アイリーン譚歌 ◇R-18◇

サバ無欲

文字の大きさ
上 下
20 / 124
Ⅱ.春の章

20.愚者たち

しおりを挟む


公爵が執務室に乗り込んでから4日経ち、その日は朝食会議があった。


公爵夫妻は欠席していた。
また狂犬公爵の仕事が立て込んでいるのだろう。

アイリーンに会えないとなると、ソフィアは朝会への意欲がめっきり減った。会ったとて話せる訳ではないが、目隠し姿の彼女を見るだけでも心が安らぐのだ。

それに公爵の大立ち回りがあってからというもの、アイリーンに異変はないかも気になっていた。どういう経緯で、彼に洗身の儀が伝わったのか。今まで秘されていた話なら、その出どころはアイリーンしかない。


公爵とそこまで、親密な話をする仲になっているのだろうか。


しかしまだアイリーンは処女のはずだと、ソフィアは確信していた。嘘のつけない彼女が公爵と閨を共にしていたら、あんなに平然としてはいられない。分かりきったことだった。


「……で、公爵より伝言を預かってるの。読んでもいいかしら」

「ああ、頼む」

「"今回の新月には増員して備えたほうがいい。北と南東の基地に武器や火薬も追加して送っておいてくれ"だそうよ。……私もそう思うわ」


ヒルダの報告に、国王はふむ、と一考する。

このところ、この国では食人獣の襲撃が増えているらしかった。満月と新月の夜にのみ現れる神出鬼没な食人獣は、同時多発的に村を襲うことがある。母国でも輿入れする前はそうであったが、最近はそれも減ってきたとの報告を受けていた。

なぜ減ったのか、または増えたのかは分からない。獣たちの行動は意味不明で、研究者筆頭であるヒルダも苦戦しているのだと言っていた。


「恐れながら陛下。自分は王妃殿下の意見を拝聴したく存じます」

「……ドルトン騎士隊長?」


青い目を優しく細めながら、ソフィアは騎士隊長を一瞥した。そう言えば、この男は洗身の儀で自分の身体を拭いたのだと思い出す。

王族の義務だったにせよ、その裏で多くの貴族がソフィアとアイリーンの裸を眺めていたのだと思うと寒気がする。彼女は今のところ、この国のすべての貴族を信用していなかった。白い扇で口元を隠す。


「王妃殿下の英才ぶりは皆もご承知の通りでございましょう。しかし、この国へ嫁がれてからと言うもの、殿下はこういった場での発言をお控えなさっておられる」

「ほほ、騎士隊長。買いかぶりすぎです」

「いいえ殿下。ぜひ母国でなさっていた様に、忌憚のない意見を述べていただきたい。我が国の臣民となられたからには、殿下にはその義務がございます。
その叡智を御身に閉じ込められるのは、我が国への貢献を果たしていない事になります」


わざわざ強い言葉を選び、ソフィアを脅迫せんとする男を前に、集まった高官たちは皆うんうんと納得して頷いていた。きっと深く考えもせず、上辺だけの正論に共感しているのだろう。

こういう時、ソフィアの心は固く閉ざされる。
自分の事を道具としてしか見ていない敵国の人間に、授けてやる知恵など何もない。

しかし同盟を結んでしまった以上、お互いに協力しなければならないと言いたいのだろう。その実、こちらばかりが搾取されれば、それは母国にとっての不利益だ。


……私の知恵や知識を簡単に渡してやるものか。
お前たちが母国に協力しないのであれば、私は一切、力を貸さない!


王妃は扇をゆっくりと閉じ、口を開いた。


「わたくしの意見など、大したものではありませんが……ひとつ申し上げるとすれば、北へは火薬よりも、縄や網を送った方がよろしいかと」

「ほう……なぜです?」


……ほら、分からないんだろう?
ソフィアは目を伏せ、心細げに声を弱めた。

すべては計算であり演技である。


「いえ……特に獣の多い北の基地は、火薬の蓄えも潤沢なはずでございましょう?  今更追加を送っても、かえって邪魔なだけかと思いまして」

「しかし王妃様、これは実戦経験の豊富な公爵のご進言でございますれば……」

「そ、そうですね。それに備えあれば憂いなしと申しますし……」


彼女の言葉を受けた高官たちは少しざわつき、恐る恐るその言葉を否定した。

分からないくせに助言を求め、意に沿わぬ回答であれば勝手に落胆する。こちらは言うべきことは言ったのだ。あとは好きにすればいい。

愚者に教えても無駄なだけだと、ソフィアはまた扇を広げた。


「浅慮でございましたわね。どうぞ、今の言葉はお忘れくださいませ。わたくしも勉強が足りませんでしたわ」

「ねぇ、ちょっと待っていただける?  うん……縄と網ね、いいわね、そうしましょう陛下!」

「お、お待ちくださいヒルダ様。なぜです?  縄と網など、とても食人獣を退治できるようなものではございますまい!」

「本当にそう思うのメルバン伯爵?  北の基地なら、それでも充分じゃない……むしろ今なら、獣たちを生け捕りにする好機チャンスかもしれないのよ!」


……ああ、ばれてしまったか。

しかし、それならそれで構わなかった。
ソフィアはそれ以上の言葉を控え、ヒルダの言いたいままにした。どこにでも、頭の回る人間はいるものだ。自分が進言などせずとも、彼女であればいずれそこにたどり着いていただろう。


