58 / 124
Ⅳ.秋の章
56.強欲
しおりを挟む「……またかよ」
重だるいため息が口から出てゆく。
どこかの国に、ため息をつくと幸せが逃げる、なんて言い伝えもあると聞くが、それくらいで逃げる幸せなら逃しておけ。というのが、今の彼女の心境である。
生誕祭から1ヶ月が過ぎ、アイリーンはすることもなく部屋で過ごすことが多い。折を見てエメと散歩に出るが、周りの目もあって部屋が一番落ち着くのだ。しかしコレがあってから、おちおちと部屋でもくつろぐことが出来ないでいた。
「うわぁ、ひどいね。今度はなに?」
「蛇じゃねえの? まったくご丁寧なこったな」
エメがちらりと見て分からないくらい、原型をとどめていなかったそれは、アイリーンの部屋の玄関前に捨てられていた。
はじめは卵だ。
次にトマト、それから虫、ネズミ、小鳥の死骸……次第にエスカレートするそれは、アイリーンへの嫌がらせだった。
『ベリアル信者の馬鹿どもが、このあいだの食人獣の襲来とあんたを結びつけてるみたいだよ。舞踏会のとき、結構目立っちまったからね』
出る杭は打たれる、と言うことだろう。
特段気にしてはいなかったが、食べ物や生き物を粗末に扱うのはいただけなかった。生きとし生けるものはみな平等。命には常に感謝しなさいーーばあちゃんがそんな風に言っていたっけ。
アイリーンは滅多打ちにされた蛇の死骸を両手で拾うと踵を返し、部屋の奥へと向かった。王宮の庭が見える大きな窓からぺっと投げ、飛んだ死骸は庭の土へとうまく落ちる。これなら小鳥がついばむだろうし、残った分は腐って肥料となるだろう。
他の貴婦人ならいざ知らず、アイリーンはこうした生き物にも慣れていた。こちとらイノシシとも対峙している、なめてもらっては困るのだ。数年前まで獣を狩ってさばいていた彼女にとっては、こんな死骸はなんでもない、ただ……
「軍長にも言っとくね。……あんた、ほんとに警備を入れなくていいの?」
「うぅん……」
ーーただ、気が滅入る。
忌み子の自分を傷つけようと、こんな陰険な行動に出る者がいる。気に入らないなら直接言ってくれればいいのに、陰でこそこそ自分を貶めようとしている……何度も続けば、辟易するのも仕方なかった。
「……いや、いいよ。オレに被害があるわけじゃねえし、人の目が増えるのも面倒だ」
「そうかい……でもあんたに何かあったら、すぐに警備をつけるからね」
「分かった、ありがとうエメ」
ロイには、エメを通してすべて報告している。
はじめは必要ないと言ったが、それが仕事だからとエメは断固譲らなかった。こんな些事で彼の心を乱したくはなかったが、こうも続けば、報告していて良かったのかもと今は思う。
犯人はいまだ見つかっておらず、警備員の件はこの間から提案されている。しかしアイリーンは部屋の中に人を増やす気にはなれず、それは都度断っていた。
「どんな奴なんだろうな、こんな馬鹿みたいな事……」
「あんたのことをよく知らない、それでいて王宮に仕える、世間知らずな坊ちゃん嬢ちゃんってとこかね」
「なんで?」
「やる事が小さい。こんな微妙な嫌がらせで怯えんのなんて、せいぜい貴族のご令嬢くらいなもんだよ」
「オレだって一応ご令嬢だぞ」
むすっとして言い返す。
鈍感で粗野な田舎娘、そう言われているように感じたが、エメはそうじゃないと首を振る。
「だからだよ。あんたの経歴を理解してなくて、ただ王族の娘だからって甘く見てる。自分がされたら嫌なことをしてるんだろうけど、まるで子供だましじゃないか」
「まぁ確かにな……」
「あんたがこれで泣き叫ぶとでも思ってんのかね馬鹿らしい。そんな繊細なタマじゃないのは、ちょっと話せばすぐわかるだろうに」
「聞き捨てならねぇっ! オレだって繊細なんだぞ!」
どの口が、と笑うエメにつられて破顔する。
ともかく傷つかないのが一番。そう考えて、アイリーンはつとめていつも通りの日常を過ごしていた。
***
虫も鳥も人々も、深く眠る秋の宵。
アイリーンはふと脳内だけで覚醒した。
瞳は重くて開けていないが、なぜだか意識はハッキリしていた。なんだろう、なにか違和感がある。身体が斜めになっている……
寝ぼけた頭がゆっくり回る。
寝台の一部ーー腰のあたりが傾いている。でもどうして? 奇妙な感覚に疑問が浮かぶと、ギシ、と音を立てて寝台の傾きが深くなった。
ーー誰かいる!!
