アイリーン譚歌 ◇R-18◇

サバ無欲

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閑話

50.ある卑怯者の天上の花

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少女は天上の花だった。

泥水をすすり、苦しみもがいて、それでも凛と咲き誇る。男にとっての憧れであり、決して汚れぬ天上の花。


男は天上の花を欲した。
どうせ同じ地獄なら、少女と生きてみたかった。



***



馴染みの娼館にいる娘は、隣国の出身だといった。

娼館はいい。面倒がない。
身分を隠せば誰でも平等、ただ金払いで判断されて、子供なんてものは求められない。だから男は若い頃からよくお忍びで利用した。

王族なんて面倒なだけだ。
堅苦しく、自由がなく、政務は多くて男はずっとうんざりしている。周りの期待に逆らうように、男は放蕩で、遊び好きで、ひたすら怠惰に生きていた。


『あら……ソフィア王女ももう3つなのね……』

『ふぅん……気になるかい?』

『やっぱり自分の故郷だもの。それに……いいえ、いいの』


男が持ち込んだ週刊誌をめくって止まり、娼婦は少し目を潤ませた。情事の終わったあとだったから、男は寛容な気持ちになってどうしたのと問いかけてやった。


『……私の故郷のともだちがね、ソフィア王女が生まれた次の朝に子供を産んだのよ。でもその日に……』


暴漢に遭い、おそらく即死。
一家もろとも、産婆までもが殺されて。
家は荒らされ、金品は盗られ、赤子は姿を消したのだと、娼婦は時折涙をこぼして話したが、どうにも……違和感がある。


『あなたより薄い金色の髪で、とっても綺麗な子だったの。でも、そんなところを、鼻にかけないで、優しくて……っ!  村のみんなが、あの子の子どもを楽しみにしてたわ…………

ソフィア王女の名前を見るたび、あの赤ちゃんがどうなったのかと、思って私、くるしくて……』


その違和感を、見逃せなかった。

男はそれから、死んだ女の名前、村の場所や殺された時間などを言葉巧みに聞き出した。娼婦は簡単に口を割り、男の胸に顔を寄せ、聞いてくれてありがとう、などとのたまったが、男の劣情は引きだせなかった。

時間より少し遅れて娼館を出ると、すでに事を終えたらしい護衛が魔王のごとく男を睨んだ。同じ歳だというのに、どう生きればこんな凄みが出るのかーー男には手の届かないものだった。


『遅え』

『悪いね。それから仕事を頼みたい』

『は?  こないだの仕事で腹に風穴あいたとこだぞ。人使いが荒いのもいい加減にしろ』

『今度はあんな仕事じゃないから安心して。ちょっとばかり……見てきてほしいものがある』


その場所と内容を告げると、護衛の眉が珍しくひそむ。
冷淡な表情を崩せて男は満足していた。


『……墓荒らしは専門外だ。他を当たれ』

『そう言うなよ。それに荒らすんじゃない見るだけだ。報酬も弾む』

『……何回だ』

『6回にしよう、悪くないだろ?』

『クソが。刻んでんじゃねえ10回だ』


結局、精力旺盛なこの護衛は8回で手を打った。娼館と言っても金持ち相手の高級店で、しかも護衛はその都度相手を変えたり増やしたりするから金も手間もかかって仕方ない。

それでも男はこの仕事を、この護衛以外に任せる気は毛頭なかった。男は護衛を妬んでいたが、一方で彼以上に信頼できる者もいない。

護衛は本来 国王に仕えていたが、裏では男に忠誠を誓っていた。貧民街スラムから彼を救ったのは自分であり、この護衛は忠犬のように、いまだその恩を忘れていない。素晴らしい駒であり、切り札であり、宝であった。