「北の基地にすぐ近いナナニ川の上流が、この間の大雨で氾濫したばかりじゃない!  あれのおかげで、基地周辺の獣道は大半が地形が変わっているわ!」

「は、左様ですが……」

「あの地形では、やつらの道は?  ああそうよ火薬なんて危ないばかりで意味がない……!  それに新月……本当に捕らえることだって……?!  ああ、早急に計画を立てなくっちゃ!」


興奮して早口になるヒルダは、周囲に仔細を説明する事なく、自身の中で計画を立て始めたようだった。数名の高官はヒルダの言葉に何かを感づいたようだったが、まだ気づけていない者もいる。

特に家柄の良さだけでここに座っている者たちは、ぽかんと間抜けた表情でヒルダを見上げていた。


「王妃様!  今から私の研究室へ来ていただけないかしら。 私、もっとあなたとお話ししたいわ!」


興奮したヒルダの言葉に、ソフィアは思わず視線をあげた。この女軍人は食人獣研究の第一人者であり、その情報は多くが秘されているとの噂だ。

それを、かつての敵国に、いとも簡単に開示しようと言うのか。これが大国の余裕なのか、それとも何か裏があるのか。ソフィアは扇の裏で考えを巡らせながら国王陛下を見た。

陛下は相変わらず優然とした笑みを浮かべる。
その腹に何を含んでいるのやら……疑心暗鬼になりながら、ソフィアもまた、やわらかな笑みを咲かせてみせた。


「レオ、よろしいかしら?」

「君がいいなら行ってきなさい。こちらの事は気にしないで」

「ありがとう陛下!  さ、そうと決まれば参りましょっ」

「お待ちくださいヒルダ様!  阻止計画なら私達も」

「決まり次第お伝えするわドルトン!  では皆様、御機嫌よう!」


ヒルダの大きな声に周囲は圧倒され、誰も何も言えないままに、2人は食堂を後にした。少し離れて、ティリケをはじめとした侍女たちも静かに着いてくる。

ヒルダの研究室は本殿から出た所にあるらしく、静かに廊下を歩いていた。ヒルダは大勢の前ではよく話すが、こうしてみると、案外物静かな女性に思えた。


「……ごめんなさいねぇ王妃様」

「え?」

「聡い貴女のことだから、色々と不快に思うこともおありでしょう?  さっきのドルトンも……あれは何様かしらねぇ、まったく……!」


どうやら彼女は静かというより、怒っていたらしかった。ヒルダを信用しているわけではないが、彼女には嫁ぐ前から世話になっている。ソフィアはもとの口調に戻して、何でもないように語りかけた。


「ああ、構わないよわたしは。彼も言わなければならない立場なんだろう」

「……やっぱり、姉妹ねぇ」

「え……?」

「いえね、喋り方がよく似てるわぁ、貴女とアイリーンって」

「そうかな?  姉はもっと強いというか、乱暴な口調になりやすいんじゃないかな……」


突然出てきた義姉アイリーンの話に心がわずかに踊る。しかし、後ろには侍女たちがいて、ヒルダもどこまで義姉と接しているのかは分からない。ソフィアは平静を装って、さほど関心のない振りをして話を流した。


「それはそうね。あの子は動揺するとすぐ、男の子みたいになっちゃうし……あ、分かった。あの子きっと、貴女を真似ようとしてるのね!」

「はは……どうかな」


当たらずとも遠からず。

実際のところは、ソフィアの方こそ義姉たちの口調を真似たのだ。ふたりの義姉と血が繋がらないと聞かされてから、幼いソフィアは必死に別の繋がりを持とうとした。

ソフィアは生まれてからずっと、丁寧な女言葉に囲まれている。しかし、ふたりの義姉はそうではなかった。彼女は義姉らを意識して真似ているうちに、今では思考する時もこの口調でなければ落ち着かない。

淑女らしくはなかったが、こればかりは変えようとも思ったことはない。髪や肌の色が違う自分にとって、努力すれば義姉たちと似ていられるこの口調は、今ではソフィアの大事な自我アイデンティティとなっている。


「だってあの子、冷静になろうとした時の口調が、貴女とそっくりなんだもの」

「ふぅん……あまり意識したことないな」


全てはソフィアの奥底に眠る、愚者の血筋がそうさせていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

うちの娘と(Rー18)

量産型774
恋愛
完全に冷え切った夫婦関係。 だが、そんな関係とは反比例するように娘との関係が・・・ ・・・そして蠢くあのお方。 R18 近親相姦有 ファンタジー要素有

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

王女の朝の身支度

sleepingangel02
恋愛
政略結婚で愛のない夫婦。夫の国王は,何人もの側室がいて,王女はないがしろ。それどころか,王女担当まで用意する始末。さて,その行方は?

処理中です...