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Ⅱ.春の章
20.愚者たち
しおりを挟む公爵が執務室に乗り込んでから4日経ち、その日は朝食会議があった。
公爵夫妻は欠席していた。
また狂犬公爵の仕事が立て込んでいるのだろう。
アイリーンに会えないとなると、ソフィアは朝会への意欲がめっきり減った。会ったとて話せる訳ではないが、目隠し姿の彼女を見るだけでも心が安らぐのだ。
それに公爵の大立ち回りがあってからというもの、アイリーンに異変はないかも気になっていた。どういう経緯で、彼に洗身の儀が伝わったのか。今まで秘されていた話なら、その出どころはアイリーンしかない。
公爵とそこまで、親密な話をする仲になっているのだろうか。
しかしまだアイリーンは処女のはずだと、ソフィアは確信していた。嘘のつけない彼女が公爵と閨を共にしていたら、あんなに平然としてはいられない。分かりきったことだった。
「……で、公爵より伝言を預かってるの。読んでもいいかしら」
「ああ、頼む」
「"今回の新月には増員して備えたほうがいい。北と南東の基地に武器や火薬も追加して送っておいてくれ"だそうよ。……私もそう思うわ」
ヒルダの報告に、国王はふむ、と一考する。
このところ、この国では食人獣の襲撃が増えているらしかった。満月と新月の夜にのみ現れる神出鬼没な食人獣は、同時多発的に村を襲うことがある。母国でも輿入れする前はそうであったが、最近はそれも減ってきたとの報告を受けていた。
なぜ減ったのか、または増えたのかは分からない。獣たちの行動は意味不明で、研究者筆頭であるヒルダも苦戦しているのだと言っていた。
「恐れながら陛下。自分は王妃殿下の意見を拝聴したく存じます」
「……ドルトン騎士隊長?」
青い目を優しく細めながら、ソフィアは騎士隊長を一瞥した。そう言えば、この男は洗身の儀で自分の身体を拭いたのだと思い出す。
王族の義務だったにせよ、その裏で多くの貴族がソフィアとアイリーンの裸を眺めていたのだと思うと寒気がする。彼女は今のところ、この国のすべての貴族を信用していなかった。白い扇で口元を隠す。
「王妃殿下の英才ぶりは皆もご承知の通りでございましょう。しかし、この国へ嫁がれてからと言うもの、殿下はこういった場での発言をお控えなさっておられる」
「ほほ、騎士隊長。買いかぶりすぎです」
「いいえ殿下。ぜひ母国でなさっていた様に、忌憚のない意見を述べていただきたい。我が国の臣民となられたからには、殿下にはその義務がございます。
その叡智を御身に閉じ込められるのは、我が国への貢献を果たしていない事になります」
わざわざ強い言葉を選び、ソフィアを脅迫せんとする男を前に、集まった高官たちは皆うんうんと納得して頷いていた。きっと深く考えもせず、上辺だけの正論に共感しているのだろう。
こういう時、ソフィアの心は固く閉ざされる。
自分の事を道具としてしか見ていない敵国の人間に、授けてやる知恵など何もない。
しかし同盟を結んでしまった以上、お互いに協力しなければならないと言いたいのだろう。その実、こちらばかりが搾取されれば、それは母国にとっての不利益だ。
……私の知恵や知識を簡単に渡してやるものか。
お前たちが母国に協力しないのであれば、私は一切、力を貸さない!
王妃は扇をゆっくりと閉じ、口を開いた。
「わたくしの意見など、大したものではありませんが……ひとつ申し上げるとすれば、北へは火薬よりも、縄や網を送った方がよろしいかと」
「ほう……なぜです?」
……ほら、分からないんだろう?