「だれだっ!」
アイリーンは跳ね起きた。
瞬間、寝台のはたに腰かけていた黒い影と視線がぶつかる。思ったよりも夜が明けて、薄暗がりで影は銀色を光らせている。
彼が先に身じろいで、緊張していた彼女の全身からは、へなへなと力が抜けていった。
「なんだ閣下……おどかさないでくださいよ……!」
「なんだとはなんだ。おどかしてねえ勝手に飛び起きたんだろうが」
「すいません……おかえりなさい、ロイ」
「……ああ」
頬に触れられ、ロイのほうから瞳を伏せる。
まだ緊張の余韻がのこる彼女をなぐさめ、落ち着かせるよう、かさついた唇がそうっと触れた。
ぶっきらぼうな言葉とちがって、その唇はひどく慎重だった。性感を一切匂わせず、親兄弟のようにやさしく触れる。気遣われているーーすぐに分かると嬉しくなって、アイリーンはねだるように身を寄せた。
「……ん……」
「……悪ぃな、起こすつもりじゃ、なかったんだが……」
「なんで……起こせよ。おれだって、会いた、かった、ん、だから……」
素直な気持ちを口にすれば、ロイの硬い腕がすんなり彼女を包み込む。筋ばった首に顔をうずめると、1週間ぶりの彼の匂いが懐かしくって心地よくって……アイリーンは心底安堵した。
ずず、と鼻をすすりあげる。
「あれ……なんでだろ」
「エメから聞いたぞ……気ぃ張りやがって」
「いやっ、そんなつもりは……えぇ……、ロイ、服が、汚れるから……」
「好きに汚せ」
離れようとすればなおさら強く抱きしめられて、自分でも訳のわからないまま、アイリーンはすこし涙を流した。やはりロイに言われた通り、気を張っていたんだろうか。
あんな些細な嫌がらせ、自分ではなんとも思っていないのに。それにこの涙は彼に会えた喜びでもあるような気がした。うん、きっとそうだ。
「警備をつける。お前は何も気にすんな」
「やだ……」
「やだじゃねえ聞き分けろ」
「でも、ロイと、一緒がいい……」
……あれ? 言い方を間違えた。
これでは伝わらない上に、彼の仕事を否定している。
「……警備は入り口だけにしてやる。これ以上は聞かねえからな」
言い換える言葉を探していると、彼の方からくみ取ってくれた。やはり察しがいいのだろう。アイリーンはひとつ頷いて、耳元に小さくありがとうと囁いた。
ーー部屋ではふたりきりがいい。
そう言いたかった。
警備が部屋のなかまで及べば、アイリーンはもとより、ロイだっておちおち休めない。
もともと他人をそばに置かない性質なのだ。彼の戻るわずかな時間を、落ち着くひとときにしてやりたい。それにこうした蜜事も、ふたりきりでしたかった……その想いがすぐ伝わって、アイリーンは喜びのままにくちづける。
「ロイ……次は、んん、どこに……?」
彼もまた、今度はいやらしく触れてくる。
舌がぬるりと入り込み、熱をもつ耳をまさぐられては、ひくひくと胸が高鳴ってゆく。
「北東の小せえ要塞に……森と川以外、なんもねえ、ような……場所だ……っ」
「んんぅ、あ、ふぅ……!」
はやる口調で急き立てられて、くちづけが深く変わってゆく。互いをむさぼり、奥まで食らって、ぐずぐず溶けてもまだ足りない。
今度はいつまで戻らないのだろう。聞きたいけれど、このままずっとこうしていたい。アイリーンの初恋相手は、素直な彼女をどこまでも欲深くさせた。
「や、ロイ……あぅ、もっと……もっと……!」
ねだりながらもロイの髪をまさぐって、近寄せながら舌を出す。からませて、彼の唇からこぼれた唾液を舌先ですくい、舐めとってゆく。
「クソが……一人前に煽りやがって。誰に教わった……!」
「んん、そん、な……ひぁっ!」
背中をつつ、と撫でられる。
これは彼の要求だ。すぐ理解したアイリーンは、ロイの指先にくすぐられながらも、彼の求める答えを探す。
誰もいるわけないだろう。
こんなことをする相手が、あんた以外に……!
