れる。
2度目はすぐだった。
「あ、ア、いゃ、ロイ……っふぅうッーーーー!!」
「は……いいザマだなアイリーン。いくらでもイッて、その目でちゃんと教えてやれ。
ーー誰がてめえの"つがい"なのか」
あふれた体液で濡れた唇を動かし、夫は暗く愉しげな声色でアイリーンに告げた。そして、その独特の単語に、普段自分たちが使わない言葉に、アイリーンはロイの言わんとするところを理解しーーいっそ嫌悪にも似た羞恥で、全身が熱に侵される。
彼らに視られている。
自分たちのすべてを。
「いやあッ!」
「アイリーン、目ぇ開けろ。閉じてんじゃねえ」
「やだ、ゆるして、もうやめてロイ、こんなのいや、視せたくないッ……!」
「……てめえの"つがい"は誰だ、アイリーン」
顔をそむけて、目をきつく閉じて嫌がるアイリーンに、夫はひとつ問いかける。ずるずると身体を降ろされ、どこかで聞いたような言葉に……
突き放されたようなさみしげな声音に、アイリーンは閉じていた赤目をゆっくり開いた。
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