数日後、護衛は仕事を済ませて戻った。


『……ほんとうに、2体だったんだな?』

『そうだ。普通のと小せえの……俺の仕事はこれでいいな』

『ああ……助かったよロイ。もう下がってくれていい』


護衛ーーロイはいつも、何も聞かない。
ただ与えられた仕事のみ正確に行い、不必要な情報は排除する。だからこそ彼を信頼していた。

誰もいない私室で1人、古い週刊誌を開く。

隣国の王女の版画が小さく描かれたそのページを、男はすでに何度も何度も、すり切れるほど見返していた。

王女の母親ーー側妃ライラはすでに亡く、また大層な難産であったために王女も一時は危ない状況だった。そのため出産を告げる祝砲は当日には打ち上げられず、次の日の夜、亡くなった側妃を偲ぶためにも1度だけ大きく打ち上げられた。


……というのが、世間一般の認識だ。


ロイに暴かせて正解だった。
側妃ライラの墓の中には、2つの死体があったのだそうだ。ひとつは普通の、もうひとつは小さな、死体。


『あぁ……っ、見つけた…………!』


男は歓喜に打ち震えていた。

間違いない。ロイに墓荒らしをさせた一方で男が調べた情報によると、少女はただの酪農家の娘だった。血を偽り、王族として君臨するべくこれから育てられる幼子を、男はあわれみ、嘆き、一方で喜び、愛おしささえ感じていた。


……あの苦しみを。あの恐怖を。

彼女はきっと味わうのだろう。生涯、王族という枷に囚われて、嘘をつく罪悪感と暴かれることへの恐怖をないまぜにして、生きていくのだろう。

……欲しい。
彼女が欲しい。
私と同じ彼女が欲しい。
私と違う、彼女と一緒に生きてみたい。


私だけが分かってやれる。
彼女だけが、分かってくれる。


湧き上がる激情は、男をことごとく覆した。
少女を得るため、生活を改め、遊びをやめ、周囲から認められるよう必死になって働いた。さいわい男は才覚に恵まれ、真面目にやればやった分だけ見返りを多く得ることができた。


男が王になったのは、つまり少女のためだった。



***



国王である実父は男に負けず劣らず、放蕩で女癖が悪かった。一方で彼は"敬虔な"ベリアル教徒であり、また血統主義者であったために正妃以外との子を望まなかった。


歪んだその価値観は数多の犠牲者を出す。

後宮の女たちは妊娠がわかると重篤な副作用のある堕胎薬を飲まされて、それでも堕胎出来ないとなると胎の子ともども殺された。

一方で正妃には子ができにくく、ようやく授かった第一子は女であった。それから約13年後にようやく生まれた男は、国民には歓迎されたが、家族を破滅させる元凶だった。


母である正妃は、男を無視した。
実父である国王は、男を溺愛した。
第一子である姉は……男が生まれたと同時に亡くなったらしい。姉はまだ幼く、仕方のないことだった。


『殺せロイ!  私が許可する!』

『レオナルド、おまえ、なんということを……っ!!』


全ては計算通りだった。
国王暗殺の計画をロイが練っている……そんな話を吹き込めば、実父はひどく怯えて彼を殺そうとした。10を超える護衛たちと、ひとけのない舞台を用意したのは男ーーレオナルドだ。