ソフィアは目を伏せ、心細げに声を弱めた。
すべては計算であり演技である。
「いえ……特に獣の多い北の基地は、火薬の蓄えも潤沢なはずでございましょう? 今更追加を送っても、かえって邪魔なだけかと思いまして」
「しかし王妃様、これは実戦経験の豊富な公爵のご進言でございますれば……」
「そ、そうですね。それに備えあれば憂いなしと申しますし……」
彼女の言葉を受けた高官たちは少しざわつき、恐る恐るその言葉を否定した。
分からないくせに助言を求め、意に沿わぬ回答であれば勝手に落胆する。こちらは言うべきことは言ったのだ。あとは好きにすればいい。
愚者に教えても無駄なだけだと、ソフィアはまた扇を広げた。
「浅慮でございましたわね。どうぞ、今の言葉はお忘れくださいませ。わたくしも勉強が足りませんでしたわ」
「ねぇ、ちょっと待っていただける? うん……縄と網ね、いいわね、そうしましょう陛下!」
「お、お待ちくださいヒルダ様。なぜです? 縄と網など、とても食人獣を退治できるようなものではございますまい!」
「本当にそう思うのメルバン伯爵? 北の基地なら、それでも充分じゃない……むしろ今なら、獣たちを生け捕りにする好機かもしれないのよ!」
……ああ、ばれてしまったか。
しかし、それならそれで構わなかった。
ソフィアはそれ以上の言葉を控え、ヒルダの言いたいままにした。どこにでも、頭の回る人間はいるものだ。自分が進言などせずとも、彼女であればいずれそこにたどり着いていただろう。
「北の基地にすぐ近いナナニ川の上流が、この間の大雨で氾濫したばかりじゃない! あれのおかげで、基地周辺の獣道は大半が地形が変わっているわ!」
「は、左様ですが……」
「あの地形では、やつらの道は? ああそうよ火薬なんて危ないばかりで意味がない……! それに新月……本当に捕らえることだって……?! ああ、早急に計画を立てなくっちゃ!」
興奮して早口になるヒルダは、周囲に仔細を説明する事なく、自身の中で計画を立て始めたようだった。数名の高官はヒルダの言葉に何かを感づいたようだったが、まだ気づけていない者もいる。
特に家柄の良さだけでここに座っている者たちは、ぽかんと間抜けた表情でヒルダを見上げていた。
「王妃様! 今から私の研究室へ来ていただけないかしら。 私、もっとあなたとお話ししたいわ!」
興奮したヒルダの言葉に、ソフィアは思わず視線をあげた。この女軍人は食人獣研究の第一人者であり、その情報は多くが秘されているとの噂だ。
それを、かつての敵国に、いとも簡単に開示しようと言うのか。これが大国の余裕なのか、それとも何か裏があるのか。ソフィアは扇の裏で考えを巡らせながら国王陛下を見た。
陛下は相変わらず優然とした笑みを浮かべる。
その腹に何を含んでいるのやら……疑心暗鬼になりながら、ソフィアもまた、やわらかな笑みを咲かせてみせた。
「レオ、よろしいかしら?」
「君がいいなら行ってきなさい。こちらの事は気にしないで」
「ありがとう陛下! さ、そうと決まれば参りましょっ」
「お待ちくださいヒルダ様! 阻止計画なら私達も」
「決まり次第お伝えするわドルトン! では皆様、御機嫌よう!」
ヒルダの大きな声に周囲は圧倒され、誰も何も言えないままに、2人は食堂を後にした。少し離れて、ティリケをはじめとした侍女たちも静かに着いてくる。
ヒルダの研究室は本殿から出た所にあるらしく、静かに廊下を歩いていた。ヒルダは大勢の前ではよく話すが、こうしてみると、案外物静かな女性に思えた。
「……ごめんなさいねぇ王妃様」
「え?」
「聡い貴女のことだから、色々と不快に思うこともおありでしょう? さっきのドルトンも……あれは何様かしらねぇ、まったく……!」
どうやら彼女は静かというより、怒っていたらしかった。ヒルダを信用しているわけではないが、彼女には嫁ぐ前から世話になっている。ソフィアはもとの口調に戻して、何でもないように語りかけた。
「ああ、構わないよわたしは。彼も言わなければならない立場なんだろう」
「……やっぱり、姉妹ねぇ」
「え……?」
「いえね、喋り方がよく似てるわぁ、貴女とアイリーンって」
「そうかな? 姉はもっと強いというか、乱暴な口調になりやすいんじゃないかな……」
突然出てきた義姉の話に心がわずかに踊る。しかし、後ろには侍女たちがいて、ヒルダもどこまで義姉と接しているのかは分からない。ソフィアは平静を装って、さほど関心のない振りをして話を流した。
「それはそうね。あの子は動揺するとすぐ、男の子みたいになっちゃうし……あ、分かった。あの子きっと、貴女を真似ようとしてるのね!」
「はは……どうかな」
当たらずとも遠からず。
実際のところは、ソフィアの方こそ義姉たちの口調を真似たのだ。ふたりの義姉と血が繋がらないと聞かされてから、幼いソフィアは必死に別の繋がりを持とうとした。
ソフィアは生まれてからずっと、丁寧な女言葉に囲まれている。しかし、ふたりの義姉はそうではなかった。彼女は義姉らを意識して真似ているうちに、今では思考する時もこの口調でなければ落ち着かない。
淑女らしくはなかったが、こればかりは変えようとも思ったことはない。髪や肌の色が違う自分にとって、努力すれば義姉たちと似ていられるこの口調は、今ではソフィアの大事な自我となっている。
「だってあの子、冷静になろうとした時の口調が、貴女とそっくりなんだもの」
「ふぅん……あまり意識したことないな」
全てはソフィアの奥底に眠る、愚者の血筋がそうさせていた。
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