優しさを君の傍に置く

砂原雑音

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貴女が涙を飲んだワケ6

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「そうや、篤くんと連絡とっとん?」



真琴さんの顔から一瞬表情が消えたのは、食べ終えた雑煮の椀を集めながら真衣さんがそう言った時だった。



「いや。もうずっと取ってない、かな」

「そうなん? 高校まであんなに仲良かったくせに」

「そうでもないよ」



口元にもう一度笑みは浮かんだものの、湯呑を撫でる手が少し忙しなくなって、最後にはテーブルの下に隠してしまった。
それを見て、篤というのが例の幼馴染のことなのだとすぐに悟った。



「しょっちゅう遊んでたやん! 篤くんなあ、デキ婚らしいよ!」

「は……、デキ婚?」 

「そう! びっくりやろ。昨日から帰ってきてんのよ。後で顔見に行っといで」



今度こそ取り繕う余裕もない様子で、真琴さんの血の気が下がるのを見た。


「いや、いい。どうせ二月に会うし」

「そんなん式の日なんてそれほど喋られへんやん?」

「今日は、夕方の新幹線には乗らなあかんし、ええって」



辛うじて、口許だけは笑って断る言葉を探していた。
ぎゅっと膝の上で握られるその手に、誰にも気づかれないように重ねると、すぐに手のひらを上向けて握り返してくる。



「ええっ? あんたらそんなすぐ帰んの?」

「あーっ、すんません! 俺の方に予定があって!」



俺がそう言うと、真琴さんが顔を上げてこちらに視線を向けるのが目の端に見えた。



「そうなん? てっきり泊まっていくもんやと思って真琴の部屋掃除しといたのに」

「すんません、真琴さんも一緒に約束してたもんで。今度はもっと、ゆっくり時間作ります」

「急やったもんなあ、仕方ないけど」

「あ、でも! 真琴さんの部屋は見てから帰りたいっす!」



ぎゅうっといつにない強さで握ってくる真琴さんの手を引いて、立ち上がった。
ちょっとでも早く、この空間から逃がさなければ。


そう思いながら、頭の中は沸々と熱が上がっていた。



「二階ですか?」



真琴さんの手を引きながら、早足で階段を上がる。
彼女が少し戸惑ったような声で、上がってすぐ、右側の扉だと教えてくれた。


木製の、洒落た扉を開けるとグリーンと白で統一されたシンプルな八畳くらいの広さの部屋が広がる。


ぱたん、と背中越しに扉を閉めると、真琴さんが俺の顔を見上げてぽかんとした表情で言った。



「陽介さんが、そんな怒った顔するの、初めて見ました……」

「怒ってますよ、俺はずっと前からはらわた煮えくり返ってます」



血が全部脳に集まったみたいに、頭が熱い。
血管が浮いて痙攣するような感触までこめかみから伝わってくる。


篤って男だけでなく、本当は真琴さんの家族にも腹が立って仕方なかった。


デキ婚?
ふざけんな。


自分のしでかしたことなんて大したことだと思ってなくて、きっと何事もなく六年過ごして。
真琴さんの家族だって、なんで誰一人、気付かなかったんだ。


ぺたん、とラグの上に座る真琴さんの手に引っ張られて、俺も胡座をかいた。
険しい表情の俺を宥めたいのか、彼女に頬を撫でられる。
そのおかげで少し、熱くなった頭が冷えた。



「笑っちゃいますね、デキ婚だって。大昔のことを引きずってるのは僕だけで、向こうは何もなかったように過ごしてたんだなあ、と思って……まあ、わかってたことですけど」

「真琴さん……」

「僕が一人で神経質になって被害者ぶって、一人で大袈裟なことにしてるだけなんですかね、馬鹿馬鹿しくなりそうです。だって僕は事実、寸前で逃げて来れたわけだし」



バツの悪そうな笑い方で、彼女が言う。
そのことに、なんでそうなるんだと怒りにも似た感情がまた、湧き上がる。



「んなわけないですからね!」



なんで、そうなるんだ。
思えば、初めて話してくれた時もそうだった。


僕も悪いのだ、と。
怖い思いをさせられたのは真琴さんの方なのに、俺には酷く、彼女が卑屈に見えた。



「怖かったんじゃないすか! 男の力で襲われたら怖くて当たり前だし忘れられなくなって当然だし」



だからこそなんで、なんでもっと早く、誰かに正直に打ち明けなかったんだろうと思う。
せめて佑さんにでも。


だったら家族の中で、一人でも味方が出来たはずなのに。

真琴さんが、きょとんとした顔をする。
それは初めて打ち明けてくれた時と同じ顔で、それから徐々に口許が緩んで、ありがとうございます、と笑った。



「なんかそう言ってくれそうな、気はしてました」

「俺だけじゃないっすよ、誰だってそう思います」

「そうかな。でも陽介さんならそう言うかなって思えた。だから話してもいいって思ったのかな」



ぽつ、と呟いて、真琴さんが何かを思い出すように俯いて視線を彷徨わせる。



「あの時、佑衣が生まれて喜んでる皆に水を差したくないというのもあったけど、本当はすごく、知られるのが怖かったんです。

 あ、あんなことされそうになった自分が恥ずかしくて、見た目男みたいなのに、とか。時間が経てば経つほど、言えなくなった。誰かに話してただ『怖かったね』って流されて、後は何もなかったようにされるのも嫌で、だからと言って大事になって家族や隣に知られるのも嫌だったし。

 だからこの家を出るまでは、かなり息苦しかった。少しのボロも出せなかったから」



それから、きゅっと眉根を寄せ、握りしめた拳が震えた。



「……くそ。悔しい」





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