彼の息がかかった国王の護衛は、護衛など一切しなかった。焦った国王に刃を向けられ、ロイはレオナルドの命令を即座に実行した。剣を振り、赤い飛沫が廃屋の教会を濡らす。


……よかった、ロイが殺してくれた。
ロイに殺させなくては意味がなかった。


『むす、こ、よ……』

『……どうしました、父上』

『す、まない……おまえ、に、つ、み、を……』

『…………今更です』


咎人の血は、あとひとり。
これでようやく途絶えるのだと、レオナルドは安堵の涙を一筋流した。



***



ようやく得られた小さな少女は、馬鹿馬鹿しいほど王族だった。


美しく聡明で、寛大であり優雅な少女。
いついかなる時でも仮面をかぶり、誰も一切信用せず、ひとりきりで立つ孤高の姫君。

偉大だった。
自分の存在がいかに矮小なものであるかを思い知らされた。王族という忌々しい血に染まらぬ彼女は、誰より王族らしくあった。


『いやっ、もう何も、なにもしないで……いやぁああ!』

『そういう訳にいかないんだよ。私と君は』


初夜の悪習は、とうとう変えられなかった。

古くからの王族の義務である。彼女を姦通した跡がなければ、大勢の貴族の前で医師にその身体を検分させ、なにが悪かったのかを改めさせなくてはならない。

ーー1度だけだ。この1度だけ、耐えてくれ。

罪の意識からごめんなさいと繰り返し、触らないでと泣き叫ぶ彼女を痛めつけた。初夜、純潔の血は流れれば流れるほど良いとされる。小さな少女は立派にその務めを果たした。しかし。


『……本当に、君はそうして素直な方がよほどいい。私の腕の中でまで、王族らしくあろうとしないでくれ。それは君を苦しめるだけだ』

『いやぁあ!  やめて!  聞きたくない、レオなんてきらい!  レオなんて……あああッ!』


夜は続いた。
少女にとって、苦行でしかない。

男にとっても。

雪のような肌にけがらわしく痕をつけ、痛みのないように膣の中を指や舌で丁寧にゆるめる。元敵国の、身分の低い少女を王妃として認めない声は予想以上に多かった。


嫌ってくれればいい。
恨んでくれればいい。


彼女が王妃としての地位を築けるまでの間……男の寵愛は必要不可欠だった。芽は出ている。少女は才覚に優れていて、国への貢献が認められれば、閨事の有無に関わらずきっとその地位を確固たるものにできる。そう思って、男は少女に研究者の真似事をさせ、一方で少女を嬲りつづけ、しかし言葉を尽くした。

矛盾だらけだとは分かっている。
でも、言葉にするのをやめられなかった。
理解者であると、共犯者であると。せめてどこにも残らない言葉だけでも、そう示したかった。


ーー今更遅い。
彼女は私を敵だとしか見ていない。
当然だ。彼女の秘密を暴き、自分の秘密を明かせない卑怯者の私など、いつ彼女に殺されてもおかしくはない。

それでもいい。でも、それまでは……


結局のところ、男は少女と生きたかった。
それだけだった。



***



そして、その刻は訪れる。
男の望まなかった形で。


『ソフィアっ!!!』


指先から血を流し、獣に襲われかかっても冷然と前を見続ける少女に男はひどく恐ろしくなった。少女は男を殺してはくれず、反対に自らを投げ捨ててしまった。

もしも死んでいたらーーその半身がもぎ取られるような苦しみが男を襲う。

少女は計算ずくでやった事だと呆れて言うが、獣の爪を、その切っ先を見るにつけ、本当に危なかったと男は震えが止まらなかった。死ななくてよかったと、そう思えば自然に涙がこぼれ落ちる。


『嫌……こないで……こないでッ!  きもちわるいっ、気味が悪い!!』


ーーまったくもって、彼女が正しい。


……男にとっては皮肉なことに、少女はこの1件をもってして揺るがぬ王妃に君臨した。もう自分が触れる理由も道理もない。取り乱し、怯える彼女が心配だったが、自分にできることはなにもないと、男はその場を立ち去った。


本当の事は、ついぞ言えないままだった。
どこまでも卑怯者だ。私は。


『陛下、恐れながら申し上げます。王妃様と子を成されますよう』

『その必要はない。いずれ誰かを養子に取るよ』

『なりません。偉大なる陛下の血を継ぐことこそ重要なのです。王妃様がお気に召さないのであれば、側妃制度を復活なさいませ』

『その必要もないよ。いいから下がってくれ。それから、そんな話を決して王妃にしてくれるなよ。全ては私の一存だ』


それから男は少女に一切の接触をやめた。

1日でも彼女に触れた痕がなければ、年老いた目付け役どもは容赦なく男を責め立てた。血筋と古い固定概念にばかり囚われる臣下たちを哀れに思えども、従う気などさらさらなかった。


