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触れてはならない、禁断の果実6
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「慎さん?」
どうかしましたか、という尋ねるようなニュアンスを込めて名前を呼んだが、彼女からの返事はなく。
グラスに水が汲まれて、目の前のカウンターテーブルに置かれた。
「……馬鹿みたいに走って。喉渇いたでしょう」
「あざっす」
正直、喉はカラカラだった。
スツールに腰掛けてグラスを掴むと、ひと息に煽る。
冷たすぎない、程よい温度が、慎さんの気遣いの表れのようでやっぱりさすがだと思ってしまう。
全部飲み干して、グラスを置いたその時。
カウンターの向こう側に居たはずの慎さんが、いつの間にかすぐ傍まで近づいて来ていて、そうしてなぜだか、すぐ隣のスツールに座り何か神妙な顔で俯いた。
「……あの?」
「何か?」
余りない、距離間だった。
いや、慎さんを空手道場に送る時だとか、食事に連れ出す時だとか、俺から近寄っていくことはあっても、慎さんの方からここまで近づくことは余りない。
ましてや、店内で。
「いや……そうだ。佑さんは?」
「今夜はもう帰ってもらいました。後片付けもそれほど残ってなかったし」
「あ、そう……っすか」
しかも、二人きり。
何がどうしてこうなった、と理解ができないままに自然と鼓動は早くなる。
男としては、大変美味しいシチュエーションだ。
だからといって、簡単に手が出せる相手ではないのだが。
スツール同士はあまり離れていないから、すぐ隣だと肩が触れそうなくらいに近くなる。
手を伸ばせば触れられるくらいに、抱き寄せられるくらいに、近い。
かといって全力で近づいてくるわけでもなくて……なんだろう。
この感覚、どこかで覚えがあるぞと思いめぐらすと、すぐに思い当たった。
実家で飼ってる猫だ。
不愛想でこちらから構ってやろうとすれば、つんと澄まして見向きもしないくせに、たまにソファでテレビを見ているとそろっと近づいてきて隣に座る。
それと、似ている。
慎さんは例えるならシャム猫みたいで、実家の雑種猫とはずいぶんと雰囲気は違うけど。
「あ。えっと、あの子なら、ちゃんと家まで送って来ましたから」
「ああ、アカリちゃん。小さくて可愛らしい子ですね」
「……送っただけで、何もないっすよ?」
「そうですか」
いつもと違う空気のわけを、思い当たる節から確かめようと敢えてアカリちゃんのことを口に出してみたが、手ごたえがない……ような、あるような。
「……てっきり告白でもされたかと思いました」
はは、と笑った顔が平静を装っているだけのようにも見えた。
「……されました」
「えっ」
「俺は会うつもりないんすけど……ここに多分、ちょくちょく来ると思います」
こんな雰囲気で、何か不安そうな慎さんに言いたくはなかったけれど、アカリちゃんが本当に来るなら話しておいた方がややこしくならない、気がした。
俺が居ない間に来られてアカリちゃんの口から喋られるよりは、ずっといい。
『だから―――また、会いたいな。あの店に行けば会えるよね?』
最後に言われた言葉を思い出して、溜息を付く。
アカリちゃんに毎度毎度来られたら、慎さんと話す機会が絶対に減る。
ましてや、その度送れとか言われたら、たまったものじゃない。
「……そうですか」
「すんません」
「なんで謝るんですか、僕は何も気にしてないし、お店のお客様が増えるってことだから逆にありがたいくらいで。もう一人のお友達の方も来てくれるようになったら嬉しいですね。紹介してくださった浩平さんにもお礼を言わなくては」
「慎さん」
自分が、いつもより早口で捲し立てていることに気が付いていないのだろうか、俺が名前を呼ぶと、驚いたようにこっちを向いた。
「めっちゃ気になってる顔に、見えましたけど」
ちょっと、冗談ぽく言ったつもりだった。
いつもなら例え図星でも、調子に乗るなとか馬鹿ですかとか俺が罵られて終了だ。
だけど目の前の慎さんは、真っ赤な顔で口をぱくぱくと空振りさせて。
「……っ」
結局閉ざし、目を逸らして俯いてしまった。
……かっ、かわっ、かわ……かわええええ!
