優しさを君の傍に置く

砂原雑音

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誘惑1

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【高見陽介】




慎さんが、少し変だ。



『あと、少し』

『もう少し……』



慎さんから唇にキスしてくれて、たどたどしく唇を舐めるその誘惑に、俺はものの見事に陥落した。


最初はそれでも、舌を交互に舐め合っては様子を見ていたはずなのに、気付けばカウンターに彼女を追い詰めるようにして退路を塞ぎ、手はがっしり首筋を抑えて貪るような口づけをしていて。


ん、ん、とくぐもった小さな声に漸く唇を解放したものの、理性はまだどこか遠くにぶっ飛んだまま。


赤く火照った唇が濡れていた。
どくどくと血が体中をめぐるのを感じながら親指で拭うと、飲みきれなかった唾液の筋が唇の端から首へと伝っているのを見つけて、吸い寄せられるように顔を埋める。


俺の服を握る、慎さんの手が震えていることに気付かなかった。
滑らかな首筋に舌を這わせると、びくびくと肩を強張らせる。


それを、首筋が敏感なのだと頭の中で都合よく変換して、短い息の繰り返しを聞きながら、肌を吸いながら辿って上がり耳の淵を舐めあげた。


瞬間、



「ひっ……」



と、空気を吸い込むような小さな悲鳴が耳に聞こえ、我に返る。
自分が今、何をしているのかを、鼻を擽る肌の匂いと視界に広がる榛色の髪に知らされ、冷水を浴びせられたようにすっと身体が冷えた。



「すんませっ……!」



慌てて捕まえていた肩を引きはがして一歩下がる。
腕の長さの分だけ空間が出来て、慎さんは握っていた俺のジャケットを離してゆるゆると自分の胸元に寄せていく。


その手が震えているのを見て、更に血の気が下がった。



「俺っ……」

「や……大丈夫」



いや、大丈夫なわけないだろ、何やってんだ俺。


慌てて彼女の顔を見る。
泣いているに違いないと思っていた俺は、彼女の熱を孕み潤んだ瞳に息を飲んだ。



肩が小さく上下しているのが、息遣いが乱れていることを示していてまた身体を熱くする。


でも、間違いなく震えてる。
これ以上は無理なのはありありと目に見えていて。


わかんねえ!
でも止まらないとダメだ!



発情した男には毒にしかならないその表情から、顔を逸らして強く目も瞑り。



「……ほんと、すんません! 頭冷やして来ます!」



みっともなく、彼女を放置してトイレに逃げ出してしまった。


洗面所の冷水で顔を洗ってそれでも足りなくて、流しに頭から突っ込んだ。


やっちまった、なにやってんだ俺。
今まで怖がらせないように、安心してもらえるように、それを一番に考えてきたのに。


震えて強張った慎さんの手を思い出して、激しく後悔する。
なのに、キスの余韻を色濃く残したあの表情が頭から離れなくて、しばらく流水の中から抜ける事ができなかった。





結局十分ほどの時間を洗面所でやり過ごし、ようやく冷静になったところで備え付けのペーパータオルで簡単に頭を拭いて、そろそろと店に戻る。



「……慎さん?」



彼女は、カウンターのスツールに腰を預けてぼんやりとしていて、俺の声でぱっと顔を上げた。
そして目を見開くと「何やってるんですか貴方は!」と怒りながらカウンターからタオルを取って近づいて来る。


もう、さっきの余韻はなくなっていて、ほっとした。
「屈んで!」と言われて少し頭を下げると、ぼふっとタオルを被せられてごしごしと髪を拭いてくる。


若干乱暴なのは、さっきの俺の行いを怒っているからだろうか。
それでも、慎さんの方から近寄ってきてくれて、嬉しかった。


距離を置かれてしまっても仕方ない、また最初からだと覚悟したけれど。



「頭冷やすって、ほんとに水被る人がありますか。この真冬に」



ぽん、とタオルの上から頭を叩かれた。
タオルを首にかけ直して顔を上げると、目が合った。



「何、情けない顔してるんですか」

「……さっきは、すんません」



キスについ、夢中になって。
慎さんに何の気遣いもなく、暴走してがっついてしまって。


貴女に、怖がられたくない。
それが一番、俺には大事なことなのに。


頭を下げた俺を、彼女は怒るでもなく、苦笑いをする。
ただその表情が一瞬、すごく寂しそうに見えて戸惑った。


「あの、慎さ……」

「貴方は別に、悪いことは何もしてないじゃないですか」

「え……」

「ただ普通に、恋人同士ならすることをしただけで。謝ることなんか何もない」



そう言って、ふいっと顔を背けてカウンターの中に入ってしまう。


どうしよう。
俺は何か、間違ったんだろうか。


いや、さっき襲い掛かってしまったことは後悔してもしきれない。
理性が完全にぶっ飛んでて、そんな状況で手を出したくなんかなかったし。


だけど今、慎さんの様子がおかしいのはそれが理由ではないような気がした。


何を言えばいいのかわからない。
どうすればいいのかわからないけど、ほっておいたらいけない気がする。


慎さんを追いかけてカウンターの中まで入って行くと、彼女がふいに振り向いた。



「陽介さん」

「え、はい!」

「ここ、開けてくれませんか」



徐に指差されたそこはカウンター上部の引き戸で、確かに彼女の長身でも届かないことはなくても少し辛そうだった。



「ここですか」

「はい、中に大きめの鍋が入ってると思うんですが」

「どうぞ」



言われるままに引っ張り出した鍋は圧力鍋で、鍋にしては重い。
なんでこんなもんがこんな高いトコに上げてあるんだ……じゃなくて!


何もなかったかのように流れてしまった話を、戻さなければと焦って彼女に話しかけるけど。



「あの、慎さん」

「助かりました。普段鍋なんて使わないのでしまってあったんです」



いつになく柔らかく笑った彼女に、もう謝るなと言われている気がした。




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