優しさを君の傍に置く

砂原雑音

文字の大きさ
上 下
127 / 134

番外編:あなたがいなければ3

しおりを挟む


甘かった。
朝になっても夕方になっても生まれず、陣痛が強くなるばかりでそのまま、また夜を迎えてしまう。


途中、余りに痛かったのか怖かったのか、真琴さんが泣きながらしがみついてきて「破水、したっ!」と叫んだ。
その後すぐにLDRに映ったが、それから一体、ちゃんとお産が進んでいるのかどうかもわからない。


握り合わせた手の指が甲に食い込み、食いしばった歯の隙間から泣き声のような悲鳴が漏れる。


「真琴さん、真琴さんっ……」


もう、頑張ってと言うのも辛くて、名前を呼ぶしかできない。
真琴さんは陣痛の僅かな合間に、ぐったりと身体の力を抜いた。


助産師が真琴さんの足の間から顔を出して、彼女の腰を擦った。


「赤ちゃんが中々進んでこないわねぇ」

「それ、まだまだかかるってことっすか」


陣痛が治まっている間も、真琴さんの膝はずっとカタカタと震えている。
もう、体力なんて残ってるとは思えない。


これ以上続いたらどうなるんだ。
先の見えない不安が苛立ちを呼んで、多分それが声に出ていたんだと思う。


「……陽介さん」


破水してからの陣痛が余程辛いのか殆ど喋らなくなっていた真琴さんが、じっと目を瞑ったまま俺を呼んだ。


「はい! なんすか、水? どこか擦る?」

「貴方、僕に付き合って何も食べてないでしょう。少し、休んできて」

「何言ってんすか、大丈夫ですよ。真琴さん、水飲んで。ジュースが良い?」


みず、と唇が動いたので、ストローの吸い口を真琴さんの口元に持っていく。


「ちゃんと一緒にいます。ね」


出来るだけ明るい声でそう言った。
こんな時に真琴さんに気を使わせるなんて、情けない。


大丈夫、きっと大丈夫だ。
俺が不安になってどうする、と必死で頭の中を切り替える。


けれど深夜。
もう叫ぶ力もいきむ力もない、そんな状況になった時。


真琴さんが、不意に意識を飛ばした。


最初はてっきり、脱力しているだけかと思った。
けど、手を握れば握り返してくれていたのが、指がぴくりともしなかった。



「真琴さん? 真琴さん?」



俄かに助産師の顔色が変わる。
内線で主治医に連絡を取ったり指示をもらったりしながら。


意識の混濁が、とかレベルが、とか。
酸素濃度が、とか。
MRI、とか。
心音が、とか。


よくわからない、わからないけどとてもいい状況とは思えない言葉が並ぶ。
心臓が煩いくらいに走り出し、冷や汗が噴き出した。



「ま、まことさんっ……しっかり、しっかりして」

「ご主人さんは、一度外へ出ていただけますか」

「は?! なんで、なんでっすか!」

「今先生来られましたから、また入室許可があればお呼びします。奥様、意識がはっきりしてない様子なので、検査の支持や帝王切開に切り替えるかもしれません。ご説明しますので廊下でお待ちくださいね。大丈夫ですよ」



取って付けたように、宥めるように助産師が言葉を付け足す。


何が大丈夫なんだよ!
ちゃんと説明しろよ!


部屋の引き戸が開いて、診察の時に顔を合わせたことがある女性の医師が入室し、入れ違いに外に押し出される。


扉が閉まる寸前、助産師の向こうに分娩台に座る真琴さんの、榛色の髪が見えて。



「真琴さん!!」



もう一度、どうか少しでも彼女の耳に届くようにと名前を呼んだ。


「陽介!」

「佑さん!」



そういや、陣痛が始まったことを連絡したきりだったと、佑さんの顔を見て思い出す。
部屋から出て来た俺の肩を、佑さんが掴んだ。



「お前、陣痛始まったってライン送ってきてから全然連絡来ねえから……」

「すんません、余裕なくて……佑さん店は」

「早めに仕舞った。どうせもう朝方だ」



言われて時計を見れば、確かにもう朝の四時を過ぎていた。
総合病院だから、おそらく救急かどこかの入口から入れてもらったんだろう。



「それよりどうなってんだよ」

「……まだ、生まれなくて。真琴さんが、意識飛ばして、それから」



佑さんに状況を説明しようにも言葉が続かない。
「おい!」と、強く肩を揺すられた。



「しっかりしろよ! お前、父親になるんだろ!」



呆然と立ち尽くす俺を励まそうとしてくれているのは、わかる。
わかるけど、目の焦点が合わない。


ばたばたと、助産師が真琴さんのいる部屋を何度か出入りする、その度にキリキリと胃が痛んだ。


まだ、赤ん坊の泣き声は聞こえない。
確か、内線のやり取りで、心音が弱ってるって言ってた。


慌ただしい様子に悪い想像しかできなくて、すーっと足元の床が抜けていくような感覚に陥った。
テレビドラマか何かで見たことがある、嫌なシーンが頭に浮かぶ。



 母子共に、危険な状態です
 どちらを、優先されますか



大丈夫だ、そんなことにはならない。
そう何度頭で打ち消そうとしても、消えない。



『貴方似がいい。あなたみたいに笑う、優しい子がいいな』



愛おし気にお腹を見下ろす真琴さんを思い出して、ぶわりと涙が溢れた。



そうだ。
父親になるんだから、しっかりしないといけない。


けど、けどさ。


俺を夫にしてくれたのも
父親にしてくれるのも


全部真琴さんで
真琴さんが、いなければ――――――



足が、地に立っている感覚がしない。
深い穴に落ちて行くような錯覚にとらわれた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【R18】優しい嘘と甘い枷~もう一度あなたと~

イチニ
恋愛
高校三年生の冬。『お嬢様』だった波奈の日常は、両親の死により一変する。 幼なじみで婚約者の彩人と別れなければならなくなった波奈は、どうしても別れる前に、一度だけ想い出が欲しくて、嘘を吐き、彼を騙して一夜をともにする。 六年後、波奈は彩人と再会するのだが……。 ※別サイトに投稿していたものに性描写を入れ、ストーリーを少し改変したものになります。性描写のある話には◆マークをつけてます。

私を犯してください♡ 爽やかイケメンに狂う人妻

花野りら
恋愛
人妻がじわじわと乱れていくのは必読です♡

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。 ——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない) ※完結直後のものです。

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

【R18・完結】蜜溺愛婚 ~冷徹御曹司は努力家妻を溺愛せずにはいられない〜

花室 芽苳
恋愛
契約結婚しませんか?貴方は確かにそう言ったのに。気付けば貴方の冷たい瞳に炎が宿ってー?ねえ、これは大人の恋なんですか? どこにいても誰といても冷静沈着。 二階堂 柚瑠木《にかいどう ゆるぎ》は二階堂財閥の御曹司 そんな彼が契約結婚の相手として選んだのは 十条コーポレーションのお嬢様 十条 月菜《じゅうじょう つきな》 真面目で努力家の月菜は、そんな柚瑠木の申し出を受ける。 「契約結婚でも、私は柚瑠木さんの妻として頑張ります!」 「余計な事はしなくていい、貴女はお飾りの妻に過ぎないんですから」 しかし、挫けず頑張る月菜の姿に柚瑠木は徐々に心を動かされて――――? 冷徹御曹司 二階堂 柚瑠木 185㎝ 33歳 努力家妻  十条 月菜   150㎝ 24歳

【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎ ——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。 ※連載当時のものです。

処理中です...