素直すぎる反応が、身悶えしそうなくらいに嬉しい。
けど、常々罵倒されることに慣れてしまった俺には、この状況をどうすればいいのかさっぱりわからず狼狽えてしまう。
なんだろう、何かやっぱり様子がおかしい、それをほっといてはいけない気がする。
「何か、あったんすか?」
らしくない、心許ない表情についストレートに尋ねたけれど、「別に」と簡潔過ぎる答えが余計に不自然で。
横顔をじっと眺めて観察する。
耳が赤い。ちょっと泣きそうにも見えるし、拗ねているようにも見えるし、不安を抱えているようにも見える。
気になるのは、それらを隠そうとするのがいつものことなのに、今は駄々漏れだということだ。
「ほんと、何か変っすよ」
アカリちゃんとのことだろうか、それとも俺が居ないうちにまた梶のおっさんが来て嫌な思いでもしたのだろうか。
心配になってつい、綺麗な横顔に手を伸ばす。
だが、触れる寸前でびくっと身体を震わせた慎さんに、俺の方こそ驚いて慌てて手を引っ込めた。
「すみません、つい」
どうかしましたか、という尋ねるようなニュアンスを込めて名前を呼んだが、彼女からの返事はなく。
グラスに水が汲まれて、目の前のカウンターテーブルに置かれた。
「……馬鹿みたいに走って。喉渇いたでしょう」
「あざっす」
正直、喉はカラカラだった。
スツールに腰掛けてグラスを掴むと、ひと息に煽る。
冷たすぎない、程よい温度が、慎さんの気遣いの表れのようでやっぱりさすがだと思ってしまう。
全部飲み干して、グラスを置いたその時。
カウンターの向こう側に居たはずの慎さんが、いつの間にかすぐ傍まで近づいて来ていて、そうしてなぜだか、すぐ隣のスツールに座り何か神妙な顔で俯いた。
「……あの?」
「何か?」
余りない、距離間だった。
いや、慎さんを空手道場に送る時だとか、食事に連れ出す時だとか、俺から近寄っていくことはあっても、慎さんの方からここまで近づくことは余りない。
ましてや、店内で。
「いや……そうだ。佑さんは?」
「今夜はもう帰ってもらいました。後片付けもそれほど残ってなかったし」
「あ、そう……っすか」
しかも、二人きり。
何がどうしてこうなった、と理解ができないままに自然と鼓動は早くなる。
男としては、大変美味しいシチュエーションだ。
だからといって、簡単に手が出せる相手ではないのだが。
スツール同士はあまり離れていないから、すぐ隣だと肩が触れそうなくらいに近くなる。
手を伸ばせば触れられるくらいに、抱き寄せられるくらいに、近い。
かといって全力で近づいてくるわけでもなくて……なんだろう。
この感覚、どこかで覚えがあるぞと思いめぐらすと、すぐに思い当たった。
実家で飼ってる猫だ。
不愛想でこちらから構ってやろうとすれば、つんと澄まして見向きもしないくせに、たまにソファでテレビを見ているとそろっと近づいてきて隣に座る。
それと、似ている。
慎さんは例えるならシャム猫みたいで、実家の雑種猫とはずいぶんと雰囲気は違うけど。
「あ。えっと、あの子なら、ちゃんと家まで送って来ましたから」
「ああ、アカリちゃん。小さくて可愛らしい子ですね」
「……送っただけで、何もないっすよ?」
「そうですか」
いつもと違う空気のわけを、思い当たる節から確かめようと敢えてアカリちゃんのことを口に出してみたが、手ごたえがない……ような、あるような。
「……てっきり告白でもされたかと思いました」
はは、と笑った顔が平静を装っているだけのようにも見えた。
「……されました」
「えっ」
「俺は会うつもりないんすけど……ここに多分、ちょくちょく来ると思います」
こんな雰囲気で、何か不安そうな慎さんに言いたくはなかったけれど、アカリちゃんが本当に来るなら話しておいた方がややこしくならない、気がした。
俺が居ない間に来られてアカリちゃんの口から喋られるよりは、ずっといい。
『だから―――また、会いたいな。あの店に行けば会えるよね?』
最後に言われた言葉を思い出して、溜息を付く。
アカリちゃんに毎度毎度来られたら、慎さんと話す機会が絶対に減る。
ましてや、その度送れとか言われたら、たまったものじゃない。
「……そうですか」
「すんません」
「なんで謝るんですか、僕は何も気にしてないし、お店のお客様が増えるってことだから逆にありがたいくらいで。もう一人のお友達の方も来てくれるようになったら嬉しいですね。紹介してくださった浩平さんにもお礼を言わなくては」
「慎さん」
自分が、いつもより早口で捲し立てていることに気が付いていないのだろうか、俺が名前を呼ぶと、驚いたようにこっちを向いた。
「めっちゃ気になってる顔に、見えましたけど」
ちょっと、冗談ぽく言ったつもりだった。
いつもなら例え図星でも、調子に乗るなとか馬鹿ですかとか俺が罵られて終了だ。
だけど目の前の慎さんは、真っ赤な顔で口をぱくぱくと空振りさせて。
「……っ」
結局閉ざし、目を逸らして俯いてしまった。
……かっ、かわっ、かわ……かわええええ!
素直すぎる反応が、身悶えしそうなくらいに嬉しい。
けど、常々罵倒されることに慣れてしまった俺には、この状況をどうすればいいのかさっぱりわからず狼狽えてしまう。
なんだろう、何かやっぱり様子がおかしい、それをほっといてはいけない気がする。
「何か、あったんすか?」
らしくない、心許ない表情についストレートに尋ねたけれど、「別に」と簡潔過ぎる答えが余計に不自然で。
横顔をじっと眺めて観察する。
耳が赤い。ちょっと泣きそうにも見えるし、拗ねているようにも見えるし、不安を抱えているようにも見える。
気になるのは、それらを隠そうとするのがいつものことなのに、今は駄々漏れだということだ。
「ほんと、何か変っすよ」
アカリちゃんとのことだろうか、それとも俺が居ないうちにまた梶のおっさんが来て嫌な思いでもしたのだろうか。
心配になってつい、綺麗な横顔に手を伸ばす。
だが、触れる寸前でびくっと身体を震わせた慎さんに、俺の方こそ驚いて慌てて手を引っ込めた。
「すみません、つい」
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