アイリーン譚歌 ◇R-18◇

サバ無欲

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Ⅳ.秋の章

67.逆鱗

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肌寒い満月の夜のことだった。


「……そっか……」


胸の締め付けられるような悲しみを抱えながら、アイリーンはそっと手紙を燃やした。今回に限ってはソフィアからそうしてほしいと指示があったし、実際他者に見られてはならない内容だろう。

どんな思いで書いたのか。

美しい字でしたためられていたのは、今後も世継ぎは望めないこと、その事実に納得していること、国王陛下をその件で責める気は無く、アイリーンにも不問にしてほしいということだった。

理由は言えないとも書かれていたから、ソフィア自身は知っているのだろう。妹が納得している事なら、アイリーンがそれ以上なにを言える訳でもなく、言う気もない。


でも……ただ悲しかった。


ソフィアの子を見てみたかった。ふたりの子であればきっと賢く、美しく、みんなに愛されるはずだった。それに誰からも望まれるものをみすみす手放すということは、それなりの批判も非難もあるはずだ。

輝かしいばかりだと思っていた妹の未来に陰がかかる。それがアイリーンにとっては心苦しく、痛みを伴うことだった。


「アイリーン、これは明日でいいね?」

「あ、うん。どっかに置いといて」


そして今回は手紙と一緒に小さな菓子箱が贈られた。重い内容に対する詫びなのか、中にはショコラで覆われた棒状のオレンジピールが十数本入っている。気にしなくてもいいのに、とアイリーンは複雑な気持ちになるが、ともかくソフィアの心遣いを無為にはできず受け取った。


「ん、じゃあ風呂の準備でもするかね」

「ッエメ!  お前なんで先に食ってんだよ!」

「いいじゃないか減るもんじゃなし。まぁまぁ美味いよ、ちょっと苦味が強いけど」

「減るの!  今まさに減ってんの!  もう、飯食ったばっかなのによく入るな……」

「さて、湯でも貰ってくるかね~」


ぽりぽりとオレンジピールを1本食べ終わったエメは、アイリーンの呆れた声も気にしない様子で飄々として部屋を出て行った。

まったく……エメのつまみ食いにも困ったものだった。

言えばいつだってあげるのに、大体 基本的には同じ食事を食べているのに、彼女はいつも気づかないうちにアイリーンの皿から少しをつまむのだ。それは腹が減っているとかではなく、むしろ自分の反応を楽しむためにそうしている気がするので、アイリーンも本気で怒る気にはなれなかった。

しかし王妃殿下ソフィアの贈り物にも躊躇なく手を出すのはいかがなものなのか。戻ってきたらひと言ふた言 言ってやろう……そんな風に思いながら、アイリーンはエメを待った。


10分、20分、30分……1時間たっても戻ってこない彼女に、アイリーンは次第に落ち着かなくなり、目隠しをつけた。部屋の扉を開け、両側に立つ警備騎士に問いかける。


「あのぉ……うちの侍女、まだ戻ってない?  湯を取りに行くって、もう1時間くらい帰らないんだけど……」

「存じ上げませんな」


背の高い警備騎士は2人とも視線も合わさず、それ以上なにも答えてくれそうになかった。彼らは交代制でアイリーンの部屋の前を守っており、そうなれば確かに嫌がらせはなくなった。

しかし仕事であるからこの場を守っているだけで、赤目の忌み子と関わりたくない……そんな彼らの心情が透けて見えるのもいつものことだった。


「です、よね……ありがとう……」

「ーーお待ちください公爵夫人」


すごすごと戻りかけたアイリーンに声をかけたのは騎士隊長のドルトンだった。彼は大柄な身体を早馬のように動かして部屋の前まで駆け寄り、アイリーンの目前に立つ。どこか怠惰であった2人の護衛騎士も、彼を前にすると緊張して背筋を伸ばした。


「な、なんですかドルトンさん?」


なにかしただろうか?

アイリーンもまたこの状況に緊張していた。彼自身が赤目の忌み子に対して良い感情を抱いていないのは前々から知っているが、だからといって積極的に攻撃してくることもない。このように声をかけられたという事は、なにか不都合があったとしか思えなかった。そしてーー


「……体調は、よろしいようですね。息苦しさや動悸はありませんか」

「いや、無いけど……いきなりなんだよ?」

「エメ・ブライトンが倒れました」


……なにをいっているのか理解できないアイリーンはひととき固まった。淡々と、しかし矢継ぎ早に報告するドルトンに言葉も出ないまま、呆然と聞き続ける。


吐血、嘔吐、全身の震え……ほんとうに、なにを話している?