「あ、なた、です……っぜんぶ、あなたに、おそわった……!」
「……そうだ、アリン……いい子だな……」
「うぁっ! ろい、あ、やだ、あぁ……っ!」
首筋にきゅう、と吸いつかれる。
腰をぞわぞわと撫でまわされる。
また舌を重ねあわせて、ぐじゅぐじゅと唾液を交換する。
いい子だと言ったくせに、まるで躾かなにかのようにロイは激しく攻め立てた。想いを伝えあってからの2ヶ月、段々と、彼は遠慮も見境もなくなってきている。
いつされるのかな。
今でもいい。
せわしなくても、痛くたって構わない。
早くおれを、ロイのーーにしてほしい。
思わず口を突いて出そうになる言葉がある。
しかし今回も言えないまま、ロイの唇がゆっくり離れた。腕の力が徐々に抜けていつもの切ない終わりを告げる。名残惜しくて、未練がましく触れ合いながら、それでも彼は行ってしまう。
「……アリン」
「ん……」
「…………行ってくる」
笑わなくてはいけなかった。
笑って、送り出さなくては。
仕事熱心なロイを尊敬している。
強くて、傍若無人で、でも国のために必死な彼が好きだ。時には体調を崩すほど、寝る間を惜しんで働く彼を誇りに思う。だから、いってらっしゃいと、そう言わなくちゃいけないんだ……
「…………い、やだ……」
「アリン」
「い、いっしょに、いたい……ロイと、いっしょがいい…………!」
ーーさみしい、いやだ、いかないで……!
胸が潰れそうなほど痛い。
いつからこんなに我儘になってしまったのだろう。自分の身勝手さにほとほとあきれて苦しくなる。
時間を割いてここに来てくれるロイの負担になりたくないのに、愚かな欲を抑えきれない。さらにはぽろぽろ泣き出してしまい、これでは親の仕事を邪魔するわがままな子どもと何も変わらない。
「……エメを起こせ」
なぐさめてもらえ、という事だろうか。
あきれられたに違いない……そう思うと、アイリーンはひどく恐ろしくなった。良い子にしなくちゃ嫌われる。ぐじぐじと荒れた目元をぬぐって、今更になって笑顔を作る。
「ご、ごめんなさいロイ。もう大丈夫だから、いって」
「早く起こせ時間がない……いや、起こしてくるから顔洗え」
「え、ちょっと、ロイ?」
彼は言いながら立ち上がると、アイリーンを背にツカツカと規則正しく歩きだした。夜がじわりと明けていて、寝室は濃い藍色に染まっている。
「てめえも連れて行く」
「へっ?!」
「馬には乗れるな? ……さっさと顔洗え」
そうして、出ていってしまった。
アイリーンは与えられた言葉についていけず、しばらくポカンと、彼のいた場所を見つづけていた。
1
お気に入りに追加
355
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
完結【R―18】様々な情事 短編集
秋刀魚妹子
恋愛
本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。
タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。
好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。
基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。
同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。
※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。
※ 更新は不定期です。
それでは、楽しんで頂けたら幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる