きずもの華族令嬢は初恋の男とクズ夫に復讐する 〜わたしたちは、罪悪です。〜

サバ無欲

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《二》

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「川で、男の死体があがったのですって」

「はい」

「身元不明だそうよ、警察は捜査をしているそうだけれ、ど」

「そうですか」

 手のひらを舐め終わり、今度は指を一本一本まるごと吸いながら、こともなげに男が応えた。すずしい顔をして、くちのなかではドロドロと熱い舌が執拗に指をねぶっている。

「……ねえ」

「はい」

 わたしは空いているもう一方の手で男の頭をなでてやった。男の視線が不意に上がり、夜の池のように暗くとぐろを巻いた目が、恍惚とわたしを見つめる。

「もしかしてあれなの? 川に浮い、っ……」

 とがめるように指先を、つよく噛まれる。

「……いたいわ」

「痛くしたんです」

「ひどい」

「どちらが」

 ちゅぶ、と最後の小指が吸われ終わるのと、ばあやの足音が遠くから聞こえたのはほぼ同時だった。
 気配を察した男がすらりと立ち上がる。

「旦那様、お待たせしました」

「ありがとう。まつさん、今日もなるだけ早く戻るから、夕食を頼むよ」

「承知いたしました」

「じゃあ」

「お見送りを」

 がたん、椅子が揺れる。
 椅子を引きたかっただけなのに力加減を間違えたらしい。

「ああっ、奥様!」

 まつが悲鳴をあげる。
 テエブルを掴もうとした手が宙をかすめる。目測を誤った。

 ぐらり、

「胡蝶」

 揺れた体は、しかし倒れきる前に男に掴まれる。

 まつが「まあ」と黄色い声をあげる。
 わたしは男の手を取った。迷わず取った。
 汗と男の唾で濡れた手のひらをにちゃりと押しつけて握りこみ、手の甲に爪を立ててやった。

「ありがとうございます、旦那様」

 男はなにも言わない。
 紳士然として、わたしをまるで映画のなかの姫君かなにかのようにエスコートする。腹立たしい。こんな姿を女中や妾たちに見られたらなんと言われて笑われるか。

 廊下を歩き出す。
 ズッズッと足の擦れる音。
 この音が常につきまとい、顔半分がきずものの『びっこ片目の胡蝶様』が、形ばかりの入婿に手を引かれて歩く姿はさぞかし滑稽だろう。

 みんみん、ズッズッ、みんみん、ズッズッ、みんみん、ズッズッ、みんみん、ズッズッ、みんみん、ズッズッ、みんみん、ズッズッ、みんみん、ズッズッ、みんみん、ズッズッ、みんみん、ズッ、ズッ

「では」

 男が離れた。
 まだ手はにちゃにちゃしている。
 たたきに降りた男は女中たちが磨き上げたつるつるの革靴に足を通し、中折帽をさらりとかぶる。

「行ってまいります」

「いってらっしゃいませ」

 まつがもともと丸い腰を深々と折る。
 瞬間、男の底深い目がわたしをぢっと見た。わたしもまた男と目を合わせる。ニッコリとほほえんでやる。


 この男に下げる頭は持ち合わせていない。


「……いってらっしゃいませ、旦那様」

 がらがら、ぴしゃんと戸が閉まった。
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