「ーー……症状から恐らくは毒であろうとの判断です。貴女にも一応の嫌疑がかけられますが……公爵夫人?」


毒、毒?  毒だって??
なんだよ毒って。エメはさっきまで笑ってたんだぞ。ここにいて、うだうだ喋って、おんなじもん食って、風呂の……

アイリーンは早かった。踵を返して戸棚へと向かい、美しい菓子箱を取り出してドルトンの前へと差し出す。


「これ、オレだけ食べてない。明日食べようって、約束して、でもあいつが、1本食べて……」

「……いいでしょう、研究室で早急に調べさせます。どこで手に入れられたものですか」

「っ!」


聞かれてようやく思い出す。
そんなはずはない。ソフィアが毒を盛るなんてことあり得ない。そう思った途端、アイリーンにひどい頭痛が襲いかかってぐらりとその身体が揺れた。ドルトンの太い腕が咄嗟に支える。


「公爵夫人っ」

「ちがう、おれじゃない、オレは大丈夫……ッ。なぁエメは、エメは大丈夫なのか?!」

「落ち着いてください、彼女は一命を取り留めています。この菓子の出どころはどこです?」

「……っソフィアから、でもっ……」

「殿下本人から直接ですか、それとも誰かを介して」

「侍女が、名前はわかんない。いっつも違う侍女が来るんだ、あいつと手紙を交換するから、でもいつもはこんなの貰ってない。こんなの初めてだったんだ、ソフィアじゃない、なぁ信じてくれ……っ!」

「公爵夫人」

「誰なんだよ……毒ってなんだよ!  何でエメを傷つけるんだよ!  なぁっ、なんでッ?!」

「アイリーン殿!」


肩を揺さぶられてアイリーンの叫びが止まる。
がくがくと、全身が冷たく震えていた。目隠しの裏からつう、とひと筋 涙がこぼれて、アイリーンの頬を濡らしてゆく。


「まずは貴女が落ち着かれなさいませ。今回の件は恐らく、ブライトンではなく貴女を狙ったものです。貴女がこれを食べないでおられたのは幸いでした」

「なにが幸いなんだよっ……!」

「とにかく今後は身の回り、特に食べるものに注意を払ってください。毒見は閣下が戻られるまで、代理でこちらの騎士を寄越しましょう」


ーー毒見。


愕然とした。
なんにも分かって、いなかったのだ。


『あっ、エメ!  またつまみ食いしただろ!』

『いいだろ別に。減るもんじゃなし』


はじめから、ずっと、今日に至るまで。
変わらない同じやり取りのなかで。


『ッエメ!  お前なんで先に食ってんだよ!』

『いいじゃないか減るもんじゃなし。まぁまぁ美味いよ、ちょっと苦味が強いけど』


護られていたのだ。ずっと。


「ぁ、ああ、あああ…………っ!!」


それを、責めはすれども、気づくことすら出来なかった。怒ってばかりで感謝のひと言だって告げなかったのだ。

それに少しでも異変に気付いてやれれば……本当にソフィアがくれたものなのか確認して、苦いと言ったエメを気遣っていれば!


「おれのせいだ、オレの……ッ!!」

「公爵夫人」

「ドルトンさん、頼むよ、エメはなんにも悪くないんだ、あいつをたすけて、そうだ、あいつはどこに」

「今は王宮を離れ、王都の病院で治療を受けています。彼女は平民で……王宮の治療所を利用することはできませんので」

「なに、それ……」


馬鹿馬鹿しい身分の壁に、もはや見舞うことすら出来ないのだと悟って絶望的な息苦しさがアイリーンを襲う。エメに会いたい、エメにありがとうと、ごめんなさいと伝えたいのに叶わない……頭の痛みは酷くなる一方だった。


「しんじて……信じていいんだよな。エメは一命をとりとめたって……」

「そこに関しては間違いなく」

「ッありがとう、ドルトンさん…………犯人を、かならず……」

「……ッ」


唯一の救いにまた涙が流れた。
誰にも拭われることのない涙は頬をつたい、顎から床へと落ちてゆく。冷静でいなければならなかった。エメの犠牲を、犠牲のままで終わらせるわけにはいかない。


地底からうごめくような声だった。
それまでの泣いて震えて侮られていた少女は姿を消して、その声は周囲を巻き込んで燃えてゆく。

怒りの炎に、その場の誰しもが息を飲む。


「必ず、捕まえてくれ。こんな事を誰がしたのか、必ず暴いて罰を受けさせるーー

「は……ッ上等です。お任せください公爵夫人」

「ああ。オレに、出来ることがあるなら言ってくれ。いつでも協力する」

「承知しました。諸君らも、こうなったからには今まで以上に警戒を怠らぬよう。公爵夫人に何かあれば、それは諸君らの落ち度となる」

「は、ははっ……」

「では失礼いたします、公爵夫人」


最後に護衛騎士に忠告したドルトンが去り、アイリーンは独りきり、がらんどうの私室を見渡した。気配はまだ残っているのに彼女だけがそこにいない。


「エメ……っ、エメ……!」


耐えられなかった。
とうとう膝からくずおれて、床に伏せってアイリーンは独りで泣いた。いつだってそばに居てくれたはずの、この国にきて一番に支えてくれた彼女がいない。自分付きの侍女なのに、姉のような人だったのに、愛していたのになぜいない!


なぜここにいない!!


「……ごめん、エメ…………ッ!」


自分自身の境遇をこれほど呪ったことはなかった。アイリーンはいま確かに、自分を貶めるあの宗教を、赤目を嗤う者どもを、忌み子と蔑むこの世界を一様に軽蔑し、憎み、恨んだ。



























ひと晩経って、事件は終結を迎える。
王妃付きの筆頭侍女、ティリケ・ロナッシュの単独犯であることが、本人の自白によりあっけなく明かされた。
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