『キスしても?』

『駄目』


そして、少女は。
男が触れなくなるより先に、自ら男に触れようとした。にこにこと愛らしい仮面をつけて、心をひた隠し、妻としての職務をあくまで遂行しようとする。

小賢しい少女の思惑はかわいらしく、くだらないやりとりは楽しかった。


嘘で塗り固めた少女は次第に、男の前で少しずつ拒絶以外の本心を見せるようになる。他人に対する蔑みや、素直な笑い顔や、愛しい者アイリーンへの慈愛の念。


『愛さずにはいられません』


夏の昼間、まぶしく語るその姿に目を細める。
少女の気持ちはよく分かった。自分とて、目の前の少女に同じ想いを抱いているのだ。言えば必ず気味悪がられるだろうから、男はその気持ちを胸のうちにしまい込む。


ーー嫌われたくないと思っているのか……私は。


散々罪を犯しておいて今更だ。
それでも願わくば、このまま穏やかな時間を続けたかった。何もなかったことにすれば、嘘でも彼女のとなりで笑っていられる気がして。


卑怯だと思いながらも、男はそんな毎日を願わずにはいられなかった。



***



結局は彼女に嫌われるほかない。
そうしなければ、真面目な彼女はどうしたって世継ぎを求める。

卑怯な男は追い詰められていた。


「ああ……君は可愛いなソフィア。私の唯一、私の王妃。もっと声を出して、感じているところを私に見せて……愛してるよ」

「んぐ、ふぁ、あああア……っ!」


嫌ってくれればいい。
恨んでくれればいい。

男には少女を貶めるつもりも、脅すつもりも一切なかった。でもそんなこと彼女には伝わらない。これまでそう伝えてきたつもりでも、やはり少女は、自分を敵だと見なしていた。

ーーならば、いっそ壊してしまおう。

所詮はかりそめの関係だった。あの穏やかで満ち足りた世界は薄氷の上を歩くような、危うくてもろいひとときだった。そこに未練がましくしがみつくのは……彼女の優しさに付け入るのは、もうやめなくては。


結局、自分は罪人なのだから。


「……なんて?  なんて言ったんだい、ソフィア」


少女がひとこと拒絶したなら、それで終わりにするつもりだった。彼女が自分を心底嫌がって、世継ぎをあきらめてくれればそれで良い。

しかし少女はそんな卑怯を赦さなかった。

なんでもないとうそぶいて、さらには男を挑発してまで、王妃の責務を果たそうとする。嫌がってくれ、はねのけてくれーーそう思えば思うほど、少女は抵抗しなくなる。


「……はやく、うごいて……」


彼女はとうとう、何も言ってはくれなかった。

どこまでも王妃であろうとする強情な姿が滑稽で、愛おしく、胸が引きちぎられるほど苦しくなる。男は腰を打ちすえながら、自分の姿に実父を重ねる。


ーーああ、なんて忌まわしい。
こんな小さな子に、欲情できるなんて恐ろしい。
やはり私はあれと同じだ。忌まわしい血を継いでいるのだ。こんな血は根絶やしにしなくては。後世に遺さないようにしなくては。


すまない、すまないソフィア。
私はどこまでも、おぞましい。


「いや……っ、まって、やめて!」


鈴のような悲鳴は男にとっての祝福の鐘だ。
汚泥のような自身を引き抜き、男は苦行を終えられた安堵で涙を流して、詰まる言葉をようやくつむぐ。


「私は……遺したくはないんだ」


きっと彼女は聡いから、その理由にたどり着く。
一族の醜悪な秘密を、男の正体を知るだろう。


それでよかった。男はソフィアに断罪されるその日を望んで、心の奥を語りはじめた。


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